2016年11月22日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 229 冬の薔薇
沢山の薔薇の木を植えたのですが、手入れ不足の庭、雑草、雑木に埋もれて大抵は、いつの間にか消えています。冬を前に立ち枯れた草や木の間で薄紅色の薔薇が、陽光を追って細い枝先に暖かさを灯すように一輪咲いています。
こんなに心惹かれるのですから一輪でも、季節の終わりの寂涼感を慰めてくれるだろうかと、描いてみました。
♪枯草の中の薔薇
229枯草の中の薔薇

折々の記 229 日転がし
近隣の人を集めて、絵を描く日を楽しんでいる。ここへ転居して間もなくからの付き合いだから、30年近く一緒の方々もおられる。指導者の力量不足に加えて、老いて諸々の肉体条件の劣化は、絵画するエネルギーも無くして、持ち前だったはずの絵画力は、枯草の中に埋もれるように少しずつ少しずつ見えなくなっている。
小さなグループの小さな展覧会は、作品を何とか完成させる努力よりも「出来ない、描けない、時間がない」と二年に一度の発表に 言い訳が作品よりも大事になっている。
幾つになっても「手抜き、心抜き」の要領を会得できない私は、方向違いの虚しさで、心身萎えて行きそうになる。
自然は、老いた人の無彩色に反して、木々の葉は枯れながら絢爛と華やいで色鮮やでいる。
村の中のそちこちに 紅い灯の花を散らすように、柿の実が空に弾けている。
深い赤色が透き通るように沁みた柿を頂く。渋味はすっかり抜け、ゼリー状の柔らかい実は甘く口の中で溶ける。
「固い内は、日転がしにしておけし」と言われ10個ばかり余分に頂き、そのまま陽に晒しておくと、如何なる天の業か術か、如何仕様もなく渋かった柿の実は、たっぷりと甘くなり掌に重い感触からは完熟の旨味が伝わってくる。
季節の終わりは木々に豊穣の実が揺れ、田には黄金色の稲が実り、落葉は風に乗り空に金銀を撒く。人は、お終いに如何輝けるのだろう。深い皺を柿渋色にしただけで終るのだろうか?
長すぎた時間は少しずつ忘却という穴に埋められて今日の日も恙なく片付いて行くのだろうか?
もう言い訳も遅きに過ぎるだろう。小さな小さな展覧会だけど、長い歴史に積み重ねた思いの深さが滲んだ絵を描いてほしい。
日転がしは、絶品であるはずだから。
♪柿の実
229柿の実-1


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2016年11月13日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 228 柘榴
柘榴は夕焼け色です。葉は、緑から、黄、イエローオーカー、茶になって冬の山々をバーントアンバーの梢で切り刻みます。
大きく割れた皮から覗くルビー色の実は、怖いほど美しく光っています。
怖いほどですから、中々描き切る気持ちにはなりませんので、夕陽の中に埋没させました。
♪夕陽の中の柘榴
228夕陽の中の柘榴-1

