Defence of Japan3


#国民国家の為の政治を取戻そう
 

『国家国民の為の政治』と記述するのが一般的ではあるが、あえて『国民国家』と記す。
理由は国民の想い、願い、安全・安心を常に実現するのが国家であり、政治家国家は国民あってのものだからである。

わが国は世界で最も古く、最も独自の『民主主義』を重んじてきた国柄である。

古事記を例に挙げてみよう。

天照大御神がおひとりでお決めになった勅令はひとつたりともない。

八百万の神々が話し合いをし、結論をだしたものを天照大御神が詔として発せらるのである。

またわが国最初の天皇であらせられる神武天皇も同様に即位された際の詔の言葉には『八紘一宇』を求められています。

『八紘一宇』とは『天下をひとつに纏め、宇(いえ)と為す』つまり『国民は家族のようなものであり争いや戦争ではなく、話し合いで決めようではないか』という事を詔で訴えてます。

あくまでも国家は『国民の家づくり』の為である所以である。

後の第16代仁徳天皇の『民の竈』の話は大変有名である。

歴史の教科書で有名な聖徳太子の『十七条憲法』には『夫れ事(それごと)独り断む(さだむ)べからず必ず衆(もろもろ)とともに論(あげつら)ふべし』と明記されている。

近代に入り明治天皇が発せられた『五箇条の御誓文』の冒頭分には『広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ』と記述されている。

この理念を遡る事、実に紀元前660年から2000年以上前、神話の時代ですら他国とは違うまた他国よりも早く、天が君主と立てたのは民のためであり、民が苦しむ事、それ則ち日本型民主主義は国民の為の国家だと『古事記』『日本書紀』からも読み取れるのである。
国民無視の政治、無能な政治屋、言行不一致な政治家等、国民が意識を高め、日本に誇りを持って日本の伝統文化を大切にする
政治家を選択せねばなりません。

残念ながら現下の政治は長年、国民の想い、願い、安全・安心からは程遠く、国民多数は諦め、無関心になり投票さえ行かない国民が半数、また半数以上である。

諦めてはならない。