2016年08月23日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 223 白百合
炎天、猛暑、台風、雷鳴、豪雨、木々の葉は、根限りに繁茂する季節です。
様々な色、形の花を付け実を宿し、我が家の狭い庭は、綾なす蔓や葉に隠された紅いトマトの実、草色の南瓜を取り込んで、白や蒼い朝顔が水玉模様を作っています。その中にすっくと伸ばした茎先に涼やかな白い花を下向きに咲かせ、鉄砲百合が秋を招き入れようとしています。
凛とした美しさに心騒ぎます。
深い緑の中に、行く夏を静かに留められると良いのですが
♪白百合
223白百合

折々の記 223 尻焼
川岸の小さな粗末な小屋に裸電灯が一つ暗く灯り、月の無い川の中で、三三五五の声が聞こえる。
十数年前、川の中に温泉が湧いていると云う いかにも適当する名前の尻焼温泉を訪ねた。
連れに小さな声で「ここで着替えても見えないかしら」と小屋の陰で上半身の衣服を脱いでいると、川の中の男性の声が「見えませんよ」と。
すっかり見えるなら、もう覚悟する他なく、薄手の下着姿で、足元の覚束ない川ににじり乍ら入ると、初秋の川は冷たく、人の声に寄るしかない。本当に尻で、温泉の湧く場所を探りながら、先客の若者に混ざると、その辺一帯は、塩梅の良い温もりで、血も肉も川に溶ける開放感を味わった。
孫も中学生、小学高学年、シアトルの娘と東京の娘、総勢8人で今夏の思い出作りの尻焼は、熱湯に近い湯が、常時大量に川に注ぎ込まれ、大いに整備された温泉付きの小屋の下方の淀みは、尻で温もりを探すことも無く、辺り一帯を温泉にしていた。
男の子とも少女とも青年とも呼び難い、私に取っては可愛すぎる素直な孫たちの嬌声に、私の老いも鑑み「時よ、止まれ」と心で念じた。
時は川の流れと一緒に惜しげもなく遠く流れて、早々に冷えて行くのだろう。
宿にした草津温泉に戻って、消えて行く時を封じようと堅牢に構築された、温泉街の灯を描き残すことにする。
子供達との至福の時間があったことを、何時か、穏やかな老いの閑居に思い出せたらよしとしよう。
♪草津温泉街の灯
223温泉街の灯


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2016年08月05日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 222 南瓜の花
生ごみから生え出たかぼちゃの蔓は、狭い庭一杯に伸び、大きな葉は地面を隠しています。
花は早朝、優しく柔らかく咲き、お日様に恥じるように花を閉じます。
仕方なく?涼しい内に描く事にします。田圃から遠征して来た葉っぱ色の蛙も やっぱりお日様から隠れるように陽が差すと葉の上から姿を消します。
競うようにのびやかに繁茂する、草々の季節は、私の気持ちも少し萎縮から解放され、弦ならぬ手を伸ばそうかと思わせてくれます。
♪かぼちゃの花
222かぼちゃの花

折々の記 222 若い友達
70歳を超えた私にとって、50歳未満など、とても若い人に思える。
赤ちゃんの時、近所だった子、40〜50才は子と云う訳にはゆかない歳ではあるけれど、今どきは、押しなべて、私の同年の時とは違い20代と区別のない出で立ちであるし、こちらへも対等に物を言ってくるので、むしろ私が下って若返る。
娘の高校時代の友人は、私の誕生日に、毎年必ず電話をくださる。
婉曲に多分理解だけを求めて、私の心配にならないような言い回しで実状への思いを手紙に認めて来る子もいる。
世界中のコーヒー豆をえりすぐって焙煎した物を毎月送って下さる若き友人。これは毎朝、魂を蘇らせてくれる覚醒剤になって 午前中?は幸せに酔える。午後は己が不甲斐なさゆえの疲労に無能を嘆じ大抵は酔いが覚めるが、コーヒーは一月ごとに味を変えて送って頂けるので新しく酔えばいい。
お母さんを亡くしたN子ちゃんへ、
「・・略 色々の事を終りにして、後悔、反省、未練、執着で寂しい焦りの中にいます。Nちゃんの若さだったら、どんな状況の中でも、充分に心を砕いたと思えれば、次のステップへのエネルギーにも経験と云う財産にもなるのでしょうね。40代はまだ若いです。苦も楽も悲喜も堪能して下さい。無責任かな?
失敗の多かった私の半生、その分だけ行きつ、戻りつ、余分な道も歩きました。Nちゃんが、未知の方向へ進もうとする時、方向チェンジ出来る「危険注意」の道標にはなれるかもしれません。
娘がシアトルから帰ってきています。ゼネレーションが大きく違っても、同じ時間を分け合った感覚が蘇って親子で居られます。お母様の亡くなられた淋しさ、お父様に埋めて頂いて下さい。もうすぐ新盆です。私の分と云うお線香、お母様に手向けて頂く厚かましさ許されるでしょうか?・・略」
Nちゃんから
「・・略 父が毎朝線香を手向けています。私は、母の描いた上手くない絵を、季節ごとに換えています。
とても良い物を残してくれたと思います。・・略 また連絡ください」
微風だけれど、心を揺るがす何でもない触れ合いは、とてつもなく贅沢に思える。
♪手紙
222手紙


