「まつもとあずさ」が3番線にまいります!

電車が好き、駅が好き、機関車が好き、地下鉄が好き、はやぶさといえば寝台特急。 「まつもとあずさ」がナビゲート! 鉄道車両・路線・駅施設・路線バス! 鉄分とレジン豊富な交通総合案内ブログです!!

2012年10月

京浜東北線。

埼玉県の大宮駅から宇都宮線と並行して南下、田端から品川までは山手線と並行し、
ついで東海道線と並行して西進、横浜から先は「根岸線」として、根岸、磯子回りで
神奈川県の大船駅に至る路線。

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通勤電車といえば、103系。大宮駅2番線で、発車待ちです。

京浜東北線を全線乗りとおすことは、よほどのマニアか
あるいはよほどの暇人か、そのどちらかでしょう。

大宮から大船まで行くのであれば、
湘南新宿ラインのほうが圧倒的に速いのですから。

さて、気温が下がってきました。
東武鉄道は伊勢崎線ホームの発車案内のLEDに「紅葉情報」をもぐりこませ、
スペーシアの乗車率を高めることに余念がありません。
秋本番ですね。

と思う間もなく、もうすぐ冬です。
冬の外出にはコートを着る方も多いと思います。

“まつもと”は丈の長いコートを着るのが好きなのですが・・・
京浜東北線の沿線の学校に通っていたころ、

「冬の大宮駅2番線発車の京浜東北には、駆け込み乗車をするな」

という「校訓」がありました。

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「ドア故障標準装備」209系。異動先の千葉でもドア故障炸裂中。

理由は簡単です。
始発の大宮駅で駆け込み乗車→コートの裾を挟まれる→左のドア、開きません!

裾だけはさまれたならまだしも、ボタンやらベルトやらと一緒に挟まれたら、
非常コックでドアを開けるか、次に左が開くまで待つか、二つに一つです。
もっとも非常コックを使えば、JRのお説教(場合によっては警察通報)を覚悟
せねばならず、いずれにせよ遅刻は免れません。

執着・始発駅の大宮駅では、京浜東北線は島式ホームの1・2番線から交互に
発車します。東京方面に向かって左が1番線、右が2番線です。

つまりドア開閉はこうなります・・・

大宮       2番線だと左
さいたま新都心  右
与野       右
北浦和      右
浦和       右
南浦和      よほどのことがない限り右
蕨        右
西川口      右
川口       右
赤羽       右
東十条      右
王子       右
上中里      右
田端       右
西日暮里     右
日暮里      右
鶯谷       右
上野       右

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最新鋭のE231系です。上の103系と同じ場所で撮ってみました。

御徒町      右
秋葉原      右
神田       右
東京       右
有楽町      右
新橋       右
浜松町      右
田町       右
品川       右
大井町      右
大森       右
蒲田       右(蒲田止まりなら左が開くかも)
川崎       右
鶴見       右(鶴見止まりなら左が開くかも)

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ほんの一時、205系が京浜東北に紛れ込んでいたことも(写真は京都線の205系)。

新子安      右
東神奈川     右(東神奈川止まりでも、横浜線とのホーム共用の関係で右かも)
横浜       右
______ここから根岸線______
桜木町      右(桜木町止まりなら左が開くかも)
関内       

やっと左側のドアが開きました! でも横浜まで来ちゃってどうする?!
学校は北浦和なのですけど・・・

以下おまけ
石川町      左
山手       左
根岸       右
新杉田      左
洋光台      右
港南台      右
本郷台      右
大船       10番線なら右、9番線なら左

・・・もう学校には間に合わないから、中華街で遊んで帰りましょうか。

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高崎線・熊谷駅経由、三峰口まで延伸された京浜東北線。

赤レンガ風駅舎の下を通過する185系特急「草津」
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分割民営化から20有余年、国鉄色が今になって人気なのはなぜ?

この特急は通過していきましたが、深谷駅を全国的に有名にした事件がありました。
1966(昭和41)年の、「荒舩事件」です。

第2次佐藤栄作内閣で運輸大臣に起用されたのが、地元深谷市(埼玉3区)選出の
荒舩清十郎(1907~1980)。

荒舩は豪放磊落な性格で人気もありましたが、一方で放言・虚言・問題発言の宝庫でもあり、
自民党内での所属派閥(川島派)のドン・川島正次郎は、荒舩の閣僚起用に慎重だったとも言われています

