トリ猫家族

TVドラマや映画のあらすじや感想、ときどき同居猫のことなど・・。

「トットてれび」

「トットてれび」 第7話(最終話) 徹子、森繁を叱る  

  さてさて・・・オープニングは昭和51年(1976年)の『徹子の部屋』。
第一回目のゲストは森繁久彌さん(吉田鋼太郎)だったんだね〜
森繁は徹子に頼まれ「知床旅情」を歌っております。

 森繁と言えば「知床旅情」だもんね。
てか、わたしゃそれしか知らないという・・・
『駅前シリーズ』も『社長シリーズ』チラリとテレビで見た程度で
ちゃんと見たことないしな〜『だいこんの花』は見た・・・かなぁ・・・
あとは正月の向田邦子さん原作のドラマとか・・・
あ!『猫と庄造と二人のをんな』は見たぞ!あれはおもしろかった。


 それから25年後、平成13年(2001年)の『徹子の部屋』のスペシャルゲストも森繁。
88歳になっております。
お付きのマネージャーが松田龍平さん!にゃんと豪華なヽ(*゚∀゚*)ノ

 この頃の森繁はホントにボケてるんだか、ボケたフリをしているんだか謎のところがあった。
年齢から言えばボケてて当たり前。でも森繁だからな。何やらかすかわからん。

 こうやって見てみると、やっぱり森繁は相変わらずテレビの中で自分なりに遊んでいたのかもしれない。
スタッフの段取りを崩してみたり、たまに素面になってみたりして。
でも「重鎮」扱いになっちゃってツッコんでくれる人もいなくなりつまらんと思っていたのか。
てか、こんなふうに視聴者をざわざわと変な気持ちにさせるのを楽しんでいたのかも。


 その日の森繁も例によって反応が鈍かった。
聞こえてんだか聞いてないんだか・・・

 徹子はディレクター(前野朋哉(最近よく見ますな( ̄▼ ̄) ))の指示で
「カンペの話」を振りましたぞ。
森繁はセリフを「覚えてこない人」で有名だったらしい。

 昭和36年(1961年)、NHKドラマ「王将(将棋棋士・阪田三吉とその妻の物語)」で
森繁と共演した徹子(満島ひかり)は呆れ返った。
森繁用のセリフカンペの数が尋常じゃない。
壁はもちろん、柱、カウンター、鍋の中の白菜にまでセリフが?!w( ̄▽ ̄;)w

 大物然とスタジオ入りした森繁に徹子は食ってかかったさ。

「お、チャック、一回どう?」森繁
「そんな一回どう?一回どう?って不真面目なことばっかりおっしゃってないで、
一回どう?カンニング無しで演技なさったらどう?一回どう?!」
徹子
「・・・・・・・・わかったわかった・・・」


 って、コレも生放送かーい?!
本日は森繁演じる三吉が飲み屋で苦労をかけた妻への思いを語るクライマックスシーン。
ところが、その大事なセリフが書いてある衝立をカメラマン(ピエール瀧)が
どかしちゃった・・・( ̄∇ ̄;)ハハハ
ディレクターはいつもの伊集院(濱田岳)。
徹子の役は妻・小春、飲み屋の親父は渥美清(中村獅童)ですぞ。


 入って来た森繁はすぐに大事なもんが無いことに気づいた。

・・・・・衝立・・・」森繁
「・・・・・・・・」伊集院
「衝立っ!」
「・・・へえっ?!・・・・
ヘ( ̄□ ̄;)ノ ヽ(; ̄□ ̄)ヘ 衝立知ってます?ここにあったやつ?」
「片づけたよ。邪魔だろうが!」カメラマン

