こんばんは。オフまっしぐらですね。
現在「横浜F・マリノス Advent Calendar 2015」という各ブログが指定した日にエントリを更新していくという企画が進行中です。
(12月1日から25日まで)
http://www.adventar.org/calendars/1022

私のブログでは他の皆様とは趣向を変えて、このエントリを12月3日から12月25日までジワジワと更新していきます。最終日までのんびりお付き合い頂けましたら幸いです。
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#1「かつて東神奈川にあったお店のこと」

居酒屋 ふる里
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140212/14023536/

居酒屋ふる里は、私の自宅から歩いて数分のところにありました。
「ありました。」と過去形なのは、ふる里は既に閉店してしまったからです。

ふる里とは私がまだマリノスさんに1円もお金を落としてなかった頃からの付き合いで、
月イチくらいのペースでお酒を飲みに行っていたのですが、2004年以降スタジアムで友人が増え始めてからはマリノスルートで繋がった友達を頻繁にお連れするようになりました。

お店は人懐っこい笑顔のご主人と、注文を取るお母さんの二人体制で、お母さんはご主人のことをいつも「マスター」と呼んでいました。
お母さんの方はと言うと、常連さんからは「えみちゃん」と呼ばれていました。
(文中ではえみちゃんと書いてはいますが、実際に私が本人を前に「えみちゃん」と呼んだことは一度もありません。)

バーならともかく居酒屋で「マスター」ってのも最初違和感がありましたがそのうち慣れてみんな「マスター」と呼んでいました。(マリサポ界隈で有名なますたーとは別人です。念のため。)

ふる里の売りは刺身と揚げ物類と辛みそ鍋と焼肉サラダとユッケと手巻き寿司でした。
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おそらくふる里のメニューの中で最もSNSを賑わしたであろう、焼肉サラダ。

他の人気メニューも、ふる里のアーカイブとして載せておきましょう。
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辛みそ鍋レギュラーサイズ。一人前の小鍋サイズもありました。
通年メニューですが、夏場に頼むとえみちゃんが非常に嫌そうな顔をします。
理由は今となっては謎のままです。

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あじのなめろう。
骨は身の部分を食べ終わった後で、マスターが唐揚げにしてくれます。


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トビウオの刺身。寒くなると気まぐれに日替わりボードに掲載されるレアメニュー。

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手巻き寿司。最近のスシローは全部ワサビ抜きですが、ふる里の手巻き寿司はお子様お断りのワサビの効きが自慢です。


えみちゃんから「先生」というあだ名を頂いた友人は、焼肉サラダと辛みそ鍋の小鍋をつまみに遅くから飲んでいました。
ただ冒頭でお伝えしました通り、こちらのお店は2014年の1月に閉店してしまいました。
天皇杯の優勝を祝して舟盛りを仕立てて頂いたのも遠い昔の話。
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ここまで読んで久しぶりに当時の味を思い出して、寂しくなってしまった方も多いのではないかと思います。書いている私ももう一度焼肉サラダが食べたくなってきました。

ちなみに跡地は現在、コインランドリーになっています。
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(飲食店にならなくて結果的には良かったのかな。とも思っていますが。)


さて、マスターの笑顔を見てしんみりしてきたところですが
ここで私からふる里ファンの皆様へ良いお知らせがあります!!

「うまいもん処 今村商店、」
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140101/14036601/
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こちらで現在月曜と火曜を除く毎晩、マスターの捌くお刺身などを頂くことが出来ます。
横浜駅から近く、人気店のため毎晩混んでいますが、電話で予約もできますので一度訪れてみてはいかがでしょうか。
残念ながら焼肉サラダや辛みそ鍋はありませんが、当時を彷彿させるメニューはいくつかありますよ!
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(人気メニューの一つだった、めんたいポテト。)

マスターのファンの方は、マスターのお顔が良く見えるカウンター席に座るのがおすすめです。



#2「Sさんのこと」

Sさんは昨年の2月に永眠されました。
これはそのSさんと、そして少しだけ私の話です。

Sさんは、大きな体と少し長い髪でとても目立つ存在でした。
今から10年ほど前、スタジアムショップの下で初めてお会いしました。
(当時は「こころ下」と呼ばれていましたので、以後「こころ下」で統一します)

