2017年01月23日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 233 金柑
今年は、金柑の木に30個ほど実が付きました。
昨年は、10個有るか無きかでしたので、鑑賞用に何時までも採らずに置きましたら、水分がなくなり皮も実もひすばり食べる事を阻みました。冬の枯れ色の中で輝く実を出来るだけ鑑賞していたいので、3日に一個と限定。甘みも酸味も深いその一つを陽だまりで頬張るのは、どんな高価なフルーツを戴くより、天然の恵みを感じ贅沢この上ありません。
2メートルにも及ばない背丈一杯に茂る常緑の葉は、凍みることも無く冬の日を集めて実を守っています。そこには、雄大な山々に劣ることのない、繊細で美しい自然が輝いています。
♪金柑
233金柑

折々の記 233 道祖神祭
隔年ごとに、丈高い竹を、組の人数分に割って柳の枝に似せ、大地に向けて垂らし、柳の木に見立てた細く垂れる竹の先に猿ぼこと云う人形を吊るす・お柳さん祭りと・、20メートルもあろうかの丸木を石柱に寄らせて建て、幾つもの竹や金具で作った輪に括り付けた長い旗を天辺近くまで上げ旗めかせる道祖神祭りがある。
組の人が祠や石文の設置されている沿道に集い、輪番の賄い(まかない)の長が、田圃を隔てた向こうの竹林や、道路際反対の民家を見渡し、松、竹、梅、の摂取場所を指定、組員 其々が、手近に調達し、それらを丸木の先端に縄で括り付ける。山里ならではである。
道祖神の祠や石文に、枝に付けた紅白の団子や蜜柑、酒等の供え物をし、獅子頭が祀られる。
長け高い二本の丸木に文字の書かれた旗と、幅広の布に垂らした吹き流しをもう一本の丸太に括るのが、今冬一番と云う寒さの中での祭り仕度だった。
集落の面々の献身と、他を慮る優しさで、古式豊かに延々と続いてきたのだろう。
丸木に回された輪に括られた旗を2本の綱を操作し、空高く持ち上げる途中、これまでに何度も繕ったり接いだりした満身創痍の古くなった布を、捥ぎ取るように風は吹きつけ、破れは痛々しく広がる。
「繕わなければ」の声に、その場から比較的近い私の家まで、急坂を走って安全ピンを十個ほど用意したが、「そんなものではさらに布の破損はひどくなる」と。
もう一度、急坂を息を切って登り、転げるように飛んで下り 針と糸を間に合わせる。
女の人達は、宙吊りで強風に煽られている旗を慣れた手つきで苦も無く繕い、高い空の中にはためかすことが出来た。
この事に限らず村の人は、日常の大抵の難題を、片を付ける事に並外れて優れている。
それに比して要領の悪い私は、労に適しない靴を履いていた事や、身体を使う事に怠慢な日常が災いして、塩を舐めても、水分を過剰にとっても、風呂に浸かっても、釣った足の痛みは、杳として治まらない。
仕方なく何度も湯に浸かっている内、足の釣った痛みを嘆く事よりも、湯の優しい温かさが、此処に住んで居る温もりになって、痛みも愉快だった事に出来そうである。
すっかり村人に成り切っているのだと足を摩りながら、常のカラスの行水を変じて のんびりと道祖神祭りの床しい仕来たりに思いを馳せてみる。明日は、布を裂く風が吹かなければ良いが。
♪道祖神祭り
233道祖神祭


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2017年01月05日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 232 聖護院大根
大きな丸い大根を頂きました。
千枚漬けに収まる前に、描いておこうと思います。
野菜の何ほどの知識もない頃、絵本で見た大きなかぶらと思っていました。
此処では、頂く物は畑から直行です。瑞々しい葉も漬けたり、炒めたりするのですが、敬意を表してまずは描きます。
♪丸い大きな大根
BlogPaint

