2009年02月22日

sさん、お互いにがんばりましょう。

以下が潰瘍性大腸炎関連です。

materuというのが僕のネームです。

8/15

ぎんなん治療院 掲示板へのメール

潰瘍性大腸炎 ステージ2

8/10

潰瘍性大腸炎ノート

10年前の潰瘍性大腸炎の症状と対策

 



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2008年10月06日

NHK受信料の値下げを見送りへ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=626927&media_id=4

ひどい話だ。ついこの間まで、一割程度の値下げでは国民は納得しないからもっと下げるべきだ、と大臣級が言っていた筈だ。
そうこうするうちに、受信料徴収はカードか銀行振り込み・引き落とし以外は駄目になったはずだ。つまり徴収員はおはらいばこになって経費が浮いたのだ。
この浮いた分と下げるといっていた約束はどうなったのだ。
マスコミはなぜ追求しない。新聞の片隅に事実だけを載せるマスコミの見識を疑う。


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シュワ知事SOS? 7400億必要に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=626737&media_id=4

気になったところは「資金を調達できなければ、学校など州の施設への支出が直ちに停止、職員は一時解雇されることになる」というところだ。
州としての共同社会的な事業は州社会、住民からの税金にたよっており、住民との取り決め合意の枠外にお金が多く出る事態になれば当然の如くに共同社会的な業務を担っている部署は一時的にせよ、淘汰のうきめにあう これが自由な社会の原則である。
「公務員の身分は法律で守られている」と当然の如く考えられている日本とは大違いだ。これを公務員が言うのならともかく、制度上立法といういわば公務員の人数の増減を握っている地方、中央の議員がシャーシャーというのは見識を疑う。
この意味でも米制度の透明性・先行性は納税者を納得させる。



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2008年09月24日

mixi  ニックネーム は materutyannで検索してください

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2008年08月16日

レナードが Lドーパを体内に取り入れることで
表情が戻り、自分が戻り、人間性が戻ってくる。
性の意識が表れてくる。
その障害になったのは

母親による我が子である彼への関係が、依存関係になってしまっていること

一人の対等の大人として接することのできない医者たち。正常な状態にもどすことが本分と考えている医者たち。患者であることの前に人間であるという理解の欠如。

一人の対等な大人として扱おうとする主治医と薬がどんな作用を及ぼすか未知の体験をしている研究者としての主治医。とまどいと葛藤。

レナード本人と一人の若い女性との関係、自然性

女性関係が苦手な主治医と看護婦の関係。レナードとの関係で変化。

岡村昭彦が精神病院内の分裂病患者の恋愛に対して逡巡する医師に対してそくざに認めるよう迫ったエピソードを思い出させたな。


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2008年05月29日

延命十句観音経

かんぜーおん  なーむーぶつ
観世音 南無仏
よーぶつうーいん    よーぶつうーえん
与仏有因 与仏有縁
ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう
仏法僧縁 常楽我浄
ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん
朝念観世音 暮念観世音
ねんねんじゅうしんきー ねんねんふーりーしん   
念念従心起 念念不離心  



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2008年05月26日

高位中枢と低位中枢の使い分け  投稿者:ぎんなん治療院  投稿日:2008 525()192322

 

 

 

materuさん、こんばんは。井穴刺絡はH5F5で良いと思います。ただし、今までの人生において、交感神経を興奮させること(心身のストレス・薬など)によって、どこかの臓器の交感神経が異常興奮していることが考えられますので、まずは、胃腸、肝臓、心臓、腎臓膀胱の交感神経の抑制をやってみるのも良いと思います。
 これらの臓器の異常がありますか?勿論、胃腸にはあるでしょうが、H5F5の井穴刺絡で軽くなるのか?、みぞおちなど押さえての圧痛があるのか?息切れ呼吸の深さなど何か交感神経の異常興奮による症状があるな?と思われれば、それらの抑制を低位中枢で行うほうが良いと思います。
 高位中枢(脳)ではH5F5によって副交感神経を抑制し、低位中枢(脊髄神経)では、例えば、胃腸であれば左F1F6、肝臓であれば右F2という具合に井穴刺絡をします。このとき、交感神経の高位中枢であるH6F4はとりあえずしません。これから一週間、低位中枢の交感神経の抑制を治療に組み合わせてみたらいかがでしょう。
 食事には気を使っていらっしゃると思いますが、甘いもの、油脂食品、お酒、肉料理などは厳禁です。(我が家では、毎日の食事がこれです)太陽光線に当たるだけでも交感神経は働きます。調子が良ければ、外に出て、太陽光線に当たります。
 私のアレルギーの症状を抑えるためには、非日常の生活をする海に小さなボートで出て命がけの釣りをする、日焼け、空腹etcこれで何とか抑制が効いています。materuさんも、何か毎日の生活の中に、非日常を作ってみられたらいかがでしょう?勿論、健康的なことで。

