2016年05月14日

海外スケッチの旅ご案内

海外旅行・北イタリアの湖畔の村と スイスの小さな集落を描く
   2016年9月1日〜9月8日( 8日間)
          経費¥398,000

トラベルプラン(び〜た)スケッチには最適な風光明美、
お宿は贅沢居心地満点です。ご案内ご相談非力ですが益山、全力を尽くさせて頂きます。
★連絡先―株式会社トラベルプラン・電話03-3561-5050
 〒104-0031 東京都中央区京橋2-8-5京橋富士ビル
♪email:sk@travelplan.co.jp
ホ−ムペ−ジ:www.travelplan.co.jp 
2016び-た表紙



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2016年05月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 216 水田
田に水の入るこの季節の木々の緑は、毎日少しずつ色を深くして、葉は大きくなって行きます。
陽の光を透かし、風にさんざめく柔らかい緑の群れが、水田に映っています。
空は反転して、田に飲み込まれている様は、若草を枕に、何時までも瞳で雲を追い駈けた子供の頃を懐かしくします。
♪水田
216水田

折々の記 216 藤の花
転居間もない頃、西側の崖に隣家とを隔てる石垣を積んだ。紫色の藤の大樹の根に沿って生え出た30センチくらいの若木を山林から持ち帰り、石垣すれすれに植え、5メートル近い高さの棚を作り西日除けに育てる事にした。
その隣には、建物に寄せて白藤を植えた。
数年も経つと、紫と白の花は、春を飾り、葉は、夏の陽を遮る藤棚に成長していった。
30年近くにもなると、根元30センチほどから幹を数本に分けて伸びに伸び巨大化した藤の木は、石垣に皹を生じさせたので崩れる事を恐れ、根元から切断した。
三ヶ月置いて、すっかり枯れた太い紫藤の弦を、棚から大量に剥ぎ取り、成長し豊かに花房を垂らした家側に植えた白藤の弦枝の絡まりをほぐしながら、紫の藤弦のすっかり無くなった棚へ伸ばした。
芳香を放つ花房から小さな白い花をほろほろと零し乍ら移動させていると、白い藤の中に四房の紫色の藤の花を見つけた。切り離された根元は、紫色の花を付けた枝から、遥か先で3〜4メートルも下の大地に埋まっている。根とは繋がっていない僅か1メートルも あるか無きかの伐り残された枝に、柔らかく初々しい葉が生い 完璧な花房を作って藤紫でいる。
茎を三十センチくらいに切り収め花瓶に差してみたが、水揚げは難しく二日ほどで、花の生気は消えた。
「この事に色を付けて物語を作ってみたら」と友人が進める。
芳香を放ちながらたわわに美しく棚一杯を飾った白い花屯に埋もれて、密やかに咲いている根の無い花は、寂しくも、哀れとも、美しい故に凄惨でもあるし、切ってしまった罪を思い、怖くもあり恨みがましくも感じる。
花は、押しなべて女人に見える私は、こんなふうな死に方に生への執念を思うべきか、耽美と酔うのか、空に切り離されたまま、花を咲かせる最期に驚愕するばかりで、やはり物語は書けない。
♪根の無い花
216根の無い花


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2016年04月22日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 215 桜
集落ごとに神社があります。遊興を満たす設備も、美味い物を供する店も取り立てては無い山里では、集落の大勢が集って、胸襟を開き、食べ物を持ち寄り、共に楽しめる神社の春祭りは、桜の散花も饗宴に加わって、美しい賑わいを作ります。
今年は賄いとやらの当番で、否応なく駆り出されましたが、伝承された御神楽の舞を見ながらの酒宴は、桜吹雪の中、和やかに賑わい、盃に浮くはなびらの美しさが似合っていました。
♪桜
215桜-1