折々の記 232 海岸寺の和尚さん
私が癌になった5年前の3年前、8年前和尚さんもがん細胞に取り付かれた。
毎年大みそかに鐘を撞かせて戴こうと海岸寺に伺った折「私は、癌と共生する事になりましたが、もう80をとうに越しましたので『癌で死ぬか命が尽きるかの年齢ですから、ハードな治療もね〜〜』という医師の言に「私は決心しました。何もせず天命を待ちます」と、潔い和尚様のご意識でした。
次の年の暮れ、恐る恐る鐘を撞かせて戴こうと院に昇ると「交通違反の罰金の高額なのには驚いた。静岡までサードオピニオンを訪ねる折、車で疾走して捕まった」と血色の良い笑顔で、迎えて頂けた。
九年後の和尚さんは、さらに艶々と頬を光らせ鐘楼の梯子段を軽々と、、、?白足袋をスリッパもどきのサンダルに隠して登られたが、下を通ろうとした私の鼻先に片方の履物が降って来た。
「はっ、はっ、はっ、こうならないよう気を付ける手本に」鐘の音は、鬱蒼たる木立の闇を抜けて、山々に木霊(こだま)しながら甲府盆地へと広がって行く。
薄闇の中に採り残された熟し柿が、仄赤く一つ残っている。
九十才を幾つか過ぎて、お独りで山々に日々を預けておられる和尚さんの快談から私の新しい年は始まる。
♪鐘楼
BlogPaint


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2016年12月17日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 231 枯色
梢にしがみ付いていた枯葉は大地に移動し、まるで己が根を凍結から守っているようです。
遠くに まだ黄赤色の葉を残したメタセコイヤーの大木が林立し、これも冬枯れを穏やかにしています。木が透きますと、鳥が数を増したかのように目に留まります。
あんな小さな生き物が 木の実も食べ尽くし、寒風の中で、生き抜いて春を待つ様子を想像するだけで、穏やかな日向で、何時の季節でも美しい風景を目の当たりに出来、描く事の出来る幸せは、贅沢の極みに思えてきます。
♪暖かい日
 231 枯色-1

折々の記 231 鬼柚子
冬枯れの中で、柑橘の葉と琵琶の葉は、少しの衰えも感じさせずに、金柑、柚子は実を付け、琵琶は大きな木一杯を小さな白い花で飾っている。
小粒の柚子は、風に抗い兼ねてか 何年も実を付けなかったので、建物の南、琵琶の木の傍に植え替えたら、翌年から金色の実をたわわに付けるようになった。
大木になっても実を付けなかった琵琶の木の茂りに茂った葉をお茶にでもしようかと、大幅に枝を切り落し、薬局で確かめた効能を信じ、葉を煎じて飲むことにした翌年、枝々に陽が行き渡るようになったのか、実の為る年数を待っていたものか、枝先の総てに花を咲かせ、三・四個ずつを房にして実が生った。
私は、、同年の友人達と比べると、日常、安閑と美食に預かれない分、贅肉は人に分けたい程には無いと思っている。極々僅かな年金は減らされる一方、病院は初診料や紹介料値上げ、病まない算段に無い頭脳を駆使せざるを得ないが病んでいる裕の無い事も幸いして元気で居る。
それ故にも、生きる為の意識は野性動物に近く、近所で頂いた野菜、果物のあれこれを乾燥したり、漬け込んだり、土に埋めたり、ぼろ布に包んだりして溜め込み、芽吹きの春を待つ事にする。
野性と違うところは、他に迷惑の掛からない限りにおいて、目に新しい物に興味、関心、欲が深く、友人の庭で見た、胴回りは、4・50センチもありそうな、鬼柚子の魅力に捕らわれた。
やっと苗を探し、10年近くを経て花を付けた。ここでも欲は災いし、摘花を惜しんだので、細い枝先に三・四個実を付けたままにした。
細い枝先から養分を分け合った三個の実は、胴回り三十センチにもならず、歪んではいるが、薫り高く、絶品のジャムに生まれ変わり、お礼肥に腐葉土を根回りに施し、更なる大きさを期待することにした。
年数がたてばさらに頼もしく成長し、豊かに茂り実を付けるだろう、柿、琵琶、柘榴、花梨、柚子、金柑、キューウイーなど、花の木と一緒に、繁茂を極める狭い庭は、私の死後を杞憂させるが、私が朽ちて草木が狭い庭を占拠する方が、余程自然環境の保護になり、ほんの僅かでも若者の年金負担は減るのだろう。
草木の繁茂も行く先ももう少しの間、思考外にし、日照時間日本一の明野の太陽に浴して、花の絵実の絵を描かせてもらおう。
♪鬼柚子
231 鬼柚子


