増田俊也の執筆生活|公式ブログ

小説家です。「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で大宅賞&新潮ドキュメント賞。他著に青春小説「七帝柔道記」(角川書店)、ノンフィクション集『VTJ前夜の中井祐樹』(イースト・プレス)など。

『肉体の鎮魂歌〜新潮社スポーツアンソロジー』あとがき

  巻頭に掲載された沢木耕太郎さんの『三人の三塁手』のなかに、野球界を去って人知れず居酒屋チェーンで店長をしている土屋正孝が「儲かって困るほど儲かる。でもカッコ悪くてさ」と言って、友人から「商売人で一番カッコいいのは儲けることだ。カッコ悪いのは損することだ。それ以外にない」と厳しく叱られるシーンがある。

 私が初めてこの『三人の三塁手』を読んだのは大学時代だった。そのとき私はこのシーンの意味を理解できなかった。土屋の側に立って、ものを見ていたからである。土屋が言っていることが正しいと思った。なぜ土屋が叱られるのか理解できなかった。ようやく意味がわかったのは、情けないことにほんの数年前だった。

「スポーツは人生の縮図である」

 こんなステレオタイプの言葉がよく語られる。

 だが実際のところ、この作品に出てくるようなスーパートップ競技者たちは、引退後、いつ終わるとも知れぬ残りの退屈な人生に気が狂いそうな日々を過ごし、逆のことを思っているのではないか。「人生はスポーツの縮図です」と。

肉体の鎮魂歌

 スポーツ界の底辺である地方国立大の柔道部員でしかなかった私でさえ、先の言葉「商売人で一番カッコいいのは儲けることだ。カッコ悪いのは損することだ。それ以外にない」を理解するのに引退してから何年も何年もかかった。レギュラーをいったりきたりではあってもジャイアンツの二塁手だった土屋正孝がそれを理解するのにいかほどの時間が必要なのか考えるまでもない。おそらく今際の際になっても理解できないであろう。

 彼らにとって、その後の金銭的成功も社会的成功も会社での出世も、すべて現役時代の喉がひりつくような熱い日々に比べたら、練習前のキャッチボール程度の軽さしかないのだ。野球だけが人生じゃないんだよ。スポーツだけが人生じゃないんだよ。いくら言っても彼らの耳は過去のグラウンドの球音を追い続ける。人生の一時期すべてを捨ててひとつの世界にのめりこんで生きることは、かように大きな代償をもたらす危険をはらんでいる。

 しかし“その後”の人生に、苦しみ、血を流し、のたうちまわっているスポーツノンフィクションの登場人物たちの生き様は、本人たちにとっては塗炭の苦しみの後半生ではあっても、読者にとってその苦しみでさえある種の羨望である。たとえ成功をつかむことができなくても、ほんの数年間であっても、鮮明な目的を持って生きた者たちにたとえようもなく惹きつけられる。そしてその後の苦しみにさえ惹きつけられる。

 この世に生を受けた私たちは、時間が間延びしているように感じようが退屈だろうが、目的を見つけられない人生にときに叫びだしたくなりながら、それでも日々を生き続けなければいけない。答は見つからない。見つかるわけがないではないか。あらゆる先人たちが過去二千年もの間さまざまな学問からアプローチし、また思索からのアプローチで人生に意味づけをしようとしたが、誰もそれを成し遂げていないのだから。

 だからこの本を読んで答を見つけようなどと夢思ってはいけない。感じるしかないのだ。登場人物ひとりひとりの歓びや苦悩を我がこととして抱きとめ、ただ感じるしかない。

 

朝青龍の魅力。大相撲が涵養した古武士の精神。

3年ほど前に「月刊武道」に掲載された評論です。こうして過去にペーパーメディアに掲載された小文をここに出していくのは、できるだけ多くの方に読んでいただきたいからです。ネット社会はこれからさらに進むでしょうから、様々なかたちでテキストを発表していくべきと考えてのことです。僕らが死んで土に還っても、永遠に言葉は遺ります。そしてその遺す言葉こそ、僕たち作家の仕事そのものなのです。