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2016年07月17日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 221 さわら池
甘利山への道をくねくねと登って行く途中、生い茂った葉や木々を割ってぽっかりと丸い池が水を湛えています。その昔、人を飲む大蛇が潜んでいたというおどろおどろしい様子は、池の水が少なくなって影を潜めています。
湖面に映る樹影が静けさと穏やかさで迎え、甲府盆地をはるか下にして涼風が頬を伝います。
以前には無かった、東屋の赤い屋根が緑ばかりの風景の中に紅く灯り、温かみを添えています。
♪椹池
221椹池

折々の記 221 大工さんの犬
事件の大小はあるにしても、何を、誰を信じてよいのかと悲しくなる物騒な出来事が世界中に頻発している。
村へ転居して30年近い。当時は、此処ものんびりとして、犬も穏やかに放し飼いにされていた。
村への人の出入りが少なかったその頃は、何処の犬も人を警戒することなく、勝手を知って、居心地の良い家に寝そべったり餌をむしんに出かけたりしていた。その頃はこれ程までに犬も私も人に怯える事は無く、鍵など掛けるのはかえって心を閉じているようで気が引けたものだ。
わが家の改築に携わって頂いた坂上の大工さんの犬も、主について来ては、茶菓子の御余りを期待して、うろうろとしていたが、十年もしないうちに、足腰が思うように動かなくなり、寝たきりの状態になった。飼初めに太郎と名付けたが、女の子にそれもかわいそうと、後でたろこちゃんにしたという。
大工さんは、早晩次の犬の用意をと、まだよちよち歩きの子犬を何処からか連れて来て歩くことも困難な老犬 たろこちゃんと一緒に飼い始めた。
ある朝 わが目を疑う快活さで、明日の命も危ぶまれた老犬が、子犬と走り回っていた。飼い主曰「乳も出るようになって、子犬を育てている」と。
たろこちゃんは、子犬を成犬にして程なく逝った。
周り中の友人は老いて 競うように身体の故障、支障を並べるので、決まり文句の たろこちゃんの武勇伝を話すと「犬と私は違う」とばかりに弥増さって身体の困難を嘆く。
何度も言を弄していれば、我が身の故障支障は、許されないだろうから、楽しい事、張合いの有る事を探してこれに邁進する事に心を向け・おっぱい・は無理としても・失敗・位は何度でも引き受けて心の老いを先延ばしにしなくては。
今年も向日葵が咲いた。此方が怖気付くような朗らかさで、黄色く太陽に向いている。
向日葵のように、たろこちゃんのように、真っ向から生きる形に目を向ければ、人を殺めず、犯さず時を遣れるのだろう。
♪向日葵
221向日葵


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2016年07月13日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 220 桜ン坊
明野はブルーベリーや 桜ン坊の栽培用ハウスが並んでいます。
ビニールハウスの中で色付く桜ン坊の丸い実は、季節の細やかな折り目を伝えて陽時計ならぬ、日時計・天気時計になります。細やかに陽気に左右されて、それでもいつの間にかは、この上なく可愛く、情熱の赤に染まって長さ三、四センチの細い柄に身を委ねる様は造形の美、之に極まれり と思えます。
青から黄、オレンジ、赤、紅蓮、と混ざり合いながら深紅に終わって行く小さな丸い命は、一粒ずつに、物語を秘めています。桜ン坊の語らいも描けると良いのですが、お腹に入れた時の満足の方がいつも勝っています。
♪さくらんぼ
220さくらんぼ