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2016年12月09日

水彩画の心紀行

たのしい水彩画 230 侘助
慶長の役、侘助と云う人物が朝鮮から持ち帰ったというのですが、侘助の名をそのままに、少しずつ花弁の形や色を増やし全国に広まったようです。
霜に凍てつく朝の庭に、雪の日は白い葉重なりの中で、小さく慎ましやかに、優しく咲き、そこだけ何時もほのかな温かさを伝えています。
戦乱の中でも、この花を持ち帰ろうとした日本人の美意識なのでしょうか、生命への愛おしみなのでしょうか、侘助の名が似合う花です。
♪侘助
230 侘助

折々の記 230 小さな展覧会
絵を描く小さな集まりで、絵画展をする。
何日もかけて、完成させた絵は、額縁と云う保護枠の中で、其々に自己主張している。
私自身、見(覧)せるという意味に定かな理由付けが出来ない事と、画廊の採算、知人の参廊への感謝、接客への愛想、絵を描く何十倍もの気使いに 今までの個展には心身疲労して来た。
数十年と、続けた個展で、愛でて下さる御好意を、シンプルに信じ、喜び、私の作画へのエネルギー源にして、助っ人も一時を愉しんで頂けたなど、思い上っていた。
さてグループ展。
他の目に私を晒す機会ではない。何の衒いも要らず、皆それぞれがこれまで描いて来た有り様を、客観視できる好機にし、造形することに関心を深め、作品への責任、完成度の洞察源になれば などを願うくらいで、私自身の会期中の行動への採点意識は遙かに少なくて済む。
皆の心情は計れないが、俗欲を減じ、徒然の日常にクリエーティブな刺激を介入させ、文学的絵画的に解釈し、漫然と終わって行く、消えてゆく、記憶に楔も入れられるのではないだろうかと、面倒くさい要求をし続けた数か月に、密かに花を添える言い訳も見つけて居る。
出品者が老齢故か、来客も大抵高齢である。他の用事で来館した小学高学年と思しき少女たちを・呼び込み・宜しく誘い込んでみた。
「絵の後ろ側に作者の云おうとしている事、情景に関しての心の広がりまで見えて、、、、云々」
「すごいこと云うわね」と私。「はい、天才ですから」小学生。
思わず一口サイズのチョコレートを、一つずつ掌に載せると、初めて幼い笑みを浮かべて「有難う」と。
「展覧会の意味は???」問う事もないのだろう。
生きて居る意味を問い続けてきた私への回答かもしれない。最近は、小学生の云う「対象物に取り入りながら、自己の思いがリアリティーの裏側にしがみ付いていれば良い」という絵を描いてきたが、出来栄えを披瀝する立場にないので、昔描いた絵を「切れ切れの記憶」と作品名にして展示に参加した。
描いた時の思いこそ、記憶にないのだが、今この絵の手元に有ることが、生きて来た意味を問う事の意味のない実景なのかもしれない。
♪切れ切れの記憶
230切れ切れの記憶-1


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2016年11月22日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 229 冬の薔薇
沢山の薔薇の木を植えたのですが、手入れ不足の庭、雑草、雑木に埋もれて大抵は、いつの間にか消えています。冬を前に立ち枯れた草や木の間で薄紅色の薔薇が、陽光を追って細い枝先に暖かさを灯すように一輪咲いています。
こんなに心惹かれるのですから一輪でも、季節の終わりの寂涼感を慰めてくれるだろうかと、描いてみました。
♪枯草の中の薔薇
229枯草の中の薔薇

