2008年12月

夏炉冬扇−9: 謹賀新年 (ニューヨークから)


日本の皆様、明けましておめでとう御座います。(まだ年は明けておらず、少し早いのですが...。)
「夏炉冬扇」の年賀状に代え、私が2003年に創立した「世相比較学会」の年頭レポートをお送りする失礼をお許し下さい。(当学会は、会員1名のエクスクルーシブな学会です。)

「世相」は外国ボケの病原体

1976年にニューヨークに2度目の赴任をした私は、異国生活で自分の考え方がどの位変るかをテストする為、(1)がん告知の是非 (2)陪審制度の賛否 (3)日米どちらの医療を信頼するか の3項目について「リトマス試験」を試みました。

独身で駐在した前回と異なり、今回は教会、子供の学校、NPO活動などアメリカ社会との接触が濃厚で、世間から受ける影響の強さは比較になりませんでした。「がん告知反対」、「陪審制反対」、「重病になったら日本に戻る」と決めていた自分のリトマス試験紙は、たちまち変色します。日本的な価値観が音をたてて崩れる自分を実感しました。「外国ボケ」の始まりでしょう。「鈍感」な自分をこれほど早く変える「力」は何なのか? 出した結論は「世相」でした。

行政訴訟と世相

最近になって日本の「行政訴訟裁判」が大きく変りました。永い間、門前払いが当たり前であった「行政訴訟」で、権力側の敗訴が急増しています。ハンセン氏病、水俣病、薬害被害、原子爆弾被災者問題などの逆転判決は、法律が変った為ではなく、裁判官の「価値観」が変ったからです。世相の影響は確実に浸透しています。

日本人でこの変化に気がついている方は、意外に少ない様に思います。これは、何事につけ変化のゆるい日本社会の「茹で蛙」現象ではないでしょうか? (「茹で蛙」をウイキぺデイアで引きますと「『蛙を温度が緩やかに上がる水に入れて見ると、水温の上昇に気が付かず茹で蛙になってしまう』『人間は環境適応能力を持つ為、ゆるい変化はそれが致命的なものであっても、受け入れてしまう傾向が見られる』と、鈍感力の危険性を指摘した学説」とあります。)

益川教授と外国

ノーベル賞受賞者の一人益川敏英教授は、「英語が出来なくとも、物理は出来る」と肩肘を張っておられましたが、ストックホルムでは「英語を知っていると便利だ」と少し軟化されました。
そこで、今年のレポートは簡単な英語のテストからスタートしたいと思います。

(1)  和文英訳:次の俳句を英訳せよ。
「言うまいと思えど今日の寒さかな」
(2)  英文和訳:以下の英文を和訳せよ。
"To be, to be, ten made to be"

(1)の回答: "You might think but today's some fish."
(2)の回答: 「飛べ、飛べ、天まで飛べ」

スイスの海軍大臣、日本の経済財政担当相  

常識では考えられない世界的経済危機で、日本に参考となるジョークを紹介します :

スイスの海軍大臣がパリを訪問し、大きなパーテイーに出席した。司会者が「スイスの海軍大臣がお出でになりました」と紹介した。フランス人は皆、大声を出して笑った。その時、スイスの海軍大臣は少しも慌てずに言った。「この前、あなた方の国フランスの大蔵大臣がスイスにお見えになりましたが、その時私たちは誰も笑いませんでしたよ。」 

爾来フランスも変りました。現在のフランスの大蔵大臣は、独禁法と労働法を専門とする国際的弁護士として活躍したラガルデ女史で、流暢な英語を駆使して危機対策でも國際的な指導力を発揮しています。一方、我が国の与謝野経済財政担当相は、百年に一度と言う世界的経済危機の最中に「増税論議」を持ち出す「特異」な大臣で、前述のジョークにあるスイスに出かけたフランスの大蔵大臣の有力な後任候補です。

財政出動とケインジアン

日本政府が財政出動に踏み切った事は、正しい判断だと思います。只、国費の無駄では世界で断トツの日本が、定額給付金をばら撒いたり、無駄の元凶である特別会計に手をつけない事から、旧ソ連の「ケインジアン」を思いだしました。

モスクワの広い通りの真中で二人の労働者が働いている。一人が穴を掘る。もう一人がその穴を埋める。一ヵ所が終ると数メートル動いてまた穴を掘る。もう一人が穴を埋める。その繰り返しである。
イギリスの観光客が不思議に思って尋ねた。「何をしているの。あんた達はケインジアンか?」 
労働者は答えた。「ケインズってなんだ。いつもは三人一組で働いている。一人が穴を掘って、二人目が苗木を植える。そして三人目が土をかける。今日は二人目の苗木の担当が風邪を引いた。だから二人でやるしかない。」

日本の財政出動は、最初から苗木を植える係りをはしょっているのでは? これは私の勝手な疑問です。

物造り地獄アメリカ

永年に亘り世界の製造業を牽引して来たデトロイトが殆ど崩壊してしまった事も、昨年の大きな事件でした。現在も止血剤を打ちながらICUに入っているデトロイトですが、アメリカの物造りの衰退の現状をジョークで御紹介します。

アメリカ人のトムは現在、失業中の身である。 朝7時に時計(日本製)のアラームが鳴る。コーヒー・メーカー(台湾製)がゴボゴボいっている間に、彼は顔を洗いタオル(中国製)で拭く。電気カミソリ(香港製)できれいに髭も剃る。朝食をフライパン(中国製)で作った後、電卓(日本製)で今日は幾ら使えるかを計算する。腕時計(台湾製)をラジオ(韓国製)の時報で合わせ、車(ドイツ製)に乗り込み、仕事を探しに行く。しかし、今日もいい仕事は見つからず、失意と共に帰宅する。彼はサンダル(ブラジル製)に履き替え、ワイン(フランス製)をグラス(日本製)に注ぎ、豆料理(メキシコ製)をつまみながら、テレビ(インドネシア製)をつけて考える。「どうしてアメリカにはこうも仕事がないのだろうか・・・」 物造り地獄アメリカの笑えぬ現実です。