 
▶「朝青龍を押し出したら1000万円」
 

大晦日の夜は、NHKの紅白歌合戦でも民放の格闘技興行でもなく、AbemaTV(アベマ・ティーヴィー)インターネット放送を見た。それは『朝青龍を押し出したら1000万円』という扇情的とも漫画チックともとれる番組であった。正直あまり期待はしていなかった。地上波のような予算はないだろうから、ただモンゴルから朝青龍を連れてきて余興のような相撲を取らせるだけだろうと思っていた。

最終的に観ることにしたのは、八人用意された対戦相手のなかに二〇〇四年アテネ五輪柔道九〇キロ級銀メダル、二〇〇五年カイロ世界選手権九〇キロ級金メダルの泉浩選手(現在は総合格闘家)の名前が挙がったからである。道衣なしの裸であるというハンディがあったとしても、元横綱と元柔道世界王者がどんな戦いをするのか興味があった。この泉浩のほかに「VIPチャレンジャー」としてあと二人がラインナップされていた。格闘家のボブ・サップと元大関の琴光喜である。

 朝青龍

一般チャレンジャー五人のなかにも現役プロレスラーや現役のブラジリアン柔術世界王者、元アメフト日本代表らがおり、これらを一人で順に相手していくのは、朝青龍がいくら強かったとはいえ、丸八年の間が空いている三十七歳の体では難しいのではないかと思った。また、今回の取組では張り手とかちあげ、そして立ち合いの変化が禁止されていた。だから朝青龍はすべてをがっちり受け止めて闘わなければならない。一戦たりとも楽ができないのである。

しかし彼は強かった。柔道メダリストも現役プロレスラーもまったく寄せ付けず、八取組すべてを完勝してみせた。そして一番ごとの取組後のコメントのたびに、「横綱だから負けるわけにはいかない」と静かに矜持を言った。

▶力士の色香
 

三十七歳の肉体は、この日のために準備してきたとはいえ、現役時代に比べれば衰えている。しかし語る言葉ひとつひとつに男の色気があった。二〇一〇年一月の暴行事件での引退勧告、そして悔し涙を流しながらの引退会見以来、いかに苦労して生きてきたのかわかった。今回の番組収録の前に「いまでも土俵で闘っている夢を見るんです」としんみり言っていたが、その言葉の重さがわかった。

それに対して、朝青龍に挑んだ者たちの悪い部分が目立った。相撲で敗れただけではなく、もっと基本的な部分で完敗していた。柔道メダリストの泉浩は、土俵での四股をまともにできていなかった。仕切りのやり方さえ勉強しておらず、柔道時代の素晴らしい試合を知っているだけに、相手の土俵で失礼な所作を見せるのは残念だった。ほかの者たちも同様である。相手の朝青龍が、たとえ一夜限りのバラエティのようなネット番組でも、誠心誠意四股を踏み、蹲踞し、静かに仕切っていたのに比べ、彼らの無礼さに残念な気持ちになった。

相手に礼を尽くして土俵に上がったのは、最後の八人目、琴光喜だけであった。二〇一〇年、朝青龍が暴行事件で引退勧告を受けた数カ月後、ライバルだった琴光喜も野球賭博問題で解雇され、相撲界に激震が走ったのは誰もが覚えている。しかし、二人ともに、苦しみを乗り越えてここまで生きてきた。朝青龍は先の七番では白い稽古まわしだったが、琴光喜戦ではわざわざ本場所用の黒い廻し(締め込み)に着替えて出てきた。琴光喜もそれに応えるかのように締め込み姿で土俵に上がる。琴光喜もこの日のために鍛え直してきたという。

戦いは本場所さながらのぶつかり合いから激しい技術合戦になり、最後は朝青龍が寄り切った。互いに入場から取組、そして最後の礼に終わるまで、まるで錦絵を見ているような美しさだった。解説の花田虎上氏(元三代目若乃花)が涙声になった。戦う二人も、そして花田氏も、これが二人にとって本当に最後の相撲になるのがわかっているのだ。

かつて中日新聞社にいるとき、私は飲み会で隣に座った若い記者にこんなことを言ったことを思い出した。

「たった一度でもいいところを発見した人間については、その後、どれほど社会的に悪いことをやっても、たとえ彼が俺を嫌いになったとしても、俺はその評価を変えることはない」

