2011年01月15日
【動画】ヒクソン・グレイシーが木村政彦について思いを語る。
昨年の11月、ヒクソン・グレイシーと対談した。
対談場所の愛知県スポーツ会館は、私の家からほど近いが、実はこの21年間ずっと避け続けて近づかないようにしていた。
「ゴング格闘技」である。
ヒクソンと対談しないかという話は、他の雑誌からも何年も前からあったが、タイミングなどが合わずなかなか実現しなかった。
今回は、私が居住する名古屋にたまたまヒクソンが技術セミナーに来るということで、編集部さんとJJFJのご尽力により、対談が実現した。関係者のみなさま、ありがとうございました。
ヒクソン氏からは、生きるためのパワーをいただいた。生き続ける意味を教えていただいた。ありがとうございました。
ヒクソンは、木村政彦先生と父エリオ・グレシーの動画を観て、また木村先生と力道山の試合を観て、真摯に心中を語ってくれた。
ヒクソンは、木村先生と父エリオの試合をどう見たのか。また、初めて見る木村先生と力道山の試合をどう見たのか。
今月号の「ゴング格闘技」は、この私とヒクソンの対談をはじめ、木村政彦vs力道山の大特集を組んでいる。全部で28ページある。
とくに木村先生がブラジルでバーリ・トゥードを戦ったヴァルデマー・サンタナについての高島学記者による深い記事がすごい。木村先生がサンタナに立ち姿勢のキムラロック(腕緘み)を極めていた話に驚いた。高島記者の取材力にはいつも脱帽するしかない。
対談場所の愛知県スポーツ会館は、私の家からほど近いが、実はこの21年間ずっと避け続けて近づかないようにしていた。
それは21年前、北大柔道部4年生として戦った最後の七帝戦の舞台だったからだ。いろいろな思いがあり、あまり近づきたくない場所だった。しかし、今回、ヒクソン氏と会えるということで21年ぶりに足を踏み入れ、感慨深いものがあった。
ヒクソンと座った、まさにその場所は、東北大との戦いのとき北大陣営が座った場所であった。1989年のことだ。
そのとき1年生だった中井祐樹君がVTJ95の決勝でヒクソンと戦うのは、その6年後のことだ。
思い立ち、ブログを書くのを途中でやめ、昔の七帝戦の映像を見ていたら、ちょうど北大柔道部の先輩和泉唯信さんから電話があった。用事で北海道に行ってきた帰りだという。「雪の北海道はやっぱりよかったよ」と和泉さんが言った。雪の街の道場で一緒に過ごした先輩や後輩との、さまざまな光景を思いだした。
電話を切ったら、なぜか泣けてきた。そこに北京に赴任中の同期竜澤宏昌君から電話があった。
別に用事があるわけでもない。いろいろ話した。彼は電話の向こうで何か食っていた。25年前に初めて会ったときから、電話をかけてくるときはいつも何か食っている。そしてこう言うのだ。
「いま美味いもの作ったからおいでよ」
私は吹雪のなかを、その「美味いもの」食いたさに彼の住むアパートメントへ行ったものだ。
だが、さすがに北京だから「来い」とは言わなかった。
そうそう、今月号の「月刊秘伝」の「七帝柔道記」は、和泉さんに連れられて北18条の「みねちゃん」に私と竜澤が行く場面から始まる。
「おう、竜澤と増田か。おまえら何やってんだよ。だめだ、おまえらの寝技は……」
暖簾をくぐると、みねちゃんの声が聞こえてきそうだ。
数日前に書いたが、「みねちゃん」が昨年11月いっぱいで店を閉めた。


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