2016年06月23日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 219 薊
木々の緑、多彩な色や形の花々、陽の光、風の匂い、六月は一年中で一番豊かで、ダイナミックな優しさの溢れる季節に思えます。野に在る花も、誰知らずと、惜しげなく美しくいます。
中でも山林の薊は特別です。鬱蒼と茂る丈高い草の中に炎のように、二つ三つ赤紫色に咲いていますと、宝石など一つも持っていませんが、これに勝るものは無いと確信までしてしまいそうです。
葉の棘は、手折られる事を拒否して、容赦なく指や腕を刺しますが、林の中で何から身を守りたいのでしょう。美しさには到底及ばなくても、命を手折ったのですから、せめて用紙に永遠を残すべく、拙筆を、急ぎます。
♪薊
219薊

折々の記 219 紫陽花
有るグループ展に出かけた。50点ほどの20号が会場一杯を賑わして、作家の個性を伝えている。
其々の作風の後ろに見える作家の人となり、作画への思いを想像し乍ら一巡する。
其々の絵は、其々の意識を余す所なく表現する作業にエネルギーを傾注している。私とは思いの違うその人の至った作風への軌跡を辿り、理解すべきなのだろうと苦慮する。
広い絵画感の持ち合わせの無い私は、絵を描く事と、絵画する事を分けてみる事にした。
絵画することは、絵を自分の想いで構築することで、絵を描き始める以前に、多分多大な作画の為の企画を要するのだろう。
私の「絵を描く事」は、如何仕様も、如何企てようも無く、実存する諸々に魅了され、それに折々変わる自分の思いを重ねて描き出す事に尽きている。
崇高なものへ感応させられた喜びに、大抵筆力及ばず、何枚描いてもこれで良しと云う事は無い,完成が無いのだから、感受性、感性、描写力を磨かざるを得ない事だけは確かで、描き続けてもいる。
これまでの半生、自分の実態を社会の中で、心地よく動かしたいと、相当なエネルギーを駆使して来た心算だったが、人々の優しさ、親切、期待、欲求、要求、受容、軋轢、それらに答えられない無力、非力、必要以上に過剰な自意識は空回りして日々にも、作中にも在るべき自分を発見できないでいる。
辛うじての慰めは、ただただ対象物に魅せられて描き続けた作品を、私自身の生き様と繋げて見て頂ける事かもしれない。
庭の紫陽花の小群は皆私の背丈を超えた。小さな花の沢山を一塊にして、葉はすこぶる無個性な広卵形、香る事も無く棘も無く、何回季節を変えても約束の生を繰り返す。
骨太の茎は風を阻み、雨さえも味方にして美しく居る。
描き出す事に如何に懊悩しても、私の企てなどでは、花の命の有り様は遠すぎて、私は紫陽花の欠く所の無い雄弁に従うほかは無い。
♪雨の日の紫陽花
219雨の日の紫陽花


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2016年06月12日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 218 どくだみの花
傍を通っただけで、どくだみが自生しているのが分かります。子供の頃、体中を占拠した出来物の特効薬として、行水の桶の中で、泳いでいた緑色の草の独特な匂いは、馴染み深くなっています。
長じて、改めて花に向かい合ってみると、深緑色のハート形の葉を従えて、何処までも白い4枚のはなびらが、淡い黄色の花芯を抱いて密やかに咲いている様は、息を呑むほどに美しいです。
初夏の物陰にひそっと咲く、どくだみの花に出会えるので、この季節も好きでいられます。
♪どくだみの花
218どくだみの花