 


潰瘍性大腸炎  投稿者:materu  投稿日:2008 525()153344

 

 

 

一週間たちました。
症状は便の回数が2.3回多くなり大腸の水分吸収が少し落ちたかなと思えますが、ほぼ変わらずというところです。
以前と比べてみると1994年から1996年までに6回発症しましたがその時は自覚症状が出てからひどい状態になるまでにせいぜい一週間かそれこそ2.3日でトイレから離れられない状態になっていたと思います
今回は一気に悪化していくのを刺絡で何とか持ちこたえている気がします。
5/20.21.22
は朝一回のH5F5、夜さらに一回。これは朝の刺絡後、頭が痛かったからです。23日には昼30分はなして2回、24日には自分に効く回数は如何?と朝晩2回ずつH5F5を試しています。今日も昨日同様で2回ずつするつもりです。
効いているような気もする以上H5F5でこの先やってみた方が良いでしょうか?それとも二日に一回ぐらいは、H6F4F6をしたほうが良いでしょうか?(今まで副交感神経を抑えるためにH5F5をやってきましたが、これによって副交感神経が抑制され交感神経が優位に現れて来る状態をつくっている。そこでたまには交感神経を抑えてやる必要あるのではないかと考えるからです)
先生のお考えをお聞かせください。よろしくお願いします。

 



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2008年05月25日

「他人を非難することはできる。だが自分を非難し罰しえるのは自分だけであるのは知っている必要がある。謙譲ということはここからしか生まれない。」


法律的に倫理的に他人を非難することはできる。しかしこれは規範を破ったという結果に基づくだけで、その当人のその破った過程は抜け落ちている。単に規範に照らして裁断しているに過ぎない。
そこに至るまでのその人にとっての切実こと・関係の不可避さが存在しているからだ。この行動を非難する規範にその当人が同意していたとしても、あえて破ることだってあるのだ。
反省とは規範性と接触するまでの関係の切実さ・不可避さを内に含んだうえでの選択→行動を問題としない限り反省とはならない。「自分を非難し罰しえる」には自己反省する必要があるのだ。
そしてこのような自己反省を身に刻んだ場合、他者が何か非難されることをした場合、他人の中に自分を見ることが想像的に可能になる。その際自分に刻まれた関係の切実さ不可避さを内に含んだ選択→行動にそって他人を見ることができるようになる。つまり薄っぺらな規範性(その形式的な側面)で非難することはなくなる。他人にやさしくなるという根拠である謙譲とは自己反省を身に刻んでいるということになる。



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2008年05月22日

最近良く見ているTVドラマにルーキーズがある。
http://www.tbs.co.jp/rookies08/
惹きつけられて、涙を流すのをこらえて、みている。

その構成は
1夢A(日常の夢、希望)
 

2喪失(事件により野球部停止)

3喪失過程をデカダンスとして耐えている 

4夢・希望の回復「生徒の夢を大切にする先生の登場」 
    夢から行動へ 
 夢を3の生徒それぞれにともす過程での個別的な軋轢

 

5生徒の夢Bとして再生の過程
(行動
行動行動・・・・)

 生徒の個別の夢から共通の夢へ

 

A君喪失のRちゃん (Yからの電話memo)

テニス部に対する不満怒り

(ちゃんと見ていれば問題は起こらなかった・・・、

今までの部の飲み会では一人にせず、介抱していたのに。

それができなかった責任はどうするのだ、責任を取れ。

返してほしい、かれを。

否認から怒りの段階。

亡くなったという事実はもうどうしようもない、

未来永久に帰ってこないという自己納得までは程遠い)