折々の記 228 老いる事
茅が岳の名の由来は分からないのだが、この季節は紫紺色の山々を背景に、畦に、畑脇に純白の穂が帯を作って波打っている。
もうすぐ散り行く銀杏の葉が、斜めの陽光に金色に応え、柘榴の実が、大きな口を開けて、真っ赤な歯並びで笑っている。葉を落とした梢が、空に描く線は、何処までも凛として、寡黙に再生を目論んでいる。
友人は老いて、これまでの意味のなかった敗北の寂しい記憶を失っている。闘志は薄れ、日々は穏やかになり、先を目論む、ものも、事も、無くなっている。それでも己が身を守ろうとする執念執着は、日を追うごとに増して美食にふけり、身体ばかりに生気は溢れている。
殆ど居ても居なくても一向に周辺に影響を齎す能力を持たない私自身は、結実のない自己保全や物質的要求、何れにしても成果の得られない、執念執着を持つ意味も、意欲も、ない。
そうでしかない生成だから、木々や草々のようには、明日の萌芽を内蔵し再生の準備や能力は元より、今を維持できうる時間も、約束されないのだろう。
そう思うと寂しすぎるので、友人のようにたった今の自己保全の目先の欲望を満たす空間の連続の方が老いは楽かもしれないと思ってみる。
昔から、数字や固有名詞などに、関心が薄く、意味を探せずにいる。
時計が時を刻まなくても陽は登り、留める事など叶わず夜になり、また朝が来る。雅号があって芸名があって、源氏名があって、幸いを占いに頼んで改名しても、結婚すれば潔く?籍までも変え、嘗て、県の横暴に対して抗議をした際には、被告と称され、私にナンバーが付いた。
犬でさえ 飼い主が変われば否も応も無く新しい名に尾を振る。ブラックという名の黒い犬は、左遷された先で、ブを外されラックになり、終に楽はなくラク(落)の犬生に落ちた。
命も似たようなものだ。私が私を記憶しない時が来るとしたら、私に固有名詞は要らないのだ。
呼べば笑顔も無く振り向く友人の記憶の空洞に、初冬の風がかさかさと音を立て冷たく通り抜ける。
尾花の美しい白い穂波は、まだ私の心を震わせる。
私の新生が無いのなら、明日の準備の為に葉を打ち払った裸木や、未来をまき散らす白い薄波を、何時かは褪せて色を失う紙面に、手触りのまだ有る私の今を織り込めて描いておこう。
♪白い穂波
228白い穂波


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2016年10月12日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 227 柿の実
随分長い間絵を描いて来ましたが、自然の作る造形美は、何時になっても心にも手にも負えません。
花の淵にウエーブを施し、中心を白く星形に残して 深いブルーで囲んだ消え残る昼間の朝顔の上部には、黄、オレンジ、赤、紅蓮と、色を重ね乍ら枝を撓ませて、たわわに下がる柿の実。
その柿の木の枝先まで、弦を這い登らせて重く下がる はやと瓜の淡い緑色、深い紫の無花果の実、狭い庭一杯は、コスモス、しゅうめい菊、紫苑、赤まんま、名を知らぬ小さな草花で埋め尽くされています。
何時かは、百花繚乱をものにしたいと、有るのか無いのかの希望を先延ばしにして柿の実だけを秋の名残に描いてみました。
♪柿の実
227柿の実

折々の記 227 秋
尾花の白、数え切れない秋の花々のとりどりの色、栗、柿、林檎、無花果、柘榴、書き出したら限の無い多色の果物の数々、斜めの陽に萌える赤や黄金に輝く木立は、命の後ろ側に動悸がするほどの寂寥感が満ちている。
頂き物の食べきれない野菜、果物、描き切れない美しい風景、心まで温まる太陽、金木犀を縫って来る甘い風、寒くも無く、暑くも無く、凌ぎやすい。
お洒落するには丁度良い季節に、長い年月で溜まった古着の中から、外出用の服を探す。
元々 色鮮やかなものは似合わないと、赤系統には手が出ない。好みと言っているので、戴いたものも大方は暗く、寂しい色合いの物ばかり。
馴染んだはずの黒い服に手を通してみると、落ちくぼんだ目と、扱けた頬、張の無い髪、柔らかく丸い肩と背には、黒は年々増える葬儀の帰りのようで、うそ寒く見える。
ブルーや、紫、色あせたピンクなどを試着して、何時も灰色に落ち着く。
友人の大半も歳を取って、心身の病み事を聞く機会が増えたので、黒やグレーを纏うと、聞き手の立場として程よい色になる。
これからどうしょうと若くはならないのだから、ニーチェの永劫回帰などに思いを煩わされずに、目の前の刹那 刹那に、何とか感動の種を探す他無いと、落ち込む前の算段をしながら、自分を鼓舞している。
始まったばかりの山々の紅葉も、まだ青いからまつも、陽の光を浴びて、瑞々しく美しい。
木々も草々も枯れ果て、散り行く約束の色の序章だから 感傷がプラスして 美しさは極まるのかもしれない。
再びの やり直し人生は無い。 この季節に、厚くした思いを、折り畳んで仕舞って置けば、ひょっとして、着古したグレーの服も、春の花を映えさせる色として、まだ出番があるかもしれない。
♪初秋の山
227初秋の山-1


