きのう何食べた?正月スペシャル2020『心の傷を癒すということ』 第2話 僕たちの仕事

2020年01月19日

『心の傷を癒すということ』 第1話 神戸、青春の街

 今回は精神科医・安和隆(柄本佑)の生い立ちと青春の日々が
描かれました。
簡潔に、でも人物と背景が伝わってくる繊細な場面の積み重ねでした。
次回は阪神・淡路大震災発生。
ここからが始りなのだと思う。
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 大阪。1970年。和隆10歳。
お父さん(安哲圭)(石橋凌)が帰宅したら母(朴美里)(キムラ緑子)と
兄弟三人で礼とともにお出迎え。

 帰る頃を見計らって母はちゃんと口紅を塗っていました。
そして帰宅した父は『メシ!』のみ。
家長として絶対的な存在である父。
その父に従い支える母。
『家庭』という国の中で守られながらも窮屈さを感じていた和隆が見えました。


 偶然見つけた母の外国人登録証から、兄弟は父も母も自分たちも
在日韓国人だと知った。

 余計なことはなんも言わなかった母。
『在日韓国人』であること、
『安藤』は偽名で、その理由は「色眼鏡で見られるから」、
本当は『安』という苗字だと。

 でも和隆の心に自分たちは嘘の名前をついて生きなければならない存在なのかという疑問と
自分にとって大切な人たちに嘘をつかねばならない罪の意識、
複雑な思いが生まれた。


 高校生になった和隆は『こころ』への興味を強める。
親友の精神科医の息子・湯浅浩二(濱田岳)と共に医学部進学を希望していた。

 何やら教師に提出する「反省文」のことを浩二から言われとったが
「どうでもええわ」と書こうとしない和隆。

 反骨精神はありながら、本心を出すことへの迷いと恐れから
もやもやしている模様。
『どうでもええわ』は捨てようとしても捨てられない和隆のこだわり
なんじゃないだろうか。
そんな自分の心の動き、そして対する人間たちのこころというものへの
探求心が育っているようです。


 家庭では相変わらず父中心に回っている。
優等生の兄・智明(森山直太朗)は父の希望通り東大に入り、
父の勧める「原子力工学科」に進むことにした。

『世界の大舞台に立てる立派な学者になるんやぞ』父

 父を恐れつつも父から示される生き方(祖国に貢献する)に
違和感を感じる和隆。
夜の公園の浩二との場面が清々しかったなぁ。

 親友の浩二にも言えなかった在日韓国人であることをやっと伝えられた和隆。
『安和隆』として自立して生きるために医学部を目指し
人知れず努力し続けてきたことが伝わってきた。
そして本来の自分として生きたいというほのかな覚悟も。


『どっちで呼んで欲しい?「安田」か「安」か』浩二
『どっちも嫌いや。
自分が誰なのか、まだようわからへんねん。
まぁ、せやけど嘘の名前を使うてるっていう後ろめたさがない分
安の方がましやわ』和隆

精神科医・安克昌さんが遺したもの: 大震災、心の傷、家族との最後の日々心の傷を癒すということ (角川ソフィア文庫)


 1981年、神戸。
夜の公園で浩二が言っていた通り、
大学に入った二人はジャズバンドを組んで演奏しております。

 いや〜ジャズピアノ、かっこええわぁ!
佑さん、ホントに弾いてるみたい。馴染んではる〜


 和隆は高校の頃から愛読してきた『良き治療者であるために』の
著者・精神科医の永野良夫先生の講義を受けた。

 講義後、率直に、永野先生の、その知性と優秀さからの孤独について
質問する和隆は先生の印象に残ったようでした。

 自分の苗字を『「不安」の安です』と伝えた
ことからも、和隆の背景と悩みを感じとったんじゃなかろうか。

 そして妻となった終子(尾野真千子)との出会い。
映画館で『東京物語』を見終わった後、
電車の音で原節子のセリフが聴こえなかったため
和隆に聞いたんだよねぇ・・・

 でも、和隆も聞こえていなかった。
そしてまた同じ映画館で再会。
二人とも原節子が何て言ったのか確認したかった模様。

 これだけでも、あ〜この二人は合うなって感じだよね。
和隆の『どうでもえぇ』にも前向きな解釈してくれたし。

 でも、同じ映画館で同じ映画だと上映する時間も同じだから
また電車通るんじゃないの?って思ったら案の定だったね( ̄▽ ̄;)


