優しさと悲しみと、
そして鎮魂と。
「七帝柔道記」への深い思い。
増田俊也、出版直前のインタビュー(「ゴング格闘技」2013年4月号)
僕が見学の1年生として座ったベンチプレス台に3年後……
——250号を迎える『ゴング格闘技』のなかで、増田さんが約4年にわたり連載した『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が大宅賞と新潮ノンフィクション賞という2つの賞を受賞したことは、格闘技界に大きな勇気を与えました。その続編にあたる『鬼の木村政彦外伝』と『VTJ前夜の中井祐樹』も現在、小社で単行本として執筆が進められていますが、その前に2月28日に『七帝柔道記』(角川書店)が発売されますね。
増田俊也 はい。『月刊秘伝』で連載が始まったのが2007年の終わり(08年1月号)で、3年間連載したんですよ。もうその連載が終わって2年も経つんで読者にも忘れさられているんじゃないかなと思ってました(笑)。
——いえいえ、格闘家にとって木村本が永遠のバイブルになったように、『七帝柔道記』もそういったものになると思います。
増田俊也 そうですか?
——はい。今回、ゲラで読ませてもらいましたが、何度も泣けてしかたなかったです。増田さんが七帝柔道を北大で行なうために二浪で合格して札幌に来るところから始まりますよね。旭丘高校柔道部から先に入学していた同期から、北大柔道部の話を聞くシーンだけで、中井祐樹を知る格闘技ファンにはたまらないです。そして入部シーン……。
増田俊也 僕が柔道場に初めて入っていって見学しながら座っているベンチプレス台があるでしょう。あの同じベンチプレス台に3年後に中井祐樹が座るんです。同じ場所に座って見学するんです。
——なるほど……。あの『VTJ前夜の中井祐樹』の、例の名シーンですね。竜澤主将が後輩を抑え込みながら目配せをして副主将の増田さんに見学の一年目が来ていることを教えるシーン。
増田俊也 そうです。僕がそこへ行って中井と握手して、中井の目の前で他の一年目をつかまえて跳び付き十字とか派手な関節技を極めまくって中井の興味を惹こうとする場面。あのシーンのときに中井が座っていたベンチに僕もその3年前に座って見学したんです。すべてが繋がるでしょう?
表紙の九大の道衣は甲斐君のものなんです
——なるほど……。私が『七帝柔道記』に一気に引き込まれた既視感はそういう部分にあるんですね。『VTJ前夜の中井祐樹』も近く、加筆された完全版がうち(イースト・プレス)から単行本化されます。これも秘蔵写真などもたくさん掲載したすごい本になりますが、あの世界観にすべてが繋がってますね。一気に引き込まれました。
増田俊也 この『七帝柔道記』の表紙に使われている7枚の柔道衣、九大のものは甲斐君の遺品なんです。
——『VTJ前夜の中井祐樹』に登場するあの中井さんのライバルの甲斐泰輔さんですか……。
増田俊也 ええ。22歳で夭折した九大主将の甲斐泰輔君です。今回、表紙を作るにあたり、7大学のOBに呼びかけて道衣を集めたんですが、九大の道衣は神戸市で七帝柔道の寝技道場『あこう堂』を開いている九大OBの畠山先輩が甲斐君のご両親に連絡をとって借りてくださったんです。ぜひ甲斐君の供養をしたいと畠山先輩が仰って。それで僕も吉田寛裕(中井祐樹の代の北大主将。やはり24歳で夭折)君の両親に道衣を借りてそれを並べようと思ったんですが、吉田の道衣が見つからなくて。だから北大のは吉田のものじゃないですけど、九大の道衣は甲斐君のものです。
——そうですか……。それにしても七帝柔道をやっていた人たちの絆と思いの深さは本当に素晴らしいですね。去年の11月に名古屋で開かれた北大柔道部OB主催の増田さんの大宅賞受賞パーティでも感じたのですが、100人もの七帝柔道のOBが北海道や九州から駆けつけていて、その絆を羨ましく思いました。20歳代から80歳を越えるOBまでが自費で飛行機代を払って名古屋まで来てくれるんですから。
増田俊也 ええ。本当にありがたかったです。
絆の深さは練習量からくるもの
——七帝柔道のその絆の深さ、思いの深さはどこからくるんでしょう。