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2016年10月10日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 226 コスモス
路辺に、畑脇に、廃校の草の中、忘れられた家の壁際に、秋の終わりの寂寥を、気付かせないように、コスモスの花は、何処までも優しく、限りなく淡く目と心を安らがせてくれます。
空に向けて細い、細い茎先に一重の花を透き通るように仰がせ、風に靡く花邑は、嵐にも耐えられるしっかりと根付いた太い茎を支えにして、のびやかです。
擬人化しましたら、強く逞しく、柔軟で、瀟洒で、心が溶かされそうな柔らかい美しさです。
秋にはコスモスを描きませんんと、心穏やかに冬を迎えられませんので、もうすぐ終わる花を手折って焦って描きました。
♪こすもす
BlogPaint

折々の記 226 木戸(スイス・ソーリオ)
帰国から一カ月、まだスイスの残映の中を彷徨している。
家と云うものを木と紙と茅の中で、幼少期を過ごした私にとって、簡単には壊れない石の建造物は、柔らかく優しい安堵感からは遠い。
それでも山林を拓いて造った細い坂路の両サイドに支え合うように組み込まれ、石と丸太で構築された老いた家々の様は、郷愁めいた哀感を呼び起こすものでもあった。
切り出したままのような分厚い石で囲った窓の大抵は私の背丈より高い位置にあり、陽光を細めて薄くした深い穴は、歴史を飲み込み、今も、昔も、窺いようが無い。
人で賑わう、北イタリアのオルタの家々も窓は深い。使い古しの底の浅い段ボール箱に造花の花を差したものが、鉄格子の嵌った分厚い窓を飾っていた。
スイス・ソーリオの家々は、教会に繋がる隘路に、固まって立ち、そのすべてが、石と木の自然色でオルタの家々の乾いた色の明るさは無い。
人の気配はほとんどないが、暗く深い窓辺に置かれた山に咲く季節の花が、静かに色を添えている数件の家を見つけた。そこだけは、人が住んで居るのかもしれない。
心なしか空気が動いたように思える。
小さな村中に、矩形に整列させた数個の墓標の周りを、花で囲った小さな墓地が有る。
ここから、晩秋の緑の山々の向こうに 白く氷河を残した山稜が聳え立っているのが見える。
拓いた山麓に点在する数件の家を 墓地の石段に座って描いていると、突然の強風が手にした用紙を奪い去り、清水の湧いた小さな用水桶からは、水が立ち上がって、襲い掛かる。
明野の風も又三郎の話を生むのだから、スケールの大きいスイスの山間だったら、驚くほどの風ではないのかもしれない。
冷たい強風から逃れて、隘路に戻り、彫を施した木戸を描く事にする。歴史を見続けた強固な石の家に優しく沿った木戸の奥は、相変わらず人の気配はないのだけれど、刈りこまれた草の中に咲く、紅い花が、3日限りの旅人の居場所を優しくしていた。
♪木戸
226木戸


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2016年09月20日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 225 湖畔の村
イタリア最北の古都オルタは、石壁を鮮やかな色で塗った家々をオルタ湖の水際まで、びっしりと立ち並べた街です。家々の壁は船に塗った塗料の残りで染めたそうです。
時を経た日本の家屋でしたら、古色蒼然、無彩色に沈んで朽ちるのを待っているのでしょうけれど、野外コンサートの音楽に合わせて、休むことなく軽妙に腰をひねって踊る、胸の膨らみかけた紅いスカートの少女が良く似合う町です。
教会を守るように建つ家々を乗せた 小さなサンジュリオ島の路地からオルタ湖が覗いています。人が通るだけの狭い路地の片側は、石ばかりの硬直した建物を宥めるに棕櫚や杉の樹が風を和らげています。私もほっと息をついて、対岸のオルタの家々を路地の向こうに描きました。
♪オルタの街が見える
225オルタの街が見える

