歴史徒然:Rekishi Tsuredure

ーーーー"焼酎哀歌"ーーーー もつれもつれる、ものおもい 重い思いに、おもやつれ やるせない夜の、やりがてに やわき心を、やぶるひと ひとりのむさけ、ひとしずく ひとり人思う、一人ざけ ふたりかたらう、ふたりざけ はずむ話と、はじらいと よによいひと、よいごこち あうせ妖しい、あわき愛

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(22 )

 月日  昭和41年(1966) 主なできごと

 1・30 広島市青少年センター開店する
 3・20 中国放送・広島テレビ放送、
     カラー放送を開始する
   - 広島市出島埋立地(臨海工業団地)
     完成する
 4・11 黄金山配水池完成し、
     市東部地区の水の悩み解消する
 6・15 「ある勇気の記録」
     広島ロケ開始される
 7・11 市議会、原爆ドームの永久保存を
     満場一致で決議する
 11・1 原爆ドーム保存募金開始される

この年

いざなぎ景気

市内小学校に
石油ストーブ設置開始(6か年計画)

市、ごみの全市
週1回収集を確立

3Ⅽ時代
カラーテレビ、カー、クーラー

流行語
「びっくりたなあーもう」
「ヘンシン」

流行歌

「バラが咲いた」


「こまっちゃうな」


邦 画
「こころの山脈」

「白い巨塔」


洋 画

「市民ケーン」

「戦争と平和」

「大地の歌」


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(21)

 月日  昭和40年(1965) 主なできごと


 2・7 米軍、北ベトナムを爆撃(北爆開始)
 2・14 広島・全国主要都市間
     市外ダイヤル即時通話開始
 4・1 市、町界町名を変更し、
     第一次の新居表示実施。
     太田川、一級河川に指定される
 4・5 市役所南庁舎完成する
 4・12 東亜航空、国産機YS11を
     広島空港に就航させる
 5・14 太田川放水路通水式挙行される
 6・22 日韓基本条約調印
 7・20 原爆ドームの耐久度調査開始される
 7・31 花火大会、
     太田川放水路河川敷で開催される
 8・1 県立屋内プール、基町に設置される。
     市教委の広報紙
     「教育ひろしま」第1号発行される
 8・18 広島市歌発表会、公会堂で開催される
 10・1 国鉄、広島駅に
     「みどりの窓口」開設する
 11・1 己斐ショッピングセンター開店する
 12・1 広島民衆駅の落成式挙行される

この年
消費者物価、過去10年の最高
物価問題深刻化

流行語
「しごき」
「モーレツ社員」

流行歌

「柔」



「愛して愛して愛しちゃったのよ」
 


邦 画
「 飢餓海峡


「赤ひげ」


「日本列島」

洋 画

サウンド・オブ・ミュージック


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

中枢都市広島への歩み②(Growth into a Hub City)

基町の住宅火災
(昭和42年)
40-08
提供:中国新聞社

昭和42年7月、
中区基町の太田川沿いにひろがる
住宅街で火事が発生、
172世帯526名が焼きだされる
大火災となった。

基町再開発論議が
高まりつつあった中で、
その論議に
一層拍車をかけることになった。


建設中の基町構想アパート
(昭和45年)
40-09
所蔵:広島市市民局広報課

「広島の戦後を終わらせるため」
といわれた基町地区再開発事業が、
開始されたのは昭和43年のこと。

平面的に広がった住宅地の中に
突如として出現した構想アパートに、
市民は目を見はった。


大学紛争
(昭和43年)
40-10
所蔵:広島市市民局広報課

中電前をデモ行進する広大の学生。

昭和43年から翌年にかけて
全国的に激化した大学紛争。

広島大学では昭和44年2月、
学生が大学本部を封鎖するなど
エスカレートした。


阿佐動物公園開園
(昭和46年)
40-11
所蔵:広島市市民局広報課

昭和44年2月9月、
中国地方初の本格動物公園として
開園した。

野生の動物を可能な限り、
自然の生態で展示しているのが特徴。
子どもに人気のレッサーパンダが
入園したのは昭和62年のこと。

ダチョウの入園
(昭和43年)
40-12
所蔵:広島市市民局広報課


歩行者天国
(昭和48年)
40-13
提供:中国新聞社

車優先社会から市民の街を
取り戻す試みとして、
昭和48年4月、
中国地方初の
「歩行者天国」が
八丁堀交差点でから平和大通りまでの
中央通りで実施された。

午前10時から午後6時まで、
初日は約15万人の人で賑わった。


ボウリングブーム
(昭和46年)
40-14
提供:中国新聞社

昭和30年代後期から
始まったブームは、
昭和40年代に入って頂点に達した。

県内では昭和41年、
85軒のボウリング場が林立、
最盛期を迎えた。


広島センタービル
(昭和49年)
40-15
所蔵:広島市市民局広報課

バスセンター、広島そごう、
広島センター街が一つになった
広島センタービルが
開業したのが昭和49年のこと。

同ビルの誕生で、
紙屋町一帯はいっそう
賑わうことになった。


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(19)

 月日  昭和39年(1964) 主なできごと

     老人家庭奉仕員(ホームヘルパー)
     誕生する
     
     中国京劇団、初めて来広する  
     
     若草ショッピングセンター、
     広島駅北口に開店する

     広電の市内バス、
     初めてワンマン運行を開始する
     
     1万トンバースに広島では初めて、
     国際大型観光船寄港

     市、公衆便所14か所を条例で制定する

     市教委、児童文化会館を廃止する。
     老朽化のため解体

     市の人口50万人に達する

     英語の無線ガイド、
     平和資料館に登場する

     市、この月から、ゴミ処分地に
     行きづまる

     出島埋立地完成する

     市、8月6日1分間の黙とう実施を
     決定する

     平和の灯完成し、点灯式挙行される

     仁保沖町、出島町誕生する。
     
  ※ここまで月日記載漏れ

 8・31 第三次広島拳銃事件
 9・1 平和記念公園にレストハウス 
     新設される 
 9・19 広島空港まつり開催される
 9・20 オリンピック東京大会の聖火リレー、
     市内を通過する。
 10・1 NHK広島、総合テレビの
     カラー放送を開始する
     国鉄山陽本線
     広島ー小郡間電化完成して
     山陽本線全線電化成り、
     開通式挙行し、開業する
 10・10 第18回オリンピック東京大会開催。
     10月24まで
 11・20 夜の遊覧バスの年間運行開始される
     

この年

働く女性の呼称「BG」から「OL」へ。

ニットウェアー・ノースリーブ流行


流行語
「ウルトラC」
「いいと思うよ」
「東京サバク」


流行歌

「アンコ椿は恋の花」



「お座敷小唄」



「東京五輪音頭」



邦 画

「赤い殺意」

「白日夢」

「怪談」

洋 画

「アメリカアメリカ」

「クレオパトラ」

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》
40-0


中枢都市広島への歩み①(Growth into a Hub City)

  昭和43年、
 高度成長を続ける日本のGNPは
 アメリカに次ぎ
 西側諸国で第2位となり、
 俗に「昭和元禄」と呼ばれた
 太平ムードの中で、
 国民は
 3Ⅽ(カラーテレビ・カー・クーラー)を
 手に入れることができる時代になった。

 広島の産業経済は、
 社会資本の整備とともに
 順調な伸びを示し、
 中国四国地方における中枢都市として
 飛躍的な発展を遂げる。

 その一方で、
 住宅難・交通災害などの都市問題が噴出、
 華やかな成長の影で、
 取り残されたもの、失ったものは
 決して少なくなかった。


広島市歌
(昭和40年)
40-01
所蔵:広島市市民局広報課


市が被爆20周年を機に、
全国から募集した
「広島市歌」
の発表会が、
昭和40年8月開かれた。


完成した広島民衆駅
(昭和41年)
40-03
所蔵:広島市市民局広報課

昭和40年、
地下1階地上7階建て、
映画館・ホテル・駐車場・大浴場などを
備えた広島民衆駅が完成。

ながい間、
被爆駅舎とその前に建て増しされた
木造駅舎で過ごしてきた広島駅だったが、
中国地方の表玄関にふさわしい建物となった。


広島駅の内部
(昭和41年)
40-02
所蔵:広島市市民局広報課


広島駅前の歩道橋
(昭和43年)
40-04
所蔵:広島市市民局広報課

交通量の増大により、
広島駅前交差点では
一日平均10万人の歩行者が行き交い、
年間30件近い事故が発生する
交通危険地帯となっていた。

そのため横断歩道を廃止し、
巨大な歩道橋が建設された。


保存工事中の原爆ドーム
(昭和42年)
40-05

所蔵:広島市公文書館

誰とはなしに市民から、
"原爆ドーム"とよばれるようになった
旧広島県産業奨励館。

「ドームを壊すべきだ。」
「いや残すべきだ。」
いわゆるドーム存廃論議は、
昭和30年代になって本格化、
注目されるようになり、
昭和41年7月、
市は補強工事によって
ドームを保存することを決定、
募金運動を開始した。

この運動は単なる募金を超え、
被爆の実相と被爆体験を
風化させてはならないという
平和運動へと。

目標額をはるかに上回る
6,600万円もの浄財が寄せられた

募金運動中の浜井市長
(昭和42年)
40-07
提供:中国新聞社

M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(19)

 月日  昭和38年(1963) 主なできごと

 1・5 広島地方に降った雪から
     放射能が検出される。
 1・24 県内豪雪のため安佐町の
     小河内小学校の屋根落ちる。
     小河内・鈴張・小峠の
     各小学校休校となる
 2・5 中国地方で初の学童専用陸橋、
     西蟹屋町の国道2号荒神町小学校に
     完成する
 3・1 宇品線の貨車代行廃止される
 3・31 県内の自動車数10万台を突破する
 4・1 市教委、教科書無償給付を開始する。
     当初小学校1年生のみで行い、
     順次対象を広げ、昭和44年には、
     小・中学校全学年にわたる
 4・6 広島市民交響楽団設立される。
     昭和47年、広島交響楽団協会に改名する
 4・17 第二次広島拳銃事件
 5・16 市内電車の直通運転、広島ー宮島間となる
 5・23 県内の電話10万台を突破する
 6・21 広島陸運局、広島電鉄バスを2系統に
     ワンマンカーを認可する
 8・5 米英ソ、部分的核実験停止条約に調印する
 9・1 広島ー東京間直通航空便就航する
 10・6 県内で初の横断用地下道、
     可部小学校前の新国道に完成し、
     祝賀パレード挙行される
 

この年

ケネディ大統領暗殺、
初の日米テレビ衛星中継

兼業農家、全農家数の4割を超える。

プロパンガス利用家庭、
都市ガス利用家庭を上回る。

テレビの影響などで
児童月刊誌の休刊・廃刊あいつぐ 

流行語
「お呼びでない」
「ガチョーン」
「巨人・大鵬・卵焼き」
「ナンデアル・アイデアル」

流行歌

「こんにちは赤ちゃん」

「高校三年生」

邦 画

「天国と地獄」
「人生劇場・飛車角」

洋 画

「007は殺しの番号」

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》


あの日あのころ②(Back in Those Days)

太陽の季節
(昭和31年)
30-31
撮影:新沢孝行重

昭和31年封切り。

当時
まだ学生だった石原慎太郎が
書いた同名の小説が
ベストセラーになり、
いわゆる
"太陽族ブーム"が
世を席巻。


パチンコ
(昭和30年)
30-32
提供:中国新聞社

昭和24年頃に
名古屋に登場した
パチンコは、
まもなく広島にもお目見え。

またたく間に
市民の新しい娯楽として
人気を集めた。

写真上側には、
玉の補給をする女性の顔がチラリ。


マイカーブーム到来
(昭和33年)
30-33
撮影:朝川広男

交通手段としては、
電車、バスが主だった
昭和30年、
通産省は
「国民車時代」を構想、
自動車業界は続々と
「大衆車」を登場させた。

スバル360もそんな中の一台。

「日曜日に家族でドライブ」は
大きな夢だった。


映画館発行のちらし
30-34
所蔵:広島市市民局文化課

昭和30年代前半、
日本の映画は最盛期を迎えた。

ここに紹介したのは
かって市内で開業していた
映画館のちらしである。

左から、
ラッキー映劇(立町)、
太陽館(的場町)、
文映(基町)。


えびす講
(昭和30年ごろ)
30-35
撮影:尾川博子

都市の復興は、
祭りの興。

広島の冬の訪れを告げる
えびす講が
戦前の賑わいを
取りもどすのがこのころ。

広島まつり
(昭和30年ごろ)
30-36
撮影:大下隆雄


市民球場球場でお披露目ミス広島
(昭和37年)
30-37
所蔵:広島市市民局広報課

昭和27年に始まった
広島まつり。

桜が見ごろの4月、
平和大通りを中心に
大名行列、
シャギリ、
広島おどり、
ミス広島発表会など
盛りだくさんの催しが広げられた。


オリンピック聖火リレー、
市内を通過
(昭和39年)
30-38
撮影:柿本正広

昭和39年に開催された
オリンピック東京大会、
市内を聖火リレーが通過したのは
9月20日のこと。

沿道にはたくさんの人だかり、
その数約45万人。

翌日の中国新聞は
「記録破りの大歓迎 
 聖火も一時立ち往生」
と報じている。

パッチン
30-39
所蔵:秋信隆


自家用車のカタログ
(昭和30年代後半)
30-40
所蔵:市川則子


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(18)


