吉浜ふれあいプラザの空間

吉浜まちづくり協議会広報部から、吉浜まちづくりの活動を紹介したり、高浜市内のお祭り・変わりゆく風景・懐かしい古い写真を探しそれにまつわる話を紹介する「たかはまアーカイブス」等のブログを発信していきます。

2011年02月

今は、翼学区になっている「高吉神明社」は、かって吉浜学区で遠足や遊び場として思い出がある場所なので、あえて紹介します。

吉浜小学校東明治用水から高取神社まで3軒ぐらいの家しかなく、
吉浜から高取が見えた,のどかな田園風景でした
昭和52年頃から始まった、「高浜中部特定土地区画整理」事業が
平成元年3月に竣工されそれ、風景も大きく変わった。

画像1は、吉浜公民館便りより引用
画像2・3・4は、平成23年2月撮影
画像5は、昭和28年頃明治用水水門付近より、右上の森が高吉神明社

たかはま アーカイブス 7 『高吉神明社』の画像

たかはま アーカイブス 7 『高吉神明社』の画像

たかはま アーカイブス 7 『高吉神明社』の画像

たかはま アーカイブス 7 『高吉神明社』の画像

たかはま アーカイブス 7 『高吉神明社』の画像

吉浜公民館発行の『吉浜公民館便り』
昭和55年10月9日発行(第28号)
の記事で、変わりゆく吉浜の姿『吉浜の池が消えた』の記事を紹介します。

現在の場所は、八幡町四丁目ー7 狸小路付近です



画像1は、昭和30年代の風景を切手アートで再現

画像2は、現在の風景

画像3は、吉浜公民館便りより引用 紙面の中ほどに、浪打池の文章あり

画像4は、吉浜公民館便りより引用 ナンバー82が「浪打池」です、少し上流に「広助水車工」

画像5は、文化7年(1810年)作成転写の古い地図です 矢印が浪打池です

たかはま アーカイブス 6 『吉浜の池が消えた 浪打池』の画像

たかはま アーカイブス 6 『吉浜の池が消えた 浪打池』の画像

たかはま アーカイブス 6 『吉浜の池が消えた 浪打池』の画像

たかはま アーカイブス 6 『吉浜の池が消えた 浪打池』の画像

たかはま アーカイブス 6 『吉浜の池が消えた 浪打池』の画像

昭和34年9月26日の伊勢湾台風では、東海地方に戦後最大の被害をもたらし、台風の怖さも忘れかけている今、
当時の画像を紹介してひとたび衣浦湾の堤防が決壊すると、このような様子になります。
画像1は、名鉄三河線吉浜駅すぐ北の踏み切り付近から養鰻場入り口を写す。
画像2は、同じ場所で今は流作グランド付近
画像3は、県道から刈谷方向を写す。
画像4は、養鰻場やレンコンなど作っていた水田は埋め立てられ、今は工場などが建っています。

たかはま アーカイブス 5 【 新田町 昔と今 】の画像

たかはま アーカイブス 5 【 新田町 昔と今 】の画像

たかはま アーカイブス 5 【 新田町 昔と今 】の画像

たかはま アーカイブス 5 【 新田町 昔と今 】の画像

戦争中 (昭和18・19年頃)吉浜の神明社西の入り江で吉浜国民学校の体操の時間に海水浴を対岸の藤江まで泳ぐ練習をした。
写真は準備体操しているところを撮影したもの。

対岸までは数百メートルあったが、夏になると子どもたちは湾内を泳いで対岸に渡った。中間にミヨと呼ばれる深みがあり、ここの潮がいちばん早かったので
渡るときは最も緊張した。(民俗調査概要報告から引用)

現在は、高浜緑地として整備工事中で、近い将来ひとびとの憩いの場になると思います。

たかはま アーカイブス 4 【藤江の渡し場付近の昔と今】の画像

たかはま アーカイブス 4 【藤江の渡し場付近の昔と今】の画像

たかはま アーカイブス 4 【藤江の渡し場付近の昔と今】の画像

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