そして、荒舩が最初にした仕事・・・当時通過していた国鉄の急行列車を、
ダイヤ改正で深谷駅に停車させるよう圧力をかけたのです。

荒舩曰く
「議員が地元のために圧力をかけて何が悪い」
と、深谷駅前で演説し怪気炎を吹き上げ、さらに

「国鉄は一つくらい俺の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」
などと、テレビカメラや新聞・雑誌記者の前で爆弾発言をし、閣僚辞任となりました。

川島正次郎・自民党副総裁は、初戦地方議員の器であり、国政を任せるのはまずかったと、
「やはり野に置け蓮華草」
と言ったとされています。

荒舩の功績はその後のダイヤにも影響を及ぼしました。大宮~高崎間の高崎線を通過する特急は、
「とき」が全駅通過、「あさま」が一部熊谷停車、という基本ダイヤでした。
長野新幹線開業まで、「あさま」に
・熊谷通過、深谷停車
・熊谷通過、本庄停車
という変則的なダイヤ設定が、一時期なされていました。

渋沢だったら、そんな浅ましい真似はしなかった思うのですが、
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・・・現実はネギと渋沢の広告ばっかり。広告主を探してやってくれ!
深谷には全国に誇る「赤城乳業」があるじゃないか!!
ドトールの創業社長も、深谷出身じゃなかった?!

首都圏では珍しい、「名所案内」。
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一番上の「薩摩守平忠度の墓」、墓の一つが深谷市の清心寺にあります。

平忠度(たいらのただのり・1144~1184)は、平清盛の従弟にあたる平家の武将。
1184年の一の谷の合戦で討死しました。
(墓は兵庫県明石市の忠度塚とされ、ほか腕塚・胴塚は神戸市にあります)

討ち取った源氏方の武将・岡部忠澄がその人となりや武芸や詩文の才能を惜しみ、
地元深谷の清心寺に供養塔を建てました。
なので、正確には墓ではなく供養塔なのですが・・・

で、平忠度・・・鉄ならここで反応して!

キセル乗車のことを、「サツマノカミ」ということがありますが、

「薩摩守平忠度」
=「さつまのかみ たいらのただのり」
=「さつまのかみ たいらのタダ乗り」

というわけです。
 ※ 江戸時代の戯れ歌にも「船賃を浮かすこと」のたとえとしてすでに出てくるそうです。

西瓜などのICカードが普及して、キセル乗車そのものが過去のものに
なりつつありますから、「サツマノカミ」という言葉も死後の世界行きかもしれませんね。


深谷駅の南側を走る県道の陸橋から

ハリボテながら、コンセプトがしっかりしているせいか堂々たる風格。
甲高いタイフォンの音とともに、貨物列車が通過していきました。

間もなく夕刻、赤レンガ風駅舎はライトアップされます。

というわけで、東京駅に極端に似せて設計された、JR高崎線・深谷駅。
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東京駅は赤レンガを積み上げていきましたが、これは設計者の辰野金吾が
当時コンクリートの耐久性などに不安があったとして、
伝統的なレンガ造りで設計したためです。

深谷駅は、前回述べたように南北自由通路がなかったため、
南口側の新興住宅地の住民や学生が不便を強いられてきました。

南口に通じる階段を作ればぁ? という意見もありましたが、
市街地の拡大や利用者の増加のため、応急的な通路や階段では対応しきれない。

現に新幹線停車駅でもある、2つ隣の熊谷駅では、新幹線開業以前の
地上駅から新駅舎に改築した時に南口を設けませんでした。
結局、かなり大掛かりな工事を施し、現在では路線バスも発着できる
南口ロータリーも含め、(おもに熊谷市側が)多額の費用を追加して
負担せざるを得ませんでした。

そこで、北口の再開発が間に合わないことや、南口の利便性を考慮し、
深谷新駅舎は「橋上駅」とすることになりました。

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東京駅丸の内口の赤レンガ駅舎は地上に直接建設されています。
しかし、南北通路沿いの橋上駅舎では、レンガ造りの重さに耐えることが困難です。
そこで、鉄骨造りの外壁にレンガ風のタイルを貼り付けて、軽量化。
史上類を見ない、本格的ハリボテ駅舎が完成したのです。

実質的な工期は2年。
平成8年7月から、現駅舎は供用されています。

さて。深谷市や深谷駅は、赤レンガの外観にここまでこだわるのか。
それは、東京駅に使われた赤レンガが、深谷産だったことが最大の理由、
さらにそのレンガを製造したレンガ製造会社「日本煉瓦製造」を創設したのが、
深谷氏の出身だった渋沢栄一であることがあるといえるでしょう。

ハリボテに使われたレンガタイルは、実に50万個。
本物の東京駅に使われたレンガは830万個ですから、
東京駅の大きさがわかろうというものです。

ハリボテ駅舎が本格的過ぎて、印象があまりに大きいためか、
駅内部のあまりの普通さにはちょっとがっかりするかもしれません。

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あまりに狭い切符売り場。

外側の柱と券売機の間が狭いので、券売機の後ろには並べません。
そんなに一見客(切符を買う客)がいないからいいのか?