日本の信用危機

アメリカ発の金融危機は津波と雪崩れが重なった様な勢いで「信用社会」を襲い、信用を完膚なきまで破壊してしまいました。この影響は、想像を超える速さと深刻さで日本を襲います。経済の世界化を実感させる出来事でした。

日本の信用破壊は、「衣食住 すべてそろった 偽装品」とか 「社長業 今や問われる 謝罪力」 と川柳に詠まれた偽物ブームでも起こりました。 「金融の信用」と「物造りの信用」を二重に壊された日本のモラルの再建は急務でしょう。

新製品が世に出るまでの四段階

100年前のT型フォードの超時代的な技術水準と、ウオレン・バフェット氏が提唱した
進歩の法則「三つのI(Innovation, Imitation, Idiot)」は、昨年の「夏炉冬扇」でご紹介した通りです。これに絡んで、「新製品が世に出るまでの四段階」というジョークをご披露して置きます :

先ず、アメリカの企業が新製品の開発をする。次にロシア人が「自分たちは同じ物を、30年も前に考え出していた」と主張する。そして、日本人がアメリカ製以上の品質のものを造り、輸出し始める。最後に中国人が日本製のものに似せた偽物を造る。

このジョークに登場するアメリカの役割を、日本が果たす日が近いことを期待しています。

金融派生商品時代の農業

原始共産社会の酪農は、「2頭の乳牛を持っている農民が、その牛を隣人と一緒に育て、ミルクは皆で平等に分け合っていた」解り易く単純な社会でした。ところが、アメリカの技術革新の矛先が物造りから金融工学に変ると、こんなジョークが生まれます。

「まず、『デリバテリブ』で2頭の乳牛を3頭にし、上場会社に売りつける。その後、『デッド・エクイテイ・スワップ』を使って、牛を4頭にして買い戻す。次に、政府に6頭分の牛取引の免税措置を講じて貰った上で、牛を『肉』と『ミルク』の二つに分け、6頭分のミルクを受け取る権利をケイマン諸島の系列企業に売りつける。勿論、買い戻す時には7頭分の権利になっている。最後に、全てのリスクはCDSでヘッジされている事をアナリストと格付け会社に伝え、年次報告に『8頭の乳牛を持っている』と記載し、更に『オプション』でもう1頭持つ事も出来ると追記する。」

世界金融危機を誘発したアメリカの悪しきイノベーションです。

日本の多様文化?

最近ニューヨークの書店の辞書売り場を訪れました。普通の辞書以外に、『外来語辞典』『新語辞典』『カタカナ語辞典』『カタカナ語・欧文略語辞典』『四字熟語辞典』『KY語辞典』等やたらと日本語に関する辞典の多い事に吃驚しました。中には『日本語オノマトペ辞典』と言う『難語辞典』を引いても解りそうもない辞典も見かけました。これは、日本の多様化なのか、日本語の混乱なのか迷った瞬間です。私の『外国ボケ』は終りそうもありません。

指導者への期待

危機は偉大な指導者を育てます。真面目で品行方正、ジョークになりにくいオバマ大統領の就任を迎える今年は、「世界を基本に戻し、危機に喘ぐ多くの人々に感動と勇気を与える政策」を期待したいものです。

四川省の大地震、北京オリンピック、世界的経済危機、デトロイトの崩壊、米国史上初めての黒人大統領誕生、4人の日本人が相次いでノーベル賞受賞、偽装食品の横行など昨年は文字通りの激動の年でした。今年こそ、豊かで平和な2009年を願いつつ、「世相比較学会」の年頭報告と致します。

ニューヨークにて   北村隆司

PS :

おおばともみつ『世界ビジネス・ジョーク集』、早坂隆『世界の日本人ジョーク集』、第一生命『サラリーマン川柳』、その他ウエブのジョークにお世話になりました。
 

傍声蛮語−8: 日本では何故「政治任命」が少ないのか?


北村さんの今回の夏炉冬扇「オバマ『虹の連合』政権」によると、オバマ政権が発足すると8000人のスタッフが新たに「政治任命」として新政権の仕事をすることになり、この候補者として、既に自薦他薦の30万人もの人達が任命のチャンスを狙っているとのことです。
日本では、政権交代があっても、実際に新政権の方針を実現可能な形に作り込む仕事をするのは、これまでと全く同じ官僚組織です。アメリカと日本の政治の仕組みのどこが違うといって、これほど大きな違いはないと思います。

日本でも政治任命という制度はあるにはあるらしいのですが、現実にその制度が活用されている例は殆どないのではないでしょうか? 「埋蔵金」の存在を暴露し、公務員制度改革に奔走して「官僚全てを敵にした男」とまで言われた元財務省の高橋洋一さんが、竹中平蔵さんの要請で内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)になられたのが、この「政治任命」によるものであることも、ご存知の方はそんなにいないかもしれません。

「さらば財務省!」などの高橋洋一さんの最近の著書を読むと、もし彼のような人がいなかったら、また、もし「政治任命」という制度がなかったら、竹中平蔵さんといえども多くの仕事を前に進められなかったであろうし、国民は多くのことを知らされることがなかっただろうという感を強くします。しかし、逆に言うと、高橋洋一さんのような人の存在が稀有の例になっていること自体に、日本の政治(立法と行政)のあり方の基本的な問題点が見られるように思います。

