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 こんばんは。今日はちょっと怖い話です。

 先祖返り。印刷業界では、こういう場合があります。

 印刷業界関係者が戦々恐々とする“先祖返り”とは? 『今日も下版はできません! 』 第5話

 システム関係でも使われている言葉のようです。せっかく、修正をしたのに、そのバージョンを使わずに、その前のバージョンを使ってしまう、という間違いです。

 先般、話題になったのが、この事件。






 そして、私もお世話になっている渦中の「ぷれす」さんからは、正式な情報がこちらにあります。すでにこの件は終了、ということになっているそうです(2017/02/16 御礼申し上げます:『岐阜信長 歴史読本』誤植問題)。

 ちなみに、──同文面において「内容の校正・校閲作業」とありますが、当社が担当したのは、あくまで内容の事実関係の調べまで行わない校正(誤字脱字のチェックを主体とした作業)です。校閲作業は請け負っておりません──とありますが、いまはここでは校正の話を中心に考えます。

 「ぷれす」さんは関係先、取引先には、事情について簡潔にお知らせするペーパーを郵送しているようで、私のところにも届きました(上の写真)。いやあ、大ごとです。これはけっこうな影響が出ているようです。巻き込まれた「ぷれす」さんは大変です。がんばってください!

 工程が多く、複雑な場合、どこでミスが起こるかわからないので、ホントに大変ですよね。他人事ではありません。怖い話ですし、教訓にもなるかなと思います。プロセスを見直すなどして、自分でできることは、ちゃんとやらなくちゃ、と気を引き締めております。


……以下、蛇足……

 今回の件はまだ全容はわからないものの、どこで起きたミスかは明らか。

 編集部→校正会社での校正
     著者など関係者による校正
     出版社内部での校正・校閲
       ↓
      校正戻し→編集部
            校正をデータに反映
              ↓
             印刷所

 だいたい、こんな流れが多いと思うのです。

 つまり、それは編集部で起きた。

 校正会社にお願いして戻って来た校正だけで校正が終わるわけではありません。
 編集部でも校正していますし、著者も校正する場合があります。デザインの校正が入ることもあります。そして出版社内に校正部門、校閲部門がある場合は、そこを経由することもあります。

 校閲はドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール』の影響で、校正と同義語に受け止められているようですが、実は校正と校閲はかなり違います。校閲のスタンスは文化的にそして出版社的に、本の内容にも踏み込んで読み込む部門です。著者の主張であるとか、その根拠、論文審査みたいなエビデンスの適切さ、引用の適切さ、論旨の一貫性などに踏み込んでいきます。校正は「修正する、しない」という判断ですが、校閲から指摘された問題点は「解決する」必要があります。論旨の整合性や矛盾点は校正さんでも指摘していただけることが多いものの、校閲はかなりスタンスが違うと私は思っています。

 つまり、編集部には、いくつかの校正の戻しがあります。

 たとえば、校正会社や校正専門家による校正には、いわゆる「赤字」だけではなく、「鉛筆書き」があります。つまり、「こう書いているけど、こうじゃないのか?」といった疑問、「この表現は変えたほうがいいのでは?」といった提案などが、鉛筆で記入されています。

 もし、校正作業が、一直線の工程なら問題はそれだけで軽減されますが、実際は納期の問題などから同時並行となります。

 たとえば、校正さんにはほぼ原稿流し込んだままの状態で送ってしまった、その後、編集部で見出しを変更したり、新たなキャプションが追加された、さらに著者からの要望でコラムが差し替えになった、ページの問題で3ページが2ページになった、などなど。

 いろんなことが起きている中で、同時並行というか、同時多発的に校正が乱れ飛ぶ。

 それを、最終的に印刷用のデータに反映させるわけです。

 このデータ修正を、編集部でやるのか。またはDTPを担当している部門、またはDTPを請け負っている会社でやるのか。いずれにせよ、指示は編集部から出るし、指示どおりに修正されているかをチェックするのも編集部です。

 すでにここまでで、間違いが起こりやすい。実際に私も何度も経験しています。もう印刷所に送ってしまったあとから、著者のFAXが届いて、妙な赤字が入っている。なぜだ? 著者は私たちが見ているよりもずっと前の校正紙を見て、また校正してきちゃった……。