折々の記 229 日転がし
近隣の人を集めて、絵を描く日を楽しんでいる。ここへ転居して間もなくからの付き合いだから、30年近く一緒の方々もおられる。指導者の力量不足に加えて、老いて諸々の肉体条件の劣化は、絵画するエネルギーも無くして、持ち前だったはずの絵画力は、枯草の中に埋もれるように少しずつ少しずつ見えなくなっている。
小さなグループの小さな展覧会は、作品を何とか完成させる努力よりも「出来ない、描けない、時間がない」と二年に一度の発表に 言い訳が作品よりも大事になっている。
幾つになっても「手抜き、心抜き」の要領を会得できない私は、方向違いの虚しさで、心身萎えて行きそうになる。
自然は、老いた人の無彩色に反して、木々の葉は枯れながら絢爛と華やいで色鮮やでいる。
村の中のそちこちに 紅い灯の花を散らすように、柿の実が空に弾けている。
深い赤色が透き通るように沁みた柿を頂く。渋味はすっかり抜け、ゼリー状の柔らかい実は甘く口の中で溶ける。
「固い内は、日転がしにしておけし」と言われ10個ばかり余分に頂き、そのまま陽に晒しておくと、如何なる天の業か術か、如何仕様もなく渋かった柿の実は、たっぷりと甘くなり掌に重い感触からは完熟の旨味が伝わってくる。
季節の終わりは木々に豊穣の実が揺れ、田には黄金色の稲が実り、落葉は風に乗り空に金銀を撒く。人は、お終いに如何輝けるのだろう。深い皺を柿渋色にしただけで終るのだろうか?
長すぎた時間は少しずつ忘却という穴に埋められて今日の日も恙なく片付いて行くのだろうか?
もう言い訳も遅きに過ぎるだろう。小さな小さな展覧会だけど、長い歴史に積み重ねた思いの深さが滲んだ絵を描いてほしい。
日転がしは、絶品であるはずだから。
♪柿の実
229柿の実-1


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2016年11月13日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 228 柘榴
柘榴は夕焼け色です。葉は、緑から、黄、イエローオーカー、茶になって冬の山々をバーントアンバーの梢で切り刻みます。
大きく割れた皮から覗くルビー色の実は、怖いほど美しく光っています。
怖いほどですから、中々描き切る気持ちにはなりませんので、夕陽の中に埋没させました。
♪夕陽の中の柘榴
228夕陽の中の柘榴-1

折々の記 228 老いる事
茅が岳の名の由来は分からないのだが、この季節は紫紺色の山々を背景に、畦に、畑脇に純白の穂が帯を作って波打っている。
もうすぐ散り行く銀杏の葉が、斜めの陽光に金色に応え、柘榴の実が、大きな口を開けて、真っ赤な歯並びで笑っている。葉を落とした梢が、空に描く線は、何処までも凛として、寡黙に再生を目論んでいる。
友人は老いて、これまでの意味のなかった敗北の寂しい記憶を失っている。闘志は薄れ、日々は穏やかになり、先を目論む、ものも、事も、無くなっている。それでも己が身を守ろうとする執念執着は、日を追うごとに増して美食にふけり、身体ばかりに生気は溢れている。
殆ど居ても居なくても一向に周辺に影響を齎す能力を持たない私自身は、結実のない自己保全や物質的要求、何れにしても成果の得られない、執念執着を持つ意味も、意欲も、ない。
そうでしかない生成だから、木々や草々のようには、明日の萌芽を内蔵し再生の準備や能力は元より、今を維持できうる時間も、約束されないのだろう。
そう思うと寂しすぎるので、友人のようにたった今の自己保全の目先の欲望を満たす空間の連続の方が老いは楽かもしれないと思ってみる。
昔から、数字や固有名詞などに、関心が薄く、意味を探せずにいる。
時計が時を刻まなくても陽は登り、留める事など叶わず夜になり、また朝が来る。雅号があって芸名があって、源氏名があって、幸いを占いに頼んで改名しても、結婚すれば潔く?籍までも変え、嘗て、県の横暴に対して抗議をした際には、被告と称され、私にナンバーが付いた。
犬でさえ 飼い主が変われば否も応も無く新しい名に尾を振る。ブラックという名の黒い犬は、左遷された先で、ブを外されラックになり、終に楽はなくラク(落)の犬生に落ちた。
命も似たようなものだ。私が私を記憶しない時が来るとしたら、私に固有名詞は要らないのだ。
呼べば笑顔も無く振り向く友人の記憶の空洞に、初冬の風がかさかさと音を立て冷たく通り抜ける。
尾花の美しい白い穂波は、まだ私の心を震わせる。
私の新生が無いのなら、明日の準備の為に葉を打ち払った裸木や、未来をまき散らす白い薄波を、何時かは褪せて色を失う紙面に、手触りのまだ有る私の今を織り込めて描いておこう。
♪白い穂波
228白い穂波