一般に「日本の官僚は有能である」ということがよく言われますが、私はこのことには何の異論もありません。しかし、「有能か無能か」ということと、「政治のあり方として、いつまでもこれまでのように官主導であってよいのか」というのは、全く別次元の問題です。
また、有能であると無能であるに関わらず、組織人でありながら「組織防衛」に走らなかった人を、私はあまり見たことがなく、そのことを非常に懸念しています。多くの場合、組織防衛本能は、組織外の人達、つまり一般国民にとっては迷惑この上ないからです。

一方で、私は、「官僚主導から政治主導へと」というような安易なキャッチフレーズを声高に叫ぶ人達にも、大きな不安を感じています。「政治主導」と言っても、実際に今の政治家にその能力があるのかどうかが疑問です。
私は現実論者ですから、実際の政策立案能力や行政能力のことを考えると、現役官僚や官僚出身の政治家以外には、こういった仕事をこなせる人達があまりいないように思えることを懸念するのです。

私が誰かに是非調べてもらいたいのは、アメリカのブッシュ政権を現在支えている「政治任命」の幹部公務員8000人が、政権交代後はどこでどんな仕事をしていくのかということ、それから、新たに「政治任命」を受ける8000人は、今はどこでどんな仕事をしている人達なのかということです。
更に言うなら、何故日本では同じことが起こりえないのか、もし仮に同じようにしようと思えば、どこをどう変えればよいのかということです。
突っ込んだ議論は、先ずこのことを詳しく知ってからにしたいのですが、大体想像がつくのは、日本における「官」と「民」と「学」の間の障壁です。それぞれの持っている価値観が全く違う上に、「融通無碍の人材の交流」などといったことは、殆どないといってよいのが現状であると思います。
ここで一番大きな問題は、「官尊民卑」の考えが未だに根強いということと、大学が世間から隔離された「象牙の塔」に閉じこもってしまっているということだと思います。

ざっと現状を俯瞰してみましょう。

先ず、「学」から「官」、即ち、著名な学者が省庁のトップになるようなことは、アメリカではごく普通のことですが、日本では竹中平蔵さんなどが極めて稀有の例になっている程度です。「官」から「学」も、もっとあってもよいと思うのですが、現状ではあまり例がないようです。

次に、「官」と「民」の関係ですが、「官」からの天下りを「民」が受け入れるのは、「その人の能力を買って」というよりは、「関係省庁との関係を良くするため」であるのが殆どです。この為、天下った人達が、本当に経営の中枢に入り込めるケースはむしろ少なく、概ね「敬して遠ざけられている」ことが多いようなのですが、天下った本人達も、「第二の人生」と割り切っているので、あまり気にしないのでしょう。
一方、「民」から「官」への天上がりのケースは先ずないようですが、仮にあったとしても、求められる能力の種類が違うので、恐らくはものの役にはならないでしょう。
民間企業が若手社員を一時期官庁に出向させるということはあるようですが、若い官僚が一時期民間企業で働き、また官庁に戻るなどというケースは、あまり見たことがありません。

最後に「学」と「民」の関係を見ると、乖離はもっと大きいようです。
実業出身の教授や講師は大学生には人気があるようですが、その逆はちょっと考えられません。これは、多くの企業には、「ビジネスは理屈ではない。経験と根性だ」と考える傾向があるからでしょう。(実は、私自身もそう考えてきた一人で、かつての部下達には「理論に類することは、言われなくても自分で勉強しておけ。会社にいる時間は実戦が全てだ」と言ってきました。)

しかし、アメリカでは、技術開発力を競い合う業界を中心に、事情は相当違うように思います。私が勤めていたクアルコムは、ボストンのMITからサンディエゴのUCSDに移り、通信工学とコンピュータサイエンスを教えていたアーウィン・ジェイコブス博士が、七人の仲間と一緒に創業した会社ですが、ジェイコブス博士自身が、百戦錬磨の商売人顔負けの、「粘り強い交渉力」と「勝負勘」、それに「厳しいコスト意識」を併せ持った人でした。

さて、私が、組織人の「組織防衛本能」が諸悪の根源の一つであると考えていることは既に申し上げましたが、「官僚」や「学者」や「一般のビジネスマン」の「生活防衛本能」も、それ以上に大きな問題です。
しかし、これについては、何ら非難すべきことではないことは言うまでもありません。どんな人でも、家族を守る為に、或る程度は保守的にならざるを得ないのは当然のことです。
「家族を守る為」などと言うと、何やら「最低限の生活の保障」のことを言っているかのように聞こえるかもしれませんから、「高い生活レベルを獲得する為」と、言いかえた方がよいかもしれません。

これまで、多くの若者達が、無理をしてでも「東大法学部」を目指し、そこを卒業した人達の多くが官庁に職を求めてきたのは、一つには、「国の為に仕事をしたい」という意欲もあってのことでしょうが、もう一方では、「高いレベルの安定した生涯賃金を得て、よい生活をしたい」という思惑もあった筈です。この後者の部分については、大企業での勤務を志望する人達となんら変わったところはなく、要するに「どちらが有利か」という計算の働くところでしょう。

従って、もし「天下りは絶対に許さない」ということになれば、民間より早い時期に退官を迫られる官庁は圧倒的に不利になり、「国の為に働きたい」という意欲が余程強い人以外は、自分の能力を自負する人であればある程、官庁を敬遠することになるでしょう。本当にそういうことになってもよいのでしょうか? 
「天下り」が、官製談合など、いろいろな悪しき問題の根源になっているのは疑いの余地もない事実ですが、だからといって、ただ「天下り厳禁」と叫ぶだけで問題が解決するとは、とても思えません。