緑の窓口の向こう側が券売機ですが、大人の事情で券売機が2個減らされました。
時計は、JR東日本標準の緑の時計です。

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特に特徴のない改札口。西瓜対応済みです。

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自由通路の南側の架線柱がちょっとしゃれてる・・・と思ったら、
これも東京駅の5・6番線にある一番古い架線柱と同じデザインでは!?

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1番線高崎方から見た駅舎(左から1番線、2・3番線)

深谷駅の構内は、北側から対面ホームの1番線、島式ホームの2・3番線があり、
3番線の南側に側線があります。1・2番線間に貨物列車用の待避線がありましたが、
特急列車の減少により、撤去されています。

ホームの有効長は15両分。ただし深谷終始発の電車を除き10両編成で深谷駅に入ります。
また、籠原終始発の列車が多く設定されているため、発車間隔が長くなることもあります。
さらに冬には、「上州おろし」とも呼ばれる北風が、埼玉県北地方では強く吹きます。

そこで、上り専用の1番線には避難所が設けられました。
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下りホームに避難所はありません。各自防寒対策を施してください。

駅改築に伴い、駅舎高崎方のホームはリニューアルされましたが、
上野方ホームにはそれ以前の設備が残されています。

たとえば2・3番線ホームの屋根と支柱は、
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V字型、またはW字型をした、昔の屋根の形状ですね。
支柱はレールを再利用したものです。

211系ももうじき見納め・・・
熊谷駅より北ではドアは、特急以外の列車はすべて半自動です。
冬だけではなく、一年中。グリーン車もドアは半自動。
ボタンを押してお降りくださーい。
お客様のご理解とご協力をお願いします。

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レールを再利用した支柱自体は珍しくはありませんが。

屋根をぶち抜く架線柱を見ると
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字体やいい感じの錆び具合が、国鉄感を漂わせています。

こういうところはJR標準型に替えられていますが、
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自立式のコレまで無理に替えなくてもいいのにな
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設備を新しくしても、職員の態度は国鉄のまま・・・

次回、深谷駅にまつわるあれこれをご紹介して、深谷編最終回! にするつもり・・・

東京駅、大リニューアル!
JR東日本いわく、「東京駅を復原しました!」。
もとの形にできる限り忠実に再現したので、
「復元」ではなく「復原」なのだそうです。

国鉄のころから、いやJRになっても、うわごとのように
「ボロッちい煉瓦なんか取っ払って高層ビルを建てるんだ!」
「民間の三菱なんかにこのJR様が負けるのは許されないんだもんね!」
と言い続けていたのが、いざ「保存・復原工事」が完了すると、
「文化財の保存がJRに課せられた使命だからね!」
と堂々といっちゃうところ、さすがJR様・・・はいはい、エライね。

さっそく“まつもと”も見物・・・もとい見学に行ってまいりました!
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復原された「赤レンガ駅舎」
東京駅の駅舎は左右の長さが335メートル。
90度ひっくり返すと東京タワーよりも長いという巨大建築物です。

駅前には日本の産業振興の父、渋沢栄一像が鎮座。
さすがは日本の玄関駅! 岩崎弥太郎とは品が違います(?)
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赤レンガ駅舎にちなんだデザインのガラスケースには、
日本を代表する食材「ネギ」を世界にアピールするために置かれた、
「ふっかちゃん」氏がお出迎え。
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なにせ、丸の内中央口の玄関からは、認証のために皇居を訪問する各国の新任駐日大使が
騎馬警察に警護された馬車に乗り出発するのです。
世界に、日本の優れた農業や農産品をきちんと紹介し売り込まないといけません。
何も考えていないように見えますが、重責を担っているのです。

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「ふっかちゃん」もリアル駅猫も、重責のためか表情は険しめ

今でこそ、この堂々とした赤レンガの駅舎ですが、
かつての駅舎はひどいものでした。

かつては昭和9年築の小さく小汚い駅舎が建っており、
中山道に面した旧市街方面の北口丸の内口にしか入口はありませんでした。

駅南側にSKDの系列の高校がありますが、出口がないので遠く離れた踏切まで延々と歩き、
踏切を渡り、反対側に歩き、ようやく高校。
急行を無理くり停車させた伝説の「地元の利権が第一」の党首・荒舩清十郎衆院議員、
コの字型に遠回りさせられている、利権とは関係ない高校生のことまで頭回らず。

そんなバラック駅舎は日本の玄関口にふさわしくない、と
昭和40年代に建て替えが議論され始めましたが、
着工は小渕恵三が「平成」と書かれた額をテレビに映してから2年後、
ようやく完成したのは平成7年です。

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階段を上ると現れる、重厚な駅舎は日本の玄関口にふさわしい。

マンガ「魔法先生ネギま!」の魔法学校のモデルとも言われる駅舎です。
(え!? タイトルの「ネギ」って、まさかここから来てるの?)