折々の記 218 花束
広くも無い、片側一車線の急カーブ道路上に大きなバンが停められていた。前方から現れるかもしれない対向車の位置は、カーブの向こうで、大きなバンが盾になって見えない。
急ぎの用事、、、ではない時もゆっくりは走れない私ではあるが、この時は、急ぐ必用があった。
急いて 前に憚る車を除け、対向車線に出た途端、結構なスピードで、向かってくる車を、息を止め動悸とともに辛くも除けることが出来た。
用を済ませた帰路、未だ車は止まっていた。反対車線なので、ゆとりをもって「そこへ停めては危ないですよ」と持ち主の顔も確かめずに声を掛けざま そこを離れた。
夕方「さっきは済みませんでした」と美しい花を集めた花束を持参してくれたのは、いつもこちらが頼み事ばかりをしている村の人だった。
まだ早朝の5時30分頃、施錠されたドアーを無理に開けようとする「がん!」と云う大きな音で飛び起き、三〜四十年も着古した寝間着姿のまま恐る恐るドアーを開け、走り去る軽トラックの荷台を見送った。
「全くもう、早朝から、ノックもしないで」と、むっとしたがドアーの傍に太い筍が、五〜六本置いてあるのを見つけると、運び主は分からないままに、こちらが寝坊なのだと、早く起きられた分の時間を得したように思えるのは、真にげんきんだと自嘲しながら、束になった花を描き始める。
都会の友人が、雑踏の中で「ぶつかった相手が詫びもしない」と猛烈怒っていた。
若い青年がぶつかった相手に憤慨するが、相手がにっこり微笑みながら謝罪する映像が道徳心に呼びかけるようにTV画面に頻繁に流される。「両方が瀬戸物だと壊れる、どちらかが柔らかいと、、」この映像を見る度に友人の顔が浮かぶ。
こういうシチュエーションだと、反射的に謝れるのだが、理屈に合わない事だと、飲み込むのに困難をきたす。精神が介在すれば尚の事、理を言い募りたくなるが、相手が高齢化すると持論が幅を利かせ、問答以前に面倒臭さがられて、痞えを降ろせないままでいなければならない。
諸々な事に尊敬して止まぬ村の友が「横柄で傍若無人だった姑の年齢になった。もう誰憚ることなく言いたい事は言おうかな」と。
会話がスムースに進まなくなって行く相手に対し、言いたい事は、臆面なく言っても許される年齢が有るのだろうか?有ると思えるか、思わないかいずれかの選択で・認識・能力が保たれるのか、混迷(認痴症)して行くのか、方向付くのかもしれない。
若さの最後と、豪語していたが、老いの始まりを自覚すべきかに揺らいでいる。
頂いた時から散り始めている花弁に急かされ、花束を一気呵成に雰囲気だけで描き上げてみると、初々しく意外に美しい。まだ大丈夫、若さの最後でいよう。
まあ、理は大事にしても感情的には為るまい。もう少し時間はありそうだ。
♪花束
218花束


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2016年05月27日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 217 小さな沼
山梨に30年近く住んでいますが、まだまだ未発見の美しい所が沢山ありそうです。
暑さも寒さも、直射日光もダメ、対象物には陽が当たり、座り心地の良い日陰、中々難しい都会から来られる方のニーズに適う所を探してうろうろしていましたら、林への細い道の先が急に開け、小さな沼に行き着きました。
若葉の美しい木々が、湖面を彩り、頭上には、大樹に身を任せた藤の弦が、優しい紫色の花房を垂れていました。静かで豊かな深遠は、行く末、数百年の時間を与えられたとしても描き果せませんが、画面に小さな沼を移動させる作業の中に、私の生きた時間が、綴られて行く事だけ、確かめようと思います。
♪小さな沼 
217小さな沼-