一方ではリスクヘッジも重要なことです。一般的に言って、現在官庁に勤めようと考えているような人達は、「安定志向」が高いのでしょうから、身分保障が全くない「政治任命」などは、恐らくは願い下げでしょう。
高橋洋一さん程の人になれば、たとえ「全官僚を敵にして」も、大学教授は勤まる、本は売れる、講演にも引っ張りだこで、経済的に困ることはないでしょうが、一般人はそうは行きません。そうなると、当然、敵を作るような大胆なことは出来なくなるのは当然です。受け皿も作ってあげないで、「自己否定をするような大胆な改革をやりなさい」と要求するのは、非現実的というものです。

一般に、「どこで何をすることになっても、何とかやれる」という意味で、「つぶしがきく」という俗語がありますが、そういう力を身につけるには、普通の会社の最前線で働いて、色々な経験をつんでいくのが一番で、官庁が今のような形で運営されている限りは、「つぶしがきく」人間をつくるのは難しいでしょう。官僚としての経験を積むことは、あまりリスクヘッジにはならないのです。

それでは、日本はこれからどうすればよいのか? 私にもある程度の考えはありますが、今日この場でそれについて論じるのは、拙速に過ぎるように思います。またの機会に、私の幾つかのアイデアを開陳させて頂きたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。


傍声蛮語−7: 「デトロイトの落日」に学ぶ


北村さんの「デトロイトの落日」を面白く読みました。ここで明らかにされたGMなどの問題点は、

1)自己の能力を過信し、市場と産業構造の変化に対応する自己変革を怠ったこと。
2)何事によらず「政治力」で解決しようとする傲慢で安易な姿勢。
3)経営者と労働組合の馴れ合い。


の3点に集約されると思いますので、今日は、日本企業にも同様の問題点があるかどうかを、幾つかの角度から検証してみたいと思います。

先ず、日本の自動車産業ですが、私はここにはそれ程問題がなく、少なくとも「社長が辞任する」というような状況ではないと思っていました。
成る程、昨年までは圧倒的な収益力を誇り、世界的なレベルで最優良企業と見なされていたトヨタ自動車が、一気に赤字に転落した為に、ジャーナリストの一部には、「日本の自動車産業にも『驕り』が芽生えていて、それ故に、このような危機に対応できるようなヘッジ体制が出来ていなかったのではないか」と見る向きもありますが、今回のような金融危機と、それがもたらした『急激な市場縮小』と『円高』の二重苦を予測することは不可能に近かったわけですから、これは少し酷というものでしょう。

日本のビッグスリーの中でも、トヨタ自動車は、名古屋という地方都市に生まれ、元々政治力に依存しない自主独立の気風のある会社です。また、ホンダには、創業者の本田宗一郎氏の哲学をベースとしたベンチャーの気風があります。
唯一、以前の日産自動車が、エンジニアの自己満足や取引先との馴れ合いによってコスト競争力を失い、危機に瀕したということがありましたが、カルロス・ゴーンという外国人経営者を起用して意識改革を行い、短時日のうちに問題を克服しました。
世界市場の開拓、代替エネルギーへの転換、ロボット産業への布石など、やるべきことはまあまあ粛々と進められており、当面それ程死角があるようには思えません。労使の問題も、米国のビッグスリーの状況などと比べれば、比較にならぬほど健全であると思います。

しかし、池田信夫先生などが例によってかなり厳しく指摘しておられるように、トヨタ自動車の好調を「日本の産業の先進性(優位性)の象徴」と見立てた「楽観論」が、少し反省を求められることはやむをえないでしょう。
もともと、「精緻なプロセス管理」「各部門(階層)間の協調」「小さな改善の蓄積」など、「組立て産業」にとって最も重要なことが、日本人の性格に合っているということもあり、現在も将来も、自動車産業は日本を代表する産業として重要な役割を果たしていくことは間違いありませんが、「このような能力のパッケージが、全経済活動の中でどのような地位を占めるのか」については、もう少し慎重に検証しておいた方がよいかもしれません。
いずれにせよ、日本の経済全体が、自動車産業に代表されるような「組立て産業」や、カメラに代表されるような精密工業だけに何時までも依存していてよいのかといわれれば、勿論そうではないでしょう。

もともとは、トヨタ自動車も、紡績や織布の機械を造っていた豊田自動織機の中の小さな研究開発組織から出発しており、長い間「道楽仕事」と馬鹿にされてきた部門でした。つまり、その生い立ち自体が「産業構造変革の先取り」だったのです。
また、トヨタ自動車も、一時は自動車産業の将来の限界を予見して、情報通信事業などへの積極的な進出を計ったことがあり、私自身も個人的にかなり深く関与しました。これが尻すぼみに終わったことについては、私は特に論評する立場にはありませんが、どんな企業にも特有な企業文化というものがあり、そういった企業文化には、親和性のある分野もあればそうでない分野もあるということは、その時に強く感じました。