 慌てて衝立を探しに行く伊集院。
森繁のセリフは止まったまま・・・
徹子と渥美は何とか繋いでおります。

「アンタ、何とか言うてんか・・」徹子
「・・・・・・・・・」森繁
「な、何かあるやろ?」
「・・・・・・・・・」

 「終」を出そうとした他のディレクターを蹴っ飛ばし、伊集院が衝立を運んだ来た!
気配を感じて芝居を再開した森繁はカンペを見ながら小春への思いを伝えたさ。


 コレ、ある程度は覚えてるんだろうねぇ。
まるっきり覚えてなかったら明らかに読んでいるふうになっちゃうもの。
森繁がカンペを待っている間の微妙〜な間が効を奏したのか視聴者からは森繁の演技に感動したという声がたくさん届いたそうな。
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「トットてれび」 第6話 私の兄ちゃん・渥美清 

 昭和54年(1979年)、『徹子の部屋』新春放談からスタート。
ゲストは兄ちゃんこと渥美清(中村獅童)。
駄菓子屋のおばあちゃん(黒柳徹子)も神妙な顔でテレビを見つめておりますョ〜。

 二人の出会いは24年前(1955年)。
徹子(満島ひかり)がNHKの専属女優になってから2年後のことだね。
ストリップ劇場の芸人だった渥美はテレビ局の勝手がわからない。
靴を脱いでスタジオに入り、徹子に驚かれていたぞ。

『下町出身の渥美さんは山の手ふうに育ったトットちゃんとは正反対。
でも、テレビの世界では同級生だった。
今日はトットちゃんが兄ちゃんと呼んでいた渥美清さんのお話』


 大好きな渥美清さん。
彼は仕事とプライベートとを厳格に分けていた。
何十年も共演した「とらや」のメンバーはもちろん、
数少ない芸能界の友人である徹子やストリップ小屋時代からの仲間関敬六にすら
自宅も連絡先も教えなかったらしい。
彼の死が発表されたのは家族だけの密葬を終えたあと。

 喜劇俳優は画面の印象とは正反対に物静かで孤独を好む人が多いという。
演じている自分と本来の自分、その距離をコントロールし、自分なりに納得のいく仕事を続けていくために選んだ方法だったのでしょう。

 渥美清が全うした『車寅次郎』という役、最初は演じることに葛藤もあったようですが、
彼はこの人物を最期まで守ろうとした。
その思いは彼より外に知る人はいないでしょうが、車寅次郎を守る中で捨ててこなければならなかったものへの思い、生まれてしまった苦しみが『車寅次郎』をさらに魅力的に味わい深い男へと変えていったと思うのです。

 冗談ばかり言って人を笑わせるのが大好きで、人懐っこくて、困っている人をほっとけないのに自分の面倒も見られない。
身内に迷惑ばかりかけている、どうしようもない男。
恋に落ちても、いつも勘違いの末失恋。いつも同じことの繰り返し。

 観客はバカだねぇ・・と呆れ、笑いながら車寅次郎を心から愛した。
時代が流れ、テキヤという商売も、全国を転々としながら人々と触れ合い思い出を残して行くという生き方が時代とかけ離れてしまっても、人々は「車寅次郎」を求めたし、彼も応えようとした。

 渥美清さんの病気のことは知りませんでしたが、「男はつらいよ」は徐々に満男の話がメインとなり、画面の中の「寅さん」は明らかに痩せてパワーを失って行った。
見るのが辛かったし悲しかった。
渥美さんの死が発表された時、いろんな事情があったにせよ、そんな彼を映画に引き留め続けた山田洋次監督を私は憎んだ。

 でも、それは渥美清さん自身も望んだことだったのでしょう。
「男はつらいよ」は50作まで創られる予定だった。
最終作のマドンナは幼稚園の園長役の徹子さんで、そこの用務員をしている寅さんが 園児たちと遊んでいるうちに死んでしまう。
その後、町の人達が寅さんを偲んで地蔵を建てるという話だったそうな。

 ちゃんと映画の中で寅を死なせてやりたい。
それまでは死んでも死ねない、そう思って病の中でも渥美さんは
次回作の準備をしていたのかもしれません。
幻の第50作目、見たかったなぁ・・・
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「トットてれび」 第5話 向田邦子と徹子・友情の物語 