折々の記 225 異国
スイスへの国境近くにコモ湖が有る。
湖に噛り付くように華やかに染まった石の家が連なる九月のバレンナは、無数の花が、無数の色合いで咲き、家々の多彩な色と共鳴、調和、共存、或は、競い合い、何を如何主役に仕立てようもない。
スイスへ行く途中で立ち寄ったほんの短い時間だ。いっその事、喧しくても色だけで塗りつぶすことにした。ここを過ぎて国境までの路沿いに見える景色の中の家々は、少しずつ少しずつ 石の壁に色が無くなって行く。
スイスのホテルには、国境近くから毎日通ってくるというイタリアの女性が、給仕を任されていた。
私でも十数名の客なら慌てず熟せそうだが、明るく闊達な若い彼女は、植木鉢を蹴飛ばし、葉を騒がせ、器を倒し、束ねたナプキンを落としながら、今、覚えたての日本語で愛想を言い、賑やかに粗忽に明るい。
ソーリオのホテルのオーナーは、いかにも雄大な大地に根差している様子が、物言いの静かさ、動作の優しさに見えて、ゆったりと暖かい。
家々が密着して犇めき、何処へ行っても賑わっていたオルタやバレンナと違って、堅牢に立つ黒い石の屋根を支える 白い石壁の家々の穴のような窓からは、人の気配が窺えない。
とうとうと流れる水を受けた大きな洗濯場には誰も居ない。広い草地に牛も羊も数匹放たれていたが、何処にも人影を探せなかった。
間に合わない絵に熱中して、人気のない山中の底も表も見なかった迂闊は、如何したのだろう。
イタリアのオルタは夜も人で賑わい、ライトアップされたサンジュリオ島を眺めながら、夜中まで陽気に飲み歓談していた。
緑ばかりの山中に白と黒の人気のない家が点在するスイスのソーリオは、零れ落ちそうな無数の星に包まれ、教会の鐘の音ばかりが記憶を繋ぐ異国だった。私の中に深く根差す日本も、途轍もなく異国なのだろう。
♪バレンナの色
225バレンナ


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2016年09月19日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 224 ソーリオ
スイスのソーリオ村は、標高1200mの山中にあります。薄い石を重ねた屋根、厚い石壁、丁寧に維持された家々が、牧草地や林の中に点在し、古い昔を背負いながら、美しく穏やかに今を呼吸しています。
氷河の残る高地を、緑の山間遠くに聳えさせ、今にもアルプスのハイジが駆け出してきそうでした。成田からの帰路、私の住む明野の山々に迎えられると、雨上がりの霞の様な雲が遠く近くの穏やかな丸い半円を 更に優しく仕立て直し、スイスの大きな景色に圧倒されて、少し気圧され萎縮した思いは、狭い日本に帰って来た安堵感に移行しました。
♪遠くに氷河が見える
224遠くに氷河が見える-1

折々の記 224 涅槃
ソーリオの宿から見える向かい側の深い緑色の山の中腹に、そこだけを深く凍て付かせ白い氷辺を目模様にした顔が此方を睨んでいる。その膨らみのほんの少し後ろに見える山稜は、宛ら仏陀の涅槃のように、胸の上に手を合わせ、ゆったりと仰臥した様相になっている。
悪天候が予報だった空には、涅槃を覆うように山腹に根を下ろした大きな大きな虹の橋が架かり、夕焼けは、涅槃をもう一度浮かび上がらせながら、怒り、苦しみに満ちた、目模様の山を沈めて行った。
朝焼けは、涅槃の足元から広がり、滞在4日共穏やかな好天に恵まれた。
不甲斐なく空っぽの、私では恐らく、信仰、信心を身の程を忘れる武器にもしかねないと、仏陀を哲学、心理学、自然科学の師と仰ぐ事を超えての守護は頼まないで居る。
それでも、私の思考の大半は、非才、凡庸故に偏見だらけになってしまうのではあるが、長い年月を、私の足りない認識で作り出した仏陀に導かれて来た。
この地を、何度も訪れている添乗員の方は「あの怖い目模様を、村の人は何に例えているのか」との私の質問に「背後に有る山が涅槃の形をしているので、ブッタの御顔だと思っている」と答えた宿の主から初めて仏陀の涅槃の形の山を知ったと。
宿を出る最終の朝、あの苦渋に満ちた恐ろしい目は、優しい朝焼けの紅を映して、私の中で、現生の諸々の不幸を嘆じ、憂うる仏陀の悲しみの眼差しに変わっていた。
♪涅槃
224涅槃-1