時代を先取りした新しい分野への取り組みは、既存の大企業から始まってもよいし、全く新しいところから出てきてもよいと思います。
豊田自動織機からトヨタ自動車が生まれたり、富士電機から富士通が生まれたりしたのは前者ですし、携帯電話機の世界のダントツのトップ企業であるノキアも、もともとはフィンランドで種々種雑多なハードウェアを造っていた小さな製造会社でした。
しかし、一方では、主として米国で近年急成長を遂げたIT企業の殆どは、グーグルやヤフーをはじめとして、全くゼロから出発した会社です。
世界の経済における自動車産業の比重が今後相対的に低くなっていくであろう事は、日本にとっては決してよいニュースではありませんが、そんなことよりも、日本がもっと心配すべきは、既存企業から生まれるものであれ全くゼロから出発するものであれ、時代を先取りして新分野に挑戦する会社が、今後どんどん生まれていくかどうかだと思います。

次に、「何事も政治力で解決しようとする姿勢」については、日本でもしばしば見られることです。その一つが放送業界です。

長年にわたり我が世の春を謳歌してきた日本の民間TV放送事業者も、広告収入の減少により、かつてなかった苦難の時代に入ろうとしています。放送事業者以上に追い詰められているのが新聞社であり、朝日、毎日という老舗が今や危機に直面しているのですから、大変な事態と言わねばなりません。
その原因はといえば、言うまでもなく「インターネットの普及」であり、既存の新聞社やTV局は、まず視聴者や読者の時間を奪われる心配をせねばならず、次に広告主を奪われることを心配せねばならないのですから、二正面で圧迫を受けていることになります。

しかしながら、TV局の場合は、なお圧倒的な力でマスを抑えているわけですし、インターネット業界は殆どのプレーヤーがゼロから出発しているわけですから、本来ならば「力の差は歴然」であり、「恐れるよりも、先手を打って攻撃に出るべき」だったと思うのですが、実際にはそうではありませんでした。
新聞社やTV局は、単純にインターネットを敵視し、その浸透を少しでも遅らせようとしてきたかのように思えます。

日本では、5大新聞社と民放キー局5社が、それぞれにほぼ一体として経営されているわけですから、世論形成に対する影響力は圧倒的であり、政治家であれ、官僚であれ、企業家であれ、彼等に真っ向から歯向う度胸は先ずないでしょう。
強い政治力は、電波利権を左右し、放送事業法や著作権法の行方にも影響を与えます。放送事業者は、常にこの強い政治力を最大限に使って、既得権を守りきろうとしてきたかのように思えます。
しかし、これが邪道であることは明らかです。如何なる力も、物事の本質的な流れを変えることは出来ません。

その典型的な例が、「ソフトとハードの分離」ということではないでしょうか?
これまで、放送業界は、「ソフトとハードは一体不可分。これを分離しようなどとはもっての外」と主張してきたのですが、よく考えてみると、これは、「塩水は一体不可分であり、塩と水を分離するなどもっての外」と言っているかのような、極めて奇妙な議論です。
塩と水はもともと別のものであり、誰もこの物理的な真実を変えることは出来ません。「塩水もあってよいが、淡水も必要だし、塩も必要だ」という議論を否定することには、もともと無理があるのは明らかです。

ハード、即ち無線周波数やケーブルは、技術の進歩と共に希少性が薄まっていくわけですから、政治力だけでこれをいつまでも独占していくことは、元より不可能なのです。そうであるならば、放送会社の最大の強みであるソフト(コンテンツ)の制作力を、何時までも自社が保有するハードだけに縛り付けておくことは、むしろ放送会社にとって不利益だと思うのですが、放送会社は何故かこの「不可分論」をなおも変えようとしていないように思えます。これは何故なのか? 私には全く分かりません。

最後に「労使」の問題です。しかし、今、この時点で、大きな問題になろうとしているのは、「労使」の問題というよりは、実は「労労」の問題であるような気がします。

経済が収縮してくると、先ず「下請け会社」が切られ、「臨時雇い」が切られます。「労働組合に守られた正社員」は最後まで安全です。
「突然職を失った臨時雇い」の苦痛は、「ボーナスがカットされた正社員」の苦痛とは比較にならぬほど大きなものですが、誰も助けてはくれません。
労働組合側は、「会社が損失を出してでも労働者を救え」といいたいかもしれませんが、そんなことをして会社が将来倒産してしまえば、全てを失うのですから、それは求めないでしょう。ということは、「下請け会社や臨時雇いを切って自分達を救え」と言いたいのが本音だということになります。
つまり、「労使」より、「労労」の方が、利害対立の根は深いのです。

アメリカでは、「ワークシェア」ということがよく言われます。「100人のうち30人が失業して路頭に迷い、残り70人はこれまで通り」というよりは、「全労働者が労働時間を30%減らして、30%の収入減を受け入れるかわり、失業者は一人も出さない」という方がよいという考え方です。
日本でも、現在の状況下では、失業者が町にあふれるという事態はどうも避けられそうにありません。「国」「企業」「組織労働者」のそれぞれが、これからこの事態にどう対応していくのかは、アメリカ同様に難しい問題となるでしょう。


夏炉冬扇−8: オバマ「虹の連合」政権


コメデイアンの悲鳴

バグダッドの記者会見でイラク記者から靴を投げつけられたブッシュ大統領が、咄嗟に身体を左に傾けて靴を避けると、翌日には「退任前のブッシュ大統領が左傾!」と言う冗談になるほど、大統領とコメデイアンは切っても切れない関係にあります。
浮気性のクリントン大統領、難しい文字が読めないブッシュ大統領と16年間も豊富な題材に恵まれたコメデイアンが、オバマ次期大統領の就任を控え頭を痛めています。
「デブでもなく、浮気の噂も無く、馬鹿でもない。キザでもないし、冷静で、何があっても頭に来ることも少なそうだ。こんな大統領とこれから4年間つき合うと思うと、気が滅入る。コロンビア・ハーバードを出た人物だから、からかっても人種差別だと非難されないのがせめてもの慰めだ」というのが、あるコメデイアンの本音です。