 今回は徹子の忘れられない大切な人、脚本家の向田邦子さんの話。
失礼ながら徹子さんと仲良しだったとは知りませんでした。
テレビの中で生きる尊敬し合える戦友でもあった二人は家族のように、姉妹のように、時間を過ごしていたのですね。
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 昭和51年(1976年)、『徹子の部屋』がスタートした。
たまねぎヘアも定着しましたぞ。
あの髪型は視聴者にゲストとのトークに集中してもらうためでもあったのね〜。

 第一回ゲストは森繁久彌(吉田鋼太郎)。
相変わらずすっとぼけたエロ親父だす (* ̄m ̄)
放送を見た向田(ミムラ)は、すぐに徹子(満島ひかり)に感想の電話をくれた。

『この番組のことを最初に褒めてくれたのは向田さんだった』

 向田さんは脚本の催促対策として仕事部屋に当時としては珍しい留守番電話を導入していた。
コレ、私なんかは未だに緊張するわぁ〜
親しくない相手だと留守録には入れないもん。
しかし、それ故ドラマも生まれる。
徹子が9本連続で入れた留守録は彼女らしさ満載のエンターティメントとなっており、
向田はもてなしの一環としてお客さんに聞かせていた。
その中にはディレクターの伊集院(濱田岳)もおります。

 って、いつまでも公衆電話を占領する徹子のせいで
電話を諦めた方多数・・( ̄∇ ̄;)
実はその列の中に伊集院もいたという・・・
最終的に『また今度お会いした時に話すわ』って・・・ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ


『その頃のトットちゃんは民放各局をはしごし、慌ただしい毎日を送っていた。
向田さんの部屋は各局の真ん中にあって、ちょうど都合が良かった。
二人は毎日会っていた。
毎日のように、ではなくて本当に毎日会っていた』


 向田の部屋は徹子の部屋でもあった。
向田が脚本を書いている間、徹子は脚本を読んだり、猫と遊んだり、自由気ままに過ごしていた。

 徹子さんというとマシンガントーク的イメージで冷静で寡黙そうな向田さんと結びつかなかったんだけど、過ごし方のリズムが合うというかお互い一緒に居ても邪魔にならない、本当に気の置けない関係だったのね。


 ある時、徹子が向田のMSに行くと、扉にこんな張り紙が貼ってあった。

『 A もう一日かけてすばらしい原稿にしてください』

『 B こんなハリ紙つくる暇があったら一行でも書け クソババ』

 脚本催促の人が来ると向田さんは「Aですか?Bですか?」と尋ね、
たいていは「Bです」と叫ぶ答えを受け、
「わかりました。もうすぐですから」と応えていた。

 向田さんの茶目っ気が感じられるエピソードですなぁ・・

 脚本が仕上がったら、向田が料理を作り始める。
それを見ながらいろんな報告をする徹子とおしゃべりする。

 子供のように無邪気で自由な発想力のある徹子と過ごす時間は
心からリラックスできるものだったのでしょう。


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「トットてれび」 第4話 徹子、変身!玉ねぎヘア誕生 

『今日はテレビが白黒からカラーになった頃のお話』

 オープニング、徹子(満島ひかり)が司会をしていた『はてな劇場』でも
パンダの特集をしていましたが、徹子さんと言えばパンダですよね〜
TVを見続けている人ならパンダの画像を見ていると自動的にに徹子さんが思い浮かぶぐらい刷り込まれてる。
ドラマで再現しているように、TVで初めてパンダを紹介したのも徹子さんなのかしら・・?