「友達を紹介して」

(かけがえのない彼は帰ってこない。

今までいた彼がいないということには耐えられない。当たり前にあった状態がなくなった。以前の状態にもどりたい。

あの楽しい日々を返してほしい。

デカダンスでも何でもいいから事実を忘れさせて。

彼の代理がほしい。※1

 

※1 これが発展すれば彼がいないということを諦めとともに了解して、<いないという状態>を前提にして生きていくという受容と重なってくる。

 

抑うつ期における<反応抑うつ>と<準備的抑うつ>の前者に相当する。前者に入ったところである。
と書いたところで、これは違うなあ。
死の場合の抑うつにはこの区別が現れるが、自分がなくなるのではなく自分の対手がいなくなる。それを死と同じに扱っている。
だから抑うつの二つは出てこない。
 

 



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■NHK、受信料の一律値下げ見送りへ…次期3か年計画案
(読売新聞 - 05月21日 09:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=493797&media_id=20

真っ先に民営化すべきなのにどうしてしないのだろう。民法の各放送局も貧弱な状態から十分脱皮しているのに。

のっとるべき原則は
民間でできることは民間に、
民間では手におえなくて、
どうしようもないものに限っては
仕方ないから社会的に面倒を見るしかないか、
である。

これは古くはマルクス、レーニンが当然の如く
熱く語っていたことだ。
さらにレーニンなら給与は
日本の大企業労働者ではなく、
一般労働者の平均金額より上げてはいけないと
こだわったはずだ。

国民の金を税金としてくすねていくことには
気が引けるからか、視聴料としてぶんどっている。
大学生・単身者たちが支払わないのは当然なのだ。
国民の懐を当てにしないで
自立しようという気もさらさら無い
放送局に
<同意の構造>をたてにして
支払いを拒否したいものだ

 

 

 

 

これに対していちゃもんをつけてきたコメントがあった。
下記の僕の文を上げると即刻ご自分で削除して捨て台詞を残している(とんずらしていった)。

 

なにをいっているのでしょうねえ。
僕はてっきり国営放送だと思っていた。たとえ主観的には公共放送と宣言していたとしても。
皮肉で言っているとはわからなかったのかな。
「地方の民放は脆弱なところが意外とあります」
だからなに?民放はすでに系列化されていますよ
「自立するための受信料です」
自立の意味が違いますね。
国の御用機関とばかりおもっていたっけ。
「民放なら、大スポンサーである自動車会社にケンカをうるような番組はできません。これがNHKだからこそ出来る番組の代表だと思います。」
理念がないんですよ理念が。一般大衆の利害を代弁したことはあるのか、理念的に。
個別に言えば民放だっていい番組はいっぱいありまよ。
批判するなら何より僕の原則に対して言ってほしいものです。NHKさん。

 

 

 

 



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2008年05月21日

「簿弱な精神が強烈すぎる現実を歩むさま一今日それは様々な自死となって典型的に出現している」

 

ひな鳥でも巣からいったん飛び立てば弱肉強食の世界で生きていかねばならない。人間だって同じだ。本人の主観とは別に競争社会は現存している。これはありふれた光景にすぎないのだが、この事実がどうしようもないものとして、受け入れざるを得ないものとして意識にやってきた時、愕然としたことを覚えている。この衝撃は自分の精神を「簿弱」と感じさせ現実は「強烈なもの」として意識される。この一文が非常に緊張感を感じさせるのは自分の体験と重ねて読まざるを得ないからだ。

 

それと「典型的」という言い回しが気になる。現実に異和を感じた精神は、現実と調和している安定からはずされる。暗黙に支えてくれていた背景がなくなる。だから現実の中に自分の存立の根拠をさがし、この精神を支えようとする。しかしそれが見出せない。

ひとりの人物の中ですら細胞の生死同様に、異和を感じた精神(生まれた精神)が生きようとして存立の根拠を探し見つからず、生きられないで死んでいく過程は繰る返されている。