コメデイアンの期待は、これまでは、共和党副大統領候補のペーリン・アラスカ州知事に集まっていました。
自らの外交経験についてたずねられたのに対し、「ロシアから飛んでくる飛行機が最初にアメリカの領空に達するのは、私が知事をしているアラスカ上空だ」と得意気に答えたという話や、「アフリカというのは、地域ではなく国名だと思っていたらしい」という噂が流れ、政治家をからかう「サタデー・ナイト・ライブ」という番組の視聴率は鰻上りでした。
こんなわけで、彼女が副大統領になれば、「ポテト(potato)のスペルを間違えたクエール元副大統領を上回る大物登場となる」という期待が膨らんでいましたが、残念ながらこれはぬか喜びに終りました。現在は、失言癖のあるハイデン次期副大統領に期待が集まっています。

それでは、この辺で、コメデイアン泣かせのオバマ次期大統領が選んだ閣僚候補の横顔を覗いて見ましょう。

Team of Rivals 

径済危機を意識したオバマ次期大統領は、異常なまでの速さで組閣を完了しました。

この顔ぶれを見た議会筋は、ホールダー司法長官候補以外は、順調に承認されるだろうと予測しています。(ホールダー氏が例外とされているのは、1983年に、イランとの不正取引や超大型脱税疑惑による起訴寸前にスイスに国外逃亡した、マーク・リッチ氏等に与えられたクリントン大統領の特赦に、当時の司法副長官だった彼が関与したと、今なお疑われているからです。)

オバマ政権には幾つかの特徴があります。
第一は、知人、友人、同郷を一切優先せず、逆に、大統領選挙を戦った4人のライバルを閣内に抱え込んだ人事でした。
昨年の2月、リンカーン大統領の眠る厳寒のスプリングフィールド市で大統領選挙への出馬を宣言したオバマ次期大統領は、リンカーンの故事に倣い、民主党予備選での4人の対立候補を閣僚に選んだのでした。
(リンカーンが3人ライバルを閣僚としたことを、オバマ次期大統領は歴史家のドリス・グッドウィン女史の著書「Team of Rivals - リンカーンの政治的非凡」で読み、強い印象を受けたと伝えられています。)

もう一つの特徴は、大統領、副大統領を含む19人の閣僚中、10人が州知事や上院議員を経験した政治家出身だと言う事実です。残り9人は各分野で実績を上げた専門家で、ノーベル賞受賞者のチュー博士の様な学者や、シンセキ大将のような軍人出身も専門家と数えました。ガイトナー財務長官候補を官僚に数えない限り、官僚出身者は零です。
「これだけ自己主張の強い人間を集めて、閣内統一は出来るのか?」という疑問もありますが、これに対しては、「政治家や実績のある専門家は、妥協の仕方も知っている」と、多くの解説者が説明しています。
成る程、政策を論議するホワイトハウス・スタッフに理屈っぽい学者をあて、実行力を問われる閣僚に政治家や専門家を多く起用したオバマ次期大統領の今回の人事は、筋が通っていると共に、相当したたかなものであるともいえるでしょう。

閣僚は上院の承認を必要とするのに対し、大統領の個人顧問であるホワイト・ハウス・スタッフは承認を必要としません。サマーズ元ハーバード大学総長のような物議を醸す発言をし、上院審議で揉めそうな人物は閣僚にせず、ホワイトハウスに廻した事も賢明な判断でしょう。

Rainbow Coalition (虹の連合) 

酷暑に茹でかえる1963年8月、ワシントンのリンカーン記念像の周りに集った数十万の「ワシントン大行進」の群集の多くは、マーチン・ルーサー・キング牧師の名演説に感動の涙を抑え切れませんでした。それはアメリカの歴史を変えた記念すべき日でした。
感傷的と思われるかもしれませんが、アメリカに住むようになって以来、この場面を繰り返しビデオで見て、そこにいる群衆と感動を共にした私に免じて、今一度この演説のさわりを、下手な訳をつけて紹介させてください。

その演説はこう始まりました。

I say to you today, my friends, so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream. I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed.

(友よ、 今日この日、私は貴方達に伝えたい。 これからも幾多の困難や挫折に直面するに違いないが、それでも私は夢を持ち続けると。この夢は、アメリカの地に深く根ざした夢でもあるのだ。私には夢がある。この国がいつの日か立ち上がり、建国の綱領の真の意味に目覚めるに違いない事を。)

そして、こう結ばれました。

God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual,

Free at last!  Free at last!  Thank God Almighty, we are free at last!

(私には夢がある。黒人も白人も、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、プロテスタントであろうがカトリックであろうが、神の子たる我ら全てが手に手をとって、あの古い黒人霊歌を一緒に口ずさむ日がくる事を。

我らはついに自由になった! 自由を得たのだ! 全能の神よ、貴方は遂に我らに自由をお与え給う た!) 