 月日  昭和37年(1962) 主なできごと

 1・16 株式会社広島テレビ放送設立される。
     9月1日放送開始
 2・23 東洋工業、キャロル360を発売する
 3・31 広島県自動車運転免許
     広島試験場完成する
 4・1 旅客機フレンドシップ、
     大阪ー広島間線に初就航する
 6・10 山陽本線三原ー広島間(広島以東)の
     電化完成する
 7・11 全国一斉学力テスト、
     県内100%実施される
 7・16 清掃パトロール船、市に登場する
 9・26 広島バス、向宇品線で
     ワンマンバスの運行を開始する
 10・22 初のボーリング場、銀山町にできる。
     ケネディ米大統領、キューバに
     ソ連ミサイル基地建設中と発表、
     キューバ海上封鎖を声明する
     (キューバ危機)
 

この年 

流行語
「無責任時代」
「スイスイ」
「青田買い」

流行歌

「可愛いベィビー」


「おもちゃのチャチャチャ」


邦 画

「キューポラのある街」



洋 画

「ニュールンベルグ裁判」



M.K記(責)

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》


あの日あのころ①(Back in Those Days)


本通りのオーニング(アーケード)倒壊
(昭和30年)
30-23
提供:中国新聞社

昭和30年2月20日、
積雪のため、
完成して間もないオーニングが倒壊した。


フラフープの流行
(昭和33年)
30-24
撮影:大下隆雄

校庭や空地、
いたる所で腰を回してフラフープ。
ブーム自体は2か月ともたず、
物干しに使う家庭もあったとか。


楽々園
(昭和30年ごろ)
30-25
撮影:藤原信雄

"楽々園"と聞いて
幼かった子ども時代を
思い出す人は多いことだろう。

開園は戦前までさかのぼるが、
ジェットコースター、
プラネタリウム、
ウォーターシュートなど
近代的遊戯施設が
導入されるのが
昭和30年前後のこと。

数少ない本格的娯楽施設として
市民から親しまれた。


ホッピング
(昭和32年)
30-26
提供:中国新聞社


地面に足をつけずに
何回跳べるかを競うホッピング。

単純な遊びに子どもから大人まで
夢中になった。


スキー
(昭和37年)
30-27
提供:古山幸三


"レジャー"という言葉が
流行語となったのは昭和36年のこと。

当時、
花形レジャーの一つに
数えられたのがスキー。

余暇を楽しむ時代が始まった。


本川で泳ぐ子どもたち
(昭和36年)
30-28
所蔵:広島市市民局広報課


昭和30年代中ごろまでは、
広島の川はきれいで、
そこが子どもたちの遊び場だった。

しかし、
次第に川の汚染が進み、
市内小学校には
プールが登場した。


試合中の市民球場
(昭和33年)
30-29
所蔵:広島市市民局広報課


カープ列伝
(昭和33年)
30-30
撮影:中本富士雄


左より
古葉、中本、小坂、森永、
若かりしころの雄姿。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(16)


 月日  昭和36年(1961) 主なできごと

 1・8 NHK広島、教育テレビ放送開始(仮放送)
 1・19 広島陸運局、中国地区で初の個人タクシー
     (広島市)の営業許可を発表する
 2・28 東洋工業、軽四輪トラックB360を発売する
 9・15 広島空港が開港する
 10・1 初の遊覧飛行、広島空港で行われる
 12・25 バーバラ・レイノルズと長女ジェシカ、
     原爆の像の前で平和祈念断食を行う


この年 
ソ連、初の有人宇宙飛行に成功。
シームレスストッキングが普及。
レジャーブーム


流行語
「わかちゃいるけどやめられない」
「地球は青かった」

流行歌

「上を向いて歩こう」



「スーダラ節」


邦 画


  

「用心棒」


「釈迦」



洋 画

「素晴らしい風船旅行」


「ウエストサイド物語」



M.K記(責)

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》


広島復興大博覧会
(The Great Hiroshima Recovery Exposition)


 昭和33年、
平和公園をメイン会場に
広島復興大博覧会が開催された。

この年は、
広島の人口が戦前の水準41万人に回復、
一つの節目でもあった。

原爆で倒壊した広島城天守閣を
復元した郷土館をはじめ、
大小さまざまな展示館が開設された。

この博覧会は
市民に娯楽の場を提供するとともに、
広島の復興を現実のものとして実感させ、
廃墟からたちあがった
広島のめざましい復興をぶりを
内外に強く印象づけることになった。

復興博覧会メイン会館
平和記念資料館
30-22
所蔵:広島市市民局広報課


第2会場 百メトール東詰
30-20
所蔵:広島市市民局広報課


第3会場 広島城
30-21
撮影:大下隆雄

復興博を機に復元された広島城。

M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(16)


 月日  昭和35年(1960) 主なできごと

 1・19 新安保条約調印される。
     6月23日、発効
 3・4 広島港新設1万トンバースに
     大型外国船初接岸する
 4・2 平和公園で、"平和の並木"
     植樹式挙行される。
 4・8 太田川漁港、太田川に稚アユ
     5万匹を初放流する
 4・22 東洋工業、乗用車R360クーペを
     発表する
 6・1 広島市食肉中央卸売市場、
     業務を開始する
 6・18 広島で初のサッカーナイター
     (ナイトゲーム)試合、
     東洋工業対八幡製鉄開催される
 7・30 世界一周に成功の「フェニックス号」、
     5年10か月ぶりに広島に帰る
 8・15 「祈りの像」の除幕式挙行される
 9・14 市、東清掃事務所を東雲に設置する。
     10月30日、ゴミ焼却場完工する
 10・5 小・中・高校の学力テスト実施される
 12・27 閣議、国民所得倍増計画を決定する

この年 
即席ラーメン・
インスタントコーヒー
が続々発売

流行語
「私は嘘は申しません」

流行歌
潮来笠

邦 画

「豚と軍艦」


「黒い画集」


「おとうと」


洋 画

「勝手にしやがれ」
 

「チャップリンの独裁者」


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》


復興への進展②
(Renewal of the City)

広島空港開港
(昭和36年)
30-16
提供:広島空港ビルディング㈱


広島空港が開港したのは、
昭和36年9月のこと。

開港当初の路線は
岩国~広島~大阪間と
広島~松山間のわずか2便だったが、
翌37年には東京便も就航。

飛行機を一目見ようと
訪れる人も多かった。

空港を見物する市民
(昭和36年)
30-17
所蔵:広島市市民局広報課



山陽本線電化
(昭和39年)
30-18
撮影:大谷和巳


昭和37年、
山陽本線三原~広島間の電化が完成し、
東京~広島間の直通運転が実現する。

特急電車「つばめ」は
東京~広島間を11時間で走った。

"西の動脈"と呼ばれた山陽本線の
全線電化が完成するのは
これより2年後、
昭和39年のことである。

 

瀬野駅付近を疾走する特急「つばめ」
(昭和39年)
30-19
撮影:大谷和巳



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(15)


 月日  昭和34年(1959) 主なできごと

 1・18 米の世界一周観光船
     プレジデントポーク号、
     広島港に入港する。
     世界一周観光団は戦前戦後を通して初
 4・1 ラジオ中国、テレビ放送を開始する
 5・17 第1回市民体育祭開催される
 6・15 市議会でホノルル市との
     姉妹都市縁組受諾が決議される
 8・4 国民平和大行進、
     3方面から広島入りし、
     平和公園で歓迎集会開催される
 8・17 「花いっぱい運動」
     広島で開催される
   - 筒瀬橋開通し、渡し船姿を消す
 11・25 広島駅前地区の区画整理事業で、
     強制執行される
 12・10 北朝鮮への第一次帰還者17人、   
     広島駅から新潟に出発


この年 
岩戸景気。
輸出量、戦前水準を回復。
「少年マガジン」
「週刊現代」など
続々創刊され、週刊誌ブーム

流行語
「カミナリ族」
「曲がり角」
「消費は美徳」

流行歌

「南国土佐を後にして」


「僕は泣いちっち」


邦 画

「荷車の歌」

「野火」


洋 画

「12人の怒れる男」



『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》


復興への進展①
(Renewal of the City)


  昭和25年6月、
 朝鮮戦争が勃発した。

 この戦争は、
 日本経済の進路に
 決定的な影響を与えた。

 米軍の膨大な軍需品の多くが
 日本に発注され、
 いわゆる特需景気が、
 不況にあえいでいた日本経済を
 一気に好転させたのである。

 戦争終結後、
 しばらくは不況が続いたものの、
 昭和30年は
 「戦後経済最良の年」といわれた
 好況の年となった。

 昭和31年「神武景気」、
 同34年「岩戸景気」、
 同35年、池田隼人内閣は
 「所得倍増計画」を発表した。

 いわゆる
 高度経済成長の始まりである。


整備中の百メートル道路
(昭和30年ごろ)
30-09
撮影:迫幸一

かってなかった
巨大道路として出現した。

「なぜこんなに広い道路が必要なのか、
 飛行機の滑走路にするのか」
という批判の声もあった。

比治山から望む。



現在の百メートル道路
30-10
所蔵:広島市都市整備局区画整理課


広島バスセンター開業
(昭和34年)
30-11
所蔵:広島市市民局広報課


同じ路線を走る
各バス会社の便を共通して
利用できないことや、
交通混雑が増加したことから、
市民からバスセンターの
建設を望む声が高くなった。

昭和32年、
全国に先がけてバスセンターが
中区基町に開設、
10社が入り1日に
約800台のバスが
ここから発車し始めた。



建設中の市民球場
(昭和32年)
30-12
提供:中国新聞社

広島カープのホームグランドが、
昭和32年、
中区基町に
市民球場として建設された。

市民球場のナイター(ナイトゲーム)開きは
7月24日阪神を迎えて行われ、
カープはエース長谷川良平をたてて
必勝を期したが、
15対1と敗れ、残念ながら
市民球場開幕戦を飾れなかった。


広島市公会堂前景
(昭和37年)
30-13
提供:中国新聞社


戦後、
市内初の本格的文化施設として、
昭和30年、
平和記念公園内(現在の国際会議場)に
建設された。

昭和61年に閉館するまで
音楽や演劇など
さまざまなイベントが開催され、
広島の「文化の殿堂」として
市民から親しまれた。


中国こども音楽会
広島公会堂にて
(昭和37年)
30-14
撮影:渡辺哲夫


広島平和記念資料館
(原爆資料館)
(昭和38年)
30-15
所蔵:広島市市民局広報課


昭和30年開館。

オープンを機に
被災資料の寄贈申し込みがあいついだ。

本資料館の完成をもって、
平和記念公園の原型が整った。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(14)


 月日  昭和33年(1958) 主なできごと

 1・13 市、市立中学の被爆生徒のうち、
     3年生1611人の集団検診を開始しる
 2・2 トルーマン前米大統領、CBSテレビで
     「広島・長崎の原爆投下を
      命じた後良心の呵責を
      感じなかった」と発言
 2・25 市、市医師会、
     第1回被爆者出張健康診断を開始する
 3・1 広島の赤線地帯消滅する
 3・26 広島城の天守閣復元(鉄筋コンクリート)
     工事完了する
 3・31 広島復興大博覧会の開会式挙行される。
     5月20日まで
 4・17 東洋工業、
     DMA小型4輪トラック・ロンパーを
     発表
 5・5 「原爆の子の像」除幕式挙行される
 6・1 広島城天守閣、郷土資料館として
     開館する
 6・14 平和公園で7000人がホタル狩りを行う
 6・20 原水爆禁止を訴える初の平和行進
     (広島ー東京間)の一行、
     原爆慰霊碑前を出発する
 6・22 広島折り鶴の会発足する
 7・1 「ノークラクション運動」
     広島市で開始される
 9・1 この日から市内でも
     メートル法を実行する
 11・8 市、消防活動の立体化を図るため、
     はしご付き消防ポンプ自動車
     (17メートル級)を配置する

この年 
東京タワー完成。
フラフープ流行

流行語
「ミッチーブーム」
「私は貝になりたい」
「ながら族」

流行歌

「おーい中村君」


「無法松の一生」


「嵐を呼ぶ男」


邦 画

「楢山節考」


炎上

洋 画

「老人と海」
 

「大いなる西部」


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》
30

豊かな時代へ
ー家庭電化製品の登場ー
(To the Age of Prosperity)


  昭和31年、
 経済白書は
 「もはや戦後ではない」と唱い、
 日本の戦災復興に、ピリオドを打った。

 戦中戦後の苦難の時代を乗りこえ、
 市民がようやく一息をついた、
 そんな時代であった。

 生きるための暮らしから
 豊かな暮らしへの模索。

 当時、
 「三種の神器」といわれた
 電気洗濯機、テレビ、電気冷蔵庫は、
 市民の消費欲をかき立てた。

 昭和30年代初頭に始まる
 「家電ブーム」は、
 時代を高度経済成長のステージへと
 押し上げていった。


小学校テレビ
(昭和31年)
30-01
提供:中国新聞社


昭和31年、
NHK広島放送局の放映開始により
広島のテレビ放送の歴史が始まった。
が、
その高価さゆえに
一般の家庭ではなかなか
購入できないのが実情で、
市内の小学校では
PTAがテレビを購入して
学校に寄贈したりした。

