数学一般

December 14, 2009

千載一遇のチャンス

よく「千載一遇のチャンス」といいますが、この千載というのは「千億」とか「千兆」とかとおなじ「数」です。

では「千載」とはどれくらいかというと、10^47というくらいの数です。
1のあとに0が47個並ぶ数です。
相当大きい数なのです。

ということは「千載一遇のチャンスを逃す」となると、それは「もう一生の間では二度と訪れないチャンス」ということと同じくらいになります。

ちなみに、この辺りの「桁」についてのお話は今週のメルマガにて配信をしておりますので、そちらをご覧ください。



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November 02, 2009

「入試数学」と「数学」の違い

「数学」においては「論理」や「考え方」といったものが一番大切で、それがわかっているかどうかが重要で、その意味では「細かい計算ミス」などというのは本質的には大したミスではない、ということになったりします。

さらに現在の数学においては、その方向が「抽象的な方向」になっているので、細かい数値計算よりも、抽象数学のイメージがつかめるかどうかにポイントがあるようにも思えます。


一方で、入試の数学においては「答え」が出ることが比較的重要で、さらにセンター試験などのマーク式試験や穴埋め方式の試験の場合、結果のみがすべてなので、計算ミスが致命傷になったりします。

その点の差があるがために「入試数学」と「数学」は違うということが言われることがあるのかもしれません。


ただ、実際の数学は「大胆で かつ 繊細である」というように思えます。

公理や定義、そこから出てくる定理などについての「大まかなイメージを持つこと」というのがまずは大切なことで、それが「大胆さ」の部分になります。
一方、それらの細かい証明をしっかりと論理的にできるかどうかというのが「繊細さ」の部分になってきます。


この両方が適切にできるかどうかというのが数学の実力をつけていくための一つのポイントなのではないかと思います。それは「入試数学」も一般的な「数学」においても言えることだと思います。

「気にするべきところを気にせずに、気にしなければならないところを軽視する」というのでは、きっとうまくいかないのかもしれません。


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July 04, 2009

不思議な確率・その2

先にここに書かれていた記事に関して、訂正します。

この問題(2009/7/3投稿)は、「モンティホール問題」といわれ、有名な問題だそうです。(指摘されるまで知らなかった、不勉強な小生です…)


この発言は「正しい」というのが正解です。


ただ、この問題については、以下のルールが前提になります。

1・3つの袋(A, B, C) が(1万円、はずれ、はずれ)がランダムになっている。
2・乙はドアを1つ選ぶ。
3・乙がどの袋を選んだかにかかわらず、甲は残りの袋のうち1つを必ず開ける。
4・甲は1万円のある袋を知っていて、必ずはずれの袋を開ける。もし、両方ともはずれだった場合は乙の見えないところでコインを投げて決める。

また、ルール(1)と(2)はもちろん、(3)と(4)も守られており、参加者はルール(1)〜(4)を知っているという大前提があります。



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July 03, 2009

不思議な確率・その1

今回は, 実は大切なことなのだけど, あまり考えたことのない確率のお話しです。


ある日、講師室にいるとき、他の教科の先生が私にしてきた質問があるのですが、それを元に問題にしてみました。

#####
甲と乙がいて, 甲がA, B, Cの3つの袋のうちの1つに乙にわからないように1万円を入れる。

(なお, 乙にとってはどれに1万円が入っているのかがわからないので, どの袋に1万円が入っているかは等確率になる。)

乙がA, B, Cのうち, Aの袋を選んだとき, 甲はCの袋を開けてその中がからであることを乙に確認させ, 以下のような発言をした。

「もともと, A, B, Cに入っている確率はそれぞれ1/3なわけで, それで, 君はAを選んだわけだよね. その上で今, Cは空だとわかったのだから, 君の選んでいないBの袋に入っている確率は, 元々のBとCとの確率を合わせた2/3になるよ。だから, こっち(B)の方が入っている確率が高くなるよ.」

この甲の確率についての発言は正しいかどうか?
#####

当然, アヤシイ発言なので, まちがいのようですが, さてどこが違うのでしょうか?


答えは次回。

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September 21, 2008

自然科学と数学

大学入試を含め、社会一般的に「理系」「文系」という分類をするようです。

ただ、「文系」と「理系」というものを厳密に定義するとしたら、どのようなものになるのでしょうか。
もし、その定義を「科学」という言葉で分けるのであれば、
「文系」→「社会科学を研究する」
「理系」→「自然科学を研究する」
となるのかもしれません。

この定義を前提とすると、実は数学は「文系」になります。
それは「社会科学」が「人間の行動」を追う学問だからです。
現に「数学」というのは、人間の考え得る概念の最大限のものを作り出す学問なのですから、「人間の行動」というものに従事したものといえるでしょう。

一方、「自然科学」は「自然で起こりうる様々な事を人間の言葉で書き表す作業」ということになるので、人間の与り知らないところで起こっている自然現象を人間の言葉の最大限のものである「数学」を用いて書き表すことになるのは当然といえば当然なのかもしれません。

とはいえ「人間」というのも自然という概念の一部に入ってくるのかもしれません。
そういう意味では社会科学も自然科学の一部となるのでしょう。

人間の言葉で人間の言葉を説明できるのかどうか。
ひょっとするとゲーデルはその辺りに着目したのかもしれません。


数学というものは本来は自然科学からは独立した存在であるべきなのでしょう。
一方、自然科学の「ハチャメチャさ」を書き表すために数学は進化をしなければならない。

どうにも単純なことではないようです。

もし、単純なのであれば、世の中がこんな苦労に陥ることはないでしょうから。

math_palace at 03:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)