キング牧師と共に活動したジャクソン牧師は、「多様な人々を虹の様に結ぶ」という意味を込めて、自分の人権団体を「Rainbow Coalition (虹の連合)」と命名しました。
今、キング牧師の夢を実現したオバマ次期大統領は、自らの内閣で、キング牧師やジャクソン牧師の目指した「虹の連合」を実現しようとしているかのように、私には思えてなりません。

「虹の連合」の内閣

オバマ次期大統領が実現しようとしている「虹の連合」内閣の中身を覗いてみますと、19名の閣僚の人種別内訳は、白人10名(内ユダヤ系、アラブ系各1名)、アジア系 2名 (日系、中国系各1名)、ヒスパニック3名、黒人4名となっています。

学歴は、19名全員が大学卒で、法律大学院を含む修士号所持者は13名、博士号が3名、学士号だけの閣僚は3名に過ぎません。かなり高学歴な内閣と言えます。
出身大学は、学部ではハーバード出身とコロンビア出身が2名ずつ、その他は皆別々の大学出身です。大学院も、ハーバードの2名以外はばらばらでした。男女別は男性14名、女性5名の内訳です。党派別で見ますと、共和党系として国防長官と運輸長官の2名が含まれています。

地域性でも、カーター大統領のジョージア、リーガン大統領のカリフォルニア、クリントン大統領のアーカンソー、ブッシュ大統領のテキサスと言った郷土色が、オバマ政権には全く見られないという特徴があります。
(オバマ次期大統領自身、出身地は「上院議員に当選したイリノイ州」と見做されていますが、ハワイで生まれ、インドネシアで小学校時代を過ごし、中学、高校はハワイ、大学の最初の2年はカリフォルニア、後の2年はニューヨーク、卒業後2年強シカゴで社会活動をした後で、ボストンのハーバード大学院に進学し、3年間の勉学を経てシカゴに戻るという多彩な遍歴です。)

このように、ブッシュ大統領のどちらかと言うと狭量な「一国主義」とは反対に、「主張や人種、宗教の異なる人々を虹の様に内包する」というオバマ次期大統領の「ビッグ・テント」方針は、組閣人事ではきちんと守られたことになります。
日本とアメリカでは事情が違い過ぎて比較になりませんが、麻生内閣発足時の資料を見て驚いた事は、18閣僚中10名が二世・三世議員で、出身校も慶応の6名と東大の5名で半分以上を占めている事です。
これでは、オバマ内閣とは正反対の、お友達だけを集めた「スモール・テント内閣」と言われても仕方がないと思います。

日米の公務員制度の違い

内閣とホワイト・ハウスのスタッフが分担して政治を行うアメリカの現行の体制は、大統領補佐官に「ホワイト・ハウス首席補佐官」というタイトルを与えて、閣僚よりも実権のある実質的なNo.2に引き上げた、アイゼンハウアー大統領時代に始まったとされています。

(ところで、アイゼンハウアーは、シャーマン・アダムス元ニューハンプシャー州知事を初代首席補佐官に任命しましたが、権勢を誇ったシャーマン首席補佐官は、「ビキューニャの超高級コート」を受け取った疑いを受けて、1958年に辞職に追い込まれたという記憶が、私にはまだ残っています。「ビキューニャ」という聞きなれない言葉が、南米に住む動物のことで、その毛が最高級品だということをその時初めて知ったからだと思います。脱線してすみません。)

大雑把に言って、アメリカの一般公務員は、キャリア公務員(Civil Servant)と、「政治任命」の公務員(Political appointee)に分かれています。キャリア公務員は、日本の公務員同様の身分保障と細かく分類された俸給基準が適用される「裁量権の小さい公務員」を指します。一方、「政治任命」による公務員は、「裁量権の大きい幹部公務員」ですが、その身分は大統領の一存にかかっており、身分保障は一切ありません。ひたする憲法と大統領の方針を忠実に実行する事だけが求められる地位です。

日本の官庁の課長補佐クラス以上に当たるアメリカの幹部公務員は殆ど「政治任命」に属し、政権交代毎に、8,000人前後の幹部公務員が交代するのはその為です。
選任に際しての履歴の審査(日本で言う身体検査)は、厳重を極めます。過去10年間の職業、論文、著書、講演、人間関係、個人の資産、納税、収入源、訴訟や紛争、家政婦、家庭教師、銃の保持の履歴など63項目に亘る詳細な質問に具体的に回答し、宣誓して署名する事から始まります。オバマ政権は異常な人気ぶりで、8千人の幹部定員に対して30万人以上の自薦、他薦の応募があったと伝えられています。

(ところで、軍幹部の登用規準は、「政治任命」の一般公務員より更に厳しく、過去の言論も含めた厳重な審査がなされます。このことはアメリカ国防省のHPを見ればすぐ分るので、もし田母神前航空幕僚長がこのことを知っておられたら、「昔の言動や個人の自由まで束縛するとは、アメリカという国はとても先進国とは認められない独裁国家だ」と非難されたかもしれませんが、アメリカでは誰も問題にしていません。)

日本では、「埋蔵金」のことを公表し、「全ての公務員を敵に回した」と言われている元財務省の高橋洋一氏(現東洋大学教授)が、竹中平蔵さんの要請を受けて、「政治任命」で内閣参事官を勤められたと聞いておりますが、こういうケースは例外的なのだと理解しております。
「政治任命」による幹部公務員を擁さずして、日本の内閣総理大臣はどうして自分の信念を実際の政治に反映できるのだろうかと、私には不思議に思えてなりません。

「ベスト・アンド・ブライテスト」は要らない

最近のアメリカの有力紙に「ベスト・アンド・ブライテスト」の著者ハーバーステムの言葉を引用して、「学校秀才は指導者にはなれない」と言う趣旨の論文が載りました。その内容を要約すると下記の通りです。