写真は楠那小学校。



テレビ・冷蔵庫・洗濯機
30-02

所蔵:広島市教育委員会文化課
提供:㈱ダイイチ   

当時、
「三種の神器」
といわれた
家電製品


茶の間にテレビ
(昭和34年)
30-05
提供:桜井京子

テレビが
一般家庭に普及しる
大きな契機となったのは
皇太子の御成婚。

このころから
テレビが茶の間の
中心的存在となった。


たらいで洗濯
(昭和30年)
30-06
撮影:平木裕正


お母さんの家事の中で
一番つらいの洗濯。

たらいに冷たい水を入れ、
腰を曲げての選択は
確かに大変だった。

家電ブームが
洗濯機から始まったのは、
この労働から解放されたいという
お母さんたちの切なる願いの
あらわれだったのかもしれない。


家電製品の値段
(昭和39年)
30-07

所蔵:村中妙子

安佐北区在住の村中妙子さんは、
家電製品を購入した際、
商品をカメラで撮影し、
値段を記録した。

上から
電気釜2,400円(昭和32年)、
トースター1,200円(昭和32年)、
ステレオプレーヤー5,200円(昭和39年)



洗濯機で洗濯
(昭和38年)
30-08

撮影:横尾健誠

家電ブームの走りとなった洗濯機。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908




『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪
《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(13)


 月日  昭和32年(1957) 主なできごと

 1・26 太田川橋完工し、
     渡り初め式挙行される
 3・31 「原子爆弾被害者の医療等に
      関する法律」(原爆医療法)
     交付される
 4・1 県、騒音防止法に関する
     条例を公布する
 5・2 宇品町にアイラ・モリス夫妻が
     設立した「いこいの家」の
     開所式挙行
 5・25 女性車掌、戦時中の」一時期を除き
     初めて市内電車に登場
 6・3 市、原爆医療法に基づき、
     被爆者健康手帳の交付開始
 7・22 広島市民球場の完工式・点灯式
     挙行される。
     24日、初ナイター(ナイトゲーム)の
     広島対阪神選が行われる
 7・23 広島バスターミナル完工落成式
     挙行される。
     29日からバスの発着開始される
 7・29 許斐小学校のプール開き挙行される。
     市内24の小学校の中での初のプール
 8・1 平和公園・平和大通り緑化のための
     供木運動が展開
 9・20 繊維製品を扱う大万百貨店、
     広島地方初のセルフサービス店
     として開店する
 12・26 社会鍋、市内に15年ぶりに登場する

この年 
なべ底不況。
五千円札(聖徳太子)発行

流行語
「よろめき」
「何としましょうか」

流行歌



「船方さんよ」
  


邦 画
「喜びも悲しみも幾歳月」
  


洋 画

「道」
  
 
「戦場にかける橋」




『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

子どもたちの戦後
(Children:Undefeated in the Postwar Era)


紙しばいを見つめる子ども
(昭和29年)
20-44

撮影:鈴木正美

昭和20年代後半までは
街のあちこちで
紙しばいのおじさんを
見かけたが、
テレビの普及とともに、
その姿は消えてゆく。


運動会の復活
(昭和26年)
20-45

撮影:三好善昭

小学校の運動会といえば、
町をあげての
お祭りのようなもの。

写真は本川小学校。



輪投げ
(昭和28年)
20-46
撮影:藤原信雄

秋祭りの縁日は
子どもたちの
遊技場のようだった。


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(12)


 月日  昭和31年(1956) 主なできごと

 2・3 広島競輪場外車券売場(胡町5番地)
     営業始める。
     市民の反対強く3日間開場して
     閉鎖される
 2・16 呉ー広島ー岩国直通特急バスも
     運行開始される。
     記録映画「生きていてよかった」の
     広島ロケ開始される
 3・17 世界動物博覧会、市内で開始される。
     4月22日まで
 3・21 市教委、第1回広島合唱祭を開始する
 3・22 NHK広島テレビジョン開局
     記念式挙行される。
     テレビ本放送始まる。
     的場テレビ劇場、的場町に開場する。
     入場料30円。
     広島市内公立高校
     (基町・舟入・国泰寺・観音・皆実)
     1学区の総合選抜方法を採用する
 4・1 市、中山村を編入合併する
 5・20 米国、ビキニで初の水爆投下実験を
     行う。
 5・27 原子力平和利用博覧会、
     平和記念資料館・平和記念館を
     会場に開催。
     広島の写真材料商組合、
     「百万ドル大撮影会」として
     フラッシュランプ1万個を
     原爆ドームに取り付け点灯する。
 6・17 渡米治療の原爆乙女第1陣帰広する
 7・17 経済白書「日本経済の成長と近代化」
     発表され、「もはや戦後ではない」
     が流行する。
 10・19 日ソ国交回復の共同宣言調印される
 11・1 市、井口村を編入合併する
 11・15 市観光協会、
     「広島音頭」「広島小唄」を
     レコード化し発売。
 11・23 広島護国神社、広島場内に、再建され
     遷座祭執行される。
 12・18 国連総会、日本の国連加盟案を
     全会一致で可決する。

    
この年 
船舶建造高世界第一位。
以後各年首位持続

流行語
「一億総白痴化」
「太陽族」慎太郎刈り流行


流行歌

「哀愁列車」



「若いお巡りさん」


「ケセラセラ」


邦 画

「太陽の季節」


「狂った果実」

 


 洋 画


「ピクニック」
   



M.K記(責)
              連絡先:090-2485-7908 

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

子どもたちの戦後
(Children:Undefeated in the Postwar Era)

  まったく罪のない、
 しかも最も弱い立場にあった
 子どもたちにとって、
 原爆はいっそう苛酷だった。

 たとえ生き残ったとしても
 肉親を失っていたり、
 頼るべき親類もいない子どもたちがいた。

 一家の働き手を失った子どもは
 自らの手で生計をたてねばならなかった。

 校舎を破壊され、
 夏は炎天下で、
 冬はかじかむ手をさすりながら
 授業を受けた。

 学校に弁当を持っていける
 子どもはわずかだった。

 しかし、戦後社会を最もたくましく
 生きたのも彼らだった。


青空教室
(昭和22年)
20-41
提供:中国新聞社

荒神町小学校の児童たち。

校舎を焼かれたため
校庭の木陰にむしろを敷き、
授業を受ける風景は
各地で見られた。


靴みがきする少年
(昭和24年)
広島駅前
20-42
提供:中国新聞社

一家の働き手を原爆で失った家庭では、
子ども自らの手で
生計をたてていかなくては
ならなかった。


雨漏り教室
(昭和23年)
20-43
提供:中国新聞社

本川小学校の校舎を借りて授業をする
江波中学校の生徒たち。

雨の日には、
休校するか、
傘をさして授業を受けた。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(11)


 月日  昭和30年(1955) 主なできごと

 1・23 覚せい剤取締りのため、
     市内一斉捜索行われる
 2・19 市立浅野図書館、
     国泰寺町移転新築され落成式挙行
 2・20 市内本通り商店街革屋町から
     平田屋町までのオーニング、
     雪の荷重に耐えきれず倒壊
 3・1 広島市公会堂完工贈呈式挙行され、
     この日開館する
 4・10 市、戸坂村を編入合併する
 4・11 ノーマン・カズンズ、
     原爆乙女の渡米治療のため来広
 4・12 郷土出身作家による
     第1回郷土美術展、
     福屋百貨店で開催される
 5・5 原爆乙女25名、治療のため
     アメリカへ出発する
 5・14 ソ連・東欧8か国、
     ワルシャワ条約に調印
 5・30 広島平和記念館落成式挙行
     6月1日開館する
 6・4 原水爆禁止世界大会へ向けて
     募金活動開始される
 6・23 市内電車、交差点に電気転てつ機を
     設置し完全自動化
 7・3 第1回能、公会堂で開催される
 8・3 観船橋の完工式挙行される
 8・5 第1回広島市平和美術展、
     平和記念館で開催される
 8・6 第1回原水爆禁止世界大会、
     公会堂を主会場として開催。
     8日、今日が出発点であると
     唄った大会宣言を採択
 8・8 第1回全日本一般男子ソフトボール
     選手権、広島で開催される。
     広島市役所優勝する。
 8・24 広島平和記念資料館
     (原爆資料館)開館する
 9・25 蜂谷道彦、
     「ヒロシマ日記」を刊行する
 10・1 天満屋百貨店、
     鉄筋5階建に改築して開店する
 10・3 中国からの原爆被害者慰問金
     290万円の贈呈式、市内で挙行される
 10・22 戦後初の広島護国神社招魂祭、
     基町旧社地仮殿前で執行挙行される
 10・25 幟町中学1年生佐々木貞子、
     亜急性リンパ性白血病で死亡する
 11・30 輸出船第1船デモステネスⅮ号、
     三菱広島造船所で進水

     
 この年 この頃から、
     太田川の舟運(川船)姿を消、
     輸出船ブーム始まる、
     いわゆる神武景気。
     電気釜・テレビ・洗濯機・ミキサー
     などの家庭電化時代始まる。

流行語
「最低ネ、最高ネ」
「ノイローゼ」

 流行歌



「月がとっても青いから」


 邦 画

「りんどう峠」


「野菊の如く君なり」



 

 洋 画

「砂漠は生きている」
 


「青い大陸」

「緑の魔境」

「エデンの東」



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908 

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

平和への願い
(Efforts Towards Peace)

昭和27年の平和記念式典
(昭和27年)
20-38

提供:中国新聞社


この年、
平和記念公園に
原爆慰霊碑が完成して
初めての記念式典。

後方に密集する民家に注目。

平和公園から民家が
姿を消すのは
昭和36年ごろである。



原爆・水爆禁止広島平和大会
(昭和29年)
20-39


提供:中国新聞社


ビキニ事件の発生により
核廃絶を求める声は
世界的に広がった。

昭和29年8月6日、
平和記念式に続いて挙行された
本大会には
2万人というこれまでにない
市民が参加、
平和への決意そして
核の廃絶を強く訴えた。

翌年には
初の原水爆禁止世界大会が
広島で開催され、
平和運動の
大きな流れになった。


原爆マグロ
(昭和29年)
20-40

提供:中国新聞社


昭和29年3月、
米国が
マーシャル諸島ビキニ環礁で
行った水爆実験により、
近海で操業中の漁船
第五福竜丸が
「死の灰」をあびたいわゆる
ビキニ被災事件は、
被爆地広島・長崎のみならず
日本列島全体に
強い衝撃を与え、
かねてより
市民間で高まりつつあった
原水爆禁止の願いを
組織的な運動として、
急速に盛り上げる契機となった。

写真は、
福竜丸が持ち帰ったマグロを
調査する
東京都衛生局員。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(10)


 月日  昭和29年(1954) 主なできごと

 1・7 市内電車、舟入南町ー江波間
     300メートルを延長する
 1・30 広島県スポーツ会館、
     雑魚場町に完成する
 2・11 ジョー・ディマジオ、
     マリリン・モンロー夫妻来広する
 3・1 中国地方初の市内定期観光バス、
     市内で運行開始する。
     第五福竜丸、米のビキニ原水爆
     実験により被災
 3・5 広島駅前橋完工し、
     渡り初め式挙行される 
 4・1 中国大動物園、
     児童文化会館前広場で開幕する。
     広島市平和記念公園完成する。
     住吉橋完工し、渡り初め式挙行される
 5・3 本通りのオーニング(アーケード)完成し、
     祝賀式挙行される 
 5・5 広島市こども文化祭、児童文化会館・
     児童図書館で開催
 5・12 紙屋町交差点に自動交通信号灯完成し
     試運転が行われる
 7・1 八丁堀の中央百貨店、
     「広島天満屋」と改称して発足
 8・14 市内電車の稲荷大橋ー紙屋町の
     軌道移設工事完了する

 10・9 アイススケート
     「ヒロシマアリーナ」開場する
 10・17 第1回中国バレエ祭、
     児童文化会館で開かれる
 10・21 広島初の日独陸上大会、
     総合グランドで開催される
 10・31 宮島ボートレース開場式挙行される
 11・6 大相撲広島場所、
     児童文化会館前広場で開催される
 11・10 市内電車・バス運賃改正
     電車13円・バス全線15円
 11・30 中国地方初の有料道路
     広島ー浜田線、幕の内道路
     (幕の内トンネル)の完工式挙行される
 12・7 広島児童文学研究会発足する
 12・17 市内最長の庚午橋、
     完工渡り初め式挙行される
 12・30 東劇、胡町にオープンする

     
 この年 電気洗濯機が急速に普及。
     ヘップバーンスタイル流行。
     
 流行語
     「死の灰」
     「ロマンスグレーイ」
     「パートタイム」

 流行歌

「お富さん」


「オー・マイ・パパ」


「高原列車は行く」




 邦 画



「ゴジラ」


 洋 画

「ローマの休日」
 



「波止場」
  


「波止場」

 



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908
 

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

平和への願い
(Efforts Towards Peace)


  昭和21年8月、旧護国神社で
 広島市町会連盟が中心となって
 平和市民大会が開催され、
 翌22年には広島平和祭協会による
 第1回平和祭が開催された。

 式典の中で初代公選市長浜井信三は
 平和宣言を読み上げ
 「人類の破滅と文明の終末」
 をもたらす
 「原子力をもって争う世界戦争」
 を否定し
 「絶対平和の創造」
 を呼びかけた。