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2016年08月23日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 223 白百合
炎天、猛暑、台風、雷鳴、豪雨、木々の葉は、根限りに繁茂する季節です。
様々な色、形の花を付け実を宿し、我が家の狭い庭は、綾なす蔓や葉に隠された紅いトマトの実、草色の南瓜を取り込んで、白や蒼い朝顔が水玉模様を作っています。その中にすっくと伸ばした茎先に涼やかな白い花を下向きに咲かせ、鉄砲百合が秋を招き入れようとしています。
凛とした美しさに心騒ぎます。
深い緑の中に、行く夏を静かに留められると良いのですが
♪白百合
223白百合

折々の記 223 尻焼
川岸の小さな粗末な小屋に裸電灯が一つ暗く灯り、月の無い川の中で、三三五五の声が聞こえる。
十数年前、川の中に温泉が湧いていると云う いかにも適当する名前の尻焼温泉を訪ねた。
連れに小さな声で「ここで着替えても見えないかしら」と小屋の陰で上半身の衣服を脱いでいると、川の中の男性の声が「見えませんよ」と。
すっかり見えるなら、もう覚悟する他なく、薄手の下着姿で、足元の覚束ない川ににじり乍ら入ると、初秋の川は冷たく、人の声に寄るしかない。本当に尻で、温泉の湧く場所を探りながら、先客の若者に混ざると、その辺一帯は、塩梅の良い温もりで、血も肉も川に溶ける開放感を味わった。
孫も中学生、小学高学年、シアトルの娘と東京の娘、総勢8人で今夏の思い出作りの尻焼は、熱湯に近い湯が、常時大量に川に注ぎ込まれ、大いに整備された温泉付きの小屋の下方の淀みは、尻で温もりを探すことも無く、辺り一帯を温泉にしていた。
男の子とも少女とも青年とも呼び難い、私に取っては可愛すぎる素直な孫たちの嬌声に、私の老いも鑑み「時よ、止まれ」と心で念じた。
時は川の流れと一緒に惜しげもなく遠く流れて、早々に冷えて行くのだろう。
宿にした草津温泉に戻って、消えて行く時を封じようと堅牢に構築された、温泉街の灯を描き残すことにする。
子供達との至福の時間があったことを、何時か、穏やかな老いの閑居に思い出せたらよしとしよう。
♪草津温泉街の灯
223温泉街の灯


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2016年08月05日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 222 南瓜の花
生ごみから生え出たかぼちゃの蔓は、狭い庭一杯に伸び、大きな葉は地面を隠しています。
花は早朝、優しく柔らかく咲き、お日様に恥じるように花を閉じます。
仕方なく?涼しい内に描く事にします。田圃から遠征して来た葉っぱ色の蛙も やっぱりお日様から隠れるように陽が差すと葉の上から姿を消します。
競うようにのびやかに繁茂する、草々の季節は、私の気持ちも少し萎縮から解放され、弦ならぬ手を伸ばそうかと思わせてくれます。
♪かぼちゃの花
222かぼちゃの花