折々の記 215 雛
肥満した老犬が所在なく終日の大抵を寝ころんでいる。
広くも無い敷地に老いた鶏も数羽うろうろしている。
老いた雄鶏が、雌鶏に勇姿を見せたいのか、到底かなわないのを承知の上で、白が汚れで部分的にグレーや茶に体毛を染めた恰幅の良い紀州犬の傍を通っては、鶏冠を立て羽を広げて、威嚇している。犬は、お愛想程度に身を起こして、挑む形をとって遊んでいる。
毎年春になると、雛の二〜三羽を買い足して来たのだが、私自身の老いに従って、何時まで面倒を見切れるのか心もとなく今年は少し新入りを躊躇していたが、主の留守中、老いたと云ってもまだ5〜6年は生きて居るだろう犬の孤独を紛わせるためにも、二羽の雛を仲間に入れる事にした。
雛が犬の傍に近寄ると、追い立てる振り位の動作をするのだが、その内には、自分の餌に集まる雛の為に退いて、見ぬふりを決め込んでいる。
普段は黙認している猫の鼻先の往来も、雛が居るとなれば、繋がれた綱も切れよと、吠えかかる。
握りつぶせそうな小さな雛も学習することなく、飼い主を識別、許されるテリトリーを認識、犬の保護下に安住する。
一体いつどういう学習をしてきたのか、見境ない関心事の麻薬、賭博、ETCで身を誤って行く人間の浅はかさとは、比べようも無い賢さである。
三歩歩むと、前の事を忘れるとか、愚かしい事をチキンなどと例える見立ては、己を愚の類から、少しでも遠ざける為の人間の思い上がりに他ならないのだろう。
新参のヒヨコに卵を期待するのだから、まだ私も老いてはいられないと、鶏用には野に在る菜を集め、来客用に土筆やこごみ、芹、蕨などを、採取して、行く春を惜しむことにする。
♪花の中の雛
215花の中の雛-1


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2016年04月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 214 桃の丘
新府城名残の在る小高い丘の麓一帯には、桃畑が広がり、無数の桃の花が大地の起伏を美しく染めています。
見晴かす桃畑の四囲は、富士山、南アルプス連山、八ヶ岳、茅が岳で縁どられ、桃源郷とはかくも有ろうかと魅了されます。
残雪で彩られた晴天の時の山々の雄姿も、春霞の中のブルーの連山の帯も、桃色をそれぞれに際立たせて、この中に佇んでいる限り、憂世の鬱積したどんな事態も、どうでも良かったではないかと、心を春風が軽くしてゆきます。小さな一輪一輪が、命一杯に開いて 広大な大地を染め変える自然のめくるめく変幻と、描く事のみに時間を費やした長い私の歳月をも、三号の小さな画面に描き留められたら 行く春を惜しまずにいられるのでしょうけれど、、、。
♪桃の原
214桃の原

折々の記 214 葬儀
近い人で在るはずだが、憂世の思惑が遠くしていた方の葬儀に出向いた。
身内だけの葬儀と言う事である。
初めてお会いする縁戚の中で、異質な存在であったにもかかわらず、昨日も逢ったかのように親しく接して頂け、死とは生の時の砦が無用になる事態なのだと安堵した。
元より、如何なる人にも何事に対しても砦を築く、要領、用量、庸了を測る才覚の無い自身は、常に受け入れられるのを待つばかりの生成だったと思うが、もう言葉の無いお人には、私の本意でと、お別れの式に参列させて頂いた。
祭壇の沢山の献花の中に、曾孫一同の文字もあって、5人の曾孫達は、事の次第を知ってか知らずか、多分久しぶりの逢瀬に欣喜雀躍、94歳の曾祖父の面影は、そのまま、目に、心に生き続けて居るのだろう。
92歳になる老妻の、時々判然としない受け答えは、耳の遠くなったことも手伝っているのだろう、列席の嫁の一人が「老いて、少しずつ現実から遠い思考、思慮になるのは、悲しみを少なくするための神様からの贈り物だと思う」と。
清めの塩と一緒に、長寿銭の入った小袋も頂き、頭脳も確かなまま、穏やかな空間で良い一生を閉じられた事に祝福の気持ちさえ持ち得た。
老妻は、最後の挨拶をと、棺の中の老夫の頬に手を遣り「まだ若いのに可愛そう」と言葉を掛けていた。十日も患うことなくの他界、それでも残された者の淋しさ、悲しみは深いに違いないので、孫の涙に誘われて、私も目を潤ませていたのだが、思わず神様の優しさを目の当たりにして、笑みを禁じ得なかった。
春深い明野の三月が咲かせた白木蓮の白い花を消しとるように、背景の山々は麓までを薄雪で白く染めたが、次の日の陽光は山稜に僅かに白い模様を残して瞬く間に雪を溶かし、木蓮の花は生気を取り戻した。
それから幾許も無い 四月初めの告別の式を終え、幾つかの山を越えての帰路には、こぶしの花や白木蓮が咲き残っていた。その傍らに蕾の儘の桜の老木が在ったり、少し下っては、黒く太い幹を薄紅にけぶらせている満開の桜、新芽の小さな緑の葉の中に散在する白い李の花、林の中には巨大な古木一杯に目にも鮮やかな薄紫の花を付けた限界つつじ、地には 草々の花が咲いて、其々は繰り返し命の息吹を繋げている。人は、、、ほんの一時が美しく在れたらそれで好いのかもしれない。
♪白木蓮
214白木蓮


