2015年11月

【演奏会場】
東京オペラシティ リサイタルホール

【演奏曲目】
林光曲/佐藤信詞 アメリカ・アメリカ

演奏: ソプラノ 吉川真澄
     サックス 江川良子
     ピアノ  Momo

(アンサンブル・ノマド主体の林光作品演奏プログラムのひとつとして)

【管理人コメント】
面白く仕上がったので是非、とのことだったので、忘年会を途中で抜けて聴きに行きました。
いや、楽しかった!吉川真澄ならではの、思い切り弾けた、実に楽しいステージでした。
コロンブスだの日付変更線だの白墨で書かれた線路だの、アメリカをイメージする(らしい?)言葉がおもちゃ箱ひっくり返したように溢れ出て、思わず客席からはクスクス笑い声。真澄さんは、時にジャズっぽくスイングしたり、叫んだり、走り回ったり(!?)。いたずら好きの吉川真澄の本性爆発でした。勿論、歌声も自在で素晴らしかった。終わったら、みんな笑顔で拍手喝采でした。

この曲は、岸和田の演奏会でもMomoさんを迎えて演奏したそうですが、今回はサックスの江川さんも参加。真澄さんとの掛け合いが、これまた絶妙で見事でした。時々、どっちがどっちか分からなくなったり(笑)。

このコンサートを企画した池田逸子さんのインタビュー動画を見つけました。この曲は「希代の名歌手」伊藤叔(いとう・よし)のリサイタルのために書かれたものだそうです。そのリサイタル(同じように弾けたんでしょうか?)と録音されたもの以外に演奏されたことがないと語っておられました。これは是非吉川真澄の持ち歌にして、これからも時々私たちを楽しませて欲しいものです。

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【演奏会場】
旅館大沼離れ、山荘「母里乃館」、

【演奏曲目】
『KOHAKU 歌われる詩たち』より
  夏の木(大場陽子作曲)
  鳥と花とせみのうた(大場陽子作曲)
ヘンデル: 私を泣かせてください
ヴェルディ: 乾杯の歌
谷川俊太郎 『顕微鏡のための詩』より
  お(大場陽子作曲)
  小さくても(大場陽子作曲-世界初演)
  無へ(大場陽子作曲)

大場陽子作詞/作曲 ゆきむすび合唱版(合唱指揮 吉川真澄)

アンコール 
岩井俊二作詞/菅野よう子作曲 花は咲く
おおぬましんじ作曲/大場陽子作曲 ごてんゆ行進曲

【管理人コメント】
地域米「ゆきむすび」の作付けから10周年を記念してのイベント。
「ゆきむすび」は鳴子地方のみで産出する地域米として、村おこしの起爆剤となるべく生産されているお米で、その地方だけで食することができる。イベントでは、ゆきむすびの新米を炊き上げたご飯と共に、その地域で生産される食材を使ったおいしい昼食が振舞われた。地方創生の掛け声が高い昨今だが、この10年来の取り組みが実を結ぶことを願わずにはいられません。

演奏では、華やかで聴きごたえのあるオペラアリアの2曲に一番の大きな拍手があったように思います。
滑らかな声とスキのない歌唱技術。聴衆を大いに楽しませることのできるジャンルであることは確かです。あとは、おなじみKOHAKUの2曲、それに昨年アサヒビールのコンサートでお披露目された谷川俊太郎の詩集から2曲に今回新しく1曲を追加して演奏。いずれも愛らしさに満ちた珠玉の歌声でした。

続く合唱にはご両親やおばさまをはじめ、大阪と東京で吉川真澄さんに指導を受けている面々が参加。大いに親交を深め合いました。


【演奏会場】
東京ウィメンズプラザ・ホール
 
【演奏曲目】
テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(1834-1861)
   『乙女の祈り』(1851年作曲)
吉田隆子(1910-1956)
   組曲『道』より「頬」(1946年作曲。竹内てるよの詩による)
   歌曲『君死に給うことなかれ』(1849年作曲。与謝野晶子の詩(1904)による)
クララ・ヴィーク=シューマン(1819-1896)
   ピアノ協奏曲より第二楽章「ロマンツェ」(1835年完成。チェロとの協奏)
ポリーヌ・ガルシア=ヴィアルド(1821-1910)
   『チェロとピアノのための4つの小品』(1881年作曲)
   1.ロマンツェ 2.ガヴォット 3.子守歌 4.マズルカ
ルイーゼ・アドルファ・ルボー(1850-1927)
   『12の歌曲集』(1864年出版)より
     「夜に Des Nachts」(A.プーシキンの詩による)
     「星 Die Starne」(A.フェートの詩による。チェロの助奏付き)

《出演》
吉川真澄(ソプラノ)
河野紘子(ピアノ)
江口心一(チェロ)
宮崎緑 (お話し)

【管理人コメント】
「女には作曲はできない…今だにこんな誤解が根強く残っている」――この一点から、この企画が始まったとのこと。まさか今時とは思ったものの、若い頃「女には車の運転は出来ない」などとうそぶいていたような気がして、ちょっと後ろめたい気分。いやいや、私は声を大にして言いたい。女性をはじめとしたマイノリティ解放の糸口を開いたのは我々の世代(団塊の世代=吉川真澄さんの親世代)なんです。私が子供のころのマイノリティ対する偏見と言ったら、それは無邪気で、無自覚で、野卑で、峻烈なものでした。

女性作曲家の知られぜざる名曲を聴いてもらうというのがコンサート趣旨だったようですが、逆説的に、”世界で最も有名な”ピアノ曲『乙女の祈り』からコンサートが始まりました。演奏された河野紘子さんは、本気でこの曲に向き合ったのは今回が初めてだったそうです。子供のころは手が小さくて弾けなかったとのことですが、そんな小さな時期にこの曲を練習するレベルを通り過ぎてしまった、ということでしょう。河野紘子さんのガチの『乙女の祈り』が聞けたのは二度とないことで、本当に幸せでした。

吉田隆子の曲は、吉川真澄さんの演奏でした(河野紘子さんピアノ伴奏)。これがなんとアルト音域の歌曲でしたが、しっかりと低音を鳴らして、女の強さが感じられる歌をそのままに、力強く歌いあげてくれました。ここ数年、彼女の低音域が素晴らしく広がったのは勿論気づいていましたが、こうしてアルト用の歌曲をまるごと歌って見せられると、改めてその凄さに驚きます。まるで別の歌手の歌を聴いているようでした。ソプラノの歌手が低音域を広げるというのは、私はあまり聞いたことがないのですが、プロの世界では普通にあることなのでしょうか?

与謝野晶子の歌の2番、「境の町の商人の…」のところは朗読になっていましたが、純正の泉州弁で朗読されると、なかなかの味わいがありました。

最後のふたつの歌曲は、知られてはいないとは言え純然たる19世紀ヨーロッパのクラシック音楽で、地方公演が多くなってきたため東京ではあまり聞かれなくなったジャンルなので嬉しかったです。改めて感じたのが、声に艶が増したというか、柔らかな奥行きが出てきたこと。こんなことを私が師事する(!)大先生に向かっていうのは恐れ多いのですが、KOHAKUの童謡などを歌うときのキラキラ感を抑えて、しっとりと聞かせる大人の声も出るようになり、表現の幅が一層広がったように思います。

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