2008年04月06日

過去から現在、振り返ろうか・・・。_甬

今、自分はすごくあせっている。
もっと頑張らなきゃ。もっと努力しなきゃ。

すごく、すごく・・・辛い。

でも、ここまで来るまでに相当頑張ってきたはずなんすよ。
でも、その実感は残ってない。

今の自分の状況を許すため、頑張ってきたことを実感するため
心の緊張を解くために改めて過去のことを文字にしようと思う。

あえて記事を公開にするのは、読んでくれる少ない当事者関係者に
「僕のほうが苦労してきてる、僕も頑張ってるんだ」って思ってもらったり、
「自分はまだマシ。なんとかなる。」って思ってもらったり、
「どん底までいっても、這い上がれる方法はあるんだ」って思ってもらったり。
「あんたのなんて、努力にも値しない。私のほうが努力してる!」て思ってもらったり

読む人にプラスの気持ちを持ってもらえると思うから。
私と同様に、努力してもなかなかうまく行かない人に読んでもらえたら幸いです。
2部か3部に分けるよてい・・・。

小、中、高校と、学校が変わっても私はずーといじめられていた。
今でこそ「イジメ」と表現するけど、当時はそれすら恥ずかしく私は苦しんでいた。
親は気を使ってはくれたが、傍観者でしかなかった。

中学で吹奏楽部に入ったときのイジメは相当なものだった。
元々吹奏楽なんてやりたくなかったけど、自分の中学は部活は強制で文化部は吹奏楽か美術部しかなかった。
今思えば、なんで美術部に入らなかったんだろうと思う。けどしかたがない。
自分は当時よりナルコレシピーを持っていたため、
授業中も部活中も居眠りしてしまうことがたびたびあった。
いまでこそアスペルガーにありがちな睡眠障害とわかっているけど、
当時はそれだけでもイジメをエスカレートさせる大きすぎる要因になる。
顧問の先生には怒られる。
先輩には無視され、大事なトランペットを男子トイレに置かれてしまったり。マウスピースを隠されたり。
挙句の果てに3年生の時にはトランペットを大きくへこまされてしまった。

勉強のクラスでは、私はいつも女子の悪口の標的だった。
塾での服装も、下敷きにはさんでいた大好きな歌手の写真もけなされ、
トイレに入ればいつも扉を「ドンドンドンドン」たたかれ。
歯磨きが長いことや、授業中のクシャミ、すべてが悪口の対象になり自分の精神はどんどん病んでいく。
教科書がなくなれば、ゴミ箱から出てくることも幾度かあった。
筆箱が掃除用具いれに隠されることも。
もちろん、昼食もみんながそれぞれグループになって食べている中、私だけひとりぼっち。
辛いという言葉さえだせないほど、自分は弱っていた。
なにが悪いのかわからないけど、自分が悪いのだと自分を追い詰めた。

そんななかで、勉強と習字だけは私の見方をしてくれた。
とくに小学一年生から習っている習字は大好きだった。
市内トップもとったり、競書会の展覧会では学年1位を2回とった。
めちゃくちゃ好きな書道で、成績もついてきているのがたまらなくうれしく私の支えとなっていた。
将来的にもそっちの道に進みたいと考えていたんだけど・・・

ある日、母親に「書道なんかじゃ大学いかせないからね!あんた理科好きじゃん。理系の女の子は将来就職有利だよ〜理系の大学にいきなさい」

そういわれてしまう。
そこで押し通せるほど強くない・・・むしろイジメによってズタボロに弱っていた私は、親の以降どおりに進路をとるしかほかなかった。
今考えれば、大きすぎる分岐点だったと思う。
あの時アスペルガーとわかっていたら普通に就職する進路を選んでいただろうか・・・。

高校に入ってもイジメられた。
なんで私がイジメの標的になるのだろうか・・・私のどこがおかしいのだろうか。
途中、友達らしきものができるここもあったけど皆いつのまにか避けられるようになった。
何が悪いのか全くわからず、入学時トップクラスだった成績も落ちていく。
母親には頑張れと尻をたたかれた。
ある日から、学校に行けば休み時間のたびに胃液まで嘔吐しにトイレにこもるようになったが、学校は休ませてもらえなかった。
授業中下を向いて泣いていたら、先生に「寝るな!」と頭をたたかれたこともあった。
どうしようもなくなり、『怪我をすれば今日は休ませてくれるだろう』
なんて単純な考えで太ももをかみそりで切って血をタラタラと流したこともあったが、
それでも母親は私を学校に行かせた。

浪人もさせない。とにかく大学に行けという言葉。
そしてその言葉にはいつの間にか「あんたが選んだ道」という言葉がついていた。


結果、自分は第2志望の国立大学の工学部に合格する。

東京での生活は楽しかった。
大学も悪くはなかった・・・のだけど、入ってから気がついた。

「自分は友達の作り方をしらない。みんなとの付合い方を知らない。」

友達との会話にはいつも不安が付きまとう。
一人でしゃべりすぎて、周りをうんざりさせがちというのはこの頃に気がつく。
その内、いつも一緒にいる4人(自分込み)のうち、どうも私だけが壁を作られている感覚におちいってしまう。

そしてわたしは学校を休みがちになる。
母親に相談したら神経内科に行けといわれた。
神経内科で私は「統合失調症」「鬱」という診断名をいただく。


自分の人生の中でもっとも暗い4年間はここから始まる。






・・・さて、まだまだ続きます。





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この記事へのコメント

1. Posted by のぶ   2009年05月16日 23:28
して。私は先天性の心臓病でファロー四徴症です。キャッチ22症候群と分かったのは10年ぐらい前です。今思えば読み書き計算が苦手だったり人の話がなかなか理解出来なかったりと覚えるのにまず苦労するので仕事も覚えるまで大変だったりと今思えばこの病気による発達障害なのかと受け入れるまで時間がかかりました。昔はやはり体と頭の関係は別だと思っていたそうで学校の勉強も母に叱られながら教わったような記憶があります。ただ今は何か資格とか検定でも取れれば自分に自信がもて病気に対するコンプレックスもなくなるのではないかと思い勉強してますがやはりここでも親には「貴方には無理」と言われ、同じ病気で悩んでる人がいないかと思い探して見つけたのです。ただでさえ心臓病の方で相談しずらいのにこの病気はもっと人に分かってもらえないかもとゆう思いがあります。ちなみに主治医から宣告された時は病名と症状を告げられただけでしたので、後は自分で心の整理や受け入れるしかありませんでした。

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