今月号の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(『ゴング格闘技』)では、100年前、海外に渡り柔道や古流柔術を広めた者たちを紹介した。

福岡庄太郎もその一人だ。

 福岡庄太郎と前田

後ろに座る前田光世(コンデ・コマ)と比べてもわかるとおり、かなりの巨漢である。
180センチ以上あったというから体重は100キロ近いにちがいない。
前田より以前に北米に渡り、NYで前田と出会い意気投合、ともに興行で異種格闘技戦を繰り返した。

福岡はその後、欧州を転戦するなどして前田と別れ、他の古流柔術家とともにアルゼンチンに入る。南米への柔道(柔術)普及は前田よりこの福岡の方がずっと早いのだ。

前田はその後、ブラジルへ渡り柔道を教えた。その技術がグレイシー柔術となりブラジリアン柔術となった。しかし、なぜ純粋の講道館柔道修行者である前田が教えた柔道が「グレイシー柔道」ではなく「グレイシー柔術」となったのか。
また、なぜブラジリアン柔術の技術体系のなかに高専柔道(今の七帝柔道)が開発した前三角絞めがあるのか。

このあたりのことを、かなり突っ込んで書いた。
ブラジルに伝わった柔道こそが、現在の総合格闘技(MMA)のルーツであることは間違いない。その誇るべき歴史を活字で残しておくことは、日本柔道界にとって大切なことであろう。
増田俊也