折々の記 220 隣の犬 
突然の猛暑日だったり、夜半の冷えに、片付けた掛け布団を、引き出したりと、定まらない眠りを、坂上にある隣家の犬の一晩中の吠え声で、更に眠れない日を三日続けた。
吠え声は 鳴き声ではなく 泣き声になり、三日目の朝に終に途絶えた。
杖を頼りに長い散歩が日課の飼い主に「幾つになりましたか?」と問うと「いよいよお迎えを待つばかりの年齢だ。あの世に行くに、背負って連れて行ってもらう訳にもいかんから、しゃーない、歩けるようにはしとかんとな。内の奴も、もう死ぬ もう死ぬと、足腰の痛みを毎日嘆いている」
「そうですか。私だって一時間の散歩は、きついですから、あの世までは充分にお歩きになれますよ」あの世までの距離も解らないままに、静かになった犬の事は、改めても聞けず、頓珍漢な問答をしながら、昨夜の焚火の燃え残りの始末をしていると「うちの塵まで片付けてもらって、すまんじゃんね」と向かいの人。
「上の家の犬、三日間唸り通していたけれど、静かになったわね」と私「飼い主の足腰の痛みの分を引き受けて、動けないくらい腫れ上がった肢体は、身代わりずら。まっ!年齢も人間で言ったら百歳を超えての往生だから、充分さね」犬は、飼い主の支障まで引き受けるのかぁー。
我が家の犬は、犬を飼った歴史の中で、一番不甲斐ないのも、私が更に陥るべきところの愚を引き受けているのかと、憐憫から、好みそうな餌を少し多めに与えて、共に隣家の家の犬の死を悼んだ。
暑かろうと、背丈ほど伸びた紫陽花の花の木の下に繋ぐと、綾なす枝に紐を絡み付け、間の抜けた犬は、雁字搦めで居る。仕方なく草も生えないコンクリートの上に移す。
どれもこれも飼い主の鈍重を引き受けているのなら、私はその分を頑張らねば。
散骨を頼んでいるので、葬儀も無く泉下への長い??道を方向付けてくれる者も居ない。
あの世ではなくこの世の土になり留まるのだから、暫しの現生、遠いあの世への旅路の為に足腰を鍛えなくてもよいのだ。
貪の身代わりを、少し引き受けている飼い犬の長寿を頼み乍ら、絵を描くことに現を紛らわせよう。
♪紫陽花
220紫陽花


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2016年06月23日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 219 薊
木々の緑、多彩な色や形の花々、陽の光、風の匂い、六月は一年中で一番豊かで、ダイナミックな優しさの溢れる季節に思えます。野に在る花も、誰知らずと、惜しげなく美しくいます。
中でも山林の薊は特別です。鬱蒼と茂る丈高い草の中に炎のように、二つ三つ赤紫色に咲いていますと、宝石など一つも持っていませんが、これに勝るものは無いと確信までしてしまいそうです。
葉の棘は、手折られる事を拒否して、容赦なく指や腕を刺しますが、林の中で何から身を守りたいのでしょう。美しさには到底及ばなくても、命を手折ったのですから、せめて用紙に永遠を残すべく、拙筆を、急ぎます。
♪薊
219薊

折々の記 219 紫陽花
有るグループ展に出かけた。50点ほどの20号が会場一杯を賑わして、作家の個性を伝えている。
其々の作風の後ろに見える作家の人となり、作画への思いを想像し乍ら一巡する。
其々の絵は、其々の意識を余す所なく表現する作業にエネルギーを傾注している。私とは思いの違うその人の至った作風への軌跡を辿り、理解すべきなのだろうと苦慮する。
広い絵画感の持ち合わせの無い私は、絵を描く事と、絵画する事を分けてみる事にした。
絵画することは、絵を自分の想いで構築することで、絵を描き始める以前に、多分多大な作画の為の企画を要するのだろう。
私の「絵を描く事」は、如何仕様も、如何企てようも無く、実存する諸々に魅了され、それに折々変わる自分の思いを重ねて描き出す事に尽きている。
崇高なものへ感応させられた喜びに、大抵筆力及ばず、何枚描いてもこれで良しと云う事は無い,完成が無いのだから、感受性、感性、描写力を磨かざるを得ない事だけは確かで、描き続けてもいる。
これまでの半生、自分の実態を社会の中で、心地よく動かしたいと、相当なエネルギーを駆使して来た心算だったが、人々の優しさ、親切、期待、欲求、要求、受容、軋轢、それらに答えられない無力、非力、必要以上に過剰な自意識は空回りして日々にも、作中にも在るべき自分を発見できないでいる。
辛うじての慰めは、ただただ対象物に魅せられて描き続けた作品を、私自身の生き様と繋げて見て頂ける事かもしれない。
庭の紫陽花の小群は皆私の背丈を超えた。小さな花の沢山を一塊にして、葉はすこぶる無個性な広卵形、香る事も無く棘も無く、何回季節を変えても約束の生を繰り返す。
骨太の茎は風を阻み、雨さえも味方にして美しく居る。
描き出す事に如何に懊悩しても、私の企てなどでは、花の命の有り様は遠すぎて、私は紫陽花の欠く所の無い雄弁に従うほかは無い。
♪雨の日の紫陽花
219雨の日の紫陽花