その日は試合前にコアなサポーターの方々がこころ下へ大勢集まることになっており
私はそのコアな方の中にいた門旗さんという方へ何かをお渡しする約束をしていて、その場を訪ねることになっていました。
平静を装っていましたが内心何かされるんじゃないかと結構ビビッてました。
(皆さん優しい方ばかりでよかったです)

初対面のその日は、Sさんとはそれほど話すこともなく別れました。

それからしばらくして、私がリストバンドかマフラーかを製作した際に、再びSさんとこころ下で一緒になりました。

その日は偶然新横町民さんのTシャツ受け渡しが重なっていて、そこにSさんが新横さんと一緒に座っており、受け取りの方が来るのを待ちながらお二人と身の上話などをしているうちにすっかり打ち解けました。

聞けばSさんはご自身で会社を経営されていて、しかも私の当時勤めていた会社の社名を打ち明けると驚くことに会社同士に古くからの繋がりがあり、かなり詳しくご存知でした。

世間は広いようで狭いなと思ったものです。

Sさんとはその後も顔を合わせる度に、いろいろなことを話しました。
マリノス以外のことの方が多かったです。
仕事のこと、子育てのこと、趣味の時計のこと。
腕時計はかなりお好きでした。

Sさんのスタンスは積極的傾聴で、どうでもいい話でも、いつも笑みを湛えながら聞いてくれました。

さてそこから話は随分最近まで飛びますが、2013年が明けて間もなく私の父が闘病の末に他界しました。

それまで、お葬式には訪れる側でしかなかった私は、
お葬式を「故人を送りだすための儀式」という視点でしか見ていませんでした。
それが自身の父を亡くして初めて、残された家族にとっても大切な儀式なのだなと実感したのです。

父の顔も知らないはずのマリサポの友人たちが葬儀の受付を引き受けてくれたりですとか、
私の考えていた以上に多くの友人達がその葬儀へ駆けつけてくれたことに、同僚や友人達の思いというのを知って、また同時にその有難さを感じて、父を亡くした喪失感から上を向くことができました。

Sさんを始め、葬儀にお越しいただいた皆さんへ(この先何かの形で、このご恩をお返しして行こう)、そんな風に思ったのです。


月日は流れ、マリサポにとって忘れがたい年となった2013年の年の瀬。
Sさんは天皇杯の準決勝・鳥栖戦の前に体調を崩し、入院されていると友人から伺いました。

すでにお見舞いに行かれていたKさんから「Sさんだいぶ良くなったみたいで元気そうでしたよ」と聞きまして、上に書いたご恩返しではないですが、すぐ近くに住むAさんに連絡を取り、一緒にご自宅の近くの入院されている大きな病院へお見舞いに行きました。

治療中のため元日の国立競技場に居ることが出来なかったSさんの元には、まだその時期選手や監督しか手にしていないであろう天皇杯の優勝記念マフラーが届けられていました。

「すごい本物だ!」なんて言いながらじっくり見せてもらいました。
小さい頃からSさんには何度かお会いしている娘も一緒にお邪魔したのですが、
「娘さん大きくなったね!あと何年かして彼氏とか出来たらマツくん、大変だね」
なんて冷やかされました。

「今年はACLがあるから、病院から通販で遠征に使いそうな物をいろいろ買ってるよ!」
そんなSさんの言葉を聞きながら(もう本当にあと数日で退院できそうだな)と、私も娘もAさんも信じて疑いませんでした。

でも、それがSさんと会って話ができた、最後の時となりました。

友人から訃報を聞いたのは、病院へ行ったその日からたった3週間後のこと。

入院が長引いていると噂に聞き、数日前にメールで「退屈でしょうから、新しい腕時計の本でも持っていきますよ」と送ってみたところ
「今は病院自体がノロとインフルエンザ対策で面会は親族のみなんです、すみません。」という返事を頂いたばかりだったのに。

信じられるはずもありません。
頭で理解しようと思っても、全く受け入ることができません。

その週末、Aさんと共に、もう一度Sさんのご自宅にお伺いすることができました。
奥様から、若かりし頃からごく最近までのSさんのお話しをたくさん聞かせていただきました。
お見舞いの日に、数冊腕時計の本を退屈しのぎにお持ちしたのですが、そのうちの一冊を特に気に入られて、入院中ベッドのそばに置いて読んでいたそうです。