そのような死を他者の中にも、自分の中にも数多く見つづけてきた。そしてその数多くの死のなかにも共通性と、他と区別される違いを見つけ出せるようになった。
そんな体験が「典型的」という論理的な言葉をよびこんでいる。しかしそれを悲しいという感情につつませていない。ただ科学者のように距離をおいてみている。



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2008年05月17日

自立支援のためのかいご技術
ひとり浴の介護技術

意欲的な人が多いな。
煽られちゃうなあ。
作業療法士のお二人、Mさん、それに先生。
介護の世界、言い換えればお年寄りの生活と言うか、足腰立たなくなってからの生活での「いかに生きるか」がひろく興味をかきたてるんだろうな、
そりゃあ切実さと言う点では明日はわが身であるし、避けて通れないし、学校問題以上に大問題だしね。
と書いてきて、これって自分だけのうわっついた興味ではないのかと不安になってくる。
それほど年をとってもないのに、それを今から心配しなくてもいいのでは?と言う声も聞こえる。
しかし
こんなことを考えることができたのも収穫のひとつではある。
今日勉強した技術は繰り返さないと身に付かないが、
やれば身に付くだろうと楽観しつつ
帰りの電車でお話を聞いて下さったMさん、浜松までの時間はあっという間で、ありがとうございました。
おかげで神経症からの克服過程で三好さんの痴呆論を参考にしたところをもっとかみくだく必要ありと気づかされました。
会費4000円も高くはないなあ。

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2008年05月16日

 

体は自分の指示のとうりに動いている、いやくれている。

 

ふつう体を動かすことは意志=行動と一体化しているのだが、これを「意志する人格」と「行為する人格」というように別人格として対立的に考えるのは不幸なことに違いない。

 

(腫瘍マーカーは19000から31000に跳ね上がっている)

生理的身体はがんばっている。

Sちゃんに言われてとはいえ、散歩をし掃除をし、

二人分の食事をつくり、おいしく食事を食べることができている。

自分の体が「どうして動けるのか、こんなに調子がいいのに、おかしい矛盾する」と腫瘍マーカーの数値の医者的解釈を、「がんばっている体」に投げつけて何になるのだ。そんなことは医者に言わせておけばいい。

医者と自分は当然に体に対する接し方が違うのだ。

自分の主人公は自分なのだ、手放してはならない。

「医者は自分があなたの状態だったら、抗がん剤治療はしないで運を天に任せる」といったと言う。

医者と自分を同じ場におく必要はないのだ。

同致させるから「医学的には動けないはずなのに、動けているのはどうして?これはすぐにでも動けなくなるのか」という恐怖におそわれるのだ。

<奇跡を信じていこうよ>

できたこと、してきたことをその日の終わりに寝床で思い返して「行為する人格」としての体にありがとうと言葉をかけてあげよう。

一日毎が長いのなら半日、食事毎というように短く区切って、

できたこと・してきたことをならべてほめてあげる。

さらに何十年も従ってきてくれた身体に感謝しようではないか。

辛いだろうけど自分の体を自分で褒めないで誰が褒める?

 

これはだれでも通る道なのだと思う、もっとも自覚的にか無意識的か、あじわいながらか、すどうりかはわからないが。

この精神と体の関係のせっかくの貴重な体験を身にきざもうじゃないか。

 

抗がん剤・健康食品が効いたか、効かないかなどどうでもいいことだ。

自分を支配するのは自分以外ではありえないのだ。

自分が自分の体に指示して行動し、

したこと・できたことを褒める・励ます・いたわる

その積み重ね以外に未来をこじ開けることは不可能なのだ。

 

上の<自分の体への感謝体験>を、別の面からいえば、

<新たな自分を知る体験>だ。

知るとは「できることの積み重ねで確認しているのか?」

知るとは「できなくなったことの積み重ねで確認していくのか?」

ここが難しいところなのだが、

今の僕なら前者の道をとりたい。

A君のように痛みにのたうちまわりながら、

排泄ができなくなる→歩けなくなる→起き上がれなくなる

という「恐怖の過程」を強いられたとしても、

できることが限られ縮小しつつある生命・生活の中で探すだろう、

今何ができるか・何をなすべきかを。

このように細かく刻んで

その場その場でできることを探すことは同時に、

全体から見るという後者の「確認」につれさる。

当然に死の実感を持って迫ってくるだろう。

 