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2016年03月26日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 213 ネギ坊主
近くの畑から、葱に花が咲いてしまうから、採りに来るようにとお声が有り、悉く坊主(蕾)を付けた葱を大量に頂きました。昨年の暮に頂き、庭に植えて置いた葱は、三分の一に痩せ細り、それでも少しいじけた蕾を付けています。しっかり冬を超え太った頂きたての葱を、雨で和らいだ土に埋け、春を描く事にしました。遅咲きの梅の花、水仙、藤袴、連翹、横着な私の庭は、季節が管理し、紛う事なく春を招き入れています。
♪葱坊主
213葱坊主-1-1

折々の記 213 可愛いい妹
末に生まれた私が、妹のように大切に思う人がいる。従妹の子供なのだが、歳の差が僅かで、一向に発展のない古い城下町の当時には 珍しい近代的な建物の家に住んで居た。
薔薇の花の咲く庭には、二人ずつ向かい合って四人も乗れるブランコが有って、ガラスの引き戸には、カーテンの日除け、おやつは、バターやミルクの香るケーキやビスケット。
三時は、さつま芋、ジャガイモの蒸かした物、迂闊に閉めると、もろとも庭に転げ落ちてしまいそうな擦り減った重たい年代物の雨戸に、棘の刺さる障子、嵐など有ると、畳が煤ける茅葺の我が家と比べると、多分西洋とはこんなにも匂やかで、軽やかに明るいのかと思えた。
私の従妹で、彼女の母親は、心身の脆弱だった幼い子供を案じながら他界、可愛い妹のような彼女は、その後の数々の難続きの人生を私に嘆くことも無く「悩み事が有っても数秒で立ち直るの」と云って、いつも笑っていた。
今度は、自らが癌だという。抗がん剤の副作用の苦しさはさすがに数秒では、解決ならず、憔悴しきっている彼女を介護し、案じる思いが、大腸に穴を空けたと、連れ合いが腸を切断し、入院。
何時も身勝手な私は、何の役にも立たない見舞いも 返って煩わしいだろうと遠方で、恢復を祈る手立てを選ぶ。
私自身の癌との闘病の時、多分医学的には答えは、出ているのだろうから、枕元の置時計が刻む音を聞いている外無いと、音の数の果ては考えないでいた。
友人が「人生には、法則が有って、不幸の分だけ幸せが約束されている」それは「逆も真だ」と。
当然私の事、言下にばかばかしさを言って「まっ、気持ちの持ちようで如何様にも幸不幸は、自己算出、換算出来るわね」
と一笑に伏したが、今は真剣をもって法則とやらに殉じ様と思う。
私の好きな矢車草が、庭一杯を虹色にする時、今度こそ彼女からの朗報が聞こえる筈と。
♪去年の庭
213春-1-1



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2016年03月09日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 212 春の日差し
他所のグループ展の、一部分の壁面に絵を、と云う事で、10号ほどの絵を、お引き受けしましたが、改めて描く時間、気力が整わず、何時描いたものかも忘れている絵を、引っ張り出してみました。
椅子の上に置かれたスキーに乗った仔馬が、午後の陽の差す椅子の上に居ます。
随分と雑に描かれているので、相当の手直しが必要となり、毎日固い洋筆の穂先で、破綻を無くすべく、削り落としては加筆、加筆しては、削り落とし、これでは始めから描き直した方が、楽だったかもしれないと、今より少し若かった頃の運動力ばかりの絵に苦慮しました。
この絵を描いた年月は蘇りませんが、対象物に向けた思いを確実に戻すことが、絵には可能なのだと。自分のこれ以上の皺を防ごうと日焼け止めを厚めに塗り、用紙の裏面は水で伸ばし、窓ガラスに張って、お日様に皺伸ばしを頼みました。
♪春の日
212春の日