 忙しい著者は、一度校正したコラムというのを忘れて、「あ、ヤバイ」と赤の入っていない校正紙を見つけてわざわざ新たな赤字を入れてきちゃった。

 さあ、どうしよう。どうにもなりませんが……。

 さらに編集部にも複数の人がいて、「これ、間違ってるじゃん!」と青い顔してやってきた先輩が手にしているのは、とっくに終わっている校正前のゲラだったり。
 逆に、「これは古いやつだよな、こんなの見逃すわけないよな」と放置していたら、誰もが見逃していた重大な間違いだったり。

 ここに輪をかけて、編集者が直接、印刷用のデータを触る時代になってからヤバイってことが起こりやすい。似たような名前でデータを保存していて、どれがどれだか。クラウドで管理すると、ちょっとした時間差によって、前のバージョンをDLして使ってしまうこともあり得るでしょうし。ネット環境によっては、リロードされていないこともあり得るでしょう。

 私はDropboxなどのクラウドを活用していますが、異なるデバイスで1つの文書を作っているときなどには、バージョンがおかしくなることがたまにあります。保存されていなかったり、間違って前のバージョンに修正をして上書き保存してしまう、などです。

 これが、怖いんですよね。Ver.1に修正したものがVer.2。ところが、間違えてVer.1にさらに修正をしてしまって、Ver.3で保存しちゃう。
 すると、Ver.2の修正部分が全部抜けているのに、最新のバージョンが出来ちゃう。
 第三者からすれば「Ver.3なんだし、日付も最新だし、これが最新だよね」となる。

 校正さんから来た校正で、自動的にデータを修正するわけではないことからも、さらに複雑になりがち。鉛筆書きの部分の中には、著者に判断してもらわないといけないレベルのものもある。

 著者は「同一性保持権」があると著作権法にうたわれています。厳密に言えば、著者の原稿(著作物)を勝手に変えることはできません。「これでいいのだ!」と言われたら、まあ、そうかな、と。これは「どうしてもこの漢字が使いたい」など、けっこういろいろあるのです。表記はこだわる人はこだわっちゃうし。

 その事情を知っているのは編集部なので、校正さんは必ずしもそこまで対応してはいないのですから、編集部と著者で修正しなければなりません。あるいは修正しない、という決断です。

 こんな諸々の状況を逼迫した時間内にやるわけですが、よく「プリントアウトすれば問題ないだろう」という声もあるものの、上記のようなバージョン管理については必ずしもそうではないのです。
 プリントアウトされた校正紙は、いつもまっさらで、最新のように見える。ヘッダ、フッタに自動で日付やバージョンが入るようにしたとしても、勘違いは同じように起こる。まして、全編を綴じ込んであればまだしも、部分が抜き取られてそのコピーが取られたりすると……。

 というわけで、すべての責任は、印刷データをつくったときの編集部にあります。

 しかも、いまの時代、データ入稿が基本で、印刷所ではそのまんま印刷する。
 私がこの業界に入った頃は、よく印刷所から「このまんま印刷しちゃっていいの?」なんて電話が来たものです。つまり、印刷所でも当時はフィルムでチェックしたり、刷り出しのところでベテランがチラッと見ただけで、「おかしいぞ」と発見してくれたり。

「いま、機械止めてるから」なんて言われて、中野坂上あたりの印刷所に駆けつけたり。電子写植の頃は、写植屋さんが「これ、変だよね」と指摘してくれたこともありました。関係者が多かった頃は、そんなラッキーもあったわけですが、いまはそこは期待できません。

 野球で言えば、外野は1人で守るみたいな。内野を抜けたらあきらめる、みたいな。アイスホッケーの全員攻撃みたいな。キーパーまで下げちゃうような感じ。それが常態化しているのかもしれません。

 また、先ほどから「編集部」という言い方をわざとしていますけども、いったい、何人で本を作っているのでしょうか? 5人? 4人? 3人? 2.5人? 2人? 1.5人? さすがに1人じゃ難しいけど、1.5人とか2人ってけっこう現実的だと思います。