魔法学校ではありません。
ハリーなんとかの魔法学校に行く列車はありません。
ホームも1,2,3番線。7と3/4番線などありません。
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「深谷駅」と掲げられていますが、気のせいです。

煉瓦造りには欠かせないアイテム、時計台もきちんとあります。
伝統的な建造物にはふさわしく、ローマ数字表記です。
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さて、このゴシック様式の駅舎、左右対称に強いこだわりがあるようです。
北口丸の内北口高崎側からみると、
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南口八重洲中央口高崎側からみると、
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(続きます!)

路面電車の顔・・・丸いのと四角いのと。

都電は四角いのがお好きなようですが、
年代物の車両は曲面を使用した前面や、丸型の前照灯が
定番装備ですね。

そんな路面標準フェイスともいえるのが800型(1965(昭和40)年製)。
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710形じゃないですよ。あとね、810形じゃなくて「800形の811号」ですよ。

一時は最大量数を誇ったものの、オリジナルの状態で走っている仲間は
減っています。

というのも・・・
車体更新(上モノだけ取ッ換えて「新車導入しました!」と偽る新車詐欺の一種)を受けたり、
別形式の実験車の素材にされたりしているためです。

800形、典型的な吊り掛けモーター音に古典的な路面顔ですが、
90年代初め、函館市交通局による「新車詐欺」車体更新キャンペーンでこうなりました。

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8000形に改名しました。新車ですよ。(もと804号)

8000形の皆さんは、車体更新により直線を主体にした外面デザインのボディーが与えられましたが、
足回りは「どうせ見えないから」「吊り掛け駆動を愛する鉄道ファンのために」との
函館市の配慮で、800形から流用されました。

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もと801号の8000形8004号。なぜか「試運転」。路線系統番号も「試運転」の板を挿してます。

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もと802号の8000形8005号は行先表示幕に系統番号を併記。
(でも、もったいないので系統番号の板も挿してます)

鉄道と違い、軌道線(路面電車)はプラットホームも低く、
跨線橋などの長い階段が必要ありません。

しかし、障害者などに考慮した街づくりが時代のニーズとして
「バリアフリー」という概念ができてくると、
路線バスや路面電車の階段ですら「乗り降りが面倒くさい」と
言われるようになってきます。
(バリアフリーの概念自体は悪いものではないと思う)

そして、「低床化」が新車開発のキーワードになりました。

富山ライトレールや鹿児島市交通局、土佐電気軌道などで採用された
アルナ工機の「リトルダンサー」(●ートラムという名前のアレです)シリーズと同時期、
函館市交通局では独自の8100形低床車を開発!! したのですが・・・

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807号を2002(平成14)年に車体更新。
側面に「部分低床車」とカッティングシールが貼られていますね。

ところがこの8100形、低床化そのものには成功したのですが、
800形の吊り掛け駆動のまんまの台車を流用したため、
台車部分と低床化部分の段差が極端に大きくなってしまいました。
運転台付近は高く、中央ドア付近は低床・・・いわゆる雛壇ですね。
吊り掛け駆動では、どうしてもある程度の高さが必要なのです。

最近の路線バスでも「ノンステップバス」が普及してきましたが、
運転席の真後ろや左前部のタイヤハウスの上の座席は、
床が低くなった分、座面やステップが高くなっています。

8100形部分低床車は、発想の革新性よりも短所が際立つ結果になりました。
車内の段差の大きさや、通路の狭さ、しまいには雛壇で乗客転落。

大失敗した8100形は、結局8101号1両しか作られませんでした。
「吊り掛け駆動の低床車」というレア車両に終わりました。

本格的な低床車は2007(平成19)年に登場した9600形「らっくる号」。

アルナの「リトルダンサー」(=リトル段差・・・関西の会社だな!!)は、
国産の技術力をいかんなく発揮し、段差や凹凸の少ない低床車となっています。
さすがに吊り掛け駆動ではありませんよ!

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函館初の連接車だよ。こっち側が9601号、あっち側が9602号。よろしくね。

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