 こうした広島の動きは内外に報道され、
 「ノーモア・ヒロシマ」
 のスローガンを生み、国内のみならず
 世界中から多くの関心が寄せられた。


平和復興市民大会
(昭和21年)
20-34

撮影:小野勝


被爆1周年の
平和復興祭の一環として
8月5日、
広島市町会連盟により
平和復興市民大会が
開催された。
旧護国神社にて。


第1回平和祭
(昭和22年)
20-35


撮影:Peter Dunne

昭和22年8月6日、
慈仙寺鼻に完成した
平和塔の前の広場で、
広島平和祭協会主催により
挙行された。


第3回平和祭ポスター
所蔵:広島市公文書館
20-36


昭和24年の
このポスターは、
世界161都市におくられた。



アサヒグラフ原爆特集号
所蔵:広島市公文書館
20-37

原爆報道が自由になったのは、
講和条約の発効後のことであった。

昭和27年8月に出版された
アサヒグラフは報道規制がなくなる
時期を見越して企画され、
原爆被害がはじめて本格的に
誌上に掲載されたものである。

その反響はすさまじく、
初版は即日完売、計4回増刷され、
都合70万部が発行された。

被爆7年目にしてようやく
広島・長崎の惨禍が、
国民の前になったのである。


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(9)

 月日  昭和28年(1953) 主なできごと

 1・7 修道高校、
     全国高校サッカー選手権大会で初優勝
 1・24 原爆文学論争、中国新聞夕刊掲載の
     論文を契機に始まる
 2・1 NHKテレビ、東京で放送開始される
 3・1 中国電力、電力制限全面解除を
     全国に先がけて実施する
 3・15 山陽本線特急
     「かもめ」、初運転を行う
 3・31 広島城跡、史跡に指定される
 5・11 マリアン・アンダーソン独唱会、
     八丁堀東洋座で開催
 6・5 平和大通りの「ラ・パンセ」像
     除幕式挙行される
 6・10 広島ロータリークラブ、
     紙屋町交差点中央に交通整理台を
     兼ねた時計台を寄付する
 7・3 緑大橋完工し、渡り初め式挙行される
 7・27 朝鮮休戦協定調印される
 8・10 日教組制作の映画
     「ひろしま」の完成試写会開かれる
 12・6 第一回中国子供音楽会、
     本川小学校で開催される

 この年 蛍光灯が家庭に普及し始める。
     大学受験の予備校増加。
     マンボ流行

 流行語
     「8頭身」
     「むちゃくちゃでござりまするがな」
     「家庭の事情」
     「さいざんす」

 流行歌

「五木の子守歌」


「街のサンドイッチマン」



「君の名は」
  


「雪の降るまちを」



 邦 画

「地獄門」
  


「ひめゆりの塔」

「縮図 」


 洋 画

「ライムライト」
 

「禁じられた遊び」



「シェーン」
 

「終着駅」




M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

平和記念都市建設法の制定
(Legislation for Establishing a Peace Memorial City)


  広島市は、昭和21年1月に復興局を創設、
 翌2月、復興審議会を組織した。

 審議会は、昭和21年2月を第1回として、
 23年3月まで計22回開催され、
 種々の復興構想が提案された。

 しかし、
 この計画の実現には莫大な財源が必要であった。

 市は、
 旧軍用地の無償払下げにその活路を求めたが、
 そのためには国有財産法の改正、
 もしくは特別法の制定が必要であった。

 昭和24年8月6日に交付された戦後初の特別法
 「広島平和記念都市建設法」の成立によって、
 復興事業に対する国家援助が
 可能になるとともに、
 広島市を平和都市として再建する
 出発点となった。


広島平和記念都市建設法の原本
20-30
提供:国立公文書館



住民投票の啓発運動
(昭和24年)

20-31
提供:中国新聞社

衆参両院を通過した
平和記念都市建設法は、
その性格上、
住民投票にかけられることになった。

広島市は、
トラック・消防車などを動員、
投票と協力を
よびかける運動を展開した。


住民投票啓発ポスター
(昭和24年)

20-32.33
所蔵:広島市公文書館

7月7日に実施された
住民投票は、
「七夕選挙」と呼ばれた。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908






『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(8)

 月日  昭和27年(1952) 主なできごと

 1・20 ピースセンター1号館、
     ハワイからの寄付金で完成
 1・27 自由美術広島県支部結成される
 1・31 中国電力、
     告示制限以外の電力制限を解除する
 2・20 広島百貨物店開店する
 2・21 市、駅前観光案内所を開設する
 3・12 市内観光地43か所が選定される
 3・28 第1回広島県婦人生活改善
     発表大会開催される
 3・31 市、広島平和記念都市
     建設計画を決定する
 4・11 「広島まつり」開催される。
     昭和41年まで開催
 4・28 対日平和条約・日米安全保障条約
     発効する。
     中国新聞社、
     中国体育文化賞を制定する
 5・1 国鉄バス、広島ー浜田間に
     夜行便の運行を開始する
 5・6 CIE図書館、広島アメリカ文化センター
     として新発足
 5・10 独立記念の中国大動物園、
     市民グランドで開園する
 5・17 広島発の民間放送会社、
     ラジオ中国の創立総会開催
 5・31 国鉄バス、合同バスを買収し
     広島ー三次間の営業開始
 6・3 平和大橋・西平和大橋が完工する
 6・5 映画「原爆の子」広島ロケ始まる
 6・10 広電白島線、旧鉄砲町に完成し
     7年ぶりに運転開始する
 6・15 市教委、
     第1回市民ハイキングを実施する
 8・5 画家福井芳郎の
     「原爆記録画展」開催される
 8・6 原爆慰霊碑の除幕式行われ、
     原爆死没者名簿奉納される。
     映画「原爆の子」主演:音羽信子
     福屋劇場で開催される。
     「アサヒグラフ」、
     広島・長崎の被爆写真を特集する
 8・9 ひろしま川祭り開催される。
     昭和39年まで
 8・26 日米学生野球対抗野球大会、
     広島で開催される
 8・31 太田川改修工事の起工式、
     落合村で挙行される
 9・23 古月舞踊研究所、
     「ノーモア・ヒロシマズ」を公演する
 10・1 ラジオ中国、
     午前6時30分から本放送を開始する
 10・7 マツダ三輪自動車、
     広島ー東京間を31時間16分で走破
 11・4 暴力団抗争、
     第一次広島拳銃事件起こる
 11・7 中国電力88工場で停電スト
     行われる
 11・19 太田川改修工事、
     古市町東野地区で始まる
 11・22 生活危機突破大会、
     市民球場で開催される
 11・30 広島ガス、炭労ストによる
     石炭不足で供給制限を行う
 12・4 市立児童図書館、
     基町に新築開館する
 12・13 広島市営競輪場完成し、
     開場式挙行される

 この年 スクーター人気。
     茶羽織流行。
     ヘルシンキ五輪。
     サマータイム廃止。
     コモロ島でシーラカンス発見

 流行語
     「火炎瓶」
     「ヤンキー・ゴー・ホーム」

 流行歌
「ああモンテンルパの夜は更けて」
     

「 リンゴ追分」 
     
「芸者ワルツ」
  

「テネシーワルツ」
 

  邦 画 
「谷間の学校」
 


「真空地帯」



「原爆の子」


「25年目の証言」



「ひろしま」



 洋 画
     「天井桟敷の人々」
 
     「殺人狂時代」

     「第三の男
 
     「風と共に去りぬ」

     「陽のあたる場所」



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

よみがえる広島(On The Way To Recovery)4


第6回国民体育大会
(昭和26年)

20-26

所蔵:広島市市民局広報課

いまだ被爆の傷跡がいえぬ
広島で昭和26年、
第6回国民体育大会が開催された。

選手の食事、宿泊施設、
競技場の未整備など、
運営面で多くの困難をともなったが、
"戦後初めての一大イベントを成功させよう"
という市民の熱意に
支えられた大会であった。

写真は、
広島県代表選手団の
入場行進の雄姿。

県営競技場で。


広島市営競輪場
(昭和27年)
20-27

所蔵:広島市市民局広報課

市の復興財源を確保するため、
昭和27年南区宇品町に開設。

写真は車券売り場。


活気をとりもどした本通り
(昭和28年)
20-28
所蔵:広島市市民局広報課

店舗が軒並みをそろえ、
買物客で賑わう本通り。

本通りの復興は、
広島駅前、横川、己斐など
都市周辺部にヤミ市が
発生したことからやや遅れ、
写真のような賑わいを取り戻すのは、
昭和24年後半から25年にかけてのこと。

通りがすっきり感じられるのは、
電柱のない計画的な街づくりが
成功したためである。


本通りにオーニング完成
(昭和29年)
20-29

撮影:迫幸一

当時は
アーケードのことを
"オーニング"と呼んだ。

これが本通りに完成したのは
昭和29年のこと。

雨の日や炎天の日でも
快適に買物ができると
市民からたいへん喜ばれ、
市の新しい名物として注目を集めたが、
30年2月、
積雪のため大音響とともに倒壊、
37年に再建された。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(7)

 月日  昭和26年(1951) 主なできごと

 1・1 映画館「文映」開館する
 1・9 米国食糧船
     チャルス・イ・ダントン号入港する
 1・15 市教委、成年式を開催。
     32年から成人祭となる
 2・14 中国配電、緊急指令により
     電力制限を実施する
 2・20 第1回広島県美術展、
     中国新聞社ホール・福屋で開催
 2・22 衣料など9品目に
     物価統制令実施される
 2・23 米国食糧船
     パシフィック・トランスポート号入港する
 2・25 広島市のスポーツ宝くじ発売される
 3・25 スポーツ博覧会(体育文化博覧会)、
     広島城跡で開幕
 3・26 平和の塔「平和の鐘」盗まれる
     (いわゆる金へん泥棒)
 3・31 食糧公団広島支部が閉鎖され、
     配給機関は民間となる
 4・1 市立浅野図書館、入館料を廃止する
     市内電車宇品線、
     向宇品ー宇品間が複線延長される
 4・2 縮景園が開園する
 5・1 中国配電、電力再編により
     中国電力株式会社となる 
 6・23 市内電車の紙屋町の軌道(600m)
     移設工事を完了する
 7・20 市教委、第1回成人学校を開設する
 7・29 広島カープ後援会発会式挙行。
     会員1万3000人
 8・6 慰霊式ならびに平和記念式。
     平和宣言発表されず
 8・12 広島ー呉間の電話、即時通話始まる
 8・26 水上音楽会、爆心地で開催される
 8・31 異常渇水で大幅電力制限され、
     8・9月ホタル停電
 9・1 広島市文化祭開催される
 9・8 対日平和条約・日米安全保障条約
     調印される
 9・15 「としよりの日」初めて実施される
 9・20 峠三吉「原爆詩集」刊行される
   - 市内電車運賃改正、10円
 10・2 少年少女の作文集「原爆の子」
     (長田新編)刊行される  
 10・5 広島市で初めてパトロールカーが
     配置される
 10・14 ルース台風襲来する
 10・27 第6回国民体育大会
     秋季大会開催される
 10・31 広島市の人口30万435人となる
 11・15 広島市観光協会設立される
 11・28 スウェーデンのサッカー選手団
     来広し新全試合を開催
 12・13 第1回中国舞踊祭、
     新天地劇場で開催される


 この年 結核が初めて死因の2位に下がる。
     赤痢流行。
     名古屋からパチンコの大流行始まる     

流行語
「BG」
「社用族」
「逆コース」
「老兵は死なず」

流行歌
「東京シューシャインボーイ」

 
 ヤットン節
 


上海帰りのリル

 


邦 画
「カルメン故郷に帰る」


「めし」



洋 画
「黄色いリボン」
 
「わが谷は緑なりき」


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

よみがえる広島(On The Way To Recovery)3


宝塚劇場
(昭和27年)

20-23

所蔵:広島市市民局広報課

映画は市民にとって
最大の娯楽だった。

映画館のあいつぐ開館と
その盛況ぶりは、
食糧も物資も少ない中で、
市民が決して文化への欲求を
忘れていなかったことを物語る。
写真は
中央通りに面する
宝塚劇場で
昭和26年開館。


ローマの休日
(昭和29年)
20-24

撮影:藤原信雄

この映画が封切られたのは
昭和29年のこと。

オードリー・ヘップバーンの
清楚な魅力はもとより、
スクリーンに映し出される
豊かな外国の生活ぶりは、
日本人に新鮮な刺激を与えた。


ヘップバーンカット
(昭和29年)
20-25

撮影:藤原信雄

女性の髪形として
流行を呼んだ。

金座街にて。


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908






『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(6)

 月日  昭和25年(1950) 主なできごと

 1・11 ノーマン・カズン、精神養子のため
     2千ドルを市に寄付
   - 広島吹奏楽団結成される
 2・6 天気図、中国新聞に掲載開始される
 2・11 動く交通博物展覧会、
     児童文化会館で開催される
 2・18 「ノーモアヒロシマえんぴつ」
     売り出される
 2・28 胡町・堀川町マーケット街で火災。
     48世帯が罹災