増田俊也 やっぱり練習量だと思いますよ。いまの現役学生も80歳代のOBも同じ練習量をこなしているという一体感。他の大学の人間も同じ練習量をこなしているという一体感だと思います。だからあのとき京大や名大、他の大学のOBまで遠くから来てくださいました。やっぱり練習量なんです。練習量が極限までいって、ある閾値を超えると、そこに本当の絆が芽生えるんですね。仲間の気持ちを忖度するようになれる。
——道場での乱取りシーンが延々と続く描写がありますが、あの部分もこの作品の読みどころですね。《汗が蒸気となってもうもうと漂う道場で私たちはただただ寝技乱取りを続けるしかなかった》と何度も何度も出てきます。その繰り返されるリフレインがこの物語の圧倒的厚みを作っています。あのリアリティ。文学史上、あそこまでのリアリティをもってスポーツが描かれたことはないでしょう。
増田俊也 ないです。一つもないです。ただのスポーツもの、ただの青春ものとしての読み物はたくさんありますけれど、練習の本当の苦しさ、きつさ、痛み、それが伝わる文学作品、テキスト、まったくないんです。だから、どうやったらそのリアルな感覚が伝わるだろうと、それを念頭に書きました。
——増田さんの作家としての強みは、やはりその“痛み”の部分だと思います。木村政彦本でもそれを強く感じましたが、やはり実際に体験して本当の痛みを経験している作家でないと書けない部分ですね。
増田俊也 今回、女子柔道の体罰問題がマスコミで叩かれてますよね。それも僕は実際に選手の側に立っても苦しみの想像がつくし、指導者側に立ってもその気持ちがわかる。その想像をしないで簡単にバッシングすると、とんでもなく論点が横道にそれていってしまうんです。僕らのような経験者からすると、一般マスコミにコメントを求められたときに本当に困ってしまう。困って、自分で後で考えるんですね。どうして自分は質問されて困ってしまったんだろうと。それは、やはり実際にやってみないと痛みを説明できないからなんです。
怪物選手たちとの凄絶な乱取りシーンの描写
——『七帝柔道記』のなかで北海道警の特練(五輪などを目指すために全国の強豪大学から選りすぐりの選手を集めた柔道のトップ集団)への出稽古が出てきますが、あまりに凄絶で……。コンクリートの上に叩きつけられたり、立ったまま壁に押しつけられて十字絞めで落としては緩めることを何時間も続けられて絶叫するシーン……。頭突きやヒジ打ちを受けて、寝技でヒザを落とされて涙を流しながら向かっていくシーン……。完全に打撃ありの総合格闘技ですね。あんな乱取りを30年近く前に、柔道界でやっていたことが驚きでした。
増田俊也 普通の人が見たら、ただの暴力です。でも、あんな経験はあのときしかできなかった。それを「体で感じること」「魂に刻みつけること」、それが若いときにできたのは幸せだった。道警の選手たちには感謝してます。
——感謝?
増田俊也 ええ。今でも北海道警特練の選手たちには感謝しかない。地方の公立高校でちょっと柔道が強くなった気でいた僕の天狗の鼻をへし折ってくれたことに本当に感謝しかないです。あれがあったから僕は謙虚に生きられるようになったし、本当に成長できたと思うからです。だから心から当時の道警特練の選手たちに感謝しています。
——なるほど……。
増田俊也 僕はね、この作品をあらためて読み直してみて、柔道ってなんだろう、武道なのかスポーツなのかってずっと若い頃から考えてきて答が出てなかったんですけど、何となくわかってきたんです。もしかしたら武道っていうのは自分から進んでオーバーワークをやってみることなんじゃないかと。あるいは自身の想像できない場所に身を置いてみることじゃないかと。それが武道なんじゃないかと。スポーツと武道を区別する部分はそこにあるんじゃないかと。非日常に身を置くことじゃないのかと。
——たしかにあまりの練習量に苦しみながら自問自答するシーンが印象的でした。
増田俊也 乱取り本数が多すぎるでしょう。いわゆるスパーリングが。トップ柔道家やわれわれ七帝柔道の選手は普段の軽い練習時でも乱取りだけで2時間も3時間もやってます。合宿や延長練習になると4時間も5時間も6時間もやる。これって効率を完全に無視してますよね。科学的じゃない。プロボクサーや大相撲力士のスパーの量を聞いて北大柔道部員が苦笑いするシーンがあるじゃないですか。マイク・タイソンでさえ、スパーは1日3分20ラウンドくらい、1日1時間でしかない。信じられない乱取り量ですよ、柔道は。