折々の記 212 冬を超えた法蓮草
梅の花が、夜半の時ならぬ雪に震えている。それでも明野だ。春の雪は、山々の雪を更に美しく描き直して、早々に陽の光は、薄雪を溶かし犬の寝そべるスペースを作り出している。
自分で作り上げ、習慣化した挨拶の ねばならぬ事の山積の中で、病気見舞いを優先して書く。
しかし、抗がん剤に苦しむ 幼い頃からの友からは返信は無く、電話での夫の嘆き以外彼女からの声も受け取れない。尋ねる事も可能だろうが、私自身の気休めに過ぎず、彼女の苦境に何の手助けにもならないだろうと心急きながら、足を留めている。
昨年亡くなった友人は、一時帰宅時、酸素補給をしながらの苦しい息の中での思いを聞かせて頂いた後、間もなく声の届かない所へ旅立ってしまった。
先月の個展の際、五人もの来客の涙に触れた。もうご一緒頂けないお連れ合いや、親御さんの在りし日を語られ、年月の長さの中に己の老いをも、想わずにはいられない。
「ゴールは、スタートラインです」と豪語していた気迫も、当面した雑用の向こうに見え隠れしていた明日への目論見も、おぼろげに翳んで行く。
「兎も角 私が心病んでも」と、留守中に届いた黄色いチュウリップを描き始めていると、
「ほうれん草が、今の時期は飛び切りうまいよ。何時採りに来る」の電話に鬱屈した感情を払いのけるように出かけてみる。
寒さをエネルギー源にし、風を根性で飲み込み、冬の陽を一杯に浴びた葉は、厚みを為し葉脈を乗り越えて丸く膨らみ、深い緑色に光る。土から覗く根は、美しく紅い。
私も法蓮草のように、与えられた自然の状況の中で、自分を精一杯生きる外、策は無い。
そうしていることが、誰かの勇気に繋がれば、辿りつく先がなかったとしても、それが、私の不断のスタートラインなのだろう。
黄色いチュウリップは、ガラス越しの陽光に、いつの間にか開き切っている。
♪黄色いチュウリップ
212黄色いチュウリップ


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2016年02月25日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 211 個展終了
ご高覧有難うございました。
沢山の方々に御来廊頂きましたギャラリーび〜たでの個展が、終わりました。
お寒い中、拙作の為に貴重なお時間を頂きました御事に、絵を描いてきた喜びを、深く味わわせて頂け、最期を連呼しながら、これからの絵の方向に細い光の誘導が、見えました。
残務は中々終わらず、骨休めに、未だ蕾の固い夕間暮れの桃畑を、歩いていましたら睦月の雪の中でも咲いていた菜の花が、更に花数を増やし、私の細い光の誘導先を朧げに暗示してくれているようでした。掲載の菜の花の絵は、昨年の春描いたものです。
絵は、記憶を、記憶に止める事無く、新しい感慨と簡単に融合させるのだと、過去と、今と、これからと、菜の花を結び目に、時間がたった今に結合、凝縮しました。
♪暮れ時の菜の花
211暮れ時の菜の花

折々の記 211 少年
事務能力、一般的社会性の全くない私は、ねばならぬ挨拶、礼儀などに零れたものが無いか、個展終了から、ほぼ一週間も、過ぎた日々の逢瀬を振り返って辿っては、感謝やら驚き、失態などで鼻先まで、水に浸かっているように、苦しく足掻いている。
四肢を伸ばしては、水面に浮いて酸素を補給してみたり、期せずしてお会い出来た感動を思い出しては、改めて胸を熱くしたり、日を送るに従って、身にも心にも、処理しかねるほどの思いが、積載されて行く。『寝よう、昔から粗忽、粗末、粗暴、粗野を自認してきたのだから、失礼も失態も、分かり切っての皆さんのご厚意だ』と事務的処理を断念したが、電話の呼ぶ音で、潜ろうとした炬燵が遠くなる。
「孫が絵が好きで、私も上手いと思う。下ねーで(下の家・つまり我が家)やっとけーって(帰って)きたようだが、今から出向くから、ちょっと、見てもらえんかね」家中は散らかり放題、髪は乱れ、寝間着姿。大急ぎで 何とか体裁を整え、30年も昔ドキッとする程ハンサムだった棟梁を招き入れる。
一緒に来た少年の持つスケッチブックには、置き物の木のフクロウや、リスの縫い包み、アルプス連山などが鉛筆で達者に描かれている。
小学六年生の男の子は、面立ちが良く、愛らしい上、賢くて素直だ。
にっこり笑うと、両頬に潜む小さく尖った八重歯が僅かに光り、更に心のチャーミングさを露呈していると確信したくなる。
何もかもを落伍して、辛うじて残った絵に思いの総てを塗り込んできたから、純粋な魂に会う事が、許されるのだと。困憊した疲労は、少年の眼差しに心底まで、癒される。
もう一踏ん張りすれば、陽の当たる対岸に辿り着けると云う手前で、未踏の地を恐れて、何時の時もびしょぬれになり、冷えて戻って来た。離れる英断をしたはずの岸辺には、私が踏みしだいた草が倒れている。潰れ掛けた花は何時の時も優しく蘇って芳香を放っていた。
少年のこれからの希望と、淋しさと、愛と、多難と一緒に、私も自分で踏みしだいた草を宥めて又、此処から始めよう。
♪野の花
211野の花