折々の記 217 少女と少年
勢い良く枝を伸ばし、大きな葉を付けた山ブドウの弦を目隠しに仕立てようと、道路際の柵に縛り付けていると、三、四十メートル先の角から学校帰りの少女が表われた。
近付くに連れて言葉を用意していると少し緊張してくる。「お帰りなさい」と、出来るだけ穏やかに声を掛けてみると、ごく自然に「こんにちは」と返って来た。近寄って つたかずらの花を見ていたので「良い香りがするのよ」「何してるんですか?」「山葡萄の弦を、柵に這わせようと。もう小さな葡萄が、生っているでしょう」「そこにハチの巣が有ります」「何処?あっ!小さな蜂の小さな巣かしら、こんなに筒が短くて、部屋も四つしかないものね」「まだ作りかけでこれから部屋も増やして大きくするのかもしれない」と少女は、蜂の生成側で云っている。
幸い蜂も見当たらない、今の内に始末を思ったが、身勝手な保全と思われるのも と取り敢えずそのままにした。
「蔦蔓の花、良い匂いでしょう」と話題をもう一度 蔦蔓に戻したが「有難うございます」と丁寧に云って帰る少女の礼儀や、優しさに、あんな時期を遠い 遠〜い昔に置いてきた私は、ハチの巣と一緒に取り残された。
短い会話に、まだ思いを残している背中に「こんにちは」と。
何とも、清々しく、美しい少年が微笑みながら声を掛けて通り過ぎる。ほっこりと嬉しいのか、猛烈な隔たりを寂しく思うのか、味わうゆとりの無かった、取り戻すことの出来ない過日を少女と少年に重ねて、初夏の夕暮れの中に沈み込んで行く。
夕陽は、紅蓮に萌える幾筋もの雲を 水田に映して、耕運機を黒いシルエットに描き出している。
水田を耕運しているのは、さっきの少年の年老いた祖父である。夕日の沈むのと一緒にハチの巣も耕運機も目の中で薄れて行く。何が終わってしまってもいい。過ぎて行く時間が皆美しいのだから。
♪耕運機
217耕運機


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2016年05月14日

海外スケッチの旅ご案内

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2016び-た表紙



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2016年05月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 216 水田
田に水の入るこの季節の木々の緑は、毎日少しずつ色を深くして、葉は大きくなって行きます。
陽の光を透かし、風にさんざめく柔らかい緑の群れが、水田に映っています。
空は反転して、田に飲み込まれている様は、若草を枕に、何時までも瞳で雲を追い駈けた子供の頃を懐かしくします。
♪水田
216水田

折々の記 216 藤の花
転居間もない頃、西側の崖に隣家とを隔てる石垣を積んだ。紫色の藤の大樹の根に沿って生え出た30センチくらいの若木を山林から持ち帰り、石垣すれすれに植え、5メートル近い高さの棚を作り西日除けに育てる事にした。
その隣には、建物に寄せて白藤を植えた。
数年も経つと、紫と白の花は、春を飾り、葉は、夏の陽を遮る藤棚に成長していった。
30年近くにもなると、根元30センチほどから幹を数本に分けて伸びに伸び巨大化した藤の木は、石垣に皹を生じさせたので崩れる事を恐れ、根元から切断した。
三ヶ月置いて、すっかり枯れた太い紫藤の弦を、棚から大量に剥ぎ取り、成長し豊かに花房を垂らした家側に植えた白藤の弦枝の絡まりをほぐしながら、紫の藤弦のすっかり無くなった棚へ伸ばした。
芳香を放つ花房から小さな白い花をほろほろと零し乍ら移動させていると、白い藤の中に四房の紫色の藤の花を見つけた。切り離された根元は、紫色の花を付けた枝から、遥か先で3〜4メートルも下の大地に埋まっている。根とは繋がっていない僅か1メートルも あるか無きかの伐り残された枝に、柔らかく初々しい葉が生い 完璧な花房を作って藤紫でいる。
茎を三十センチくらいに切り収め花瓶に差してみたが、水揚げは難しく二日ほどで、花の生気は消えた。
「この事に色を付けて物語を作ってみたら」と友人が進める。
芳香を放ちながらたわわに美しく棚一杯を飾った白い花屯に埋もれて、密やかに咲いている根の無い花は、寂しくも、哀れとも、美しい故に凄惨でもあるし、切ってしまった罪を思い、怖くもあり恨みがましくも感じる。
花は、押しなべて女人に見える私は、こんなふうな死に方に生への執念を思うべきか、耽美と酔うのか、空に切り離されたまま、花を咲かせる最期に驚愕するばかりで、やはり物語は書けない。
♪根の無い花
216根の無い花


