週刊大衆に大河連載として連載中ですが、 原田久仁信先生作画の漫画版「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」「KIMURA」の第0巻プロローグ編と第1巻幼少編が2冊同時に発売されました。

全30巻くらいの大河長編になります。

週刊大衆連載の扉に「男の星座たちに捧げる」と書かれているように、梶原一騎先生の絶筆自伝漫画「男の星座」の続編にあたります。

昭和の怪物たちの競演を原田先生が魂の筆で描きます。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか漫画第0巻

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか漫画第1巻

プロローグ編「第0巻」には、ジャイアント馬場やアントニオ猪木らプロレスラーのほか、猪瀬直樹さん(現東京都知事)がジャーナリストの矜持をかけて取材に行く場面など、さまざまな人物が交錯しています。

1954年(昭和29年)、蔵前国技館で行われた木村政彦vs力道山。

力道山の八百長破りで柔道史上最強、「鬼の木村」と謳われ、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた木村政彦先生が張り手の連打で血まみれになってマットに沈みます。

2階席では高校生の梶原一騎がそれを見ていました。梶原一騎も柔道を修行していたため、この木村の敗戦に大きなショックを受けます。

リングサイドでは木村政彦を尊敬し、兄と慕っていた大山倍達が、力道山のこのブック(台本)破りに「力道の野郎!」と怒りを爆発させます。そして木村をタンカで運ぼうとする係に「鬼の木村をタンカなんかに乗せるな! 自分の足で歩かせろ! 自分の足で歩いてもらえ!」と号泣します。「空手バカ一代」や「男の星座」でも名場面になっているシーンです。


梶原一騎と大山倍達



時は流れて1976年。

柔道や空手は木村政彦vs力道山以来ずっと「プロレスの負け役」としてリング上で利用されていました。

アントニオ猪木VSウィリアム・ルスカ。

KIMURA_2


この異種格闘技戦と銘打たれたプロレスに柔道関係者たちは怒りを爆発させた。


KIMURA_1

▲▲師匠の木村政彦の仇を討つため、全日本プロレス事務所に乗り込み、「アントニオ猪木かジャイアント馬場のどちらかと真剣勝負をさせろ」と怒りをぶつける木村政彦最強の愛弟子・岩釣兼生。


KIMURA_漫画木村政彦3


結局、この試合は、あまりに強硬な拓大側の要求のため、実現することはなかった。

そして1995年の伝説の中井祐樹(青木真也の師匠)の戦い。VTJ95。ヒクソン・グレイシーを招聘して行われたワンデートーナメント、バーリトゥードジャパンオープン95。

中井祐樹は木村政彦VS力道山以来続いたプロレス最強説を引っ繰り返すために170cm70kgの身体でこのバーリトゥードのトーナメントに参加します。

総合格闘技という真剣勝負のリングを日本に創出するために。

以下は中井祐樹vsジェラルド・ゴルドー戦と、それを観客席で見る僕たち北海道大学柔道部OBです。中井君は、僕が北海道大学柔道部4年のときの1年生です。


KIMURA_9

KIMURA_8


KIMURA_10

ゴルドーと中井祐樹

スキャン 2


スキャン 3
中井祐樹松井隆竜澤宏昌増田俊也

▲▲左下のコマで試合を見ているのが、僕の自伝的小説「七帝柔道記」(角川書店)に登場する松井隆、竜澤宏昌、増田俊也(左から)。


スキャン 1


この漫画「KIMURA」が書かれた理由、原作の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)が書かれた理由、そのすべての原点が北海道大学柔道部時代の生活を描いた自伝的小説「七帝柔道記」(角川書店)に書かれています。

僕が北海道大学柔道部4年、副主将時代に、中井祐樹君が1年生として柔道場に見学に来ました。将来、日本の格闘技界の流れを変える大きな出来事でした。

この中井祐樹君との出会いは、日本の格闘技とプロレスの流れを変える、大河物語の巨大なるプロローグです。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)、漫画「KIMURA」(双葉社)を呑み込むように流れる格闘技界の大潮流の世界観をぜひ。




中井祐樹君は、あのジェラルド・ゴルドー戦で右眼を失明し、総合格闘技を引退します。しかし、その後、その境涯を乗り越え、青木真也選手ら多くの優秀な選手を育てる名伯楽となりました。

中井と青木3


▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る
▶格闘技blogの最新情報
▶柔道blogの最新情報