今回は徹子の忘れられない大切な人、脚本家の向田邦子さんの話。
失礼ながら徹子さんと仲良しだったとは知りませんでした。
テレビの中で生きる尊敬し合える戦友でもあった二人は家族のように、姉妹のように、時間を過ごしていたのですね。
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 昭和51年(1976年)、『徹子の部屋』がスタートした。
たまねぎヘアも定着しましたぞ。
あの髪型は視聴者にゲストとのトークに集中してもらうためでもあったのね〜。

 第一回ゲストは森繁久彌(吉田鋼太郎)。
相変わらずすっとぼけたエロ親父だす (* ̄m ̄)
放送を見た向田(ミムラ)は、すぐに徹子(満島ひかり)に感想の電話をくれた。

『この番組のことを最初に褒めてくれたのは向田さんだった』

 向田さんは脚本の催促対策として仕事部屋に当時としては珍しい留守番電話を導入していた。
コレ、私なんかは未だに緊張するわぁ〜
親しくない相手だと留守録には入れないもん。
しかし、それ故ドラマも生まれる。
徹子が9本連続で入れた留守録は彼女らしさ満載のエンターティメントとなっており、
向田はもてなしの一環としてお客さんに聞かせていた。
その中にはディレクターの伊集院(濱田岳)もおります。

 って、いつまでも公衆電話を占領する徹子のせいで
電話を諦めた方多数・・( ̄∇ ̄;)
実はその列の中に伊集院もいたという・・・
最終的に『また今度お会いした時に話すわ』って・・・ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ


『その頃のトットちゃんは民放各局をはしごし、慌ただしい毎日を送っていた。
向田さんの部屋は各局の真ん中にあって、ちょうど都合が良かった。
二人は毎日会っていた。
毎日のように、ではなくて本当に毎日会っていた』


 向田の部屋は徹子の部屋でもあった。
向田が脚本を書いている間、徹子は脚本を読んだり、猫と遊んだり、自由気ままに過ごしていた。

 徹子さんというとマシンガントーク的イメージで冷静で寡黙そうな向田さんと結びつかなかったんだけど、過ごし方のリズムが合うというかお互い一緒に居ても邪魔にならない、本当に気の置けない関係だったのね。


 ある時、徹子が向田のMSに行くと、扉にこんな張り紙が貼ってあった。

『 A もう一日かけてすばらしい原稿にしてください』

『 B こんなハリ紙つくる暇があったら一行でも書け クソババ』

 脚本催促の人が来ると向田さんは「Aですか?Bですか?」と尋ね、
たいていは「Bです」と叫ぶ答えを受け、
「わかりました。もうすぐですから」と応えていた。

 向田さんの茶目っ気が感じられるエピソードですなぁ・・

 脚本が仕上がったら、向田が料理を作り始める。
それを見ながらいろんな報告をする徹子とおしゃべりする。

 子供のように無邪気で自由な発想力のある徹子と過ごす時間は
心からリラックスできるものだったのでしょう。


トットチャンネル (新潮文庫 く 7-2)トットひとり
『向田さんの脚本家としての才能を最初に見出したのは森繁さんだった。
以来6年間、向田さんは森繁さんが主演するラジオドラマ「重役読本」の
脚本を書き続けていた』


 森繁さんは向田の脚本に満足していたが、いつも放送ギリギリになって完成するため、イライラする森繁との間を取り持つディレクターは大変だったようです。

 この頃の森繁は押しも押されぬ大物俳優になっていたと思うが、向田ははっきりと『余分なアドリブは入れないで私の書いた通りに喋ってください』と宣告していた。
それだけ森繁のために緻密に計算した完璧なものを書いているという自信があったのでしょう。
柔らかな物腰ながら気迫を感じさせる言葉にさすがの森繁もうなづいたさ。


 さて・・・ある日のこと、伊集院が「向田さんの決定的なとこ見ちゃった!」と
徹子に耳打ちしてきました。
向田に仕事の依頼がしたくて手土産の羊羹を手に、雨の中アパートの前で待っていたら・・・
夜、タクシーで帰宅した向田が傘を手についてきた中年のおじさんに訳ありふうに
「本気にしていいのかい?」と迫られてた・・・