——たしかに。
増田俊也 それをね、練習の効率とか強度の問題にしたら、たしかに科学的ではないかもしれない。でも、それが武道ではないかと。木村政彦先生も岡野功先生も量から入って質も高めようと努力していました。トップ柔道家はみな同じ問題に立ち向かうんです。そのうえでそれぞれが結論を自分で出していく。その過程が大切なんじゃないかと思いました。自分で答えを考えていくその過程こそが武道そのものの思想なんじゃないかと思いました。だからね、良いか悪いかではなく、実際にやってから考える、それが武道じゃないかと。
——なるほど……。武道とスポーツの違いはオーバーワークや極限の練習をやることによって非日常を体感・思考することだと。
恐怖と痛みを実際に体験したことが文学に生きた
増田俊也 ヘミングウェイの一連の戦争ものの作品がなぜあれだけ支持を受けたかというと、やはり戦争を実際に体験してるからなんですね。自分で従軍して自分でその恐怖と痛みを体感して、それを咀嚼して文学に昇華した。だからその戦争体験に似てるんじゃないかなと思います。戦争には実際に従軍しなきゃわからない部分もある。でも僕は北大でオーバーワーク、理不尽なほどのオーバーワークと苦しみ、絶対に逃げられない恐怖、そういうもので戦争に似た感覚を疑似体験しておくことができた。それが僕が柔道から得たものですね。だから武道というのは、つまりそういうものじゃないのかと。
——その柔道や戦うことのリアリティの他に、もうひとつ増田さんの作品に通底するのは時代風景やその場の空気がひりひり伝わってくることです。文学作品として昇華されている。雪が空から舞い落ちてくる札幌の街の風景、その雪が深くなっていく風景、大木の枝々に樹氷がからまって、その雪のなかを道場に毎日毎日通うシーン。他の学生たちが恋人と遊んでいるときも、とにかく寝技乱取りばかり繰り返すしかない若者の絶望感が伝わってきます。
増田俊也 それも僕らは体感してるんですよ。ひりひりする空気感を体で感じてるんです。やっぱり極限の練習量をこなしてたから、皮膚感覚や感性、すべてが常に敏感なアンテナになっていて、同じ風景や雪の冷たさ、そういうものを繊細に感じとっていたんだと思うんです。ですから一般の北大生はあんなに繊細に季節を感じてないと思いますよ。雪に対する感性も僕ら柔道部員とは違うと思う。僕らが感じた札幌、僕らが感じた雪景色、僕らが見た星空とは違うものを見てたと思う。そういう意味でも僕たちは幸せでした。
柔道という競技には豊穣な土壌があると思う
——いま、柔道界が女子柔道の体罰問題などで大揺れしていますが。
増田俊也 ええ。でもこの『七帝柔道記』を読むと、読者もさまざまなことをすべてが赦せるようになるんじゃないでしょうか。木村先生の本で大宅賞をいただいた時もゴン格のインタビューで言いましたが、「許す」ではなく恩赦の赦、「赦す」の漢字です。みんなで反省し、前へ進むにはやはり赦しが必要です。この『七帝柔道記』もその赦しを得られる作品だと思います。これを読んだ読者は柔道の豊穣な世界に気づいてくれると思います。さまざまな意味で豊穣な世界を。中高年が健康のためにやる柔道だってある。女性がダイエットのためにやる柔道もある。小学生が友達をたくさん作るためにやるライトな柔道もある。中学や高校で楽しくやる部活動もある。大学の部活動でチームのために頑張る本格的な柔道もある。そしてトップレベルの柔道家たちが鎬を削る五輪を目指す柔道もある。さらに一歩進んで、嘉納治五郎先生が夢見てた「他の格闘技と戦っても遅れを取らない」柔道、つまり総合格闘技ですね、そういう柔道の可能性もある。柔道ってね、すごく豊穣な畑なんですよ。土が栄養に満ちている。だから、どんな作物の種を蒔いても大きく育って果実が得られる。
——それほど多様性のある果実をはぐくめる土壌が、柔道のなかにあったのですね。