 3・10 稲荷大橋完成し、
     同時に市内電車の軌道が移設される
 3・18 広島市営の競馬認可され、
     年2回福山市競馬場で開催
 3・30 市・中央庭球場を基町に新設する
 4・15 日本ペンクラブ「広島の会」
     川端康成など出席して開催
 5・9 ロサンゼルス市広島県人会、
     児童に図書館をと400万円
 5・15 市内電車運賃改正、8円
 6・5 NHK、「20世紀の花形テレビジョン」
     を無料公開
 6・23 第1回アヴァンギャルド展、
     朝日ホールで開かれる
 6・25 朝鮮戦争勃発する
 7・19 市、小学校の完全給食開始する
 7・25 第1回中国5大学学生競技大会、
     総合グランドで開催
   - ラッキー劇場、立町に開館する
 8・2 広島平和協会、平和祭中止を決定する
 8・5 広島電報局内で国際通話所の
     開所式挙行される
 8・6 広島戦災供養会主催で中島本町の
     供養先で慰霊祭挙行
 8・8 県条例により紙しばい業者に
     免許制度実施される
 8・26 広島バス、営業を開始する
 9・3 カープ広島野球倶楽部創立開催され、
     株式会社発足
 9・13 キジヤ台風襲来し、
     暴風雨・高潮被害出る 
 9・16 広島青年会議所設立される
 9・20 衣料切符制度、特殊衣料切符を
     除き無期限停止となる
 9・29 米穀配給、民営に切り替えられる
 10・5 広島子供博覧会、児童文化会館を
     主会場に開催される
 10・10 ペルー広島県人会、県庁で
     寄付金140万円を伝達する
 11・1 広島市中央バレーボール場、
     広島城跡に開設される
 11・15 米ヤンキースのジョー・ディマジオら
     市中パレードする
 12・1 市教育委員会発足し、
     第1回教育委員会議開催される
 12・27 広島合同バス、広島ー三次間で
     運転を開始する 

 この年 千円札(聖徳太子)発行。
     朝鮮戦争による特需景気。
     平均寿命初めて60歳を超える。
     日本脳炎流行。
     国産ストレプトマイシン・パスの
     製造開始

 流行語
     「とんでもハップン」
     「貧乏人は麦を食え」(池田蔵相の発言)

 流行歌
「夜来春」


「越後獅子の唄 」


「水色のワルツ」


 邦 画
「暁の脱走」

「きけわだつみの声 





 洋 画
「赤い靴」

「情婦マノン」

「自転車泥棒」


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908
  

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

よみがえる広島(On The Way To Recovery)2


広島カープ創設
(昭和26年)

20-20

提供:中国新聞社

球団結成当時から
経営危機に見舞われた
カープ。

熱狂的なファンが
物心両面で
大きな支えとなった。

写真は
募金を受け取る
石本監督。

カープ選手の活躍は
復興途上の市民に
大いなる
希望と勇気を
与えた。


児童文化会館
(昭和27年)


20-21

所蔵:広島市市民局広報課

戦後の文化活動の拠点となった
児童文化会館が
開館したのは
昭和23年。

「原爆の町の子どもたちに夢を」
と教師を中心に
多くの人々の協力によって
建設された。

子どもから大人まで利用できる、
多彩な催しの場として利用された。


イサム・ノグチの来広
(昭和26年)
20-22
中央:イサム・ノグチ氏、右端:丹下健三氏

所蔵:広島市市民局広報課

元安川に架かる平和大橋と
本川に架かる西平和大橋は
彫刻家イサム・ノグチが
デザインしたもの。

父母を日米に持つ彼が、
両国ひいては世界平和の
かけ橋にとの願いを込めて設計。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(5)

 月日  昭和24年(1949) 主なできごと

 1・7 鯉城高校、
     全国高校サッカー選手権大会で優勝する
 1・14 実働時間48時間制、
     県内官公署で実施される
   - ガス供給、元安川以東の市内中心部へ
     順次再開される
 2・23 市内新制中学校駅伝競走(学校巡り)
     開催される
 3・20 中国新聞社、雑誌「野球王」を発刊する
 3・27 広島駅前繁華街で大火、
     マーケット・広島鉄道病院全焼
   - 白バイによる交通取締り、
     県内で初めて実施される 
   - ガス供給、白島町方面へ実施される
 4・8 広島ペンクラブ創立総会、
     東洋座で開催される
 4・23 GHQ、公式為替レートを
     1ドル360円に設定する。 
     広島中央部商店街連合会結成される
 4・24 荒神大洲線と国鉄宇品線との
     立体交差地下道が完成
 4・25 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
     翻訳出版される
 5・5 市主催の子供の祭典、
     児童文化会館で開かれる
 5・10 広島平和記念都市建設法案、
     衆議院で可決される
 5・15 国鉄横川駅の復興落成式挙行される
 6・10 広島ー東京間の急行「ひばり」と
     愛称がつけられる
 6・23 第1回広島美術展覧会、
     福屋百貨店で開催される
 6・30 中央百貨店、八丁堀に開店する
 7・1 市、失業対策事業を実施する
 7・2 広島証券取引所の再開式挙行される
 7・7 広島平和記念都市建設法住民投票  
     執行され、賛成多数
 7・18 ハワイ広島戦災救済会、
     県・市に寄付金9万ドルを伝達
 7・24 第1回広島市陸上選手権大会、
     広島総合グランドで開催
 7・28 東洋工業、小型4輪トラック
     第1号試作車完成させる
 7・30 市立児童図書館を小町の
     浅野図書館に併設し開館する 
 8・2 広島ロータリークラブの発会式
     挙行される
 8・4 フロイド・シューモ、
     「ヒロシマの家」建設のため来広
 8・6 広島平和記念都市建設法公布される。
     平和記念公園設計懸賞募集で
     丹下健三らが一等当選
 8・25 広島平和記念都市建設新総合計画きまる
 9・17 ノーマン・カズンズ、米誌上で
     精神養子運動を提唱する
 9・28 広島野球倶楽部カープ創設され
     日本野球連盟に届け出る
 10・1 「シュモーハウス」、皆実町に
     完成し引渡式挙行される
 10・8 広島中央卸売場の開場式挙行され、
     10日から営業
 11・1 道路交通法改正され、
     「人は右、車は左」実施される
 11・20 われら詩の会(峠三吉ら)
     「われら詩」を創刊
 12・24 広島県教育宝くじ発行される

 この年 ヒロポン流行
 
     流行語
     「ニコヨン」
     「フジヤマのトビウオ」
     「駅弁大学」

     流行歌

     「トンコ節」
     

     「銀座カンカン娘」

 
    「長崎の鐘」


     邦画

     「 青い山脈」

 
      
     「晩春」  
       
 
    「
野良犬

     洋画

     「 哀愁」

 

     「大いなる幻影」
     
「ハムレット」


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908
  
         

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

よみがえる広島(On The Way To Recovery)1


  被爆と敗戦による混乱、
 さらに追いうちをかけるように
 襲った台風。

 何度となく打ちのめされるながらも、
 市民の復興に対する意欲は、
 他の戦災都市と比べて
 何ら劣ることはなかった。

 生き残った人々は、
 新たに自らの生活を
 築くために立ちあがった。

 原爆投下数日後には
 市内電車が一部運転を再開、
 広島駅には電灯があかあかと灯った。

  年が明けると、
 映画館が次々と開館。
 
 街に流れる「リンゴの唄」に市民は
 明日への希望を託した。




相生橋の復旧工事
(昭和21年)

20-15

撮影:岸本吉太

欄干が吹き飛ばされ、
デコボコになった相生橋を
とりあえず
通行が支障がないように
応急工事を進めているところ。

復興の槌音(つちおと)が
聞こえてきそうな一葉である。



混雑する市内電車
(昭和21年)

20-16
提供:『広島の路面電車65年』所収
写真は広島駅前。

市内電車の通行再開は
比較的早く、
被爆から3日後の
西天満町ー己斐間の
片側運転を皮切りに、
順次再開された。

しかし、
当時の市内電車は、
車両の大部分が破壊されたため、
運行本数が極めて少なく、
超満員の乗客を乗せて
走ることがしばしばで、
電車から落ちてケガをするものも
少なくなかった。


復興する街並み①
(昭和21年4月)
20-17
撮影:岸本吉太

中電ビル屋上から北望。

上方中央に原爆ドームが見える。


復興する街並み②
(昭和22年11月)

20-18
撮影:岸本吉太

バラックが建ち並ぶ。

生き残った市民は、
新たな生活の場を築き上げた。


復興する街並み③
(昭和25年4月)

20-19
撮影:岸本吉太

整備中の百メートル道路。

当時、
”飛行機の滑走路にするのか”
という批判もあった。



M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(4)

  昭和23年(1948) 主なできごと

 1・17 ボーイスカウト広島県連盟結成大会、
     広島市で開催
 1・24 CIE図書館、千田町
     尚志会館の一部を借りて受けて開館
 1・29 県庁の警察本部から出火し、
     本館などを焼失する 
 1・31 広島港開港祝賀会開催される
 2・1 県、学校復興のため第1回
     広島県学校復興宝クジを発売
 2・6 県警、県内一斉に主食と生鮮食品類の
     取締りを実施する
 2・11 福山ー広島間中国駅伝復活する。
     広島の自立演劇サークル、
     広島自立劇団協議会を結成
 2・18 広島美術協会の第1回在広
     日本画家小品展開催される
 2・20 「平和の歌」
     懸賞募集の入選発表行われる
 2・27 フォルム美術協会
     新生第1回展開催される 
 2・29 プロ野球阪神隊南海戦、
     西練兵場跡で開催される
   - 広島詩人協会発足する
 3・20 広島駅本館完成する
 3・28 市内を5時間で一巡する
     観光バスのコース決まる
   - 映画館「東洋座」
     八丁堀に再建される
 4・1 広島駅前郵便局、庁舎の復旧なり
     業務を開始する
 4・8 市警察・消防開庁披露式挙行される
 4・10 中国新聞社、週刊誌「ジュニア中国」
     を発刊する
 4・16 ガスの供給、
     千田町の一部地域で再開される
 4・30 「夜の女」一斉検挙行われる
   - 広島軍政部、22年以来の統制実績を発表。
     9万6000件のヤミ取引を検挙し、
     1万2575件を起訴する
 5・2 サマータイム、
     午前零時から初めて実施される
 5・3 広島児童文化会館の開会式挙行される
 5・20 浜井市長、
     旧軍用地払下げ陳情のため上京する 
 6・1 国営自動車、広島ー浜田間に
     急行便の運行を開始する。 
     広島文学編修所、
     同人誌「広島文学」を創刊する。
           広島詩人協会、「地核」を創刊する。
     ガス供給、
     市内東部戦災復興地域に再開される。
 6・8 広島アメリカ映画文化協会結成される
 6・12 第1回広島県下
     新制高校水上競技大会開催される 
 6・28 中国新聞社、鈴木三重吉賞を制定する
   - 小町ー中島間の百メートル道路
     開設工事始まる

 7・1 市内電車、的場ー専売局間復旧し
     運行を開始する
 7・15 教育委員会法公布される
 7・19 第1回広島地区
     新制中学水上競技大会開催される
 8・2 広島市商店街連盟結成される
 8・4 広島平和協会主催の平和美術展
     袋町小で開催
 8・6 エスキーテニス誕生大会、
     児童文化会館前で開催
 8・8 ボーイスカウト国際ジャンボリー、
     市内で開催される
 8・10 市内電車運賃改正、6円
 10・3 第1回広島県新制高校総合体育大会、
     市内で開催される
 10・7 広島中央魚市場、草津町に完成し
     落成式を挙行する
 10・15 市内30余の文化団体、
     広島文化団体協議会を結成する     
 10・26 広島地方文化サークル協議会、
     発会式を挙行する
 10・30 CIE図書館、
     下中町の第一県女跡で開館する
   - ガス供給、
     紙屋町・八丁堀一帯で再開される
 11・1 西公益質屋、天満町で復活し
     営業を開始する
 11・10 大田洋子、小説「屍の街」を刊行する
 11・24 「イモ返上町民大会」
     宇品町神田神社前広場で開催
 11・30 小倉豊文、「絶後の記録」を刊行する
 12・18 市内電車、横川橋ー横川間復旧する

 この年 男性のアロハシャツ・
     リーゼントスタイル
     女性の超ロングスカート・
     いかり型フレアコート流行。
     日本脳炎大流行。
     ストリップショー盛況、地方にも登場
 
     流行語
     「老いらくの恋」
     「おかま」
     「てんやわんや」


     流行歌
     「異国の丘」
  
     「湯の町エレジー」

     「憧れのハワイ航路」

     邦画
     「肉体の門」

     「王将」

     「酔いどれ天使」

     洋画
     「美女と野獣」

     「ヘンリー五世」戦後初のフランス映画

     「イワン雷帝」
     
https://www.youtube.com/watch?v=dl5OskTEFBE

M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

ヤミ市の賑わい(Vigor of the Black market)


  終戦直後から、
 国内のいたるところの都市で、
 ヤミ市とよばれ商業空間が
 自然発生的な勢いで次々と生まれ、
 異常な活況をみせた。

 広島市も例外ではなく、
 とくに広島駅前はその規模において
 最大であり、大変な賑わいをみせた。

 ヤミ市、文字通りのブラックマーケット
 ではなく、ものを売る人、買う人
 それぞれが、その日を生きていくための
 必要不可欠な営みであった。

 よく売れたものが生鮮食品だったことが
 それを裏づけている。

 原爆に打ちひしがれながらも、
 人々は明るく、たくましくい。

 広島の復興はヤミ市から始まったと
 いっても過言ではない。

広島駅前のヤミ市
(昭和20年12月ごろか)

20-10
提供:朝日新聞社


広島駅前広場付近のヤミ市
(昭和21年冬~春)
20-11

撮影:山端庸介


広島駅屋上からの展望
(昭和21年7月)