「・・・コレ、すごいことじゃない?」伊集院
「そうね」徹子

 部屋に入ろうとする向田に男は、さらに切羽詰まった感じで
「奥さん!ホントに・・・本気にしていいのかい・・?」と問詰めたが
向田は降り切った感じで部屋に消えたんだって。

「あなた、ソレ、羊羹はどうしたの?」徹子
「羊羹・・・いや、そのまま持って帰りましたよ」伊集院
「食べたの?」
「食べるでしょ。そのまま帰っちゃったからね。
同じ羊羹持って行く訳にいかないでしょ・・」

 コレ、エッセイにも書かれていたエピソードですな (* ̄m ̄)プッ
準備のいい向田さんはタクシーを降りる時に右手に玄関の鍵、
左手にタクシー代のお金を握っていたんだけど、
降りる時に間違って家の鍵を渡しちゃったんだよね。
受け取った運転手さんは、なんか息を飲む感じだったらしい。
それで勘違いしたタクシーの運転手さんが追いかけてきたという・・・
間違いに気づいた向田さんは慌てて鍵を取り、お金を渡して逃げるように部屋に入ったそうな。


 あとでそれを聞いた徹子はホッとするやら笑えるやら・・・

『当時、何を話していたのかはほとんど覚えていない。
きっとたわいもないおしゃべりだったのだろう。
あの時間は・・・いったい何だったのか・・・
トットちゃんは今でも不思議に思う』


 はっきりとは思いだせないけど、心の中にずっと残っているあったかくて楽しい時間・・・
それは今でも徹子さんの心を幸せにしていてくれているのだろう。


『ある日、向田さんは突然引っ越しを決意し、
それまで書いた原稿をすべて捨てた。
テレビドラマは花火のように消えてなくなるから、いいらしい』


 潔いなぁ・・・
彼女の作品に惹かれるのはそういう潔さが作品を貫いていたからかもしれない。
パッと鮮烈に夜空を彩り、人々の目を楽しませ消えて行く。
だからこそ、その一瞬のために誠心誠意全力で仕事をする。
病や大切な人の死を経て、命の延長線上にある死を見つめ続け、
だからこそ「今」を大切にしようと自然と辿り着いた境地なのかもしれません。


 南青山に引っ越した向田さんは次々とヒット作を生み出していった。
相棒は猫のマミオ。
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『冬の運動会』、そして『阿修羅のごとく』・・・

 主題曲は一度聴いたら忘れられないトルコ共和国の伝統的な軍楽の曲。
繰り返されるリズムが、決して離れることができない「家族」という関係の怖さや
おかしみを表現しているようで、ぴったりの選曲でした。
この曲に導かれドラマを見て、これはすごい人だな、すごいドラマに出会っちゃったなと思ったのを覚えています。


『向田さんは誰もが認める人気脚本家となった。
書いたテレビドラマは1000本。ラジオドラマは10000本を超える。
そして初めて書いた短編小説で直木賞を受賞した』


 受賞パーティの司会は徹子でした。
森繁が相変わらずちょっとスケベな祝辞で盛り上げております。
向田さんはみなさんへの挨拶で5年前に乳がんの手術をし
これからの人生を思った時の話をした。

『トットちゃんは向田さんと初めて出会った日のことを思い出していた』

 向田が書いたラジオドラマの脚本の中の『禍福はあざなえる縄のごとし』の意味がわからず尋ねた徹子に彼女はこう答えたのだった。

「人生は幸福の縄と不幸の縄、二つがよってあるものだ。
つまり、幸福の裏には、必ず不幸があるってことじゃない?」向田
「・・・・・・・・そうかな・・・?
幸福の縄だけでよってあるってことはないんですか?」徹子
「ないの」