増田俊也 本当のところ、連載が終わってから本になるまでの二年間に、ちょうど死亡事故が問題になったり、女子柔道強化選手の体罰問題が出たり、柔道界が揺れてきてしまったから、さまざまなところを単行本では削ろうと思っていたんです。僕の作中での描写が誤解されるかもしれないと思って。でも編集者に止められて。ここがこの作品の命なんですと。僕もいろいろ考えて……。
——たしかに凄まじいシーンの連続です。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の原点だと思いました。
増田俊也 乱取りシーンなんて、書いた僕が読んでも「よくこんなことやってたな」と思うほど凄絶です。先輩との寝技乱取り、北海道警の特練選手との乱取り、それから柔道事故の部分……。本当に削ろうと思った。でも、それらは本当のことだから、削って蓋をして、それで無かったことにしてもしかたない。たとえば太平洋戦争がなかったことにしたら平和とは何か、歴史とは何かなんて考えられないでしょう。だから柔道とは何かという議論をするときに必要な作品になると思ったから残しました。
——なるほど。
スポーツ柔道とコマンド柔道に分ける方法もある
増田俊也 武道必修化で柔道事故問題が問題になって、柔道の荒々しい部分、実戦的な部分、そういったものが削られていくのはちょっと心配でもあるんです。だから、サンボにコマンドサンボとスポーツサンボがあるように、柔道も分けたらいいんじゃないでしょうか。授業用のライト柔道と、競技用の柔道のふたつに。もしかしたらその上に打撃ありの総合格闘技としてのコマンド柔道も作ったほうがいいかもしれない。
——コマンド柔道ですか。
増田俊也 講道館内にその研究施設を作って。実際、全国の警察特練クラスがやっている柔道はそれに近かったですからね。彼らは逮捕術(防具を着けて打撃も許された日本拳法に近いもの。最後は制圧、逮捕を旨とする)もやってますし、後から考えると、いわゆるSAT(特殊急襲隊)に入っている選手も当時大勢いたでしょうから。隠れてそれも訓練してたんだと思うんですね。当時はSATの存在が世間に隠されてて、僕が知ったのは社会人になってから。1995年の函館空港ハイジャック事件の時です。当時は道警では機動隊銃器対策部隊で、そこに警視庁のSATが支援して道警が突入したんですが、その中にも僕と乱取りした人はたくさんいたと思いますよ。
——考えてみれば警察組織と軍隊は、世界のMMA(ミックスド・マーシャル・アーツ、日本語では総合格闘技と呼ばれる。柔道やレスリングの投技や寝技のほか空手やボクシングの打撃技も許される。ブラジルのグレイシー柔術が祖)が始まる前からそういうものを想定して訓練せざるを得なかった。
増田俊也 柔道は出稽古という制度が昔からあって、そういうものがトップ柔道家たちには日常風景になっていた。その原始的なMMAの感覚を体験できるのは、昔は柔道界にしかなかったんじゃないでしょうか。それをトップ柔道家でもない七帝柔道、北大の選手なのに体験することができた。これは本当にありがたいことです。それはね、やっぱり七帝柔道精神、「自分で天井を作らない。限界を想定しない。限界を突き破る」そういう精神で、フィジカルの圧倒的に劣る僕らがトップに立ち向かっていくからこそ体験できたんですよ。
——なるほど。
当時の柔道界だからこそ中井祐樹が産まれた
増田俊也 それでね。話は戻りますが原始的なMMAの感覚を体験できるのは、昔は柔道界にしかなかった、この部分は世界の格闘技史を見ても明らかでしょう。グレイシー柔術は講道館柔道から派生したんですよ。バーリトゥード、MMAは柔術・柔道から生まれたんです。ボクシングやレスリングからはMMAの思想は派生しなかった。柔道はMMAの思想を内包していたんです。それを考えると、やっぱり柔道の世界的な立ち位置、他国の土着の格闘技にはなかったMMAの思想、これをね、格闘技の歴史の中で忘れちゃいけないなと思います。
——たしかにその価値は認識されるべきですね。古代レスリングや、古代ムエタイにもその萌芽はあったと思いますが、“何でもあり”のなかでどう生き残るかを、これほど弱者にも強者にも系統立てて、今に至るまで伝えてきたことは稀有なことだと思います。中井祐樹も北大柔道部から誕生したのですものね。