瞬間風速でその人を判断することはしない。失敗をした、悪行をした、無礼をはたらいた、そういったことも瞬間、瞬間のできごとでしかない。だからその後、その彼のなかに光を見つけて必ずまた好きになる。今回の朝青龍と琴光喜についても、八年前の社会的問題が彼らのすべてではないのである。

人生は土俵を降りたあとも延々と続く。かつてのように新聞記者がコメントを求めて囲んでくることはない。年配ファンから激励で背中を叩かれたり、女性ファンの黄色い声が上がるわけでもない。退屈ともいえる日常の時間を、黙々と耐えていかなければならない。一度は陽のあたる場所で頂点を過ごした者にとって、あまりに長く、あまりにきつい〝老後〟である。だが、朝青龍も琴光喜も、いまは次の舞台で頑張っている。それは、今回の土俵態度と最後のインタビューで、誰もが感じたことであろう。

朝青龍は、こう言って頭を下げた。

「これでやっと相撲の夢を見なくなると思います。ありがとうございました」

いつもは冷笑ばかりのネット住民たちも、この番組後に次々に「泣いた」「感動した」とネット上でコメントしていた。

朝青龍はモンゴルにいるので簡単には会いにいけないが、琴光喜は私が住む名古屋で焼肉屋「やみつき」の店主として第二の人生を歩んでいるそうだ。近くぜひ訪ねたいと思う。

 


  ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

千代の富士vs白鵬、どちらが強いのか。

『新潮』に書いた随筆の再掲です。



▶日本刀はなぜ錆びないのか


 コンピュータの予想外の進歩で、人間はチェスで敗れ、将棋で敗れ、囲碁でも敗れた。これから先、コンピュータをはじめとした科学技術の進歩に、人間は飼い犬に手を噛まれるように敗れていくのだろうか。

 いま、千代の富士の評伝を書いてほしいという依頼を出版社から頂いている。尊敬し憧れてきた人物であるから、もし実現したら私も本気で取り組みたい。

 評伝の下準備として、会う人ごとに訊ねている。

「千代の富士の全盛期と白鵬ではどちらが強いでしょうか」

 たいていの人は考え込む。相撲界に近い人ほど「わからないなあ」と言葉を濁す。ともに大横綱だから言葉にすればカドが立つ。

ウルフ

 しかし若くスポーツに詳しい人たちは「どの種目でもパワーや技術が進化しています。間違いなく白鵬でしょう」と顔色も変えずに言ってくる。

 だが、本当にそうだろうか。

 私には千代の富士が勝つイメージのほうが大きい。たとえ白鵬であろうと、千代の富士のあの強靱な足腰を揺るがすことができるとは私には思えない。

 あらゆるものは進化し続ける。相撲技術も他スポーツの技術も進化し続けている。選手たちの身体能力も栄養学やスポーツ医学も進化し続けている。

 スポーツでさえ長足の進歩を遂げているのだから、工業製品ならなおさらだ。科学的なものほど解析して数値化して対応するだけなので、新発見で必ず前へ進む。自動車のことを考えればわかりやすい。年々馬力が上がり、最高スピードも速くなる。あるいは近年なら燃費が良くなり音も静かになっていく。時代が先へ進むほどあらゆるものは進歩していく。

 しかし最近面白い話を聞いた。日本刀と鉄のことだ。いま博物館や蒐集家のもとにある日本刀は、ほぼ完全なかたちで残っている。4百年も5百年も昔の鉄が、なぜ錆びずにいまも完全なかたちで残っているのか。

 

▶製鉄技術は昔の方が上?
 

 鉄というのは私たち人間にとって最も身近な金属だ。工業製品の多くは鉄で作られているし、高層ビルのコンクリートの中には鉄筋が入っている。

 しかし野ざらしになった廃車などは15年もすればボディに穴が開いている。鉄筋にしても長くもって100年程度だといわれている。その鉄が、なぜか日本刀においては数百年もそのまま残っている。これはどういうことなのか。昔の鉄のほうが丈夫だったのか。しかし鉄といえば元素記号「Fe」の一物質であり、合金でもなんでもない。それなのに昔と今では違うのだろうか。