 専任は1人。サポートするか足を引っ張るかわからないけど、もう1人も一応進捗や事情をよくわかっている(はず)ぐらいか。

 そして、あとは外部。編集プロダクションやライターさんなど。優れた人たちをうまく活用することになりますが、最後にまとめる段階で関わる人はとても少ない。

 データの修正時は、結局、1人でやるしかない。これを複数でやると、もっと問題が起こりやすくなる。そして、この1人が、複数の仕事を抱えている場合には、どうなるのか。

 0.5人とか、0.3人なんてことが起こり得る。

 そのときに、複数の校正紙があって、どれをどこまでデータに入れたのかわからなくなっているとすれば、かなり危険です。また、完璧に修正を終えたのに、印刷所に送ったデータは前のバージョンだった、なんてこともあり得る。
 本来、最後の砦として印刷所に送ったデータこそ、チェックしなければならないわけですが、それをやる人がいなければスルーしちゃう。

 こういうところこそ、AI(人工知能)にやってほしいけど。AIは外野手ではなく、いまはピッチャーかキャッチャーを目指しているように見えるし。

 つまり、しっかり校正しても、別のファクターによって間違えることはあるわけで。

 よーく考えると、けっこう怖い。そんな話でした。

……蛇足の蛇足……

 校正はいまも紙でやっていることが多いと思います。
 私の経験では、校正してほしいデータをPDFで送付。校正さんはそれをプリントアウトして手書きで校正。それをスキャンしてPDFで戻ってくる。

 編集は、PDFを見ながら、データをいじることになる。これもけっこう怖い。

 それが嫌なら、私なら、校正さんのPDFをプリントアウト(カラープリンターが必要だ)、そこに著者からの赤字、編集部の赤字を追加して、最終的な1つの校正紙にする。
 この紙を見て、データを修正するのが、比較的、作業としてはやりやすそう。紙だと、そこに簡単にメモできるので、「これは修正しない」などを○や×でメモしておけるし、どこまでデータ修正したかも折り目をつけたり、日付を記入するなどして明白にしておけると思います。

 PDFを見ながら、データをいじるときは、ディスプレイを2つ用意するなどして、画面切り換えしないでできるようにしないと、たぶん、かなりヤバイ。1章まるまる飛ばしちゃった、とかね。

 最近のPCは、SNSのお知らせなどが入ることもあるので、そういうのは全部OFFにしておきたいところですね。オフラインにしちゃってもいいけど、クラウドの場合はそうはいかない。

 私は以前からここで書いていますが、PDFはiPad miniで表示して、それをキーボードの手前に置いて、それを見ながらディスプレイに表示されたデータを修正するスタイルがいまは定番です。

 それから、書籍の編集をされている人たちの中にも、PCとかキーボードとかクラウドとか、あまり得意ではない人もいます。編集作業と高度なITリテラシーは必ずしもシンクロしていません。私の回りにも、LINEやFBメッセージで仕事のやり取りをする、スカイプで打ち合わせをする、といったことに強い抵抗を感じている編集関係者は一定数おります。タバコをやめられない編集者と同様、一定数いるのです。だから、ITなどの技術的なことで、プロセスを見直したり、チェック体制をつくることは、あまり実効性がないかもしれません……。

 編集という仕事において、これは悪いことではないと思います。ITで本を作らないという決断もそれはそれで尊重されていいのではないでしょうか。

 とすれば、今回の問題はプロセスやシステムの問題ではなく、担当した個人に帰する問題、となります。または、それでよしとした組織の問題となります。(←ここは蛇足の蛇足としての結論なので、ここだけ読まないでね。)

 編集は、いわゆる集めて編んで、新たな価値の創造をするクリエイティブな側面(ここばかり強調されがち)と、プロジェクトを完遂するマネジメントと、さらに細かな技術的な面への対応をしつつ、コンテンツの源泉である著者との関係性を築き、印刷・製本、営業、流通、書店、読者といったサプライチェーンとの関係性にも気を配っていく存在なので、それだけのマンパワーをかけないとミスが出やすい仕事だと思います。
 そしてミスで萎縮し、嫌気がさせば、簡単にクリエイティブな側面を含めて崩壊していく可能性のある仕事でもあるでしょう。