20-12
提供:毎日新聞社

広島駅舎から松原町方面を望む。
中景右の高い屋根はサーカス小屋。
この両脇に長屋建店舗
「民衆マーケット」
が並んだ。


広島駅前ヤミ市の大火
(昭和24年)

20-13
提供:中国新聞社

炎上する南区松原町付近のヤミ市。
中国新聞は
「ピカ当時に逆もどり」
と報じている。


松原町下の段でのヤミ市
(昭和21年5月)

20-14
撮影:Eric A. Sexon

しゃれた帽子に
背広姿の紳士が
ヤミ市で品定め。


昭和21年の広島駅前のヤミ市

20-14-1

現在の猿猴橋町電停付近から
広島駅前方面を望む。

被爆直後から
駅前広場一帯に自然発生したヤミ市は
翌21年1月、
ここ松原町「下の段」に集団移転した。

軍の放出品、古着、食料品などが
飛ぶように売れた。

イラストの作成にあたっては、
当時の関係者多数から
聞き取りを行ない、
写真などを参考にして考証を加えた。

この風景は、
昭和21年3月から5月まで、
幅を持たせて描いている。
左下の建物は、
工事中の住友銀行東松原支店。

《星のながれに》


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(3)

  昭和22年(1947) 主なできごと

 1・20 町内会など、内務省訓令により、
     この日に遡って廃止。
     市の人口、20万2830人となる
 1・21 市、復興局東部復興事務所を開設する
 1・31 GHQ、2・1ゼネスト中止を命令する
 2・12 市、国民学校ででミルクとおかずだけの
     学校給食を開始 
 2・18 夜、広島駅前中華食堂街が火災となる。
     22戸全焼
 2・20 広島美術家連盟、
     県美展の復活を県に要請する
   - 市主催の市民ハイキング、
     戦後初めて開催される
   ー 福屋の一部、進駐軍に接収され
     英連邦軍休憩所の一部となる
 3・3 広島観光協会設立開催される  
 3・11 福屋東側の自由マーケット、
     警察の取締りに抗議休業
 3・14 県主催の広島県産業復興展、
     広島一中講堂で開催される
 3・22 木原七郎市長、
     公職追放で市長を辞任する   
 3・31 教育基本法・学校教育法公布される
   - 市内電車運賃改正、40銭
 4・1 従来の国民学校廃止され、
     小学校と改称される。  
     新制中学校発足する
 4・5 新地方制度に基き、
     公選による市町村選挙執行される 
 4・9 浜井信三、
     初の公選市長として就任決定する 
 5・9 国営自動車、広島-可部-大朝-石見太田
     間で営業開始
 5・10 市内5か所の公設市場で、
     全商品5分引き実施される
 5・21 市内中島学区住民による
     「米よこせ」示威運動おこる。
     広島軍政部、
     米の供出を各町村農業会に勧告する 
 6・1 原民喜、
     「三田文学」に「夏の花」を発表する。
     市、自治会廃止に伴い市内18か所に
     出張所を開発
 6・20 広島平和祭協会設立される
 7・1 広島市邦楽舞踊協会設立される
 7・16 第1回広島市軟式少年野球大会、
     西練兵場で開催。  
     芸備銀行、
     1か月2日の食糧調達休暇を実施する。
   ー 広島演劇協会設立される
 8・6 第1回平和祭、慈仙寺鼻で挙行。
     浜井市長「平和宣言」 
 8・8 平和祭のシャギリ・山車・仮装行列
     などに批判高まる
 8・15 電力逼迫のため
     「ホタル送電」実施される 
   ー 市内電車運賃改正、1円
 10・1 臨時国勢調査実施され、
     市人口22万4100人となる
 11・4 県醸造試験場、清酒鑑評会を
     全国に先がけて復活させる
 11・5 広島高等洋裁女学院、
     福屋でファションショーを開催
 11・23 第1回広島ー三次駅伝開催される   
 11・30 広島演劇協会第1回合同公演実現する
   - 青年座・広島自立劇団生まれる
   - 広島市生活物資配給委員会設立される
 12・5 正田篠枝、歌集「ざんげ」を出版する
 12・12 第1回青年優勝弁論大会開催される
 12・28 的場町鯉城園マーケットから出火し、
     40軒を消失する。  

 この年 昭和最高のベビーブーム。
     諸物価が倍々式の値上げ。 
     性病蔓延。
     モンペ激減、スカート激増

     流行語
     「斜陽族」「アプレガール」

     流行歌
     「炭坑節」
https://www.youtube.com/watch?v=JDzognQjjmw&list=RDJDzognQjjmw&start_radio=1&t=4

              
 「夜のプラットホーム」

     「港が見える丘」

     「星の流れに」

     「東京ブギブギ」
     邦画
     「今ひとたびの」

     「銀峯の果て」


     洋画
     「ガス燈」

     「荒野の決闘」
https://www.youtube.com/watch?v=NpyvoIdzZGI&list=RDNpyvoIdzZGI&start_radio=1&t=11




M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908




『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

占領下の広島(Occupied Hiroshima)


  昭和20年9月の
 降伏文書の調印から
 27年の講和条約発効まで、
 日本は連合国の占領下におかれた。

 連合国は東京に
 連合国最高司令官総司令部
 (GHQ)をおき、その指揮下、
 全国各地に進駐軍を配置し、
 占領政策を遂行した。

 占領軍の主力は米軍であったが、
 中国四国地方は、
 イギリス、インド、オーストラリア、
 ニュージーランドから構成される
 イギリス連邦軍が担当。

 とくに広島は
 オーストラリアが中心となり、
 呉、海田市、宇品、大竹岩国に駐屯し、
 復員兵の武装解除や治安維持などの
 任務に当たった。

原爆ドーム前のオーストラリア(豪州)軍
(昭和22年)
20-05
提供:オーストラリア戦争記念館
ネガNo.13325


猿猴橋を行進する英連邦軍
(昭和22年)
20-06
撮影:Wiliiam J. Coffman


広島駅前にズラリと並んだ占領軍の装甲車
(昭和21年)
20-07
撮影:Charles Connell


原爆ドーム前の平和塔
(昭和23年)
20-08
撮影:Stephen kalen


平和塔の前で談笑する婦人と子供
(昭和23年)
20-09
撮影:Stephen kalen

現在の平和の塔(広島)

建立年月日 昭和49年(1974年)10月30日


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(2)

  この年表は、戦後50年間の市民生活を中心に、 
 文化・風俗・スポーツなどに関するできごとを
 年月日順に収録した。
 日付不明の事項はその月の最後にーで示した。

 月日  昭和21年(1946) 主なできごと

 1・1 福屋1階に酒の立ち飲みスタンド
     1人1合あて2円
   5 中国文化連盟、第1回短歌回を開催する
   8 市、復興局を設置する
   23 五日市町の広島戦災児育成所の
     開所式挙行する
   28 広島美術家連盟結成される
   - 広島地方気象台、ラジオ・新聞による
     天気予報を復活
   - 広島青年文化連盟結成される
 2・1 市内電車・バス(5日)から運賃改正、
     10銭から20銭へ
 2・15 県、広島復興事務所を
     商工会議所内に設置する
 2・17 食糧緊急措置令及び
     隠匿物資等緊急措置令交付される 
 2・21 広島劇場、荒神町に開業する
 2・23 ヤミ市に対する市内初の取締り実施される
   - 福屋本館1階を仮修理、営業を開始する
   - 県内の進駐米軍が英連邦占領軍と交代する
   - 稲荷町の公益質屋、復旧し営業を開始する  
   - 「日刊広島」創刊される
 3・1 急行列車1往復、広島ー東京間に
     復活運転される
 3・3 旧円、この日から流通禁止となる。
     物価統制令交付される
 3・6 太陽館、的場町に開業する
 3・7 国際劇場、荒神町に開業する   
 3・10 雑誌「中国文化」創刊され、 
     原爆を特集する
 3・16 県知事、米麦未供出者に
     強制買上げ適用を表明する
 3・21 尾長ー宮島口往復駅伝開催される
 3・25 新建設社、
     月間婦人雑誌「新椿」を創刊する
 4・10 第22回衆議院選挙執行。
     婦人参政権行使される
 4・20 広島県中等学校スポーツ連盟設立される 
 4・26 市の人口、17万1902人となる
 4・29 第1回広島県スポーツ祭、
     南観音町総合競技場で開催
   - セントラル会館、皆実町に開館
     のち南座
 5・1 戦後初のメーデー(第17回) 
     広島駅前広場で開催される
 5・3 広島市連合町内会発足する
 5・5 広島市青年連合会結成大会  
     比治山国民学校で開催
     広島美術家連盟第1回作品展、
     広鉄局講堂で開催
 5・9 福屋名画劇場開館し、
     「オーケストラの少女」初上映
 5・26 食糧メーデー、広島駅前広場で開催される
     県中等学校軟式野球大会、
     総合グランドで開催
   - 広島児童文化振興会、
     市内教職員有志により結成
   - 広島映画連盟結成される
 6・1 県、食糧危機突破甘藷増産運動を展開する
     「夕刊ひろしま」創刊される
 6・5 市営の生活必需物資市場、
     市内5か所に開設される
 6・13 警察と豪州軍MP、
     市内全ヤミ市の一斉取締りを実施する
     県、ヤミ市対策として
     露店営業規則を制定する
 6・20 県庁、東洋工業から霞町の
     旧兵器廠跡へ移転する。
     市、広電己斐駅東側に
     公設市場20戸を開設する
 6・27 満州からの初の引揚船、宇品港に入港する
 7・4 市青年連合会食糧危機突破委員会開催される
 7・5 県、食糧危機対策の一環として、
     高級料理店・飲食店の
     自主的臨時休業の措置を開始する
 7・6 県、毎月3日分の主食配給停止を決定する
 7・9 駅前の露店業者、組合を結成し
     民衆マーケットを開設
 7・10 ダンスホール、市内に開店する
 7・11 市会食糧対策常任委員会、カエルのつけ焼き・
     鉄道草の味噌和えなどを試食する
 8・2 中国新聞社募集の「歌謡ひろしま」の
     当選発表会開催
 8・5 広島市町会連盟主催の
     広島市平和復興市民大会開催
     平和復興祭を挙行する(7日まで)
 8・6 花電車・山車を繰り出し、
     7日まで演芸大会など開催。
     広島児童文化振興会の
     「ぎんのすず」創刊される
 8・11 広島市平和復興祭協賛の
     広島市体育大会開催される
 8・15 可部線安芸飯室ー布間開通する
 8・30 栗原貞子、「黒い卵」を出版する
   - オリオン座、荒神橋西詰に開設される
 9・20 社団法人広島商工会議所創立総会
     開催される
   - 戦後最初の市営住宅10軒長屋200戸、
     基町に完成する
 11・3 日本国憲法公布される
     (昭和22年5月3日施行)
 11・21 主食配給、2合5勺に復活する
 11・23 第1回広島県青年スポーツ大会、
     広島市で開催される  
 11・29 芸備線、混雑混和のため通勤列車に
     乗車指定を実施する 
 12・1 蔬菜類の自由販売開始される
 12・8 広島―呉少年駅伝復活する
 この年 発疹チフス・天然痘・コレラが大流行。
     GHQ、DDTを大量強制散布。急速に終息

     流行語「カストリ」

     流行歌
     「啼くな小鳩よ」
     
https://www.youtube.com/watch?v=-Jcr4O4o_78&list=RD-Jcr4O4o_78&start_radio=1
     「東京の花売り娘」
     
https://www.youtube.com/watch?v=NH_kHV2nM7E&list=RDNH_kHV2nM7E&start_radio=1
     「世界をつなげ花の輪に」

     邦画
     「大曽根家の朝」
     
https://www.youtube.com/watch?v=I3gECmFsSV8
     「わが青春に悔いなし」
     洋画
     「カサブランカ」
     
https://www.youtube.com/watch?v=9S3orhIQ6Xw



『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》
20


被爆(Devastation By The A-Bomb)

  昭和20年8月6日、
 テニアン島を飛び立った米軍機
 「エノラ・ゲイ号」は
 2機の観測機を伴い、
 午前8時15分、原子爆弾を投下した。

 爆弾は投下約45秒後、相生橋の東方
 細工町の島病院の上空
 約580メートルで炸裂した。

 その瞬間、最盛期約42万人を数えた
 わが街広島は壊滅した。

  「70年間は草木も生えない」といわれた
 広島は、今、みごとに復活をとげ、
 21世紀を迎えようとしている。

 広島の戦後50年は、文字通り壊滅からの
 スタートだった。


広島上空の原子雲
20.01
提供:広島平和文化センター
米国陸軍病理学研究所返還資料

原子爆弾炸裂後約1時間
瀬戸内海上空から米軍機撮影
この原子雲の下に、
多くの市民が生命を奪われ、
傷つき、逃げまどっていた
(昭和20年8月6日)



瀬戸内海上空から広島市方面を望む
1994 .10
撮影:井出三千男

写真の中心に広島市街地
上の原子雲の写真と
同じアングルで撮影
(平成6年10月)


あの時を刻んだ腕時計
20.02
所蔵:簾畑君江

被爆の時をさしたまま
永遠に動かなくなった。


原爆投下後約3時間
(午前11時すぎ)
20.03
撮影:松重美人
提供:広島平和文化センター

御幸橋西詰付近で
手当てを受ける人々。

建物疎開作業中被爆した
広島女子商業高校、
県立第一中学生徒が多くいた。

きのこ雲の写真を除いて、
原爆投下当日の惨状を伝える
最も早い時刻の写真。
(昭和20年8月6日)


