僕はスポーツが苦手だ。

正確に言うならば、スポーツを“する”のが苦手だ。

観るのはそんなに嫌いじゃない。

競技者の思考を推理したりとか

そういうことは、むしろ楽しんでいたりする。

 

僕はゲームが好きだ。

ルールに則って競い合うのは楽しい。

考えうる最善を尽くし、それでも勝利するとは限らない緊張感。

ここでは非日常を体験することができる。

 

僕の中考えるスポーツとゲームの差異はルールの運用にある。

これまでの人生で触れてきたスポーツについての見解だが。

スポーツではルールの外側にルールが存在する。

暗黙の了解、紳士協定、言い方はいろいろあるけれど

ルール上可能なのに、忌避される行為の存在だ。

 

これが多ければスポーツ、少なければゲーム、というわけだ。

多い少ないという言い方をしたのには理由がある。

完璧なルールを策定することは不可能だからだ。

例1、このゲームでは暴力行為を禁止する。

例2、このゲームでは暴言を禁止する。

こういったルールを記載していくのは終わりのない、労力の無駄遣いになってしまう。

だからスポーツにもゲームも、ルール外のルールは存在せざるを得ない。

 

では、なぜスポーツでは暗黙の了解が多くなるのか。

特にプロスポーツで顕著なのだが、プレイするためのコストの問題だと思っている。

プレイのためのコストが多ければ多いほど、暗黙の了解は増えてしまう。

コストを具体的に言い換えれば、金銭、時間、名誉。

例1、  兄弟でじゃんけん…コスト:ほぼ0。

例2、クラス対抗バレーボール…コスト:参加者×参加時間+名誉。

例3、ボードゲーム「アグリコラ」…コスト:参加者×2時間+7千円。

例4、東京ドームで草野球…コスト:金額換算で100万円から。


コストが小さければ、ちょっとしたズルは見逃されるし

プレイの巻き戻し、やり直し、忖度、もある程度は許容される。

大きなコストを支払った場合、人は納得をしたいのだ。

ボードゲームという狭い範囲で考えてもこの作用はある。

千円で購入した1時間のゲームと

1万円以上する5時間かかるゲーム

ふたつのゲームでは後者の方がより“真面目”にプレイせざるを得ないだろう。

 

 

 

以上を踏まえたうえでの、今回のポーランド戦での時間稼ぎの話だ。

なぜあの行為が多くの人の感情を揺さぶったのか。

特に怒りの感情を引き出してしまったのか。
 

Twitterやブログをざっと見まわし、怒りを4つの種類に分類した。

1.感情的理由

努力を怠った者が、結果だけを手に入れていいはずがない。スポーツを冒とくしている。

2.論理的理由

時間稼ぎは戦術として愚策。攻めた方が勝率が高い。

3.経済的理由

支払ったコスト(時間/お金)に見合う対価(期待していた試合内容)が得られなかった。

4.教育的理由

このようなことは日本の将来のためにならないだろうという予測。

 

 

この4つに対してガチ勢寄りのアナログゲーマーの意見を述べたいと思う。

 

 

1.感情的理由


これは価値観の問題である。

僕はガチ勢寄りなので、むしろ興奮してしまった方だ。

楽して、効率よく、結果を手に入れる。

最高じゃないか。

効率的な知恵と工夫は見ていて嬉しくなる。

なぜこの行為が卑怯者に見えるのかといえば

「努力しても報われない人」が存在するからだろう。

その対極としての「努力しないで巧くやる人」なのだ。

運だけで勝利してしまうゲームにイライラする理由でもある。
この怒りに対しては、ポーランド戦後の監督や選手のコメントにより、

知恵と工夫も努力のひとつの形であることが伝わり沈静化しつつある。

 

2.論理的理由


机上の計算では、時間稼ぎの方が若干有利に見える。

だがこの計算は要素の変化で結果が変わってしまう。

例えば、コロンビアの選手の故障を知っているとか。

ポーランドが絶対に追加点を取りに来ない理由があるとか。

考え出せばきりがない。

僕はプレイヤーの判断を尊重する。

 

 

3.経済的理由


試合会場に足を運んだ人は、お金と時間を支払い

テレビで観戦した人は、時間を支払った。

コストに見合う対価を得られなければ、不満が生まれて当然だ。

問題はその不満の矛先は、運営に向けられるべきではないかということ。

例えば、毎試合エキサイティングなゲームが観たければ

 

・甲子園や天皇杯のような完全トーナメント制にする。

・主審が遅延行為を適用するルールの改定。

 

などが考えられる。

いまだに疑問に思うことがある。

なぜあの時、主審は遅延行為を注意しなかったのだろうか。

 

・この状況を想定していなかった

・この状況を問題としていなかった。

・レアケースすぎて対応する必要を感じなかった。

 

このあたりが理由として考えられる。

 

 

4.教育的理由


これが何とも面白い。

例えばこのグルーブリーグを、全体でひとつのゲームとみるか。

3つの個別のゲームの集合とみるか。

前者の立場であれば何の問題もないのだが。

後者の立場であれば、到底許されるべきではない行為だ。

僕がゲームをデザインする時に

「勝利を目指さないでプレイする人」

を想定してゲームデザインすることはない。

もし僕がデザインでこの問題を解決しようとするならば

勝敗による勝利点

得失点差による勝利点

得点による勝利点

フェアプレーによる勝利点

多数の要素をひとつの“勝利点”という要素に集約する。

そうすることで勝敗を分かりやすくする。

 

 

以上、4つの不満に対して

アナログゲームデザイン的観点から考えてみた。

最後に個人的な願望を述べよう。

僕は次のベルギー戦は日本が勝利すると予想している。

団体スポーツで最も困難な、意思の統一がなされているからだ。

11対11では勝てなくても

相手の意思が分散していて、2対11+9対11なら。

日本にも十分な勝機があるだろう。