先日、ビズリーチさんが主催しているヘッドハンターサミットに参加させていただいて、ありがたくもIT・インターネット部門で年間のMVPをいただきました。
思った以上に周りの方々からお祝いの言葉をいただけたり、ポジティブなやり取りをさせていただきました。
いつもお世話になっている点含めて、ビズリーチさんには感謝しております。

当日は色々な方々がスピーチをしていたのですが、やはり魅力的な話をするのは、自分の言葉で話をしている方でした。
凄く立場のある方、実績がある方であっても、単純に正しい話を、正しい形でしていても、あまり響くことはなく「ああ、正しいこと言っているな」という感想にとどまるのですが、不器用でも、自分が経験してきたこと、考えてきたことから発せられる言葉は、きちんと聞き手に届いていたように思います。

今後、AI社会、大量データ社会が加速していく中で、「正しい情報」「客観的データ」はますます氾濫していくと思います。
人間が人間に正しい情報やデータを伝える価値は低減していきます。
検索すれば正しい情報やデータは得やすくなっていますし、個々人が意見を伝えるツールは増えているので、有識者の考え方や彼らが知っている情報にも簡単にアクセス出来ます。

そうなると、人間が話すことの価値は、自分自身が考えたり、経験した上で発する言葉からしか生まれないと思います。
スピーチの場だけではなく、よく面接の場で、正しいことを言おうとしている方々は多いのですが、やはり正しい言葉で話すことに魅力を感じることは少なく、自分から滲み出てくる言葉で伝えることでしか、自身の魅力を伝えることが出来ないと思います。

実際、先日の場でも、あのレベルの方々が、正しい話をしても響かないのであれば、自分ぐらいの人間が正しい話をしても、全く意味がないだろうなと感じることが出来ました。

以前は色々な方々から「松井さんの考える、優秀な人って、どういう人ですか??」と聞かれたときには、「結果を出している人です」と、当たり前というか、それはそうだろうという返答をしてきたのですが、最近は「色気のある人」という答え方をしています。
色気がある人は、「自分の言葉を持っていて、周りを巻き込める人」「言葉に艶がある人」だと考えています。
「自分を等身大に伝える」「開き直って自分らしくある」というのは、なかなか難しいところがありますが、結果的には、それしか価値を生まないと考えると、やるかやらないかを考えるのではなく、それでいくしかないのだと考えるようになりました。

「自分をそのまま出しても良い」「自分を出すことでしか価値が出ない」ということに気づけたことが、ヘッドハンターサミットに出た一番の収穫かもしれません。