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2016年06月12日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 218 どくだみの花
傍を通っただけで、どくだみが自生しているのが分かります。子供の頃、体中を占拠した出来物の特効薬として、行水の桶の中で、泳いでいた緑色の草の独特な匂いは、馴染み深くなっています。
長じて、改めて花に向かい合ってみると、深緑色のハート形の葉を従えて、何処までも白い4枚のはなびらが、淡い黄色の花芯を抱いて密やかに咲いている様は、息を呑むほどに美しいです。
初夏の物陰にひそっと咲く、どくだみの花に出会えるので、この季節も好きでいられます。
♪どくだみの花
218どくだみの花

折々の記 218 花束
広くも無い、片側一車線の急カーブ道路上に大きなバンが停められていた。前方から現れるかもしれない対向車の位置は、カーブの向こうで、大きなバンが盾になって見えない。
急ぎの用事、、、ではない時もゆっくりは走れない私ではあるが、この時は、急ぐ必用があった。
急いて 前に憚る車を除け、対向車線に出た途端、結構なスピードで、向かってくる車を、息を止め動悸とともに辛くも除けることが出来た。
用を済ませた帰路、未だ車は止まっていた。反対車線なので、ゆとりをもって「そこへ停めては危ないですよ」と持ち主の顔も確かめずに声を掛けざま そこを離れた。
夕方「さっきは済みませんでした」と美しい花を集めた花束を持参してくれたのは、いつもこちらが頼み事ばかりをしている村の人だった。
まだ早朝の5時30分頃、施錠されたドアーを無理に開けようとする「がん!」と云う大きな音で飛び起き、三〜四十年も着古した寝間着姿のまま恐る恐るドアーを開け、走り去る軽トラックの荷台を見送った。
「全くもう、早朝から、ノックもしないで」と、むっとしたがドアーの傍に太い筍が、五〜六本置いてあるのを見つけると、運び主は分からないままに、こちらが寝坊なのだと、早く起きられた分の時間を得したように思えるのは、真にげんきんだと自嘲しながら、束になった花を描き始める。
都会の友人が、雑踏の中で「ぶつかった相手が詫びもしない」と猛烈怒っていた。
若い青年がぶつかった相手に憤慨するが、相手がにっこり微笑みながら謝罪する映像が道徳心に呼びかけるようにTV画面に頻繁に流される。「両方が瀬戸物だと壊れる、どちらかが柔らかいと、、」この映像を見る度に友人の顔が浮かぶ。
こういうシチュエーションだと、反射的に謝れるのだが、理屈に合わない事だと、飲み込むのに困難をきたす。精神が介在すれば尚の事、理を言い募りたくなるが、相手が高齢化すると持論が幅を利かせ、問答以前に面倒臭さがられて、痞えを降ろせないままでいなければならない。
諸々な事に尊敬して止まぬ村の友が「横柄で傍若無人だった姑の年齢になった。もう誰憚ることなく言いたい事は言おうかな」と。
会話がスムースに進まなくなって行く相手に対し、言いたい事は、臆面なく言っても許される年齢が有るのだろうか?有ると思えるか、思わないかいずれかの選択で・認識・能力が保たれるのか、混迷(認痴症)して行くのか、方向付くのかもしれない。
若さの最後と、豪語していたが、老いの始まりを自覚すべきかに揺らいでいる。
頂いた時から散り始めている花弁に急かされ、花束を一気呵成に雰囲気だけで描き上げてみると、初々しく意外に美しい。まだ大丈夫、若さの最後でいよう。
まあ、理は大事にしても感情的には為るまい。もう少し時間はありそうだ。
♪花束
218花束