今の段階は「死の五段階」(EK・ロス)の

ここらへんだなと考える事を強いられるということだ。

しかしショック・否認・怒り・取引・抑うつ・受容の

みちを通りながら、それに自分を同致させることなく、

緊張関係を保ちながら

自分のできることを探し、できたことを喜んでいきたいと思う次第。

天国のA君いわく「そんなにうまくいかないよ」ってか。

 

 



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2008年05月13日

 政府は13日午前の閣議で、道路特定財源制度を2008年度限りとし09年度からの全額一般財源化を明確にした「道路特定財源に関する基本方針」を決定する。道路特定財源を08年度から10年間維持するとした道路整備費財源特例法改正案は、福田康夫首相が表明した09年度からの一般財源化方針と矛盾するとの批判をかわす狙い。特例法案の衆院再議決直前に決定することにより、与党内からの造反を防ぐ思惑もある。

 基本方針は、特例法の再改正を含めた法整備の具体策を検討する閣僚会議の正式設置や揮発油税などの暫定税率水準の維持方針も柱に据えた。


memo片や一方は立法的に認められた個別法にたいして、もう一方は与党に認められ閣議決定された福田内閣の基本方針。どちらが重いかは前者に決まっている。福田内閣が吹っ飛べばちゃらになってしまう。
こういうインチキを国民に知らせることこそマスコミは必要ではないか。



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2008年05月12日

SSRI(選択的セロトニン阻害剤)の副作用によって、自殺者が増える可能性が高いことが指摘

米食品医薬品局(FDA)は5月12日、日本でも販売されているSSRI系の坑鬱薬「パキシル」について、服用した20代を中心とした若い鬱病患者に自殺を試みる行動が増える傾向があるとの警告を発表した。

その作用は脳内でセロトニンが再吸収されるのを阻害するというもの。セロトニンは神経伝達物質の一種で、精神の安定や自信と関係しているとされる。
 この薬を飲むとセロトニンの働きが高められ、鬱状態から解放されるという。また、従来の坑鬱剤に比べて口が渇くなどの副作用が少ないため、ここ数年で爆発的に使用量が増えているのだ。

「最近では、一度発作が起こっただけのパニック障害とも言えない人や、ごく軽微の鬱傾向の人にまで、SSRIを処方しようという傾向が強まっています」
 実際、厚労省はパキシルの「安全性は確立していない」として03年に18歳未満への使用を禁止。同じ年にFDAはパキシルは使用を中断すると「重大な離脱症候群をきたす」と警告している。
 製薬会社自身もホームページで、この薬は過去に自殺を図ったり考えたりしたことのある人には慎重に投与すべきである、としている。



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2008年05月10日

materutyann
自己紹介
神経症の耳鳴り(頭の中で、頂上で強烈に蝉が昼夜ないている)、
不眠に苦しめられた体験を 森田正馬にもとずく森田療法で克服体験があります。
同じような症状から抜け出そうとお悩みの方には力になれると思います。

生活の発見会は森田正馬を継承していません。注意が必要です。しかし病院以外で森田療法の集まりは見つけるのが困難です。患者会的なサークルがあれば有益ですが、見つけるのに苦労します。できない場合は生活の発見会、とりわけ各地の集談会へ非会員として参加しながら仲間を見つける方法がいいと思います。


     森田療法関係の読書遍歴 

高良→大原→森田正馬◎→北西○→辻村明◎→水谷啓二○→鈴木知準◎

つまらぬ森田解説本・森田療法本は間違っても読まない方がいい。直接森田正馬をよむのが数倍いいですよ、わかりやすいし。
さらに全集5巻(講話)を読むより下記2,3,4,の著作を読んだ方がわかりやすく、断然良いと思います。


    これから読む人に勧める読書の順番
  
1 神経症の時代―わが内なる森田正馬(何も知らない人が、森田正馬、森田療法の全体像を知るのには良い)