白鵬

法隆寺の昭和大修理に関わった宮大工の西岡常一は、後に著した『木に学べ』(小学館)のなかで、こう言う。

「砂鉄から作った和鉄なら千年でも大丈夫だけれども、溶鉱炉から積み出したような鉄はあかんというのです。法隆寺の解体修理のときには飛鳥のクギ、慶長のクギ、元禄のクギと出てきますが、古い時代のものはたたき直して使えるが、時代が新しくなるとあかん。今の鉄はどうか、というと、五寸クギの頭など一〇年もたつとなくなってしまう。今の鉄なんてそんなもんでっせ。(中略)飛鳥時代のような鉄だったら強いでっせ。(中略)今まで千三百年もってますねん。これから、まだ千年もちまっしゃろな」

 この“和鉄”とは何か。

 調べると、こういうことだった。昔は砂鉄を原料として蹈鞴という製鉄技術を使って手作業で少しずつ鉄を作っていた。蹈鞴とは足で踏む鞴のことである。しかし現在では洋式高炉法製鉄で大量生産をする。ここに違いが出てくる。普通に考えれば現在の製鉄のほうが科学的に思えるが、実は同じ鉄でも成分を調べると和鉄のほうが不純物が少なかったそうだ。この不純物の多寡が、錆びやすさと関係しているようである。

 かように、科学技術でさえ、千年以上前の技術のほうが現代を凌駕している分野があるのである。

 ならばスポーツでも充分にありえる。千代の富士や北の湖、あるいは大鵬や双葉山といったかつての大横綱が、現代の怪物白鵬をねじ伏せる場面は充分に考えられるのではないか。

 日本刀が刃毀れせず、西洋の短剣より強い理由は、和鉄を槌で何万回何十万回と叩いて鍛え、練り上げるように作られているからだ。“鍛錬”の言葉はここからきている。四股を踏み、稽古量で鍛え、体の芯から練り上げた昭和の大横綱たちにふさわしい2文字だ。

(作家)



 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

「隠蔽捜査7」の文庫解説を書かせていただきました。「警察小説の歴史を塗り替えた傑作シリーズ」。

尊敬する大先輩作家、今野敏先生の「隠蔽捜査7」の解説を書かせていただきました。ここに全文掲載させていただきます。今野先生のこのシリーズの主役はキャリア警察官ですが、人間に対する優しさと深い洞察があり、心に響きます。職業に貴賤や上下がないのは当たり前です。僕もこの解説文に友人たちの様々な職業を書きましたが、どの職業にも同じ重さがあり、同じ尊さがあります。

 警察小説の歴史を塗り替えた傑作シリーズ

                            増 田 俊 也


 クリエイターの世界には時代を変えた作品が存在する。

 映画でいえばたとえば「ジョーズ」であり「エクソシスト」であり「羊たちの沈黙」である。それぞれ新地平を拓き、後々まで類似作品が大量に制作される巨大なウェーブを起こした。一九九〇年代の日本ミステリー界でいえば京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏(一九九四)や馳星周さんの「不夜城」(一九九六)などがそうである。警察小説でいえば大沢在昌さんの「新宿鮫」(一九九〇)や髙村薫さんの「マークスの山」(一九九三)などもエポックメイキングとなった作品だ。

 これらの小説作品が発表された一九九〇年頃から日本の文芸界は空前のミステリーブームとなり、とりわけ警察小説に才能が集まるようになっていく。そのなかであらゆるタイブの警察官が描かれ、あらゆる状況のあらゆる事件が描かれ、日本の警察小説は世界に類をみないほどの高レベルに達していく。

 しかしあまりにも多くの作品、多くのシリーズが出たために、もう警察小説はおなかいっぱいだとする空気が出版界にも読者のあいだにも漂いはじめていた。そんなときに登場したのが今野敏先生の「隠蔽捜査」(二〇〇五)であった。

 主人公の竜崎伸也の登場は鮮烈だった。これ以前にもキャリア警察官が登場する作品はいくつもあった。しかしそのどれもがいまひとつ物足りず、こちらが乗れない何かがあった。その理由が竜崎伸也の登場でわかった。それまではみな変化球だったのだ。簡単にいえば主人公が拗ねていた。だから仕事に真正面から取り組まず、キャリアであるのにキャリア本来の生活が描かれていない。たとえば警察庁の廊下を歩く描写であるとか、警察庁の上司部下が話をする場面であるとか、キャリアとして新聞記者と会うところであるとか、そういう日常の景色が描かれていない。そしてなによりキャリアたちが物事をどうとらえて仕事をしているかという肝心なことが描かれていない。