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2016年05月27日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 217 小さな沼
山梨に30年近く住んでいますが、まだまだ未発見の美しい所が沢山ありそうです。
暑さも寒さも、直射日光もダメ、対象物には陽が当たり、座り心地の良い日陰、中々難しい都会から来られる方のニーズに適う所を探してうろうろしていましたら、林への細い道の先が急に開け、小さな沼に行き着きました。
若葉の美しい木々が、湖面を彩り、頭上には、大樹に身を任せた藤の弦が、優しい紫色の花房を垂れていました。静かで豊かな深遠は、行く末、数百年の時間を与えられたとしても描き果せませんが、画面に小さな沼を移動させる作業の中に、私の生きた時間が、綴られて行く事だけ、確かめようと思います。
♪小さな沼 
217小さな沼-

折々の記 217 少女と少年
勢い良く枝を伸ばし、大きな葉を付けた山ブドウの弦を目隠しに仕立てようと、道路際の柵に縛り付けていると、三、四十メートル先の角から学校帰りの少女が表われた。
近付くに連れて言葉を用意していると少し緊張してくる。「お帰りなさい」と、出来るだけ穏やかに声を掛けてみると、ごく自然に「こんにちは」と返って来た。近寄って つたかずらの花を見ていたので「良い香りがするのよ」「何してるんですか?」「山葡萄の弦を、柵に這わせようと。もう小さな葡萄が、生っているでしょう」「そこにハチの巣が有ります」「何処?あっ!小さな蜂の小さな巣かしら、こんなに筒が短くて、部屋も四つしかないものね」「まだ作りかけでこれから部屋も増やして大きくするのかもしれない」と少女は、蜂の生成側で云っている。
幸い蜂も見当たらない、今の内に始末を思ったが、身勝手な保全と思われるのも と取り敢えずそのままにした。
「蔦蔓の花、良い匂いでしょう」と話題をもう一度 蔦蔓に戻したが「有難うございます」と丁寧に云って帰る少女の礼儀や、優しさに、あんな時期を遠い 遠〜い昔に置いてきた私は、ハチの巣と一緒に取り残された。
短い会話に、まだ思いを残している背中に「こんにちは」と。
何とも、清々しく、美しい少年が微笑みながら声を掛けて通り過ぎる。ほっこりと嬉しいのか、猛烈な隔たりを寂しく思うのか、味わうゆとりの無かった、取り戻すことの出来ない過日を少女と少年に重ねて、初夏の夕暮れの中に沈み込んで行く。
夕陽は、紅蓮に萌える幾筋もの雲を 水田に映して、耕運機を黒いシルエットに描き出している。
水田を耕運しているのは、さっきの少年の年老いた祖父である。夕日の沈むのと一緒にハチの巣も耕運機も目の中で薄れて行く。何が終わってしまってもいい。過ぎて行く時間が皆美しいのだから。
♪耕運機
217耕運機


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2016年05月14日

海外スケッチの旅ご案内

海外旅行・北イタリアの湖畔の村と スイスの小さな集落を描く
   2016年9月1日〜9月8日( 8日間)
          経費¥398,000

トラベルプラン(び〜た)スケッチには最適な風光明美、
お宿は贅沢居心地満点です。ご案内ご相談非力ですが益山、全力を尽くさせて頂きます。
★連絡先―株式会社トラベルプラン・電話03-3561-5050
 〒104-0031 東京都中央区京橋2-8-5京橋富士ビル
♪email:sk@travelplan.co.jp
ホ−ムペ−ジ:www.travelplan.co.jp 
2016び-た表紙



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2016年05月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 216 水田
田に水の入るこの季節の木々の緑は、毎日少しずつ色を深くして、葉は大きくなって行きます。
陽の光を透かし、風にさんざめく柔らかい緑の群れが、水田に映っています。
空は反転して、田に飲み込まれている様は、若草を枕に、何時までも瞳で雲を追い駈けた子供の頃を懐かしくします。
♪水田
216水田

