松川事件・松川運動

1949年8月17日に発生した松川事件は、1963年9月12日最高裁判決で、全員無罪の判決が確定した。  これは、公正な裁判を要求する全国的に展開された大衆運動によって、勝ち取られたものである。  日本の裁判史上、輝かしい金字塔ともいえる。  無罪確定後、半世紀も過ぎ、裁判の当事者・運動の担い手も高齢化し、継承に困難もある。  しかし、現在でも、数々のえん罪事件が繰り返されている状況は、松川事件・松川運動を継承する必要性は増している。  松川事件・松川運動を正しく継承していくために、このブログを立ち上げ、情報の共有を図りたいと思う。  皆さんのご協力をお願いしたい。

https://mainichi.jp/articles/20231228/ddm/001/070/108000c

 「法務大臣にきいたが、松川事件はアメリカがやつて共産党の所為(せい)にしたとかいふ事だが」。田島道治初代宮内庁長官が拝謁記に残した昭和天皇の言葉だ。「田島初耳にて柳条湖事件の如(ごと)き心地し、容易ならぬ事と思ふ」と心情を記している▲1949年夏、福島県の松川駅付近で列車が脱線転覆し、労働組合員ら20人が逮捕、起訴された。マッカーサーが君臨した時代。労働運動の高まりと占領政策の「右旋回」を背景に事件は政治性を帯びた▲拝謁記の記述は1審有罪判決の3年後。政府内に謀略説があったことがうかがえる。長い裁判の末、自白の強要やアリバイ証拠の隠蔽(いんぺい)が明るみに出て全員の無罪が確定した。国家賠償請求も認められた戦後最大の冤罪(えんざい)事件である▲そんな時代ではないはずだが、有罪ありきのずさんな捜査が冤罪を生んだ。横浜市の「大川原化工機」の社長ら3人が外為法違反容疑で逮捕、起訴された事件。裁判所も警視庁公安部や検察の捜査の違法性を認め、国と東京都に賠償を命じた▲国家の安全を錦の御旗(みはた)に見込み捜査に走りがちなのが公安警察という。有識者の意見を都合よく解釈し、規制対象外の機器を無理やり軍事転用可能と位置づけたのはその表れか。追加実験の提案も葬られ、民事訴訟では捜査官から「捏造(ねつぞう)」を告発する証言まで飛び出した▲元顧問はがんと診断されても保釈されず、起訴取り消し前に亡くなった。心からの謝罪と捜査の検証を求める遺族に応えることがせめてもの罪滅ぼしだろう。

2023年9月30日ー10月に、福島大学を会場に開催された「松川事件無罪確定60周年記念全国集会」の様子を、YouTubeでご覧ください。
全国からのべ800人の参加で、大きな感動を与えました。

   https://www.youtube.com/watch?v=LtAaCDWxhgA (第1日目)

   https://www.youtube.com/watch?v=K4Gu5e0vE4U (第2日目)

5月28日、松川事件無罪確定60周年記念集会の成功を目指し、会津美里町で、松川事件学習会を
開催しました。
下の記事は、2023年6月9日、福島民友新聞の関連記事です。
記念集会の実行委員長として、この学習会に
<a href="https://michinoku2010.hatenadiary.org/entry/2023/05/28/220900">メッセージ</a>を送りました。

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5.28松川(会津)

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