増田俊也 ええ。レスリングや空手、ボクシングから中井祐樹は生まれなかったんです。荒々しいトップレベルの柔道界と、頭でっかちの帝大柔道、これが交わったところで化学反応を起こして生まれたのが中井祐樹という異能の存在です。そこから日本のMMAのひとつが生まれた。その場所が北大柔道部だった。
——源流のひとつとなった。
増田俊也 トップレベルの柔道家は五輪を目指して鎬を削っていますから、そこから“他の格闘技へ”という発想は生まれないんですね。フィジカルが劣っている七帝柔道の選手だからこそ考えるんですね、いろいろと。われわれはなぜ寝技ばかりやるんだろうとか。寝技は実戦的なんだろうかとか。空手家とやったらどう対処しようとかボクサーとやったらどう対処しようとか。そういう柔軟性をもった頭で考えた柔道、思想性を持った柔道をやっていた。だからトップ柔道家と寝技中心の七帝柔道というものが化学反応を起こして中井祐樹を産み落としたんだと思います。
——なるほど。
「火の鳥」のような壮大な世界観を構築したい
増田俊也 実は『VTJ前夜の中井祐樹』が『七帝柔道記』シリーズの大きな意味でのプロローグで、その後にこの『七帝柔道記』、それから今まだ『月刊秘伝』で連載している続編『北海道大学柔道部の2887日』、さらに続編とシリーズが続き、それはもうぜんぶ原稿になってるんですけど、どうだろう3冊から5冊くらいになりますか。そのシリーズの完結編ともいうべき作品が『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』なんです。
——それはいつも増田さんが仰ってましたね。
増田俊也 ええ。だから僕に近い人たちだけは気づいてますよ。ゴン格の編集部さんも角川書店の編集部さんも、僕の友人たちも気づいてますよ。
——本当にスケールの大きな話になっていく。読者はそこに行き着いたときにどんな衝撃を受けるか想像も尽きません……。
増田俊也 ええ。格闘技だけの話じゃない。これは生きることそのものの意味を考える作品群です。それを読者に伝えるために懸命に書く、それだけです。木村政彦先生の本もそうでしたが、この『七帝柔道記』も泣きながら書きました。全部読まないと僕が本当に言いたいことが何なのかわからないです。哲学がわからないです。本当の意味の感動を得られないと思う。だから木村政彦本を読んだ人には必ず『七帝柔道記』も読んでほしいんです。もうすぐイーストプレスから出る『鬼の木村政彦外伝』も含めてすべてシリーズなんです。ぜんぶ読むと手塚治虫の『火の鳥』のようにすべての世界観が繋がるようにできてる。だから木村本も含めて、シリーズものとして全部読んで、読者も一緒に泣いてほしい。魂と思いがすべて繋がっていくのが僕の作品世界ですから。逆に言うと、僕が書けるのはその魂の部分しかないんです。スキルが秀でてるわけでも才能があるわけでもないですから。
——いや、それが才能なんですよ。
増田俊也 他の作家さんはみなさん才能があるからそれに頼りますけど、僕は努力しか信じないですからね……。
——でも、その努力の大切さを、この七帝柔道というものから学んだとよく増田さんは仰りますよね。小菅正夫さんもゴン格のインタビューで同じことを仰ってましたし、中井(祐樹)さんも仰います。
増田俊也 そうですね。僕は北大に入学するまでは、努力というのを馬鹿にしていたところがあった。一生懸命に何かに向き合うことをどこかで馬鹿にしているところがあった。でも、七帝柔道を経験したあの4年間で、その生き方が根本から変わりました。小菅さんも最近、茂木健一郎さんとの対談で同じことを言ってました。自分とは何者なのか、あの北大柔道場で初めて知ったんです。その七帝柔道の真髄を、この『七帝柔道記』で格闘技ファンにぜひ知ってほしい。ぜひ読んでほしいです。
——そうですね。それはこのゲラを読んだ人間はみんな感じてます。この世界を知ったら文学の原点と格闘技の原点、その二つに同時に帰ることができる気がします。
(「ゴング格闘技」2013年4月号)
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