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2016年01月16日

水彩画の心紀行

楽しい水彩画 210 個展
2016年2月10日(水)〜2月16日(火)
ギャラリーび〜た(中央区京橋2-8-5・京橋富士ビル
)にて個展をさせて頂きます。
03-3561-5050
ご多忙と存じますが、お立ち寄り願えましたらこの上なく幸甚に存じます。葉書(DM)の絵のタイトルは、憂世の諸々の、不幸、不安、を嘆じて★哀★にしましたが、総ての人の心に★愛★が満ちて居ましたら、憎しみや怒りを払いのける事が出来るのでしょうと自戒と祈りを込めて★あい★にしました。
♪あい
び-た裏

折々の記 210 認識力
一般的社会人に必要な社交力、事務能力、時事認識力、etcの少ない能力の中で、空間認識の中に日時認識を、繰込ませることは、広い大地の中に居る自分の立脚地を、常に地図上で確認し続けなければならない事と同様に、呪縛、拘束され続けているようで、その必要に迫まられると、少ない脳細胞が一斉に、知識、感情、状況把握から逃れる算段を企み始める。
それでも裏側に何にでも、何時でも、へばり付ついている好奇心が、辛うじて保っている理性や、用心深さを裏切るので、飛び出しては、転んだり、穴に落ちたり、煮え湯を飲んだり、を繰り返している。
独りで演じている愚行は、思い出を結構面白く色付けるので、一向に懲りないのだが、関わりの中に及ぼす迷惑は、猛烈に自戒を強いられるので重たく苦しい。
もう年齢の分くらいは、諸々に認識力を増やさなければならないのだろう。
今回の個展は、相変わらずの思い違いで、予定が数か月早くなった。
何れにしても絵以外の平時は、過ぎればよいと、手抜き、気抜き、時間抜きで余らした気力は、総て拙いながら絵に向けて来たので、出品作の内容を問わなければ、数は充分にある。
しかし好奇心以外の能力は、総て欠落、絵に魂と時間の大半を費やした曰くは、ただただ、その他の無能を定かにしない為の紗だったのかもしれない。
総ての厄介な憂世の出来事から、目を背け心を閉じようと描き続けた絵には、諸々の欠陥が、露わに描き込まれているのだろうけれど、もう展覧会までに時間は無い。これも見えなかった事にすれば、展覧会も、人生も割と楽にお終いに出来るだろうと思い込ませることにする。
白樺の白い幹と、冠雪の白さが、悲喜のどんな時も目と心を遣る連峰を、優しくしている。
♪白樺と八ヶ岳
BlogPaint


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2016年01月03日

水彩画の心紀行

水彩画の楽しさ 209 甲斐駒
山国に居ますから、何時も四囲は、山並に囲まれています。
何時見ても到底私には、登れ無い高さと、延々と続く大きさに畏敬を思い、近寄り難いはずなのですが、山間の地に長く安住していますと、関東大平野で育った私ですが、今は、きっと山が見えず、茫洋と開けた大地は、不安になるのかもしれないとさえ思うようになりました。
来迎は西方からと言う事ですが、西の甲斐駒に沈む陽光は、神仏の所在を想わずにはいられません。
♪神様がいる
209神様がいる