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2016年04月22日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 215 桜
集落ごとに神社があります。遊興を満たす設備も、美味い物を供する店も取り立てては無い山里では、集落の大勢が集って、胸襟を開き、食べ物を持ち寄り、共に楽しめる神社の春祭りは、桜の散花も饗宴に加わって、美しい賑わいを作ります。
今年は賄いとやらの当番で、否応なく駆り出されましたが、伝承された御神楽の舞を見ながらの酒宴は、桜吹雪の中、和やかに賑わい、盃に浮くはなびらの美しさが似合っていました。
♪桜
215桜-1

折々の記 215 雛
肥満した老犬が所在なく終日の大抵を寝ころんでいる。
広くも無い敷地に老いた鶏も数羽うろうろしている。
老いた雄鶏が、雌鶏に勇姿を見せたいのか、到底かなわないのを承知の上で、白が汚れで部分的にグレーや茶に体毛を染めた恰幅の良い紀州犬の傍を通っては、鶏冠を立て羽を広げて、威嚇している。犬は、お愛想程度に身を起こして、挑む形をとって遊んでいる。
毎年春になると、雛の二〜三羽を買い足して来たのだが、私自身の老いに従って、何時まで面倒を見切れるのか心もとなく今年は少し新入りを躊躇していたが、主の留守中、老いたと云ってもまだ5〜6年は生きて居るだろう犬の孤独を紛わせるためにも、二羽の雛を仲間に入れる事にした。
雛が犬の傍に近寄ると、追い立てる振り位の動作をするのだが、その内には、自分の餌に集まる雛の為に退いて、見ぬふりを決め込んでいる。
普段は黙認している猫の鼻先の往来も、雛が居るとなれば、繋がれた綱も切れよと、吠えかかる。
握りつぶせそうな小さな雛も学習することなく、飼い主を識別、許されるテリトリーを認識、犬の保護下に安住する。
一体いつどういう学習をしてきたのか、見境ない関心事の麻薬、賭博、ETCで身を誤って行く人間の浅はかさとは、比べようも無い賢さである。
三歩歩むと、前の事を忘れるとか、愚かしい事をチキンなどと例える見立ては、己を愚の類から、少しでも遠ざける為の人間の思い上がりに他ならないのだろう。
新参のヒヨコに卵を期待するのだから、まだ私も老いてはいられないと、鶏用には野に在る菜を集め、来客用に土筆やこごみ、芹、蕨などを、採取して、行く春を惜しむことにする。
♪花の中の雛
215花の中の雛-1


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2016年04月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 214 桃の丘
新府城名残の在る小高い丘の麓一帯には、桃畑が広がり、無数の桃の花が大地の起伏を美しく染めています。
見晴かす桃畑の四囲は、富士山、南アルプス連山、八ヶ岳、茅が岳で縁どられ、桃源郷とはかくも有ろうかと魅了されます。
残雪で彩られた晴天の時の山々の雄姿も、春霞の中のブルーの連山の帯も、桃色をそれぞれに際立たせて、この中に佇んでいる限り、憂世の鬱積したどんな事態も、どうでも良かったではないかと、心を春風が軽くしてゆきます。小さな一輪一輪が、命一杯に開いて 広大な大地を染め変える自然のめくるめく変幻と、描く事のみに時間を費やした長い私の歳月をも、三号の小さな画面に描き留められたら 行く春を惜しまずにいられるのでしょうけれど、、、。
♪桃の原
214桃の原