81T3LThZEkL

 
 竜崎伸也が読者に熱狂的に受け容れられたのは、彼が変化球ではなく直球勝負に生きているからだ。キャリア警察官としてあるべき姿を真っ直ぐに生き、東大卒でなければならないと信じて息子にもそれを厳しく告げ、出世しなければ大きな仕事はできないと衒いなく心中を読者に吐露する。そういった直球に生きる人間のありかたを直球で描く作品こそ、私たち読者が求めていたものだとこのシリーズで気づかされた。

 Windows98 が登場した二十世紀末を経て二十一世紀に入った頃から本格的なインターネット社会となり、私たちは大量の情報のなかで生きるようになった。はじめはその情報を上手に使って生活を楽しんでいたが、そのうち人間の脳では処理しきれない量の情報が溢れかえるようになって、酸欠になった魚のように常に水面に口を出して喘いでいるような生活になってしまった。こうして自分のなかに信じるべき柱を持てず窒息しそうに生きている現代人は、直球に生きる人間の生き様をこそ見てみたいのだ。それこそが竜崎伸也の生き方であった。

6

 
 毎回さまざまな設定で読者を圧倒してくる隠蔽捜査シリーズ、今回の「棲月隠蔽搜査7」は、竜崎伸也大森署長にとって初のサイバー犯罪を扱っている。私鉄と銀行のシステムダウンなど三件のサイバー犯罪と若者のリンチ殺人になんらかのリンクがあるのではと疑いはじめた竜崎が、部下である生安課の捜査員や少年係の女性刑事とともに犯人に迫っていくスリリングなストーリーである。もちろん警視庁刑事部長の伊丹俊太郎らレギュラー陣も脇をかためて物語を堅固にしている。

 興味深いのは物語のはじめに「おまえの異動の噂が出ているらしい」と伊丹に示唆され、竜崎伸也の胸中に言葉にならない思いがよぎることだ。それが寂しさであり、大森署への愛情であることに気づき、合理主義の権化だと思っていた自分にもウェットな部分があることに竜崎は驚く。人間は人生の大きな転換点に遭うと思索に入らざるを得なくなっていくのだ。

 私たち作家も戦争や災害などの危機に際会すると深く考える。なぜ小説は社会に必要なのだろうと。今回の新型コロナウイルスの世界的流行の最中にも私は考えつづけた。そしてこう結論を出してみた。小説とは息苦しい世の中に生きながら夢をみるための装置ではないかと。

 現実世界で逼迫しているほど人間には夢が必要になる。たとえば「警察官になりたい」とか「サッカー選手になりたい」とか「IT企業を起こしたい」といった夢だ。いまは世界はこんな状況だけれど、いまはこんな小さな人間だけれど、小説のなかで警察官になり、小説のなかでJリーガーになり、小説のなかで社長になることができる。

 ただし、こうして未来の夢を見るのは若者だけの特権だ。私たちのように五十歳を過ぎた人間は小説に過去の夢を見る。「あのときこうしていればどうなっただろうか」とか「あのとき選んだ道は正しかったのだろうか」と、さまざまな自分を考えるのである。私もときどき北海道大学で真面目に勉強をして研究者として残っていた自分も考えるし、中退したときに柔道部師範に奨められるまま北海道警に入っていた自分も考える。北海タイムス社や中日新聞社に残っていた自分も考える。断った異動にあのとき応じていればどうなっただろうとも考える。

8
 

 私たち五十代の半ばという世代は、仕事において最後の直線コースに入っている。友人のなかには都道府県警察本部長に就いているキャリア警察官もいるし、現場のマル暴刑事としてヤクザに怖れられている者もいる。大臣を経験した者もいるし、大学教授も開業医も弁護士もいる。漁師もいれば木樵もいれば農業をやっている者もいる。蕎麦屋を経営している者、焼き芋屋をやっている者、翻訳業をする者、大工をする者、税理士をする者、薬剤師をする者、さまざまだ。いえるのは、若者と違って、この歳まで食っている道をいまさら変えて隣のレールを走れやしないということだ。だから隠蔽捜査シリーズを私たち年輩読者はこう考えながら読む。たとえば「竜崎伸也のようなキャリア警察官に俺がなっていたらどう生きただろう」とか「根岸のような少年係の女性刑事に私がなっていたらどう行動しただろう」と。