壊滅した広島城
20.04
提供:広島平和文化センター
米国陸軍病理学研究所返還資料

原爆の爆風により一瞬にして壊滅した。

城域内の中国軍管区(旧第5師団)は
爆心地からほぼ1km圏内に位置しており、
兵員約9000人のうちの4分の3が
死傷もしくは行方不明という
壊滅的打撃をうけた。
(昭和20年10月ごろ)


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908





『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

広島生活・文化・風俗略年表1945~95(1)

  この年表は、戦後50年間の市民生活を中心に、 
 文化・風俗・スポーツなどに関するできごとを
 年月日順に収録した。
 日付不明の事項はその月の最後にーで示した。

 月日  昭和20年(1945) 主なできごと

 3・9 米29、東京を大空襲。
     以後次々と大都市を空襲
   19 広島市、学童を県内5郡に疎開させる
     ことを決定する
 4・1 米軍、沖縄本島に上陸。
     6月、守備軍全滅 
   7 広島市に第二総軍司令部設置される。
 5・7 ドイツ、無条件降伏。
     米・ソ軍など欧州から極東に移動
 7・16 米、史上初の核爆弾の爆発実験に成功する
   25 トールマン米大統領、
     日本への原爆投下を命令する
   26 ポツダム宣言発表される
 8・6 米軍のB29がテニアン島から出撃
     8時15分、広島市上空で原子爆弾を投下。
     広島壊滅
    ※原爆・原爆体験記・青い閃光  
    http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049215.html 
       
 8・7 午後3時30分、大本営、
     「新型爆弾で広島被爆」と発表
 8・8 大本営の広島爆撃調査団広島入り
     午後4時、
     山陽本線広島ー横川間が開通する。
     市内電車、己斐ー観音間で
     片側運転開始される。
     広島駅前一帯で電灯がつく。
     ソ連、日本に宣戦布告する
 8・9 長崎に原子爆弾投下される
     芸備線開通。
     市内バス、
     広島駅ー比治山ー宇品間を運行
 8・10 船舶司令部、広島戦災救護本部の設立、
     臨時野戦病院6か所の開設など、
     広島救護計画を発表。
     広島戦災孤児収容所、
     比治山国民学校に開設される
     政府、スイス政府を通じ、
     新型爆弾使用を米政府に講義
 8・11 市内での死体処理、大体完了
     この日までに処理した死体、
     警察機関1万7865体、軍部隊1万2054体、
     市外の救護施設3040体
     市上水道、一部漏水あるも、
     ほぼ全域に給水可能となる。
     道路の障害物の取り除きが完了する
 8・12 食糧営団配給所・食料品組合配給所を
     市内各所に開設
     戦災者収容所、
     宇品国民学校に開設される 
 8・13 連合町内会長会議、
     市役所地階で開催される
 8・15 日本、無条件降伏・ポツダム宣言を受諾。
     大戦終結
     新聞、新型爆弾被災の詳細を
     一斉に報道する 
 8・20 被爆後初の市会全員協議会開催。20名出席
     県庁安芸郡府中町の
     東洋工業内へ移転する。
 9・2 降伏文書、ミズリー号上で調印される
 9・3 県主催の原子爆弾症講演会開催され、
     都築正男、
     原子爆弾傷者治療対策を発表する 
     米のバーチェット記者、広島入りし
     惨状を世界に報道
 9・9 米国原子爆弾災害調査団、広島入り。
     万国赤十字社ジュノー博士、
     調査団に同行し、持参した救急医療品で
     罹災者の医療活動にあたる
 9・12 国民学校疎開児童の帰還第1陣、
     537人帰広する
 9・14 学術研究会議、
     原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置
 9・17 枕崎台風襲来、
     県内の使者・行方不明者2012人
 9・19 GHQ(連合国総司令部)、
     プレスコードを指令する 
 9・29 市会を開会し、
     市長に木原七郎を選出する
 10・6 米第6軍第10軍団第14師団、
     広島県に進駐を開始する
 10・14 米戦略爆撃調査団、
     広島で調査を開始する。 
 10・24 国際連合成立する
 10・27 楠瀬常猪、県知事に就任する
 11・1 戦後第1回の広島市の人口調査実施
     人口13万6518人、世帯数3万3272世帯
 11・8 広島県引揚民事務所、
     宇品の凱旋館内に設置する。
     「ピカドン」の呼称、
     中国新聞史上に表れる。 
 11・13 生存市会議員により、
     広島市復興委員会結成される      
 11・19 広島市復興対策協議会設立される
 11・22 市の復興に対し政府から
     特別の援助を受けるため、
     市長・正副市会議長など上京する。
 12・9 GHQ、農地改革を指令する
 12・12 戦後初の通常県会、
     東洋工業内の仮県会議事堂で開催  
 12・23 広島戦災児育成所、
     五日市町で事業開始される
 この年 復員始まる。ヤミ市。
     メチールアルコール。輪タク登場
     流行語「一億総ザンゲ」 
     「マッカーサ―の命により」「四等国」
     流行歌
     「リンゴの唄」
        
     「お山の杉の子」
         https://www.youtube.com/watch?v=O9ZAqgdrN3A




M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

あの日 あのころ ひろしま50年
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1371368273682/index.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》
目次

 ごあいさつ 広島市長 平岡 敬
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055256.html

 広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(1)昭和20年(1945)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055298.html

 被爆(Devastation By The A-Bbomb)
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055322.html

 広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(2)昭和21年(1946) 
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055358.html

 占領下の広島(Occupied Hiroshima)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055404.html


 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(3)昭和22年(1947)
   http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055431.html


 ヤミ市の賑わい(Vigor of the Black market)
   http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055476.html


 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(4)昭和23年(1948)


 よみがえる広島(On The Way To Recovery)1
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055507.html


 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(5)昭和24年(1949)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055561.html


 よみがえる広島(On The Way To Recovery)2


 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(6)昭和25年(1950)


 よみがえる広島(On The Way To Recovery)3
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055653.html

 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(7)昭和26年(1951)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055658.html      

 よみがえる広島(On The Way To Recovery)4
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055685.html

 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(8)昭和27年(1952)  
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055714.html  

 
平和記念都市建設法の制定 
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055740.html


 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(9)昭和28年(1953) 
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055772.html 
 
 平和への願い(Efforts Towards Peace)①
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055832.html

 広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(10)昭和29年(1954)  

 平和への願い(Efforts Towards Peace)②
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055882.html

 広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(11)昭和30年(1955) 
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055918.html

 子どもたちの戦後①
 (Children:Undefeated in the Postwar Era)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055957.html

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(12)昭和31年(1956)  
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055979.html

 子どもたちの戦後②
 (Children:Undefeated in the Postwar Era)
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056031.html

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(13)昭和32年(1957)  
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056059.html

 豊かな時代へ(To the Age of Prosperity)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056086.html
 
  広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(14)昭和33年(1958)  
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056123.html

 復興への進展①(Renewal of the City)
  
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056159.html

 広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(15)昭和34年(1959)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056184.html

 
復興への進展②(Renewal of the City)
   http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056204.html  

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(16)昭和35年(1960)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056237.html

 広島復興大博覧会(The Great Hiroshima Recovery Exposition)
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056265.html
 
    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(17)昭和36年(1961)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056321.html

 あの日あのころ①(Back in Those Days)

  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056371.html

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(18)昭和37年(1962) 
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056379.html

 あの日あのころ②(Back in Those Days)
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056380.html 
 
  広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(19)昭和38年(1963)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056412.html

 中枢都市広島への歩み①(Growth into a Hub City)
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056437.html

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(20)昭和39年(1964)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056467.html
 
  広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(21)昭和40年(1965)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52056952.html

    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(22)昭和41年(1966)  
  http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52057055.html 

  広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(23)昭和42年(1967)  


    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(24)昭和43年(1968)  


    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(25)昭和44年(1969)  


    広島〔生活・文化・風俗
〕略年表(26)昭和45年(1970)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(27)昭和46年(1971)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(28)昭和47年(1972)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(29)昭和48年(1973)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(30)昭和49年(1974)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(31)昭和50年(1975)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(32)昭和51年(1976)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(33)昭和52年(1977)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(34)昭和53年(1978)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(35)昭和54年(1979)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(36)昭和55年(1980)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(37)昭和56年(1981)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(38)昭和57年(1982)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(39)昭和58年(1983)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(40)昭和59年(1984)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(41)昭和60年(1985)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(42)昭和61年(1986)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(43)昭和62年(1987)  
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(44)昭和63年(1988)
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(45)平成元年(1989) 
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(46)平成2年(1990) 
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(47)平成3年(1991) 
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(48)平成4年(1992) 
    広島〔生活・文化・風俗〕略年表(49)平成5年(1993) 
 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(50)平成6年(1994) 
 広島〔生活・文化・風俗〕略年表(51)平成7年(1995) 

M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908



『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『目次』へ戻る
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52055296.html

☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

《広島原爆投下後から50年》

あの日あのころ広島50年展

THE DAYS OF OUR LIVES
:
FIFTY YEARS OF HIROSHIMA

THE 50TH ANNIVERSARY EXHIBITION
OF
THE ATOMIC BOMBING

会期:1995年8月1日(火)~7日(火)
会場:広島そごう本館9階文化催事会場
主催:広島市 広島市教育委員会 中国新聞社

ごあいさつ

  太田川のデルタに開けたわがまち広島が、
 人類初の原子爆弾によって壊滅的な
 被害を受けてから50年の歳月が流れました。

  原爆の被害はあまりにも大きく、
 苛酷な体験でした。
 あれから半世紀、広島市民は、
 あの惨禍を再び繰り返してはならないという
 悲願を支えに廃墟の中から立ち上がり、
 多くの困難を乗り越えて街の復興と
 世界平和へのたゆみない努力を
 積み重ねてきました。

  今日の広島を築いた市民の勇気と努力、
 その結晶である都市の姿。
 この50年間という歳月には、
 私たち市民の確かな暮らしが
 営々と脈打っています。
 生活のエネルギー、明日への希望、そして
 明るい笑顔が
 そこにあったからではないでしようか。

  このような時代の経過をしるす記憶が
 都市の発展とともに、どんどん薄らいでいます。
 広島は、歴史的な役割を与えられた都市です。
 経験した者は、
 そういう時代があったとことを認識し、
 新たな時代の中で考え、さらに
 これを継承する役割が求められています。

  この展示会では、被爆50年の今年、
 あらためて過去を振り返り、未来を展望する
 機会として、市民のみなさんから
 戦後間もないころの街や風俗、暮らしぶりなどの
 写真や資料を提供していただきました。
 アルバムの中のなにげない写真が
 あなたに何かを語りかけ、
 あの日あのころを
 思い出させてくれることと思います。

  展示された写真などから「平和」について、
 抽象的な概念ではなく、
 日常生活の中から実感として、
 その意味をつかむきっかけになれば幸いです。
  
  最後になりましたが、展示会の開催に際しまして
 ご協力をいただいた関係各位、ならびに
 貴重な資料や写真をご提供いただいた皆様方に
 心からお礼申し上げます。

 平成7年8月1日
                広島市長 平岡 敬



写真:広島市 平和大橋
撮影:藤原信雄

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1305266528245/index.html


広島市公文書館紀要の発行


M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908






☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

沖縄語で書かれている高句麗王名


 沖縄から熊毛へかけての
 高麗人[カリエン]が九州を北上して、
 高句麗を建国したとすると、
 それは高句麗の歴史として
 残っているはずである。

 朝鮮の正史
 『三国史記』[高句麗本紀]をみると、
 その移動が事実だったことが、
 くっきりと見てとれる。

 加治木義博の
 『異説・日本古代国家』
 (1973年・田畑書店刊)で、

 高句麗の建国関係の伝承が、
 『記・紀』にある出雲神話と同じものであり、
 その舞台が薩摩半島だったことと、
 当時の人々の
 [移動や日鮮関係を立証する日本語地名]
 などの[言語遺物]が、

 『三国史記』の
 巻第34から第37の[地理]志を筆頭に
 『三国史記』にびっしり詰まっていることを
 説明しておいた。

 これは当時、たいそう評判になって、
 お読みいただいた方も多いと思うので、
 ここでは重複をさけて、
 高句麗では
 王を埋葬した地名を
 諡号(死んだ後でつける贈り名)
 に使っているので、
 その[地名=王名]もまた、
 その移動と時代を証明している
 事実も後でお話ししょう。

 それは沖縄から出発した人々なので、
 当然、地名にも沖縄語が入っている。

 だから
 沖縄語について少し予備知識がいる。

 しかし言葉の説明というと、
 カタカナばかり並んでいて、
 どうもややこしくて、
 読みたくないという人が多い。

 本当はどんな言葉でも
 幼児から老人まで少しもむづかしがらずに、
 毎日使うているものなのに、
 こんなに苦手だという人が多いのは、

 過去の日本語や、
 外国語の教育が
 根本から間違っていたためなのである。

 それはむりやり記憶することばかり
 強要するのを、
 教育だと錯覚した愚かさが原因なのだ。

 でもここで
 教育論にページを浪費するのはやめよう。

 私(加治木義博)が
 これから書く沖縄語の説明は、
 記憶する必要なんかない。

 それは、
 私の書く地名や王たちの名が
 おかしいと文句を言う人だけに
 必要なのであって、
 信頼して読んでくださるかたには
 必要ないから、
 飛ばしていただけばいいのである。

 そして…
 わずか五行だから…
 仮にお読みになる場合でも、
 記憶しょうなどと思わずに、

 一体どうなってるんだろう?