折々の記 214 葬儀
近い人で在るはずだが、憂世の思惑が遠くしていた方の葬儀に出向いた。
身内だけの葬儀と言う事である。
初めてお会いする縁戚の中で、異質な存在であったにもかかわらず、昨日も逢ったかのように親しく接して頂け、死とは生の時の砦が無用になる事態なのだと安堵した。
元より、如何なる人にも何事に対しても砦を築く、要領、用量、庸了を測る才覚の無い自身は、常に受け入れられるのを待つばかりの生成だったと思うが、もう言葉の無いお人には、私の本意でと、お別れの式に参列させて頂いた。
祭壇の沢山の献花の中に、曾孫一同の文字もあって、5人の曾孫達は、事の次第を知ってか知らずか、多分久しぶりの逢瀬に欣喜雀躍、94歳の曾祖父の面影は、そのまま、目に、心に生き続けて居るのだろう。
92歳になる老妻の、時々判然としない受け答えは、耳の遠くなったことも手伝っているのだろう、列席の嫁の一人が「老いて、少しずつ現実から遠い思考、思慮になるのは、悲しみを少なくするための神様からの贈り物だと思う」と。
清めの塩と一緒に、長寿銭の入った小袋も頂き、頭脳も確かなまま、穏やかな空間で良い一生を閉じられた事に祝福の気持ちさえ持ち得た。
老妻は、最後の挨拶をと、棺の中の老夫の頬に手を遣り「まだ若いのに可愛そう」と言葉を掛けていた。十日も患うことなくの他界、それでも残された者の淋しさ、悲しみは深いに違いないので、孫の涙に誘われて、私も目を潤ませていたのだが、思わず神様の優しさを目の当たりにして、笑みを禁じ得なかった。
春深い明野の三月が咲かせた白木蓮の白い花を消しとるように、背景の山々は麓までを薄雪で白く染めたが、次の日の陽光は山稜に僅かに白い模様を残して瞬く間に雪を溶かし、木蓮の花は生気を取り戻した。
それから幾許も無い 四月初めの告別の式を終え、幾つかの山を越えての帰路には、こぶしの花や白木蓮が咲き残っていた。その傍らに蕾の儘の桜の老木が在ったり、少し下っては、黒く太い幹を薄紅にけぶらせている満開の桜、新芽の小さな緑の葉の中に散在する白い李の花、林の中には巨大な古木一杯に目にも鮮やかな薄紫の花を付けた限界つつじ、地には 草々の花が咲いて、其々は繰り返し命の息吹を繋げている。人は、、、ほんの一時が美しく在れたらそれで好いのかもしれない。
♪白木蓮
214白木蓮


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2016年03月26日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 213 ネギ坊主
近くの畑から、葱に花が咲いてしまうから、採りに来るようにとお声が有り、悉く坊主(蕾)を付けた葱を大量に頂きました。昨年の暮に頂き、庭に植えて置いた葱は、三分の一に痩せ細り、それでも少しいじけた蕾を付けています。しっかり冬を超え太った頂きたての葱を、雨で和らいだ土に埋け、春を描く事にしました。遅咲きの梅の花、水仙、藤袴、連翹、横着な私の庭は、季節が管理し、紛う事なく春を招き入れています。
♪葱坊主
213葱坊主-1-1