 ネット情報(@『しらべぇ』)によると徹子さんが初めてパンダを知ったのは小学校に上がる前。
カメラマンだった叔父さんのアメリカ土産にもらったぬいぐるみだったそうな。
熊だか猫だかよくわかんない生き物に惹かれて以来、徹子さんにとってパンダは
ずっとアイドルであり、お守りのような存在でもあったのかな。
だから、この番組の語りをしているのもパンダ(声・小泉今日子)。

 今回は徹子が出会った大好きな人達のエピソードも満載ですぞ。
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 昭和38年(1964年)、31歳になった徹子はTVの中で相変わらず忙しい日々を送っていた。

『東京オリンピックをきっかけにカラーテレビは爆発的に普及した。
民放各局も次々と開局。ドラマの仕事は山のように増えた。
テレビドラマは、やっと生放送から収録になり撮影時間はすごく延びた』


 そっか〜
生放送ならリハーサルと本番だけだけど、撮り直しができるようになったからTV局にいる時間はさらに伸びたのね〜


 王さん(松重豊)のお店もカラーテレビ導入。
相変わらず店の中心にテレビがあります。

『沢村さんとは共演が多かったので、トットちゃんは
ふだんから母さんと呼ぶようになった』


 ドラマ収録中に布団に寝ている沢村貞子さん(岸本加世子)の顔に和室用の照明の枠みたいのが落下。
結構な衝撃だったからスタッフが大慌てして救急車呼ぼうとしたんだけど・・・

「ちょっと、待って待って!
そんな事より(顔が)腫れてくる前に今日の分撮りましょう。
何モタモタしてんの!早く早く!ほらほら、早くして!」
沢村

 かっけえ〜!さすがプロ。
そういえば沢村貞子さんを主人公にした朝ドラもあったねぇ・・・
『おていちゃん』・・・見てたよ〜


 収録が終わったら、沢村さんは楽屋で自分のレシピノート(日付と作ったものと材料が書いてあるもの)を見ながら、今晩のメニューを考えていた。

「毎晩、帰ってからご飯作ってるの?」徹子
「私にはとうさんがいるでしょ。
だからね、家の事70%、仕事30%でやってんのよ。それでいいの」沢村
「ふ〜ん・・・」
「もしかしたらさ、女優はいつかやめるかもしれないけど
とうさんの妻である事はやめないって決めてるから。
そっちの方が大事だから」

 女優という仕事をプロフェッショナルにやり遂げながらも
夫との暮らしを大切にする生活人としての沢村さんを尊敬するうちに
徹子も自分の生活というものを考えるようになったのかもしれませんなぁ・・・


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「トットてれび」 第3話 生放送は波乱の連続! 

 いや〜生放送って楽しい!
ディレクターは燃え尽きちゃいそうだけどね・・・( ̄∇ ̄;)
みんなテレビに出演しているというよりも、テレビの中で生活しているって感じ。
その場で瞬間を生きる能力に長けている徹子さんが存在感を示したのは当たり前のことだったのかもしれません。
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 さて、昭和36年(1961年)、28歳になった徹子(満島ひかり)は
バラエティ「夢であいましょう」、ドラマ「若い季節」という2つの生番組で
レギュラーとして活躍していました。

『この頃、テレビは生放送だった。
スマートでおしゃれなバラエティも、人気ドラマも、全部生放送だった。
生放送にハプニングはつきもの。
そこで、スタジオの床には、こんなものがたくさんあった』
語り(小泉今日子)

『終』

「もうさ、生放送でしょ?
ハプニングが続いてね、いよいよ続けられないってなったら、
コレ、やっちゃうの、ハイ!」
伊集院(フロアディレクター)(濱田岳)

 画面に『終』を出して、強制終了しちゃうのね・・( ̄∇ ̄;)ハハ・・
なんだよ〜?!ってなるだろうけど、一部始終見守っていた視聴者は
しかたないね〜って受け入れてたのかもね。


『コントや歌、ダンスなどを組み合わせた音楽バラエティ「夢で会いましょう」。
数々の名曲やスターが生まれました』


 さて、その「夢で会いましょう」のリハーサルが行われております。
ゲストは坂本九(錦戸亮)。
で、いつものように「上を向いて歩こう」を『上ほ向ふひへぇ〜♪ はぁあるこほほほほぉう〜♪ 涙がぁ〜こぼれないよほほほにぃ〜♪』って歌っていたら・・・・
作詞をした永六輔先生(新井浩文)が怒りだしちゃった。