 それぞれ思いを寄せる登場人物は違うにちがいない。私が自分を重ねるのは戸髙善信刑事(階級は巡査部長)だ。

 第一作の「隠蔽搜査」で、当時警察庁長官官房総務課長(階級は警視長)としてマスコミ対応などを担当していた竜崎伸也が初めて大森署を訪ねた。竜崎と戸高の出会いは、こう描かれる。

《大森署は、思ったより静かだった。

 出入りしている記者たちも、成り行きを見守っているといった印象があった。

 通りかかった刑事らしい私服警察官に捜査本部の場所を尋ねた。

「知らねえよ」

 その私服警察官は、ぶっきらぼうに言った。「あそこに受付があるだろう。あそこで訊けよ」

 猫背で首が太い。腕も太く全体にがっしりとした体格だ。おそらく大学の柔道部の出身だろうと思ったその私服警察官の態度が気に入らなかった。

「あなたは、一般市民に対していつもそんな態度なんですか?」

 体格のいい私服警察官は、竜崎を説みつけ、ぐいっと顔を近づけてきた。

「なんか文句あんのか? 文句あるんなら、聞いてやってもいいぞ。ただし、取調室でな。なんなら、二、三日泊めてやるぞ」

「私を逮捕するという意味ですか? 罪状は?」

「そんなもん、どうにでもなるんだよ。こっちの虫の居所次第なんだ」

「それは信じがたい言葉ですね」

「信じさせてやろうか。警察は甘くねえんだよ」

 こんな警察官たちのために、伊丹は苦労し、追いつめられているのか。そう思うと。腹が立ってきた。

「身分証を出しなさい」

「何だと、てめえ

「手帳を出せと言ってるんだ」

 私服警察官は、ようやく様子が妙なことに気づいたようだ。一般市民は警察官に脅しをかけられて、こうも堂々としてはいられないはずだ。

 警察官に声をかけられるだけで、一般市民は緊張するものだ。だから、現場の警察官は増長する。

「何者だ、てめえ。弁護士か?」

 竜崎はうんざりした気分で、身分証を提示した。相手はそれをひったくるように受け取り、しげしげと眺めた。

みるみる顔色が失せていった。

 竜崎の身分証を両手で差し出すと、その私服警察官は直立不動になった。

「気をつけをしろと言った覚えはありません。身分証を出せと言ったのです」

「勤弁してください。警察庁の警視長殿なら、最初からそう言ってくだされば……」》

 二人の人物像を、このワンシーンで鮮やかに切り取っている。

 この戸高こそが竜崎伸也という人物に陰影を与える最も重要なキャラクターだ。一昨年亡くなった元横綱輪島に現役時代まったく勝てなかった力士がこんなふうに語っていた。「黄金の左とよく言われるけども、彼に関してはじつは右のおっつけが利いているんです。みんなあれを防ぐのが精一杯になっているところに左の下手投げがくる」。隠蔽捜査シリーズにおいてこの右のおっつけにあたるのが戸高刑事である。

 物事には表裏があり、右左があり、遠近があり、濃淡がある。それらは単体では光を発しない。自分とは真逆のものが自分を光らせてくれる。それと同じように小説の登場人物を光らせるには異質で真逆の人物が必要だ。主人公の竜崎伸也にとって互いの魅力を高め合う存在、それがこの戸高刑事なのである。その後も戸高はシリーズにたびたび登場し、竜崎伸也が最も信頼する現場警察官となっていく。そして戸高のほうも竜崎伸也をキャリア警察官としてではなく〝現場警察官〟として認めていく。階級が天と地ほど違うこの二人の心情の変化は、シリーズの大きな読みどころのひとつであろう。