 と、
 知的興味で読んいただければ
 本当はずいぶん面白いものなのである。

 私なんかそのために、
 いつの間にか世界の言葉を2000種類も
 調べてしまったほどなのだから……。

 *[オカシナ?…沖縄語の代表たち]

 [オナゴ(女子)=イナグ]。

 [オイ(甥)=イイ]などと
 [オ]を[イ]と発音する。

 この方言では原則として
 [オ]は[ウ]に変わる。

 母音[o]が[u]に変わるので、
 [コ]も[ク]と発音するが、

 その[ウ]も
 次のように[イ]に変わるものがある。

 [ウオ=イユ=ウロコ=イリチ]。

 そうかと思うと、
 [イネ(稲)=ンニ]。
 [イモ(芋)=ンモ]
 というふうに変わるから、
 これは
 [ウ]と[イ]が
 混乱した結果とみるほかない。

「図:鹿児島西部に実在する『三国史記』地名」

日鮮建国の舞台(加治木原図)

 (1)白岳山(白髪岳)
 (2)鴨緑水(川内川)
 (3)卒本(慕本)(出水)出雲
 (4)国内城(宮之城)
 (5)佟江(東郷)
 (6)音城山(野田青木原)
 (7)丸都城(隈之城)倭津城
 (8)慰礼城(入来)
 (9)医無間山(湯之牟礼山)
 (10)櫛茅渟(串木野)
 (11)韓郷島(鹿児島)
 (12)丸都城(加治木)
 (13)房(坊之津)
 (14)成川(卒木扶余)(成川)
 (15)伽耶(鹿屋)
 (16)高天原(高隈山)
 (17)熊心山(負児岳)(韓国見岳)
 (18)高徐伐(高千穂峰)
 (19)漢水(球磨川)
 (20)奥津(大口)
 (21)任那(水俣)
 (22)百済(串良)
 (23)方忽岳山(鉾立山)



 M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

和(カ)人と倭(ウワイ)人と縄文、弥生、古墳人の区別


 また中国語の[人]の発音は
 [リェン]に近い。

 [カ]という民族は
 [カリエン]と発音される。

 今[カリエン]と呼ばれる人々は、
 昔中国で[和(カ)]と呼ばれた時代の
 名残りをとどめている。

 これは
 [和人]と[倭人]が同じだとされていた
 証拠なのである。

 しかし
 この[和人]と[倭人]は同じではない。

 [和人]は縄文時代から日本列島にいたが、
 [倭人〕のほうは『ヒミコ』で
 お話ししたように、
 卑弥呼の時代に初めて九州へ来た
 アショカ仏教布教団が広めた
 初期仏教信者のことである。

 彼らは今、
 古墳と呼ばれるストウーパを
 日本に建てはじめた。

 [和人]が縄文人なら、
 [倭人]は[古墳人]なのである。

 厳密にいうと
 [倭人]は[弥生人]とも違う。

 そのことを
 『倭人章』は[銅鐸]について、
 何一つ書かないことで、
 はっきり書き分けている。

 弥生時代後期の本州西部には
 銅鐸を持った人たちが住んでいたが、
 古墳がつくられるようになると
 それは姿を消した。

 勢力の交替があったことは、
 はっきりしている。

 当然
 [倭人]は[弥生人]と
 区別しなければならない。

 こうした混乱はもう過去のものである。

 [和人]も[倭人]も区別せず
 [ワジン]と呼ぶことなどから
 改める必要がある。

 [倭]は[ウワイ]という発音だから
 優婆畏(仏教徒)への当て字に使われたから
 [大和(ウワ)]人と呼ぶのが正しいのである。


 M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

和人とはカリエンのことだった


 もちろん、
 古い時代に[高麗]という当て字をしたのは、
 新井白石ではなくて中国人である。

 [コーレー]という宝物を
 沖縄から運んでくる人々は、
 中国では[高麗人]と書かれた。

 その当て字の時代はいつごろだったであろう?。

 『三国志魏書」[東夷章]には、
 この高麗とよく似た国名の
 [高句麗章]があるが、
 それによると
 西暦紀元前9年に漢を乗っ取って、
 新という国名に変えた王莽(オウモウ)が、
 東胡(トウコ)を討つために
 高句麗人を動員したという記事が出ている。

 この国は紀元前からあったことは間違いない。

 この国と高麗がどういう関係にあるか
 考えてみよう。

 テレビなどで
 ベトナム語の会話を聞くとすぐ分かるが、
 その発音は[ンガ・ング]
 といったクセのある鼻濁音が非常に多くて、
 日本の硬い標準語に慣れた
 私たちには聞きづらい。

 高句麗は北鮮発音では
 [コグリョ]と聞こえるが、
 これは高麗を
 ベトナム語訛りで発音したものに近い。

 [コウリィ]を
 [コグリョ]と発音するのである。

 だから
 [高麗]と[高句麗]は同じ名に対する
 方言の発音差につけられた
 二つの当て字であって、別の名ではない。

 古代日本にも、
 そうした方言があったことを示す地名や姓は、
 日本にもたくさん残っている。

 [木暮][小栗]、
 [高良(コウラ)]と
 [小倉(コグラ・オグラ)]、
 [田内(タウチ)][田口(タグチ)]
 [田淵(タブチ)]などもそれである。

 また
 小倉を[コグラ]と
 無理にベトナム語化しなくても、
 高句麗はそのままでも[コクラ]と読める。

 その地理関係も[吐喝喇]列島と高句麗との、
 ちょうど中間に
 [コクラ]と読む小倉市があって、
 その移動の跡を残しているのである。

 しかしこれまでの答えは
 朝鮮半島とカリエン人とのつながりは
 証明したけれど、
 日本との関係はまだ小倉以外はっきりしない。

 カリエンは本当に倭人だったのであろうか?。

 日本では今[倭人]を[ワジン]と読む。

 しかし
 古来[日本人]自身を[ワジン]と
 呼ぶときには[和人]と書き、
 [和・漢・洋]と使ってきた。

 [倭人=和人]である。

 この和の字を[ワ]と発音するのは
 日本読みで、
 漢音では[カ・クァ]と発音する。

 ハーモニーを[和声(カセイ)]というし、
 [和氏の璧]を[クァシのタマ]
 と読むのはそのためである。


 M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908


☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

カリエン人=宝貝人=高麗人


 『ヒミコ』であらましお話した
 「カリエンの語り部の語ったカリエンの歴史」は概略だが、
 それでも膨大な内容で、
 詳しい検討は本格的な別著に譲ることにするが、
 それが本当かどうか?
 まだ疑わしいと思う方のために、
 もう一つ、なぞ解きをしてみよう。

 『カリエン史』では

 沖縄から日本列島、朝鮮半島を経て
 拡大し移動したという。
 だとすれば、
 何かはっきりした遺物を
 残していなければならないが、
 それは日本で見つかるだろうか?
 集団が残す最大の遺物。

 それはその集団名である。

 日本では
 [カレン]という名のほうがポピュラーである。

 でもそんな日本語離れした名が
 日本列島に遺物として残っているか?

 と長く疑問だった。

 しかしタイ・ビルマの現地へ行ってみると、
 その名が正確に[カリエン]と
 発音されているのに気がついた。
 この一音差の[i]がなぞを解いてくれたのである。

 いま朝鮮半島の人々を、
 英語ではコリアンとかコレアンと
 呼ぶことはよくご存じだと思う。

 これをローマ字で書くと[KOREAN]。

 これは訛りの強い英語
 その先祖のインド語では、
 [カリエン]と発音する。

 では[コレアン]とはなんのことなのであろうか?

 それが[高麗人]という名の
 英語読みであることはご存じだと思うが、

 [コーレー]とか[コウリー]と発音できる
 この[高麗]という
 国名は一体を意味していたのだろう?

 それと全く同じ発音の
 [コーレー][コウリー]という
 印欧語(インド・ヨーロッパ語)の名をもった
 海の生物がいる。

 これがこれまでお話ししてきた
 [宝貝]だったのである。

 [高麗]というのは
 [宝貝]の名の発音に漢字を当てた、
 非常にぴったりした当て字だったのである。

 そして[高麗]は日本読みすると
 [タカラ]と読めることに注目する必要がある。

 タカラは[高(タカ)国(ラ)]で[高麗国]のこと。

 高麗といえば[コマ]と読んで
 朝鮮半島の国だと決めてかかっていた
 過去の学者や教師は、
 本当の歴史を知らなかったのである。

 高麗は朝鮮半島では
 なんの意味もない国名にすぎないが、
 南九州以南では[宝貝]という名の
 古代世界経済の支配者と、

 [コーレー][コウリー]という印欧語によって、
 広いアジア全域に結びつくすごい国名になる。

 どちらが本体だったか、はっきり分かることである。

 当時の高麗人=カリエン人にとっては、
 この貝が食物や必要品を生み出し、
 生活をささえてくれる魔法の杖、
 打ち出の小槌(こづち)のような[宝]だったことは、
 だれにでも分かる。

 今でも日本語には、
 貨幣を[お宝]と呼ぶ言葉がある。

 それを後世の「シヤレたパロディ」だと
 錯覚した説明しか辞典には載っていないが、
 事実は古代から[お宝]と呼ばれていたのであって、
 銭(ゼーニとかお金(オカネ)というのは、
 それが金属製に変わったあとでつけられた
 呼び名であることは、
 どちらにも [金]が付いていることですぐ分かる。

 その[高麗国]は鹿児島の南の海上にあった。

 こうみてくると今もそこにある
 [宝島]が何を意味するかもよく分かるし、
 その島を中心とする島々が
 「吐喝喇(トカラ)列島」と呼ばれていることも、
 また少しも不思議ではない。

 沖縄方言では[ト]という発音はなかった。
 そこで[吐(ト)]という文字が使われているのは、
 当て字をした人が方言の違いを気にしすぎて、
 発音を[翻訳]してしまったことを示している。

 それと同じことを新井白石もしている。

 本来の沖縄語にはない
 [オ音]と[キ音]の当て字を、


☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

[倭(ウワイ)]は白人と仏教徒を意味する


 この本の主題にとって
 一番重要なカリエン語は[ウワイ]である。

 これは[倭]の当て字の語源である
 〔ウワイ]とぴったり同じなのである。

 だから
 私(加治木義博)はしばらくのあいだは、
 [倭]の語源は
 このカリエン語だと思っていた。

 しかし研究が進んで、
 [韓]の当て字の語源が
 インド語の[黒=カラ]であることが分かり、
 それが
 ベンガル人を含むカリエン人集団を呼ぶ、
 [和国=カラ]であったことが決定すると、
 [白]を意味するカリエン語[ウワイ]は、
 自分たちと対照的な特質をもつ
 白人[ウワイ人]の名詞を
 [借用]したものが、
 今、
 [白]を意味する言葉として
 残っているのだということが分かった。

 その理由はたくさんあるが、
 この[ウワイ]は
 英語の[ホワイト]などの仲間で、
 印欧語だが、
 カリエン語はイラクとイランの古語で
 アラブ語とペルシャ語の混合物であることは、
 その歴史からみてもすぐ分かる。

 だから借用語なのである。

 これは
 [ウワイ]と[ウバイ=優婆畏]
 の違いの理由も教えてくれた。

 髪の毛のある女性の仏教徒を指す
 この中国語の[ウバイ]は、
 やがて
 白人という意味のインド語に 
 非常に近いことから、
 [ウワイ]が
 本流になってしまったのである。

 その時期は
 ソナカ教団が
 中国文化圏である
 インドシナ半島に入ったころで、
 古い[倭人]はその地域にいたのである。


 M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908



☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪

日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博

初めて発見された日鮮語との同系語


  文化人類学で
 人の集団を区分するのに
 決定的役割を果たすのは「言語」であるが、

 カリエン語はどうなっているのであろうか?。

 本書の主題からそれないように
 手短かにお話ししょう。

 言語を比較する場合、
 借用語を比較してもなんにもならない。

 その人々独特の言葉だけを
 選んでから比較する。

 日本語の場合は
 「イチ・ニ・サン」は
 中国からの借用語だから、
 比較しても意味はない。

 日本独特の
 「ヒー・フー・ミー・ヨー」が
 その[独特の言葉]で、
 これは従来、
 世界中どこにも同じ系統の言語はないと
 いわれてきた数詞である。

 私は最初に訪れた
 タイ奥地のカリエン人の村で、
 村人にその数詞をたずねて、
 返ってくる発音を録音しながら
 驚喜の感情を抑えきれなかった。

 それこそ世界で最初に見つかった
 「日本語との同系語」であり、
 朝鮮語とも同系統の言語だったからである。

 帰国後さらに入念に、
 そのほかの[基礎語]と呼ぶものを
 すべて比較してみて、
 それが互いに
 同じ先祖から分かれた言葉だと分かるまでに、
 それほど時間はかからなかった。

 その内容は専門的になり過ぎるし、
 わずかな例をあげて
 不十分な説明をしたのでは、
 理解できずに、
 かえってこじつけのようにみえると思うので、
 次のページで、
 簡単に必要なお話しだけしておこう。


 M.K記(責)
   連絡先:090-2485-7908

↑このページのトップヘ