昭和20年1月13日午前3時頃三河地方に強度の地震が起つた。
震源地は三ヶ根山、特に碧海郡、幡豆郡、碧南市、刈谷市、安城市等西三河地方は激震で、戦争中で消燈して就寝して居たので被害が甚だしかった。

高浜町の被害(数字の一部は概数)
           高浜   吉浜    高取    合計
住家    全壊:  4    16     18    38
       半壊:  8    36     50    94
附属建物 全壊: 20    40     58   118
       半壊: 40   120    200   360
死者          1    11(9)  16(1)  28(10)  
( )の数は疎開者

其の他 :窯業工場の職場の倒壊、煙突の伏等の被害が多かった。
 道路のき裂(安城街道の一部)
 落盤(1メートル)  高取一西端道の一部

この地震は激震後数分から10数分毎に余震が起り、家に入ることが出来ず各家とも庭に藁小屋をつくり
1ヶ月から2ヶ月間仮住居で生活した。

又大東亜戦争の末期で名古屋市堀田小学校より吉浜・高取に疎開して来た児童(7) 教師(2) 保母(1)
の死もいたましかつか。特に寺院の御堂、山門、鐘樓の倒壊が多く、旧明治村の寺院で倒壊しないものはなく、
高浜町でも吉浜の寿覚寺、正林寺、高取の円福寺は全壊、専修坊も半壊に等しい被害を受け、大字高浜の寺院もかなりの被害があった。又神社においても鳥居、こま犬、灯篭の倒壊も多かった。

この地震の総被害は、死者 1、961人 重症者 836人 住家全壊 5、539戸 住家半壊 11、706戸
非住家全壊 6、603戸 非住家半壊 9、976戸 断層押上 2m

以上の情報は、昭和32年11月25日発行『高浜町の姿』 愛知県碧海郡高浜町立高浜中学校(発行者)より引用しました。
体験者の話では、防空壕や田んぼの中に藁小屋をつくり生活していました。

画像1は、当時三河地震を体験した人の話を元に簡単なイラストにしました。
画像2・3は、昭和32年11月25日発行『高浜町の姿』

たかはま アーカイブ 31 「三河地震」の画像

たかはま アーカイブ 31 「三河地震」の画像

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