病床で携帯電話をずっと離さずに持っていたことも聞きました。

Sさんはそんな辛い体であったのに、お元気だった時と変わらない素早い反応で私たちにメールを返信してくれていたのです。

最後にお会いした時の笑顔、長年触れてきた手の感触を思うと、後悔や感謝やその他いろんな感情がごっちゃになって目から溢れてきます。

数日後にいとなまれた告別式の日には横浜でその冬一番の大雪が降り、街は真っ白になりました。
斎場で静かに流れていたEaglesの「Desperado」を聞くと、帰り道の横浜線から見た雪景色、そしてその中に浮かび上がる白いホームスタジアムを思い出します。

…結局、私は一年前に感じたご恩を、Sさんに返すことはあまり出来ませんでした。

Sさんに父の葬儀の際に掛けて頂いた「お母さんと家族たちを大事にしなよ」という言葉を守ってゆくくらいでしょうか。

娘の結婚式も見ていただきたかったし、前々から声をかけて頂いていたマフラー製作も一緒にやりたかったです。
思えば思うほど本当に無念でなりません。

こんな私にもいつも優しい言葉をたくさん掛けてくださって、本当にありがとうございました。

ダンマクの文言の真似になりますが、
俺達はSさんと優勝したかったです。


#3「マツの周りのできごと」

その日にあったマリノスのニュースをまとめて見たい!という方にとって、このブログは以前ほど頼りにならないものになりました。
数年前はほぼ毎朝7時台にニュースをweb上から集めて上げていましたので、ブログにとって重要とされる「速報性」と「定時性」を持ち合わせていたのですが今ではさっぱりです。

上記の毎朝7時台にニュースを上げていた頃は、いつも横浜駅から相鉄線という電車に乗り海老名にある職場まで通っていました。片道、約40分ほど。

この時間が、ニュースを探すのに程良い長さだったのです。

2011年3月の東日本大震災は海老名で経験しました。
相鉄線が全線運休になってしまい、海老名から横浜に帰るのは一苦労だったことを今でもよく覚えております。

通勤時間が長くて嫌になった訳ではありませんが、震災発生を機に自宅に少しでも近い所で勤務したいと思うこともあったり、いつまでもこのままで本当に良いのかと悩んだ結果、3年前の2012年に仕事を変えました。
そのため、私を取り巻く環境も少しずつ変わりました。

それから今年の春にかなり大きな環境の変化がありまして、現在は海老名どころか横浜からはかなり離れたところにいます。

横浜が好きで、横浜に居るのが当たり前だった私にとっては、まさに晴天の霹靂といったところでしょうか。
仕事を変えたことに対してはまったくと言っていいほど後悔はありませんが、数年後に横浜を離れる展開が待っていようとは想像もしませんでした。


#4「まとめ」

私にしては珍しく、短期間のうちに長い文を3編書きました。
これらに共通しているのは「かつては当然の様に、そこに在った」ということなのでした。

行きつけのお店、友人、自身の生活環境。
いずれも永遠とまでは行かなくても、この先の数十年くらいはゆったり続くものと思っていました。
先の事を予測して後悔の無いように行動できれば一番良いのですが、実際はそんなにうまく行きません。

私の人生、これまで書いた5つの作文の中にあるとおり後悔だらけです。


マツの周り:後悔の記録
・「かつて横浜ランドマークプラザにあったお店のこと」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/51991795.html

・「松田直樹という存在」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/51893142.html

・「人が後悔するのはやって失敗する事よりも、やらなかった事についてですから(2)」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/51891070.html

・「氷室京介さん」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/52139158.html

・「【横浜M】中沢、麻也を擁護 2失点の守備陣には苦言」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/52068177.html

久々に読み返してみても、友人の結婚式や父のことはいまだに悔やまれます。

今年も残り僅かとなりました。
私の拙い文が、この年末・年始に皆様が何かを踏み出すきっかけになれば良いなと思いつつ
愛用のPCをシャットダウンしたいと思います。

最後になりましたが、約1か月間お付き合い頂きましてありがとうございました!
毎晩追記したり、ごそっと消したり、書き直したりしましたが、ようやくある程度気の済む形になりました。

私事ですが29日には仕事納めの後で横浜に戻りますので、お会い出来る方はぜひ#1の終わりに書いた今村商店で一緒にあじのなめろうやめんたいポテトでもつつきながらお酒でも飲みましょう。

続く限りは「マツの周り」をよろしくお願いします。
10年も続くとは思わなかったなあ。

ではまた明日。
12月25日 20:15
マツ

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