2  神経衰弱と強迫観念の根治法 (森田正馬が一般向けに書いた本です)

3  対人恐怖の治し方 (森田正馬)

4 神経質の本態と療法 (森田正馬)

5 ノイローゼの積極的解決―その治療戦略 (鈴木 知準著 これを読めば6はスルーしても良い)

6 神経症はこんな風に全治する―森田療法の道 (鈴木 知準)

7 私はノイローゼに勝った (辻村 明著 社会学者だけあって森田正馬、水谷啓二をよみこんであり、東洋思想についても他の森田本より良い)

8 体験・森田療法(辻村 明)

9 辻村 明で興味を持ったら その師匠の水谷啓二を読む。

10 北西憲二 入院森田療法をとらない外来森田療法の最新版でネオ森田とか呼ばれているらしいが、森田正馬に直接あたったことがある者なら森田正馬が現代に生きていればこうするだろうなと思える。

もし森田正馬以外で自分が治してほしい人は?亡くなっていなければ鈴木知準か水谷啓二だ。


●不安 悲しみ 寂しさ を隠さないそして乗り越えようとしている未知の友へ 
どうぞよろしく
●不眠 耳鳴り および <感性の反逆>五感覚が意識とズレ、異和体験あり これらの症状の克服を成功的に遂行


 
          ☆夢1
        宅老所を作りたい
          ☆夢2
       托鉢しながら捨て聖(=ホームレス)となり人生       をまっとうしてもいいのではないか
          ☆夢3
       遠州灘でウィンドサーフィンをしたい
       生ビールを大のジョッキで飲みたい(これは実        現)


       ●潰瘍性大腸炎克服体験あり
       病院との関わり絶って7年
       症状なし歴10年



お目にとめていただき、ありがとさんです。
ちょっとコメントでもいただけたらうれしいんですよ。
足あと帳
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=802193074&owner_id=8902837


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「そこで僕は考える。何が僕にとって成長であったろうと。」


成長ということを反省的に考えている。年をとっていくこと、知識を重ねていくことは成長とは相対的に区別されている。

ふつう人は現実との関係の中にあるとき、調和的か敵対的かはともかくとして、あらゆるものと対立的に生活している。
例えばあるもの・ある関係に異和を感じたり、満たされない思いをしたりする。
その思いが心に残る時、「どうしたのか?」と理解しようとする。

自分の状態と同じものを他者の体験に見ようとしたり、
一般的な知識の中に探そうとする。
現実との関係において感じる
自分の「どうしたのか?」という
切実さを突き詰めるために、
他人の解決方法を探ったり、人類の一般的な遺産としての知識を踏まえようとする。

これで納得すればこの段階で終わりになる。
ここでさらに満たされないで
突き詰めようとするなら
現時点の尤も適した解決方法を編み出した
苦労者(思想哲学者)を探すかもしれない。
この段階は自分で
既成の知識・解決方法を踏まえて
新たな一歩としてのオリジナルを付け加えるという
表現領域を含んでいる。
低い理解から高い理解へと発展する。

この過程は理解が深まれば深まるほど
現実に対する自らの切実さの実体を
より鮮明にするという相互作用をもたらす。
この現実との関わりにおける
自問と自答の繰り返しの
積み重ねに成長をみるほかに
何処に見ることができるのか。



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2008年05月09日

「不安ほど寂しいものはない」


この一文を過程的に分解して見ると

〇件が起こる→何らかの対応および何もしないという対応をする。いわば事件に対象的になる→その対応は自分に不安を感じさせる→ど坩造魎兇犬討い訃態ほど寂しいものはない

という流れになる。

△呂舛腓辰筏い砲箸瓩訥度からしっかり理解するまでの判断が本来差し出されるのだが、

でその差し出された判断は
正しいのか誤りなのか、
またどの立場なら正しくて
違う立場ならどうなのか等々
自分には絶対的な基準となるものは
無くなってしまっている。
だから不安なのだ。

ち蠡仞の中にさらされている不安定な状態だが、
絶対的なそれゆえに限定的な
正しい判断・解決はあるにちがいない。
それは直感的にはわかるのだが
いざ言葉にしてみると
相対性の中にしぼんでしまうように見える。
(しかしこの何もない状態から
言葉をつむぎだして重ねていくほかないのだ)