「この先の人生、明るく生きていくことができるのか、
人様に笑わせるものを書いて提供できるのか、
この先どれだけ生きられるのかも自信がありませんでした。

でも、このように皆さまに後押しいただいて、賞を受賞でき
今、大丈夫とご報告できるように思います。
本日は誠にありがとうございました」向田

 パーティ終了後、二人は王さん(松重豊)の店でお祝いをした。

「『禍福はあざなえる縄のごとし』・・・最初に向田さんが教えてくれたこと、
あれ正しかったみたい」徹子
「そうねぇ・・・人生悪いこともいいこともあるわよね」向田
「私ね、今日すっごく嬉しかった!」

「徹子さんの縄は・・・幸福ばっかりであざなってあるのかもしれない。
不幸はなくて幸福ばっかり・・・・」
「・・・・・・」
「私、やっぱり徹子さんがあばあさんになったところ書いてみたいわ。
とっても楽しみなの」
「ねぇ、私、どういうおばあさんになるのかしら?」
「どこにもいない日本人離れした面白いおばあさん」
「おばあさんになっても大食いなのかしら?」
「間違いなく大食い!!」王さん

 昭和56年(1981年)8月22日。
その日もニューヨークに旅立つ予定の徹子は台湾にいる向田の留守電にメッセージを残していた。
以前、向田が話していたもう一度食べてみたいと言っていた「進駐軍にもらった名前のわからない黒いニチャニチャしたお菓子」を買ってくるわね・・と。

『この時、向田さんの乗った飛行機は台湾の空に散ったのだった』

 そのニュースを聞いた時の衝撃を今でも覚えています。
お風呂から出たばかりの私にニュースを見た姉が信じられないという顔で教えてくれた。
もう向田さんの書くドラマが見られない?そんなバカな・・・
・・・無念さと喪失感に我ながらびっくりしました。

 あれから久世光彦さんが創る向田さん原作のドラマを楽しみにして見て来たけれど。
やっぱり向田さんの不在を感じてしまう。
向田さんが書きあげるドラマの世界が恋しい。


 王さんも声をあげた泣いた・・・
新聞で向田の死を知った森繁は王さんの店の彼女の指定席の
前に座り、ビールを手に別れを告げていた。
「花ひらき、はな香る、花こぼれ・・・・なほ薫る」

 この言葉は向田さんの墓碑銘に刻まれているそうです。

 そして徹子は毎日のように通った彼女の部屋に別れを告げていた。
おしゃべりしたり、一緒に食べたり、笑いあったり・・・
ただ一緒にいて過ごした時間・・・
あの部屋には二人だけの宝物のような穏やかな輝きが詰まっている。


『あのころ、向田さんの部屋は居心地が良くて止まり木にいるみたいだった。
ちょうど向田さんは写真家の恋人が亡くなったばかりで心にぽっかり穴が空いていた。トットちゃんはそれをずっと後になるまで知らなかった。
向田さんにとっても、あの部屋は止まり木だったのかもしれない』


 書棚の中にさりげなく置かれていた向田の美しい写真・・
きっと恋人が撮ってくれたものだったのでしょう。
あの写真と共に幸福だった時間と、そして失われてしまった時間を見つめてきたのか・・・

 徹子も向田の死で人生は『禍福はあざなえる縄』だと知ったのです。
だからこそ幸せはより美しく輝くのだということも。
そしてその幸せは決して消えないということを。


 徹子は向田の部屋におじぎをして去っていきました。
今回のエンディングには徹子おばあさんも参加。
向田が食べたがっていたあの謎の黒いニチャニチャしたお菓子を手にした子供達も一緒。

「向田さん、私、おもしろいおばあさんになる!」

 徹子さん、あなたは誰よりもおもしろくて特別なおばあさんになっていますよ。
天国の向田さんは、そんなあなたの姿を誰よりも楽しんでいると思います。


 第1話 テレビ女優第一号・黒柳徹子の笑いと涙の青春
 第2話 上を向いて歩こう!
 第3話 生放送は波乱の連続!
 第4話 徹子、変身!玉ねぎヘア誕生 
 第6話 私の兄ちゃん・渥美清 
 第7話(最終話) 徹子、森繁を叱る 
 
ねこちゃん