折々の記 222 若い友達
70歳を超えた私にとって、50歳未満など、とても若い人に思える。
赤ちゃんの時、近所だった子、40〜50才は子と云う訳にはゆかない歳ではあるけれど、今どきは、押しなべて、私の同年の時とは違い20代と区別のない出で立ちであるし、こちらへも対等に物を言ってくるので、むしろ私が下って若返る。
娘の高校時代の友人は、私の誕生日に、毎年必ず電話をくださる。
婉曲に多分理解だけを求めて、私の心配にならないような言い回しで実状への思いを手紙に認めて来る子もいる。
世界中のコーヒー豆をえりすぐって焙煎した物を毎月送って下さる若き友人。これは毎朝、魂を蘇らせてくれる覚醒剤になって 午前中?は幸せに酔える。午後は己が不甲斐なさゆえの疲労に無能を嘆じ大抵は酔いが覚めるが、コーヒーは一月ごとに味を変えて送って頂けるので新しく酔えばいい。
お母さんを亡くしたN子ちゃんへ、
「・・略 色々の事を終りにして、後悔、反省、未練、執着で寂しい焦りの中にいます。Nちゃんの若さだったら、どんな状況の中でも、充分に心を砕いたと思えれば、次のステップへのエネルギーにも経験と云う財産にもなるのでしょうね。40代はまだ若いです。苦も楽も悲喜も堪能して下さい。無責任かな?
失敗の多かった私の半生、その分だけ行きつ、戻りつ、余分な道も歩きました。Nちゃんが、未知の方向へ進もうとする時、方向チェンジ出来る「危険注意」の道標にはなれるかもしれません。
娘がシアトルから帰ってきています。ゼネレーションが大きく違っても、同じ時間を分け合った感覚が蘇って親子で居られます。お母様の亡くなられた淋しさ、お父様に埋めて頂いて下さい。もうすぐ新盆です。私の分と云うお線香、お母様に手向けて頂く厚かましさ許されるでしょうか?・・略」
Nちゃんから
「・・略 父が毎朝線香を手向けています。私は、母の描いた上手くない絵を、季節ごとに換えています。
とても良い物を残してくれたと思います。・・略 また連絡ください」
微風だけれど、心を揺るがす何でもない触れ合いは、とてつもなく贅沢に思える。
♪手紙
222手紙


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2016年07月17日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 221 さわら池
甘利山への道をくねくねと登って行く途中、生い茂った葉や木々を割ってぽっかりと丸い池が水を湛えています。その昔、人を飲む大蛇が潜んでいたというおどろおどろしい様子は、池の水が少なくなって影を潜めています。
湖面に映る樹影が静けさと穏やかさで迎え、甲府盆地をはるか下にして涼風が頬を伝います。
以前には無かった、東屋の赤い屋根が緑ばかりの風景の中に紅く灯り、温かみを添えています。
♪椹池
221椹池

折々の記 221 大工さんの犬
事件の大小はあるにしても、何を、誰を信じてよいのかと悲しくなる物騒な出来事が世界中に頻発している。
村へ転居して30年近い。当時は、此処ものんびりとして、犬も穏やかに放し飼いにされていた。
村への人の出入りが少なかったその頃は、何処の犬も人を警戒することなく、勝手を知って、居心地の良い家に寝そべったり餌をむしんに出かけたりしていた。その頃はこれ程までに犬も私も人に怯える事は無く、鍵など掛けるのはかえって心を閉じているようで気が引けたものだ。
わが家の改築に携わって頂いた坂上の大工さんの犬も、主について来ては、茶菓子の御余りを期待して、うろうろとしていたが、十年もしないうちに、足腰が思うように動かなくなり、寝たきりの状態になった。飼初めに太郎と名付けたが、女の子にそれもかわいそうと、後でたろこちゃんにしたという。
大工さんは、早晩次の犬の用意をと、まだよちよち歩きの子犬を何処からか連れて来て歩くことも困難な老犬 たろこちゃんと一緒に飼い始めた。
ある朝 わが目を疑う快活さで、明日の命も危ぶまれた老犬が、子犬と走り回っていた。飼い主曰「乳も出るようになって、子犬を育てている」と。
たろこちゃんは、子犬を成犬にして程なく逝った。
周り中の友人は老いて 競うように身体の故障、支障を並べるので、決まり文句の たろこちゃんの武勇伝を話すと「犬と私は違う」とばかりに弥増さって身体の困難を嘆く。
何度も言を弄していれば、我が身の故障支障は、許されないだろうから、楽しい事、張合いの有る事を探してこれに邁進する事に心を向け・おっぱい・は無理としても・失敗・位は何度でも引き受けて心の老いを先延ばしにしなくては。
今年も向日葵が咲いた。此方が怖気付くような朗らかさで、黄色く太陽に向いている。
向日葵のように、たろこちゃんのように、真っ向から生きる形に目を向ければ、人を殺めず、犯さず時を遣れるのだろう。
♪向日葵
221向日葵