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2016年10月12日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 227 柿の実
随分長い間絵を描いて来ましたが、自然の作る造形美は、何時になっても心にも手にも負えません。
花の淵にウエーブを施し、中心を白く星形に残して 深いブルーで囲んだ消え残る昼間の朝顔の上部には、黄、オレンジ、赤、紅蓮と、色を重ね乍ら枝を撓ませて、たわわに下がる柿の実。
その柿の木の枝先まで、弦を這い登らせて重く下がる はやと瓜の淡い緑色、深い紫の無花果の実、狭い庭一杯は、コスモス、しゅうめい菊、紫苑、赤まんま、名を知らぬ小さな草花で埋め尽くされています。
何時かは、百花繚乱をものにしたいと、有るのか無いのかの希望を先延ばしにして柿の実だけを秋の名残に描いてみました。
♪柿の実
227柿の実

折々の記 227 秋
尾花の白、数え切れない秋の花々のとりどりの色、栗、柿、林檎、無花果、柘榴、書き出したら限の無い多色の果物の数々、斜めの陽に萌える赤や黄金に輝く木立は、命の後ろ側に動悸がするほどの寂寥感が満ちている。
頂き物の食べきれない野菜、果物、描き切れない美しい風景、心まで温まる太陽、金木犀を縫って来る甘い風、寒くも無く、暑くも無く、凌ぎやすい。
お洒落するには丁度良い季節に、長い年月で溜まった古着の中から、外出用の服を探す。
元々 色鮮やかなものは似合わないと、赤系統には手が出ない。好みと言っているので、戴いたものも大方は暗く、寂しい色合いの物ばかり。
馴染んだはずの黒い服に手を通してみると、落ちくぼんだ目と、扱けた頬、張の無い髪、柔らかく丸い肩と背には、黒は年々増える葬儀の帰りのようで、うそ寒く見える。
ブルーや、紫、色あせたピンクなどを試着して、何時も灰色に落ち着く。
友人の大半も歳を取って、心身の病み事を聞く機会が増えたので、黒やグレーを纏うと、聞き手の立場として程よい色になる。
これからどうしょうと若くはならないのだから、ニーチェの永劫回帰などに思いを煩わされずに、目の前の刹那 刹那に、何とか感動の種を探す他無いと、落ち込む前の算段をしながら、自分を鼓舞している。
始まったばかりの山々の紅葉も、まだ青いからまつも、陽の光を浴びて、瑞々しく美しい。
木々も草々も枯れ果て、散り行く約束の色の序章だから 感傷がプラスして 美しさは極まるのかもしれない。
再びの やり直し人生は無い。 この季節に、厚くした思いを、折り畳んで仕舞って置けば、ひょっとして、着古したグレーの服も、春の花を映えさせる色として、まだ出番があるかもしれない。
♪初秋の山
227初秋の山-1