なんだ!その歌い方はっ!!ふざけてるのかい?!君はっ?!
『上ほ向ふひてぇ〜 はぁあるこほほほほぉう』?!
そんな歌詞書いた覚えはないよっ!!」


 リハーサル中断・・・九ちゃん平謝り・・・(* ̄m ̄)プッ
そんなことがあっても2時間後には本番が始まる。
それまでの間、徹子とレギュラーのみんなは王さん(松重豊)の店で晩御飯を食べて過ごすのが恒例だった。


 渥美清(中村獅童)やE・H・エリック(パトリック・ハーラン)、三木のり平(小松和重)、
そして九ちゃんらとのふざけた会話を離れたテーブルから聞いて笑っている向田邦子(ミムラ)。

 脚本家さんって一人作業だから当たり前なんだろうけど、向田さんは特に孤高というイメージが強い。
いつもこの中華飯店の場面では、朗らかで気さくな雰囲気ではあるんだけど、
ミムラさんの向田邦子からは一人で居ることを守る美しさが伝わってくる。
自分に厳しい人だったんだろうな・・と思う。


 そこにクレイジーキャッツのハナ肇(杉山裕之)、植木等(坪倉由幸)、谷啓(谷田部俊)がボヤきながら入ってきた。
明日の「若い季節」の脚本が5枚しかできてないんだって〜

『当時、「夢で会いましょう」のメンバーの多くはドラマ「若い季節」と
掛け持ちで出演していた』


「あ、俺どうせカンペだから、平気平気!」三木
「ですよね〜!」

 NHKへの帰り道、迷い犬に遭遇。
犬と話せるトットの九ちゃんに抱っこされたいという通訳で、わんこは九ちゃんに託された。九ちゃんはそのまま、その犬を抱いて番組に出演したそうな。

 ほのぼのしてるぅ〜
てか、トットが犬と話せるってのが普通に受け入れられてるのが
さすがやねぇ・・(* ̄m ̄)


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「トットてれび」 第2話 上を向いて歩こう! 

『今日はテレビが始まった頃のお話です。
トットちゃんは、まだ二十歳そこそこだったけれど
ドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」の出演をきっかけに
NHKの3人娘として売り出し中でした』語り(小泉今日子)


 22才の徹子(満島ひかり)はNHK専属女優として売れっ子になっており、
様々な番組で司会を務めるほどになっていました。
オープニングの『夢で会いましょう』では徹子らしいおしゃべりのスタイルが生まれていました。

 当時の番組内容とセットは忠実に再現されているようです。
一升瓶のラベルに出演者の名前が書かれているというのもそのままでしょうか?
今見ると、一升瓶て・・って感じだけど、ユニークですな。

 徹子はNHKに通うのが楽しくてたまらないようです。
ウキウキとした軽い足取り・・・


 さて、3人娘が揃い朝の挨拶をしていると玄関ホールに何やら動きが・・・
多分NHKのお偉いさん達でしょうか。慌てて入口向かって走って行く。
どうやら大物出演者をお迎えに行くようです。

 現れたのは大勢の女優たちを引き連れた森繁(吉田鋼太郎)・・
トット達も物珍しそうに遠くから見つめております。

 私が物心ついてTVを見ていた時には、もう森繁はおじいちゃんだった。
ホントにボケてるのかボケたフリをしているのか
最期までわからんかったゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ
つまづいたフリをして女性に支えられる(ボディタッチする)芸(?)はこの頃からだったようです。