折々の記 209 小さな集落のイルミネーション
除夜の鐘を聞くよりも、年を終らせる私の行事に、どうしても行ってみたくなる、小さな集落が有る。
暮れになったら孫たちが帰ってきたくなるように、イルミネーションで家の周りを飾りたてた一軒の老人の家から始まった飾りつけは、車がやっと一台走れる幅の細い路地に重なるように並ぶ集落の家々に広がり、今は、無数の小さな光で出来た数々のアートで集落全体が、光の苑になったそうだ。
両サイドに歩道の有る大通りを挟んで、集落の反対側の見下ろしたところに川の流れる崖上の草地に車を止めたら、道路 向こう側の路地に光る、様々な色と形のイルミネーションのアートに誘い込まれる。
光の粒で飾られた家々は、戸を立てカーテンを引き、日常の明かりを消して、鳴りを澄まし、お伽の国造りの為に集落を挙げて一体で居る。収益を得る手立ては何もされていない。それ故に尚、夜を照らすお伽噺は、個々の心に膨らんで行く。
もうここに尋ねる事三年目、三度になる。たいしたことは出来ないが、光の一つになればと、そうそうの募金をして、ほっと、一年を、収めている。
光が輝く時間には、少し早いと、回り道に久遠寺を選ぶ。
お日様の無い寒い日だったけれど、久遠寺の厳かな大きな仏殿を背して、境内の彼岸桜が八重に一重に静かに咲いていた。
彼岸桜の小さな小さな花の宴は、小さな光が集まって出来たお伽の国の、イルミネーションにオバーラップして、何時までも意識のどこかで輝いている。寒い季節の花は、夜の中の光の粒のように、熱の無い暖かさを思えるのかも知れない。
老いない心は、老いる遥か以前に、何時になっても大人になれない思いが蔓延り、意識を占拠しているのだろう。
小さな集落のどこかの家の老人も、老いない心で小さな光を、壁に、戸口に、庭木に括り付けているのだろう。久遠寺の桜の木が、寒い空に花を付けているのと似ているように思える。
♪小さな集落のイルミネーション
209小さな集落のイルミネ-ション


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2015年12月23日

水彩画の心紀行

水彩画の楽しさ 208 人形
フランスで買えばフランス人形だと、少し怖い顔をしていたのですが、日本に馴染んだら、穏やかなお顔になるだろうと、古物市のテントから、連れて帰りました。
お顔に筆を入れると、何としても険しい面差しになるので、我が家にも、私にも馴染まなかったのかもしれません。表情だけ日本の作家が作った人形の顔に替え、友人に頂いた私の好きな青紫の花を配しました。
もう今年も終わりますが、内憂外患は、来年も解決できそうもないと、晴れない気持ちで描いていますと、人形もなかなか微笑んではくれません。でも少し優しい面差しにはなりましたから、良しとします。
♪蒼い花と人形
208蒼い花と人形

折々の記 208 パンジー
暮れになると、スーパーの店頭は、安価なパンジーで彩られる。
氷雨の中でも、風に吹かれても、小さな花は、顏の形を作ってこちらを見つめ、空気を賑わし温めている。
貧と貪が手伝って、日常、徹底した金銭の節約、対人へのねばならぬ気配からの逃避、無為に終わって行く時間の工夫、ことごとくに無能な私は、無駄、無理、無法を遠ざける努力をせざるを得ない。実行出来ない中の一つ、面倒見の悪さに長く持たせることのできない無駄を重ねても花だけは部屋の明かりのように手に入れたくなる。
野に咲く花ほどには、店頭の花には、魅了されないけれど、冬枯れの野には、ススキの銀色の穂ももう揺れない。
人好きの私は、出来るだけ人に合わない算段をしないと、過分に気持ちを弄し、言わずもがなを言っては反省に時間を取られたり、世間の有り様に心騒がせられたり、面倒くさい焦りなどを背負い込みたくないので、出来るだけの蟄居を言い聞かせているが、美しい山々に囲まれたここの風景は、何時でも出かけたくなる魅力に満ちて誘い出される。
九十歳は超えられたのだろう知人の見舞にも、花を買い病院を訪ねる。脊椎を痛めたと言う事で、真っ直ぐだった逞しい背は、ひ弱く曲がり、寝間着の外にギブスの形が、痛々しいが、古いカバーを被った厚手の本が、開かれたまま伏せて在り、古老に意識健在を確認させて頂き、少し嬉しくなった。
長年の透析で、手の甲は痛々しく黒ずみ、入院患者には、押しなべてマスクの要を言っているのだろう、小さな声はマスク越しで更にくぐもり「お元気なご様子でほっとしました」など適当を言い早晩引き上げる途中、知人に会う。
年末の掃除に「歳だから疲れた」と嘆く。
彼女より三十歳は年長の古老は、透析に病院に通う為に退院後、免許更新に出かけるという。
自慢できるほどの健康体ではない私だが、歳を取った自覚より「まだまだ若い」と、何時も思えている。顔型のパンジーが車の中で笑っている。
♪パンジー
208パンジ−


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