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2016年10月10日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 226 コスモス
路辺に、畑脇に、廃校の草の中、忘れられた家の壁際に、秋の終わりの寂寥を、気付かせないように、コスモスの花は、何処までも優しく、限りなく淡く目と心を安らがせてくれます。
空に向けて細い、細い茎先に一重の花を透き通るように仰がせ、風に靡く花邑は、嵐にも耐えられるしっかりと根付いた太い茎を支えにして、のびやかです。
擬人化しましたら、強く逞しく、柔軟で、瀟洒で、心が溶かされそうな柔らかい美しさです。
秋にはコスモスを描きませんんと、心穏やかに冬を迎えられませんので、もうすぐ終わる花を手折って焦って描きました。
♪こすもす
BlogPaint

折々の記 226 木戸(スイス・ソーリオ)
帰国から一カ月、まだスイスの残映の中を彷徨している。
家と云うものを木と紙と茅の中で、幼少期を過ごした私にとって、簡単には壊れない石の建造物は、柔らかく優しい安堵感からは遠い。
それでも山林を拓いて造った細い坂路の両サイドに支え合うように組み込まれ、石と丸太で構築された老いた家々の様は、郷愁めいた哀感を呼び起こすものでもあった。
切り出したままのような分厚い石で囲った窓の大抵は私の背丈より高い位置にあり、陽光を細めて薄くした深い穴は、歴史を飲み込み、今も、昔も、窺いようが無い。
人で賑わう、北イタリアのオルタの家々も窓は深い。使い古しの底の浅い段ボール箱に造花の花を差したものが、鉄格子の嵌った分厚い窓を飾っていた。
スイス・ソーリオの家々は、教会に繋がる隘路に、固まって立ち、そのすべてが、石と木の自然色でオルタの家々の乾いた色の明るさは無い。
人の気配はほとんどないが、暗く深い窓辺に置かれた山に咲く季節の花が、静かに色を添えている数件の家を見つけた。そこだけは、人が住んで居るのかもしれない。
心なしか空気が動いたように思える。
小さな村中に、矩形に整列させた数個の墓標の周りを、花で囲った小さな墓地が有る。
ここから、晩秋の緑の山々の向こうに 白く氷河を残した山稜が聳え立っているのが見える。
拓いた山麓に点在する数件の家を 墓地の石段に座って描いていると、突然の強風が手にした用紙を奪い去り、清水の湧いた小さな用水桶からは、水が立ち上がって、襲い掛かる。
明野の風も又三郎の話を生むのだから、スケールの大きいスイスの山間だったら、驚くほどの風ではないのかもしれない。
冷たい強風から逃れて、隘路に戻り、彫を施した木戸を描く事にする。歴史を見続けた強固な石の家に優しく沿った木戸の奥は、相変わらず人の気配はないのだけれど、刈りこまれた草の中に咲く、紅い花が、3日限りの旅人の居場所を優しくしていた。
♪木戸
226木戸


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2016年09月20日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 225 湖畔の村
イタリア最北の古都オルタは、石壁を鮮やかな色で塗った家々をオルタ湖の水際まで、びっしりと立ち並べた街です。家々の壁は船に塗った塗料の残りで染めたそうです。
時を経た日本の家屋でしたら、古色蒼然、無彩色に沈んで朽ちるのを待っているのでしょうけれど、野外コンサートの音楽に合わせて、休むことなく軽妙に腰をひねって踊る、胸の膨らみかけた紅いスカートの少女が良く似合う町です。
教会を守るように建つ家々を乗せた 小さなサンジュリオ島の路地からオルタ湖が覗いています。人が通るだけの狭い路地の片側は、石ばかりの硬直した建物を宥めるに棕櫚や杉の樹が風を和らげています。私もほっと息をついて、対岸のオルタの家々を路地の向こうに描きました。
♪オルタの街が見える
225オルタの街が見える