 きれいな女優さんたちの数を数えながら徹子が歩いていると、
森繁がステッキで徹子のスカートをめくったぞ。

「これは白だね」森繁

『大物俳優森繁久彌さんの第一印象は近所のちょっとエッチなおじさんだった』

 びっくりしたトットちゃんでしたが、このどこか飄々とした変なおじさんに
自分と似た匂いを感じたのでしょうか。
大人の顔をしているやんちゃ坊主。
この人もテレヴィジョンの中で遊んでいる・・・
陰から森繁を覗くトットちゃんはどこか期待に満ちていました。


『素人同然のトットちゃんにも共演の機会は訪れた。
でも素人も大物もテレビのスタートラインは一緒。
トットちゃんと森繁さんは同期生のようなものだった』


「ねぇ、一回どう?」森繁
「と、おっしゃいますと?」徹子
「キスの事じゃありませんよ」
「・・・(゚∇゚ ;)・・!」

『この森繁さんの「ねぇ、一回どう?」が、それから生涯続くとはまさか思わなかった』

 テレヴィジョンの世界にはいろんな人間がいる。
びっくりすることも多いけど、そのびっくりはトットの心の栄養になっていました。
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「トットてれび」 第1話 テレビ女優第一号・黒柳徹子の笑いと涙の青春

 あっと言う間の30分でした。
テレヴィジョンというおもちゃ箱の中を期待と好奇心一杯に
戸惑いながらも歩き始めたトットと、
新しい時代を創って行こうというテレビマン達の使命感と
彼らから伝わってくる強いエネルギーがぴったり重なり、
何が起こるんだろう、どんなものを見せてくれるんだろう・・・
初めてテレビと出会った子供のようにドキドキしながら見ていました。

 夢や希望に繋がっているテレビジョンという魔法の箱。
その裏側にはどんな人達がいて・・・いったいどんな思いがあったのかしら・・・
テレビジョンに住む妖怪・・・じゃなくてざしき童?
いやいや、もはや妖精のようにテレヴィジョンと共に生きて来た黒柳徹子さんの物語です。


 さて、昭和15年(1940年)4月。
トットこと黒柳徹子(満島ひかり)は小学校1年生なのに退学になってしまった。
でも母・朝(安田成美)は娘をわかってくれる学校を探すとゆったり構えている。
父・守綱(吉田栄作)も困惑しつつもこんな言葉を徹子に伝えた。
「神様はどんな人間にも飛びぬけた才能を一つ与えてくださっている。
でもたいがいの場合、人間はその才能に気づかず違った職業を選び一生を終わってしまう」

『トットちゃんはお父さんのこの話に自分の生きる道を見つけた思いがして
才能を探した。
クラシックバレエ、絵画、鉄棒、英文タイプ、犬の調教師、
プールの飛び込みの選手・・・
これは最高5mぐらいの所から飛び込んだことがあるが、プールサイドの見物人から
「アンタみたいな恰好で飛び込んで死んだ人がいるよ」と言われてやめた。
競馬の騎手、自転車の曲芸乗り、タップダンス・・・
どれひとつとして才能の片鱗さえ見せてくれるものはなかった・・』


 語りは徹子さんの大好きなパンダ。声は小泉今日子さんですぞ。
小泉さんのおおらかで、すべてを楽しんで受け入れているような雰囲気が
このドラマにぴったり。


 そんなある日、人形劇を初めて見た20歳の徹子は心を奪われた。
でも、自分で人形たちを扱うのは難しそう。
それならせめて子供に絵本を上手に読んであげられるお母さんになりたい。
そのためにはどこで勉強したらいいかしら・・・

 調べるために新聞を開いた徹子は偶然、「テレヴィジョンに備え俳優研究生を募集」というNHKの広告を見つけた。NHKなら上手に絵本を読むことを教えてくれるかもしれない・・そう思ったトットは専属俳優の試験を受けることにした。
そこには6千人以上の応募者がいたそうな。

 まだテレビ放送始まっていないからどんなもんだかもわからないだろうに、
それでもそんなに殺到するとは・・・
みなさんチャレンジャーね。(* ̄m ̄) それともNHKだから?
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