 



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2008年05月08日

寝たきりにさせないためには/寝たきり脱出の工夫
人の生理動作に沿った介助法/科屬蝓禅き上がり 5/7夜

 

閉じこもりの移り変わり   

外への興味喪失(精神の外向性の喪失)→ 自分への注意の集中(精神の内向性)、
そして自分への注意の集中(精神の内向性)に耐えられず、その結果としての諦念、
それから諦念・諦めによる外的内的現実への無関心・離人症状態・うつ状態 、
さらにすすむと現実への関係意識の切断、乖離による、逃避として思い出の世界へ、痴呆へ。

 

社会の中で孤立、家の中で孤立。の際には役割行動目標を作るのもいい。

 

長島監督の入院した初台の病院は起きている時は常に行動を意識的積極的に患者に課す。(医者は誰だっけ?)
残った機能を最大限行動化させて、それに意識をくっつけていった。いいかえれば、最初は目標を与えしかるが後、主体性を発揮させる。
これは脳梗塞のショックからの立ち直りを早める、正確に言えば脳梗塞による片麻痺は治らないと諦めて、動く機能を発揮させて生活をまっとうすれば良いのだと納得するようにに指導する。

 

立てない人でも座ることはできる。座ることを積極的にする。足の裏を床・畳につける。車椅子でも食事の時は床に足の裏をつける。食事の時は背に座布団を入れて前かがみになるようにする。宙ぶらりんの状態では精神的にも安定しない。

 

もとの体にはならない。以前のもとの体から今の不自由な体を嘆いてもしかたがない。
まず、不自由な体を受け入れる、
別言すれば不本意ながらも我慢する。
そしてその状態を前提に
元気な機能を最大限活用して
できることはじぶんでする。
できないことの範囲を狭めていく。
大きくいえば生活をまっとうする。

 

手を握る、握手する。
触覚は最後まで残る(乳胎児期の記憶)。触覚の認知はクローズアップしたイメージに変換できる。声もイメージ化できる。
赤ちゃんの成長(母離れの過程)、触覚→視覚→聴覚 。

触覚→視覚イメージ化、
聴覚→視覚イメージ化

 

おいしいですか?と聞けば、

へそ曲がりでない限りおいしいですよと答える。

そのお饅頭いかがでしたと聞けば、

答えは頭脳を前者よりは使うだろう。

 

介助法。老人の自立・自律―残された機能を発揮して自分でできることは自分でする―につながるように介助しましょう。

この意味で古武術介護は考えるべきだ。前者は原則で後者はある範囲では取り入れる必要がある。

 

以上講座に出ての感想・考えたこと。



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2008年05月02日

 「豊かな精神は泉のように湧きあがる。貧しい精神は沼の干割れのようだ。それは時代の干割れを反映するものだ。これはおまえたちの罪ではない。」

時代には肯定面と否定面、
守っていくべき面と克服さるべき面が
一体化して存在している。
こういえる立脚点は
何処にあるのかというと
地図を眺めるように
時代を眺めることによってだ。

ある時代を全体的総体的に、
そして他の時代との区別として、
さらにその時代の生から死への移り行きとしてみているということによる。

当然に時代を生きる個人の精神も
この両面を踏まえている。
時代の否定面、克服さるべき面は
直接的には取るに足りないとか、
つまらぬとか
そして場合によっては動かしがたいが
唾棄すべきものとして
頭に宿っている。
これは時代が個人の認識に
反映したものである以上
個人が前提にすべき条件のひとつなのだ。
そして肯定面、否定面ともに
どちらか一方をはずすことはできない。
相互規定的にあるものだから。
時代としても、
その反映としての精神においても。

個人が地図としての時代を
自由に読み込むことは
恣意的な勝手なこととして許されているし、
そして時代の読み込み方も
その方法の角度、その深め方次第では
時代の干割れ→貧しい精神、ではなく
時代の干割れ→豊かな精神として否定的に媒介できうる。
もし倫理というものが現れるとするならここからなのだ。



materutyann at 10:16コメント(0)トラックバック(0) 
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