 竜崎伸也にはもうひとり真逆の存在がいる。もちろん伊丹俊太郎刑事部長である。戸高とは階級差を乗り越えて互いの仕事を認め合う友情だが、この伊丹はキャリアとして同期入庁した同じエリート警察官である。竜崎がとことん公務員的なのに比べ、この伊丹はキャリアのなかでは徴妙に不良なのだ。ネクタイと襟元が少し乱れていつもボケットに両手を突っ込んでいる不良っぽい姿を読者に想像させるような空気を持っている。それもそのはずである。彼は竜崎伸也の小学校時代の同級生で子供のころから親分肌のガキ大将、竜崎に対するイジメの中心人物だったのだから。ただしイジメを受けた竜崎はそれを覚えているが伊丹のほうは忘れている。彼ら二人もまた、互いの足りないところを補い合い、互いの持ち味を輝かせ合う存在だ。仕事を通してのこの二人の成長もまた隠蔽捜査シリーズの読みどころである。

 小説とは何か。それはもうひとりの自分に出会うための旅である。若者にとっては未来の自分を見るための旅であり、年配者にとってはもうひとりの自分を生き直すための旅である。本を読んでいる数時間、あるいは数日間、そこには読者の数だけ夢がある。人間は小説を読むことによって何度でも生まれ変わることができる。

 今日も「隠蔽捜査」の最新刊を手に胸を高鳴らせながら布団に潜りこむ。そして眠くなるまでその世界に浸りきり、眠ってしまったあとも「隠蔽捜査」の続きを夢のなかで見る。

 あなたが今日見る夢は竜崎伸也になった夢だろうか。あるいは伊丹刑事部長になった夢だろうか。それとも警視庁の捜査一課長や大森署の女性刑事になった夢だろうか。同じ隠蔽捜査シリーズの読者として夢のなかでお会いできればと思う。ふてぶてしい表情で仕事をしている戸高刑事を見かけたら「増田さんですか」と声をかけてみてほしい。ニヤリと笑ったら、それは間違いなく私である。


(
作家)

 


  ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶blogランキング

野田知佑さん死す。

日本でもっとも有名なカヌーイスト、野田知佑さんが亡くなりました。84歳でした。

犬のガクとともにユーコン川などを下り、それを文章として発表していました。

ガク2

ガク

テキストを使って表現の可能性を探った最後の世代の物書きでした。もっともっとあの文章に浸っていたかったのにすごく寂しく感じます。84歳という年齢に驚きましたが僕が56歳になるんだから当然かもしれません。時間は前にしか流れないのはわかっていますが、憧れたこういった人たちが亡くなるたびに自分たちの時代が削られていくような気がします。今夜は、あの時代の音楽を聴き、あの時代の野田さんの書籍を読み、悼みたいと思います。

つい去年か一昨年、CWニコルさんが逝かれたばかりでしたが、この世代の成したことはとてつもなく大きかった。

以下はYouTube上にアップされている45分の特集番組。倉本聰さんとの交流を描いています。若い人たちにもぜひ見てもらいたいと思います。



▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶blogランキング

秋山成勲選手が青木真也選手を破る。

「one」の試合、ペイパービューで観ました。

46歳とは思えない体で秋山選手が登場。軽量後に10kg戻したのでは。

僕が秋山選手を初めてテレビで観たのは柔道の試合ではなく「24時間テレビ」でした。「誰が一番長く奥さんや彼女を抱っこしていられるか」競争で、相撲取りやアメフト選手ら居並ぶ巨漢たちに余裕で勝ったのは、当時、近畿大学柔道部員だった秋山選手でした。


hh

▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

『Number』創刊号について。

仕事で必要になって、書庫から「Number」の創刊号を引っ張りだしました。

昭和55年、当時中学の野球部員時代に購入したものです。中学学区にひとつしかなかった本屋の店頭に置いてありました。プロ野球もテニスもゴルフも懐かしい名前が並んでいます。

江夏豊、王貞治、青木功、マッケンロー。

スキャン 3

スキャン 4

▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

 

