小さい頃は裕福な家庭だった。1500坪ある敷地に200坪の母屋から幾つもの離れや蔵もあり、沢山の木に囲まれた家だった。
大きな木によじ登り一人で遊ぶ事が多かった。
人見知りして、人と馴染むのが下手だった。
父は卵から雛を誕生させる、そして交配して新しい種鶏を作り出し、その雛を全国の農協や養鶏農家に送り出すという、全国にもまれな職業だった。
命の誕生までの過程やプロセスを眼の当たりに見て、生命の不思議を謎のように思いつ過ごした日々を思い出す。
大勢の東北からの出稼ぎの住み込み職人や、親戚そして、刑務所上がりの人や、障害者の人達も住み込み雇用している、大所帯の特別な家庭だったかもしれない。
命と精神そして宇宙と自然、この世にある普遍的なものや事そして現象の事を常に思い、その謎を常に解きたいと思うようになった。

父は新しい交配種を作る事を常に考えてたようだ。鶏でも珍しいいろんな原種鶏も飼っていたし、山鶏、キジ、チャボ、クジャク、シャモなと多くの鳥も飼っていた。
動物園のダチョウのタマゴや一般の家庭でのシャモやチャボの孵化なんかも頼まれる事もあった。

トリヤとかヒヨコヤとかタマゴヤとか言われた。
 
私が高校2年の頃だったか異変が起き、瞬く間に家業は厳しくなって行った。

当時提携していたアメリカの企業が修行を兼ねて研修に来ないか誘われていて、留学も考えた事もあった。
でも当時の恋心が邪魔をした。
大学に行かせてもらったが、仕送りや家庭の生活もままならず、休学して父の転業を手伝った。

売りも買いも手形商いであったために、家には何も現金がない日も多かった。
母がなんとか副業で稼いだお金で生活した日々。
迫りくる倒産・破産の危機もよぎり、恐怖におののく日もあった。
 
自分も現実を見て夢を諦めなければならない事も思い知った。

しかし、ある出会いのチャンスから、事は一転
チャンスが生まれれば、次から次へと不思議なように好転して来る時もあった。

人生って面白いもので、予期もせず事がどこかを起点に瞬く間に変わって来る事がある。

普段の気の持ちよう、そして常に起こりうる出会いやチャンスに目や耳を傾け、前向きな気持ちを忘れない!要は自分自身だなって思う。

常にこの感触を忘れないでいたい。