2020年09月

『時ノ祀り二〇二〇』ライブ配信観ました。

改めて認識したのは、『四季の四部作』という楽曲は、それが演奏される「場」が重要な役割を持っているということです。新しい「場」を得ることによって、楽曲は新しい顔を見せてくれます。恐らく「場」には霊的な力のようなものがあって、歌はそれを呼び出しそれと一体となって、私たちの心の中にその場でしか見ることのできない魂の原風景を描き出してくれているのではないかと思います。

だとすれば、楽曲にふさわしい演奏の場を広げる上で、今回のような映像のライブ配信という形は一つの可能性を示したと言えるのではないでしょうか?必ずしもその場に観客を収容しなくても良いのですから。更にはライブという制約をとっても、映像芸術とのコラボレーションによって新しい表現の展開があるのではないかと感じました。「場」は必ずしも現実に存在するものに限る必要はなく、映像の中(勿論舞台の上でも良いのですが)に創造されたものもあり得るからです。

ただ、ライブ配信の持つ同時性は一つの魅力ではあります。今回の例で言えば、『秋の歌』から『冬の歌』に至る過程で、徐々に会場が暮れ馴染んでいくのを見るのは、その同時性を強く意識させるもので、その場にいるかのような錯覚を覚えさせるものでした。

最後に、吉川真澄さんのパフォーマンスは相変わらず圧巻で、声にも益々磨きが掛かって来たように思います。ネットを通してでしたが、ヘッドフォンで聴くと小さな音もちゃんと聞こえて快適でした。

いや〜、これは驚きました。こんな『春の歌』の演奏にぴったりの場所が屋外にあるとは!

背景にはなだらかな山々、近景には小さな丘があって、そこに何かが祀られているような霊気を醸し出している。太陽が地平線をやっと離れた早朝、朝日を背にシルエットで浮かび上がる演者、吉川真澄さん。

戸外で、あの微妙な擬音を交えた『春の歌』を演奏するなんて想像できますか?しかし、聞いて貰えば分かりますが、周囲の雑音は皆無で、非常にクリアな音です。最初はアフレコでやってるのかと思いましたが、足踏みパーカッションで、これは生だ!と気づきました。一体どこにマイクを仕込んでいるのか⁉︎しかも、なんでこんな所に都合よくボディパーカッションに利用できる木の台があるんでしょうか?どう見ても野ざらしのウッドデッキで、この演奏のために特別に用意したものには見えません。

平野一郎さんの音楽は、日本人の魂の原風景に迫っていくように感じるのですが、正しくそれを演ずるに、こんなふさわしい場所はないと思います。こんな場所が存在すること、それを四季の歌の協働チームが見つけ出すこと、もうそれは奇跡と言うしかありませんね!


https://cheerforart.jp/detail/4887?fbclid=IwAR2qydC0RdtMZ_-d_c6VSZ0n-jwUH_GzG8UJZdTVnqZN5a3StjxAtSyq720 

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