折々の記 213 可愛いい妹
末に生まれた私が、妹のように大切に思う人がいる。従妹の子供なのだが、歳の差が僅かで、一向に発展のない古い城下町の当時には 珍しい近代的な建物の家に住んで居た。
薔薇の花の咲く庭には、二人ずつ向かい合って四人も乗れるブランコが有って、ガラスの引き戸には、カーテンの日除け、おやつは、バターやミルクの香るケーキやビスケット。
三時は、さつま芋、ジャガイモの蒸かした物、迂闊に閉めると、もろとも庭に転げ落ちてしまいそうな擦り減った重たい年代物の雨戸に、棘の刺さる障子、嵐など有ると、畳が煤ける茅葺の我が家と比べると、多分西洋とはこんなにも匂やかで、軽やかに明るいのかと思えた。
私の従妹で、彼女の母親は、心身の脆弱だった幼い子供を案じながら他界、可愛い妹のような彼女は、その後の数々の難続きの人生を私に嘆くことも無く「悩み事が有っても数秒で立ち直るの」と云って、いつも笑っていた。
今度は、自らが癌だという。抗がん剤の副作用の苦しさはさすがに数秒では、解決ならず、憔悴しきっている彼女を介護し、案じる思いが、大腸に穴を空けたと、連れ合いが腸を切断し、入院。
何時も身勝手な私は、何の役にも立たない見舞いも 返って煩わしいだろうと遠方で、恢復を祈る手立てを選ぶ。
私自身の癌との闘病の時、多分医学的には答えは、出ているのだろうから、枕元の置時計が刻む音を聞いている外無いと、音の数の果ては考えないでいた。
友人が「人生には、法則が有って、不幸の分だけ幸せが約束されている」それは「逆も真だ」と。
当然私の事、言下にばかばかしさを言って「まっ、気持ちの持ちようで如何様にも幸不幸は、自己算出、換算出来るわね」
と一笑に伏したが、今は真剣をもって法則とやらに殉じ様と思う。
私の好きな矢車草が、庭一杯を虹色にする時、今度こそ彼女からの朗報が聞こえる筈と。
♪去年の庭
213春-1-1



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2016年03月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 212 春の日差し
他所のグループ展の、一部分の壁面に絵を、と云う事で、10号ほどの絵を、お引き受けしましたが、改めて描く時間、気力が整わず、何時描いたものかも忘れている絵を、引っ張り出してみました。
椅子の上に置かれたスキーに乗った仔馬が、午後の陽の差す椅子の上に居ます。
随分と雑に描かれているので、相当の手直しが必要となり、毎日固い洋筆の穂先で、破綻を無くすべく、削り落としては加筆、加筆しては、削り落とし、これでは始めから描き直した方が、楽だったかもしれないと、今より少し若かった頃の運動力ばかりの絵に苦慮しました。
この絵を描いた年月は蘇りませんが、対象物に向けた思いを確実に戻すことが、絵には可能なのだと。自分のこれ以上の皺を防ごうと日焼け止めを厚めに塗り、用紙の裏面は水で伸ばし、窓ガラスに張って、お日様に皺伸ばしを頼みました。
♪春の日
212春の日

折々の記 212 冬を超えた法蓮草
梅の花が、夜半の時ならぬ雪に震えている。それでも明野だ。春の雪は、山々の雪を更に美しく描き直して、早々に陽の光は、薄雪を溶かし犬の寝そべるスペースを作り出している。
自分で作り上げ、習慣化した挨拶の ねばならぬ事の山積の中で、病気見舞いを優先して書く。
しかし、抗がん剤に苦しむ 幼い頃からの友からは返信は無く、電話での夫の嘆き以外彼女からの声も受け取れない。尋ねる事も可能だろうが、私自身の気休めに過ぎず、彼女の苦境に何の手助けにもならないだろうと心急きながら、足を留めている。
昨年亡くなった友人は、一時帰宅時、酸素補給をしながらの苦しい息の中での思いを聞かせて頂いた後、間もなく声の届かない所へ旅立ってしまった。
先月の個展の際、五人もの来客の涙に触れた。もうご一緒頂けないお連れ合いや、親御さんの在りし日を語られ、年月の長さの中に己の老いをも、想わずにはいられない。
「ゴールは、スタートラインです」と豪語していた気迫も、当面した雑用の向こうに見え隠れしていた明日への目論見も、おぼろげに翳んで行く。
「兎も角 私が心病んでも」と、留守中に届いた黄色いチュウリップを描き始めていると、
「ほうれん草が、今の時期は飛び切りうまいよ。何時採りに来る」の電話に鬱屈した感情を払いのけるように出かけてみる。
寒さをエネルギー源にし、風を根性で飲み込み、冬の陽を一杯に浴びた葉は、厚みを為し葉脈を乗り越えて丸く膨らみ、深い緑色に光る。土から覗く根は、美しく紅い。
私も法蓮草のように、与えられた自然の状況の中で、自分を精一杯生きる外、策は無い。
そうしていることが、誰かの勇気に繋がれば、辿りつく先がなかったとしても、それが、私の不断のスタートラインなのだろう。
黄色いチュウリップは、ガラス越しの陽光に、いつの間にか開き切っている。
♪黄色いチュウリップ
212黄色いチュウリップ


