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『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)より抜粋・引用します。

 

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。

日本商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路1899年にはヨーロッパアメリカオーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主天皇家三菱財閥であった。アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。

この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。

詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、

「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。

娼婦
を送り出す船会社が、天皇家三菱に大いなる

利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。

「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」

福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。

<中略>

至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。

<中略>

日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民アメリカにいた。

1901年共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。

<中略>

片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本密入国しようとする中国人が、中国マフィア蛇頭)に支払うくらいの金額だった。やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨークロンドンモスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

同じ手口を皇室三菱は考えた。ペルシャイラン)からアヘンの輸入であった。皇室三菱は、三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起きる可能性があったからだ。三井三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国はこのアヘンの金でできた。

天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、昭和天皇木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。1938年12月に興亜院がつくられ、阿片政策を統括した。その翌年から「土薬公司」ができた。日本でもケシ栽培をし、朝鮮に送り込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室財産の形成に大きく貢献した。阿片政策はこの辺にしたい。

多くの軍人たちが、三菱三井のアヘンの利益の一部を貰って遊興にあけくれた。マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で1946年3月28日の出来事を書いている。

「東条が自殺を企てたその家は、岩崎家からの贈物で、東条一家には三菱財閥の情深い当主から現金、株券その他で一千万円の額があるという報道が行なわれた。」

(つづく)