日本酒「鬼木村」を送っていただきました。木村政彦生誕記念。

木村政彦先生の故郷熊本川尻の酒蔵「瑞鷹」さんから100本限定のナンバリング入り日本酒「鬼木村」を送っていただきました。ありがとうございます。この酒は実際に木村政彦先生がご存命中に愛飲していたものです。木村先生は毎日晩酌で3升も飲んでいたそうです。

image3

桐の箱には柔道着の帯が巻いてあり、なかの一升瓶は柔道着を着ています。この道着や帯はミズノが特別に作ってくれた本物だそうで、リアルな空気が味わえます。

日本酒、まだ50本ほど地元酒店さんにあるそうなので欲しい方はぜひ。

▶大吟醸「鬼木村」や焼酎「キムラロック」が置いてある熊本の酒屋さんのリンク。

image2


 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

怪著『昭和プロレス禁断の戦い』、アントニオ猪木とストロング小林の戦いを軸に。

『昭和プロレス禁断の戦い』(河出書房新社)をご恵贈いただきました。

アントニオ猪木vsストロング小林の試合を軸に、日本のプロレスに流れているガチの思想を豊富な取材で書き上げた書籍です。すごく面白いので、プロレスファンの方にはぜひ読んでほしいと思います。

僕も長時間インタビューを受けて答えています。

驚いたのは後で話していたら著者の福留さんが中学の野球部の後輩だったこと。直接は年代は重なっていませんが、運命のような出会いに驚きました。 僕が中学まで野球部だということ自体、福留さんは驚いておられましたが、中学に柔道部がなかったのです。高校に入ってから念願の柔道部に入部しました。でも野球は柔道にすごく活きました。野球の腰と柔道の腰の使い方はよく似てるんです。



 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

サンマの減少についてのドキュメンタリー。

サンマが激減しています。

これはそのドキュメンタリーです。

産卵場所が移動し、生息域が移動しただけならいいのですが、資源量そのものが減少しているとしたら大変な問題です。一度しっかり調べてほしいものです。

 

 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶blogランキング

高専柔道の歴史の連載第2回「熱狂の団体戦」をアップしました。

YouTubeで連載している高専柔道の歴史、第2回をアップしました。

 

戦前の旧制高校の気風を解説しました。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)の漫画版「KIMURA」(原田久仁信先生作画)について、とくに七高と五高の定期戦について語っています。

六高


膝十字固め

▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報

 

「柔道史」のロング連載を始めました。

YouTubeチャンネルで柔道史の連載を始めました。

初回は高専柔道に関するさわりの部分、プロローグです。ここから何回かかるかわかりませんが、こつこつと頑張ります。

 

▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報
 

吉田秀彦vs.金野潤、柔道史に残る死闘。全日本選手権決勝1994年。

吉田秀彦vs金野潤、柔道史に残る死闘です。



▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報
 

木村政彦先生がUFC参戦! ホイス・グレイシーと因縁の一戦。

YouTubeチャンネルのほうで木村政彦vs.ホイス・グレイシーのUFCでの試合をアップしました。



これは荒木さんという方がPS4のゲームをアレンジして作ってくれたものです。ほかにも木村政彦vs.ノゲイラ、木村政彦vs.ヒョードルなどの試合を観ることができます。

 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報










kyoudai_b

izumi_masuda_kuro

nanatei
【リンク】



記事検索

madeonamac




増田俊也ツイッター

▶増田俊也(ますだとしなり) 小説家。1965年生。北海道大学中退。2006年「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞。2012年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞。他著に北海道大学を舞台にした自伝的青春小説「七帝柔道記」(角川書店)、「北海タイムス物語」(新潮社)など。「週刊大衆」誌上で原田久仁信先生(「プロレススーパースター列伝」「男の星座」などの漫画家)と組み、木村政彦先生の生涯を描く漫画「KIMURA(キムラ)」を長期連載、全13巻で完結しました。ビッグコミックオリジナルで漫画版「七帝柔道記」の連載も完結。こちらは全6巻です。























KIMURA7

KIMURA7

KIMURA7



七帝柔道記帝マンガ2

七帝柔道記帝マンガ2

七帝柔道記帝マンガ2

七帝柔道記帝マンガ2



シャトゥーン漫画1

シャトゥーン漫画2

シャトゥーン漫画3

iPhoneやdocomoアンドロイドなどスマートフォンや、携帯電話にこのブログを登録するには、下のQRコードを読み取ってください。
QRコード



















  • ライブドアブログ