折々の記 216 藤の花
転居間もない頃、西側の崖に隣家とを隔てる石垣を積んだ。紫色の藤の大樹の根に沿って生え出た30センチくらいの若木を山林から持ち帰り、石垣すれすれに植え、5メートル近い高さの棚を作り西日除けに育てる事にした。
その隣には、建物に寄せて白藤を植えた。
数年も経つと、紫と白の花は、春を飾り、葉は、夏の陽を遮る藤棚に成長していった。
30年近くにもなると、根元30センチほどから幹を数本に分けて伸びに伸び巨大化した藤の木は、石垣に皹を生じさせたので崩れる事を恐れ、根元から切断した。
三ヶ月置いて、すっかり枯れた太い紫藤の弦を、棚から大量に剥ぎ取り、成長し豊かに花房を垂らした家側に植えた白藤の弦枝の絡まりをほぐしながら、紫の藤弦のすっかり無くなった棚へ伸ばした。
芳香を放つ花房から小さな白い花をほろほろと零し乍ら移動させていると、白い藤の中に四房の紫色の藤の花を見つけた。切り離された根元は、紫色の花を付けた枝から、遥か先で3〜4メートルも下の大地に埋まっている。根とは繋がっていない僅か1メートルも あるか無きかの伐り残された枝に、柔らかく初々しい葉が生い 完璧な花房を作って藤紫でいる。
茎を三十センチくらいに切り収め花瓶に差してみたが、水揚げは難しく二日ほどで、花の生気は消えた。
「この事に色を付けて物語を作ってみたら」と友人が進める。
芳香を放ちながらたわわに美しく棚一杯を飾った白い花屯に埋もれて、密やかに咲いている根の無い花は、寂しくも、哀れとも、美しい故に凄惨でもあるし、切ってしまった罪を思い、怖くもあり恨みがましくも感じる。
花は、押しなべて女人に見える私は、こんなふうな死に方に生への執念を思うべきか、耽美と酔うのか、空に切り離されたまま、花を咲かせる最期に驚愕するばかりで、やはり物語は書けない。
♪根の無い花
216根の無い花


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2016年04月22日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 215 桜
集落ごとに神社があります。遊興を満たす設備も、美味い物を供する店も取り立てては無い山里では、集落の大勢が集って、胸襟を開き、食べ物を持ち寄り、共に楽しめる神社の春祭りは、桜の散花も饗宴に加わって、美しい賑わいを作ります。
今年は賄いとやらの当番で、否応なく駆り出されましたが、伝承された御神楽の舞を見ながらの酒宴は、桜吹雪の中、和やかに賑わい、盃に浮くはなびらの美しさが似合っていました。
♪桜
215桜-1

折々の記 215 雛
肥満した老犬が所在なく終日の大抵を寝ころんでいる。
広くも無い敷地に老いた鶏も数羽うろうろしている。
老いた雄鶏が、雌鶏に勇姿を見せたいのか、到底かなわないのを承知の上で、白が汚れで部分的にグレーや茶に体毛を染めた恰幅の良い紀州犬の傍を通っては、鶏冠を立て羽を広げて、威嚇している。犬は、お愛想程度に身を起こして、挑む形をとって遊んでいる。
毎年春になると、雛の二〜三羽を買い足して来たのだが、私自身の老いに従って、何時まで面倒を見切れるのか心もとなく今年は少し新入りを躊躇していたが、主の留守中、老いたと云ってもまだ5〜6年は生きて居るだろう犬の孤独を紛わせるためにも、二羽の雛を仲間に入れる事にした。
雛が犬の傍に近寄ると、追い立てる振り位の動作をするのだが、その内には、自分の餌に集まる雛の為に退いて、見ぬふりを決め込んでいる。
普段は黙認している猫の鼻先の往来も、雛が居るとなれば、繋がれた綱も切れよと、吠えかかる。
握りつぶせそうな小さな雛も学習することなく、飼い主を識別、許されるテリトリーを認識、犬の保護下に安住する。
一体いつどういう学習をしてきたのか、見境ない関心事の麻薬、賭博、ETCで身を誤って行く人間の浅はかさとは、比べようも無い賢さである。
三歩歩むと、前の事を忘れるとか、愚かしい事をチキンなどと例える見立ては、己を愚の類から、少しでも遠ざける為の人間の思い上がりに他ならないのだろう。
新参のヒヨコに卵を期待するのだから、まだ私も老いてはいられないと、鶏用には野に在る菜を集め、来客用に土筆やこごみ、芹、蕨などを、採取して、行く春を惜しむことにする。
♪花の中の雛
215花の中の雛-1


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