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2016年02月25日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 211 個展終了
ご高覧有難うございました。
沢山の方々に御来廊頂きましたギャラリーび〜たでの個展が、終わりました。
お寒い中、拙作の為に貴重なお時間を頂きました御事に、絵を描いてきた喜びを、深く味わわせて頂け、最期を連呼しながら、これからの絵の方向に細い光の誘導が、見えました。
残務は中々終わらず、骨休めに、未だ蕾の固い夕間暮れの桃畑を、歩いていましたら睦月の雪の中でも咲いていた菜の花が、更に花数を増やし、私の細い光の誘導先を朧げに暗示してくれているようでした。掲載の菜の花の絵は、昨年の春描いたものです。
絵は、記憶を、記憶に止める事無く、新しい感慨と簡単に融合させるのだと、過去と、今と、これからと、菜の花を結び目に、時間がたった今に結合、凝縮しました。
♪暮れ時の菜の花
211暮れ時の菜の花

折々の記 211 少年
事務能力、一般的社会性の全くない私は、ねばならぬ挨拶、礼儀などに零れたものが無いか、個展終了から、ほぼ一週間も、過ぎた日々の逢瀬を振り返って辿っては、感謝やら驚き、失態などで鼻先まで、水に浸かっているように、苦しく足掻いている。
四肢を伸ばしては、水面に浮いて酸素を補給してみたり、期せずしてお会い出来た感動を思い出しては、改めて胸を熱くしたり、日を送るに従って、身にも心にも、処理しかねるほどの思いが、積載されて行く。『寝よう、昔から粗忽、粗末、粗暴、粗野を自認してきたのだから、失礼も失態も、分かり切っての皆さんのご厚意だ』と事務的処理を断念したが、電話の呼ぶ音で、潜ろうとした炬燵が遠くなる。
「孫が絵が好きで、私も上手いと思う。下ねーで(下の家・つまり我が家)やっとけーって(帰って)きたようだが、今から出向くから、ちょっと、見てもらえんかね」家中は散らかり放題、髪は乱れ、寝間着姿。大急ぎで 何とか体裁を整え、30年も昔ドキッとする程ハンサムだった棟梁を招き入れる。
一緒に来た少年の持つスケッチブックには、置き物の木のフクロウや、リスの縫い包み、アルプス連山などが鉛筆で達者に描かれている。
小学六年生の男の子は、面立ちが良く、愛らしい上、賢くて素直だ。
にっこり笑うと、両頬に潜む小さく尖った八重歯が僅かに光り、更に心のチャーミングさを露呈していると確信したくなる。
何もかもを落伍して、辛うじて残った絵に思いの総てを塗り込んできたから、純粋な魂に会う事が、許されるのだと。困憊した疲労は、少年の眼差しに心底まで、癒される。
もう一踏ん張りすれば、陽の当たる対岸に辿り着けると云う手前で、未踏の地を恐れて、何時の時もびしょぬれになり、冷えて戻って来た。離れる英断をしたはずの岸辺には、私が踏みしだいた草が倒れている。潰れ掛けた花は何時の時も優しく蘇って芳香を放っていた。
少年のこれからの希望と、淋しさと、愛と、多難と一緒に、私も自分で踏みしだいた草を宥めて又、此処から始めよう。
♪野の花
211野の花


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