タイトルは少々、大げさですけども……。例によってまとまりのない話をします。

相撲は、昆虫が存在しているように客観的に存在するものではないのはもちろんのこと、相撲を構成している価値判断は歴史的変化を受けるものである。そして、さらに重要なことは、こうした価値判断は社会的イデオロギーと密接に関係しているということだ。イデオロギーとは単なる個人的嗜好のことを指すわけではなく、ある特定の社会集団が他の社会集団に対し権力を行使し権力を維持していくのに役立つもろもろの前提事項のことを指す」
 以上は、私が作り出した偽文なのでご注意ください。これはイーグルトン著・大橋洋一訳『文学とは何か』(P25)にある文章の中から、「文学」を「相撲」と置き換えただけです。

 今回の騒動で、いろいろなことが見えてきたな、という気がしているのは、たまたま、知り合いのブログで展開されていた「感動」についての話にも、少しからんでいるように思えたからです。

 テレビで、あるコメンテーターが以下のような趣旨の発言をしているのを耳にしました。
「NHKに、相撲中継をするなと反対している人の大半は、相撲のことなど、どうでもいいと思っている人たちだ」

 ま、「それを言っちゃ、おしまいよ」というセリフが聞こえてきそうな発言なので、これだけを取り上げてそのコメンテーターの資質ウンウンなどを言えるほど、私も大層な人間ではありませんので、そこはこの際、受け入れましょう。

 でも、コマーシャリズムの世界、そして資本自由化によってグローバル化が進んだ現代、さらにそれだけに企業や団体の経営陣・運営責任者たちには、かつてない責任が負わされている時代です。

 もし、民放で相撲を中継していたらどうなったか。ま、中止ですね。興業そのものが中止された可能性だってあるでしょう。

 だって、反社会的組織に金品が流れていただけではなく、人間関係としてもかなり密接に関わっているのではないかと疑われている団体の興業を、どの企業が、どの経営者が、責任を持ってスポンサードできるでしょうか? NHKも受信料で運営されており、受信料を払うことが法律で義務づけられている以上は、政府や国民がスポンサーということになります。

 ただし、これが興業ではなく、「表現の自由」とか「職業の自由」に触れる活動だった場合は、まったく話は別になります。相撲やサッカーは、アカデミー賞を獲得したドキュメンタリー映画と同じではありません。
 相撲協会がNHKの今回の判断を憲法違反として訴えたとしたらどうなるか、少し興味はあります(たぶん、裁判所は契約内容等による民事事件として裁判しちゃうだろうな、と思いますが)。

 こんな具合に、実はけっこう複雑な人々の思いが交錯していたり、無関心な人の単なる感想や思いつきだったりが、社会的には同じような価値観の中で、語られることが多いのではないか、と思います。
 責任ある意見と、無責任な感想を分離することは、たぶん、不可能です。

 つまり、「多くの人たちがこう言っています」という感想と、価値観は密接に関わっている、とみなすしかないのです(圧力によって言わされている、という状況ではないと仮定します)。

 そして分離ができないことをいいことに、「ほら、みんなこう言ってるじゃないか」とそれを利用する人たちがいます。

 私たちが常に注意しなくてはならないのは、この部分なのではないか、と思うのです。

 私たちは自由になにを言ってもいい。憲法でうたわれている範囲で、ということになりますが……。それを統計的に処理するのも、あながち無意味ではないでしょう。「68%がNOでした」などと。
 ただし、その結果を利用する人の行動や発言には、注意しなくてはなりません。

「感動をありがとう」で済ませてしまっては、4年後の日本サッカー界も大したことないかもしれない、と憂えているファンもいるようです。同時に、「これだけ盛り上がったから、もっといける」と思っているファンもいます。
 こうした声を、日本のサッカー界はどう利用するのか。そこはちゃんと見なくちゃいけません。ファンだったらなおさらです。自分の発した声が、どう利用されているのか、見ておくことです。

 NHKが今回の放送中止を、多数の意見が視聴者から寄せられた結果を理由の1つとした以上、その後、この放送局がどういう行動をするのか(または行動しないのか)は、きっちり見ておく必要があります。

 こうした点をふまえて、私は先のコメンテーターの発言に驚いたのは、私が無意識のうちに、相撲よりもNHKの方がずっと上位の概念だと思い込んでいたからだと思います。NHKの受信料を払っている人たちがみな、相撲ファンではない、と勝手に決めていたんですね。
 でも、そうではないかもしれません。相撲ファンからすれば、NHKよりも相撲の方が上位なのですね。なるほどなあ。

 こういう価値観については、日々、考えさせられますね。

 あ、やっぱりまとまらないな。この文章はいずれ削除する可能性があります。ご容赦ください。