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2016年07月13日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 220 桜ン坊
明野はブルーベリーや 桜ン坊の栽培用ハウスが並んでいます。
ビニールハウスの中で色付く桜ン坊の丸い実は、季節の細やかな折り目を伝えて陽時計ならぬ、日時計・天気時計になります。細やかに陽気に左右されて、それでもいつの間にかは、この上なく可愛く、情熱の赤に染まって長さ三、四センチの細い柄に身を委ねる様は造形の美、之に極まれり と思えます。
青から黄、オレンジ、赤、紅蓮、と混ざり合いながら深紅に終わって行く小さな丸い命は、一粒ずつに、物語を秘めています。桜ン坊の語らいも描けると良いのですが、お腹に入れた時の満足の方がいつも勝っています。
♪さくらんぼ
220さくらんぼ

折々の記 220 隣の犬 
突然の猛暑日だったり、夜半の冷えに、片付けた掛け布団を、引き出したりと、定まらない眠りを、坂上にある隣家の犬の一晩中の吠え声で、更に眠れない日を三日続けた。
吠え声は 鳴き声ではなく 泣き声になり、三日目の朝に終に途絶えた。
杖を頼りに長い散歩が日課の飼い主に「幾つになりましたか?」と問うと「いよいよお迎えを待つばかりの年齢だ。あの世に行くに、背負って連れて行ってもらう訳にもいかんから、しゃーない、歩けるようにはしとかんとな。内の奴も、もう死ぬ もう死ぬと、足腰の痛みを毎日嘆いている」
「そうですか。私だって一時間の散歩は、きついですから、あの世までは充分にお歩きになれますよ」あの世までの距離も解らないままに、静かになった犬の事は、改めても聞けず、頓珍漢な問答をしながら、昨夜の焚火の燃え残りの始末をしていると「うちの塵まで片付けてもらって、すまんじゃんね」と向かいの人。
「上の家の犬、三日間唸り通していたけれど、静かになったわね」と私「飼い主の足腰の痛みの分を引き受けて、動けないくらい腫れ上がった肢体は、身代わりずら。まっ!年齢も人間で言ったら百歳を超えての往生だから、充分さね」犬は、飼い主の支障まで引き受けるのかぁー。
我が家の犬は、犬を飼った歴史の中で、一番不甲斐ないのも、私が更に陥るべきところの愚を引き受けているのかと、憐憫から、好みそうな餌を少し多めに与えて、共に隣家の家の犬の死を悼んだ。
暑かろうと、背丈ほど伸びた紫陽花の花の木の下に繋ぐと、綾なす枝に紐を絡み付け、間の抜けた犬は、雁字搦めで居る。仕方なく草も生えないコンクリートの上に移す。
どれもこれも飼い主の鈍重を引き受けているのなら、私はその分を頑張らねば。
散骨を頼んでいるので、葬儀も無く泉下への長い??道を方向付けてくれる者も居ない。
あの世ではなくこの世の土になり留まるのだから、暫しの現生、遠いあの世への旅路の為に足腰を鍛えなくてもよいのだ。
貪の身代わりを、少し引き受けている飼い犬の長寿を頼み乍ら、絵を描くことに現を紛らわせよう。
♪紫陽花
220紫陽花


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