 さて、永野先生との関係もちょいと深まりましたぞ。
永野先生の講義をわかりやすく解説した『安ノート』の存在を
知った先生が接触してきたのさ〜

 てか、永野先生とってもおしゃれ。
鹿撃ち帽がお似合い。
身をを縮めている和隆にナポリタンスパゲティを作ってくれました。

 私はその人のためにご飯を作るのは、こころを渡すことと
思っているので、この時、永野先生は自分の弟子として和隆を
見込んでいたんじゃないかな〜と思ふ。


 内心、精神科に進むことを決めていたのに永野先生に聞かれた時
和隆は『まだ決めていません』と答えていた。
やっぱり父に伝えてからって思ったんだろうね。

 勇気をしぼり出して伝えたら、やはり父は大反対。
『よりによって精神病院の先生とはな。
そんな人に言いにくい、ようわからん仕事』
『心なんかどうでもええ!
なんで智明みたいに世の中の役に立とうとせぇへんのや!』

 いや〜よくやった!よく戦ったよ!
清水の舞台から飛び降りるどころじゃないよね。
決死の覚悟だったろうと思うよ。

 私は母親と戦う気力なかったもんなぁ( ̄▽ ̄;)アハハ…
過去に戻りたいとは思わないけど、もし戻れるなら
死ぬ気で母親と戦いたいと思う事あるよ。


 『終子(終わりの子と書いてしゅうこ)』という名前が嫌と言っていた
終子も在日韓国人でした。

 穏やかだけど包み込むように前向きな強さがある終子との出会いが
和隆に力を与えてくれた。
和隆は永野先生に精神科に進むことを伝えました。

『先生、僕は世の中の役に立つために仕事しようとは思いません。
ただ、心が知りたいだけなんです。
人間の心が僕には何より大事で、不思議で。
興味深いものに思えるんです。
・・・それだけで精神科に進むのは間違いでしょうか?』
『・・・それでいいんじゃないの。
君がどんな精神科医になるのか、楽しみだ』

 『役に立つ』は父親への反発から出た言葉だろうけど
『人間の心が知りたい』という素直な言葉は医師として
すごく大事なことなんじゃなかろうか。
なぜだろう、どうしてだろう、知りたいという思いには
終わりがないから。
そういう気持ちから出発した和隆は幸せなのかも・・と思ったよ。


 研修医になり、終子へのプロポーズと結婚。

 結婚式の時の写真には和隆のご両親いなかったようだけど
子供が生まれた後の写真には一緒に写っていたから、
父親と和解できたのかな。


 そして1995年1月。
医局長として活躍する和隆は他の医師たちからも信頼され、
注目される存在となっていた。

 自分の名前を『「安心」の安』と伝えていたもんね。
研修医の時から患者ひとりひとりと丁寧に向き合ってきた和隆の
変わらぬ真摯な姿勢とそれが認められていることが嬉しかったよ。

 そして1月17日の朝が来た。

『震災は人々から
多くのものを奪い去った
失ったものはあまりに大きく
それを取り戻すことはできない』


 取り戻すことはできないけれど、
もしかしたら新しいものを芽生えさせる
地盤をつくっていく手伝いはできるかもしれない。

 和隆自身も多くのものを失ったのでしょう。
あんなに流ちょうに激しく弾いていたピアノも
オープニングの震災後と思われる場面では
休憩を入れて辛そうでした。

 先日、なにかの番組で『結局、人間を救うのは人間なんだ』
という言葉を聞きました。
いろんな意味に取れると思いますが、
人間は人間に信じられてこそ、と私は解釈しました。
人間の生きる力を信じる、生きようとする力があると信じること。

 一話一話大切に見ていきたいと思います。


 第2話 僕たちの仕事

こたつ

matakita821 at 16:18│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 「心の傷を癒すということ」 

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