折々の記 225 異国
スイスへの国境近くにコモ湖が有る。
湖に噛り付くように華やかに染まった石の家が連なる九月のバレンナは、無数の花が、無数の色合いで咲き、家々の多彩な色と共鳴、調和、共存、或は、競い合い、何を如何主役に仕立てようもない。
スイスへ行く途中で立ち寄ったほんの短い時間だ。いっその事、喧しくても色だけで塗りつぶすことにした。ここを過ぎて国境までの路沿いに見える景色の中の家々は、少しずつ少しずつ 石の壁に色が無くなって行く。
スイスのホテルには、国境近くから毎日通ってくるというイタリアの女性が、給仕を任されていた。
私でも十数名の客なら慌てず熟せそうだが、明るく闊達な若い彼女は、植木鉢を蹴飛ばし、葉を騒がせ、器を倒し、束ねたナプキンを落としながら、今、覚えたての日本語で愛想を言い、賑やかに粗忽に明るい。
ソーリオのホテルのオーナーは、いかにも雄大な大地に根差している様子が、物言いの静かさ、動作の優しさに見えて、ゆったりと暖かい。
家々が密着して犇めき、何処へ行っても賑わっていたオルタやバレンナと違って、堅牢に立つ黒い石の屋根を支える 白い石壁の家々の穴のような窓からは、人の気配が窺えない。
とうとうと流れる水を受けた大きな洗濯場には誰も居ない。広い草地に牛も羊も数匹放たれていたが、何処にも人影を探せなかった。
間に合わない絵に熱中して、人気のない山中の底も表も見なかった迂闊は、如何したのだろう。
イタリアのオルタは夜も人で賑わい、ライトアップされたサンジュリオ島を眺めながら、夜中まで陽気に飲み歓談していた。
緑ばかりの山中に白と黒の人気のない家が点在するスイスのソーリオは、零れ落ちそうな無数の星に包まれ、教会の鐘の音ばかりが記憶を繋ぐ異国だった。私の中に深く根差す日本も、途轍もなく異国なのだろう。
♪バレンナの色
225バレンナ


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2016年09月19日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 224 ソーリオ
スイスのソーリオ村は、標高1200mの山中にあります。薄い石を重ねた屋根、厚い石壁、丁寧に維持された家々が、牧草地や林の中に点在し、古い昔を背負いながら、美しく穏やかに今を呼吸しています。
氷河の残る高地を、緑の山間遠くに聳えさせ、今にもアルプスのハイジが駆け出してきそうでした。成田からの帰路、私の住む明野の山々に迎えられると、雨上がりの霞の様な雲が遠く近くの穏やかな丸い半円を 更に優しく仕立て直し、スイスの大きな景色に圧倒されて、少し気圧され萎縮した思いは、狭い日本に帰って来た安堵感に移行しました。
♪遠くに氷河が見える
224遠くに氷河が見える-1

折々の記 224 涅槃
ソーリオの宿から見える向かい側の深い緑色の山の中腹に、そこだけを深く凍て付かせ白い氷辺を目模様にした顔が此方を睨んでいる。その膨らみのほんの少し後ろに見える山稜は、宛ら仏陀の涅槃のように、胸の上に手を合わせ、ゆったりと仰臥した様相になっている。
悪天候が予報だった空には、涅槃を覆うように山腹に根を下ろした大きな大きな虹の橋が架かり、夕焼けは、涅槃をもう一度浮かび上がらせながら、怒り、苦しみに満ちた、目模様の山を沈めて行った。
朝焼けは、涅槃の足元から広がり、滞在4日共穏やかな好天に恵まれた。
不甲斐なく空っぽの、私では恐らく、信仰、信心を身の程を忘れる武器にもしかねないと、仏陀を哲学、心理学、自然科学の師と仰ぐ事を超えての守護は頼まないで居る。
それでも、私の思考の大半は、非才、凡庸故に偏見だらけになってしまうのではあるが、長い年月を、私の足りない認識で作り出した仏陀に導かれて来た。
この地を、何度も訪れている添乗員の方は「あの怖い目模様を、村の人は何に例えているのか」との私の質問に「背後に有る山が涅槃の形をしているので、ブッタの御顔だと思っている」と答えた宿の主から初めて仏陀の涅槃の形の山を知ったと。
宿を出る最終の朝、あの苦渋に満ちた恐ろしい目は、優しい朝焼けの紅を映して、私の中で、現生の諸々の不幸を嘆じ、憂うる仏陀の悲しみの眼差しに変わっていた。
♪涅槃
224涅槃-1


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