ベトナム戦争の早期終結を目指したケネデイー大統領は「ベスト・アンド・ブライテスト(秀才中の秀才)」を集めた安全保障チームを組む事にしました。
国防長官には、カリフォルニア大学の学生時代から天才の誉れが高かったマクナマラを任命。(彼は、前例のない高給でハーバード・ビジネス・スクールの最若年助教授に迎えられたり、44歳の若さで、フォード家出身以外では初めてのフォード自動車社長に就任したりという「やり手」でした。)
安全保障担当のバンデイー補佐官は、グロトン校の伝説に残る俊才で、エール大学でも一番の秀才と言われ、補佐官就任前はハーバード大学で学部長を務めていた人物でした。
バンデイーの副官に任命されたロストーは、19歳で最優秀の成績でエール大学を卒業、20歳でローズ奨学金を受けてオックスフォードに留学。23歳で博士号を授与される等、何をするにも最若年と言うタイトルが付いて廻った人物です。

しかしながら、ベトナムを泥沼に追い込み、ジョンソン政権を退陣に追い込んだ政策の立案者こそが、この「秀才中の秀才」のチームに他ならなかったことを、ハーバーステムはその著書「ベスト・アンド・ブライテスト」の中で詳細に述べています。彼としては、皮肉をこめて、この本の題名を「ベスト・アンド・フライテスト」としたつもりだったのですが、多くの読者にはこの皮肉が通じなかったことを残念に思っていたそうです。

この寄稿文の筆者は、実例を挙げながら、「国の指導や危機管理には、『知(ナレッジ)』の過大評価は危険であり、常識を重んじる『智恵(ウイズダム)』が重要だ」を説いています。
彼は、オバマ次期大統領の経済チームが発表された時、世界恐慌の経験から編み出された智恵の塊である「グラス・ステイーガル法」を理屈上の効率論だけで廃止して、今回の金融危機の下地を作ったルービン元財務長官の影響を受けた「学校秀才のチーム」に危機感を覚えたそうですが、最後には、「ルービン氏に替えてヴォルカー元連銀総裁をブレーンの中心に置いたオバマ次期大統領の智恵に期待したい」と結んでいます。 
何となく私にも納得出来る一文でした。

日本の新聞は、ハーバード法律大学院を最優等の成績で卒業したオバマ次期大統領を秀才扱いするかも知れませんが、コロンビア大学に転学するまでのオバマ大統領は秀才とは程遠い平凡な若者でした。少なくとも彼は、「秀才中の秀才」とは言えず、閣内にもその匂いは感じられません。
そのことで安心している人達は、私以外にも少なからずいるような気がします。

「具体的なやり方」はこれから

「人間に耳を二つ、口を一つ持たせたのは、喋る二倍聞けと言う全能の神のお知恵だ」と言う教えがギリシャにあるそうです。「雄弁ではあっても、多弁ではない」オバマ次期大統領の組閣振りは、先ずはその教えを守ったと評価できるでしょう。

オバマ氏は、前例のない危機に見舞われた米国民に、300万人の雇用増、1兆ドルを超える財政出動、陳腐化したインフラの再整備、教育再建、再生可能エネルギー開発、振興などを、実現年次を区切り数字を入れて約束しました。これは公約ではなく、マニフェストです。

術後の経過が良くないシルベスター少年の病床を訪ね、「その日の試合で本塁打を打つ」と約束(commit)して、その約束通りホームランを打ったベーブ・ルースの話はあまりに有名ですが、ベーフ・ルースも「どのインニングでどんな風にホームランを打つか」ということまでは約束しませんでした。
マニフェストの形で大胆なcommitをしたオバマ次期大統領も、「ゴール」は示しても、「具体的なやり方」まではまだ示していません。これは、当然のことといえば当然のことで、元来政治とはそういうものであるべきなのでしょう。
しかしながら、「ゴール」は後回しにして、「やり方」論議にばかり忙しい日本は、ここでも正反対であるように思えます。

重要幹部の大半を決めたオバマ氏は、家族と共にクリスマス休暇の為、生まれ故郷のハワイに旅立ちました。 近い内に、スタッフの横顔とオバマ政策の予想などを御紹介したいと思います。

一刻も早く経済危機が収束することを願いながら、


ニューヨークにて、北村隆司



夏炉冬扇−7:  デトロイトの落日


政府救済と米国民の抵抗

クリスマスを1週間後に控えた雪の降り頻る12月19日のワシントン。ブッシュ大統領は厳しい表情でデトロイト緊急援助策を発表しました。
既に報道された通り、「174億ドルを2度に分けて緊急融資する。然し、3月31日迄に政府が承認出来る持続可能な再建計画を提出する事が条件である。再建計画が承認されない場合は、民事再生法に運命を任せる」という厳しい内容でした。

元利合計を早期に返還した1979年のクライスラー救済策を成功だと考えていた私には、政府のデトロイト救済に米国民がこれほど強く抵抗するとは思ってもいませんでした。国民が抵抗する背景を探って見たいと思います。

不遜な経営姿勢 ― ウイルソンからルッツ迄

話は1953年1月の上院公聴会に翻ります。その時上院では、アイゼンハウアー大統領が次期国防長官に指名したチャールス・ウイルソンGM社長の承認審議が行われていました。
この時、「国防省を最大の顧客とするGMの社長が国防長官に就任すれば、利害相反の問題が生じる」として危惧を表明したある議員に対し、「GMの利益は、国家の利益だ」と回答したウイルソン社長は、「不遜」の代名詞として、長い間悪名を馳せる事になりました。

車作りの帝王と言われたボブ・ルッツGM副会長は、昨年のある記者会見の席上、「トヨタのプレウスの様なハイブリッド車は、経済的な意味が全く無い」と発言しましたが、今年の2月には、小汚い罵り言葉を交ぜながら、「地球温暖化など、糞の役にも立たない戯れ言だ」と発言して、「時代錯誤の経営感覚」の典型だと批判され、これがGMが国民の信頼を失う原因の一つともなりました。

無視した賢者の警告

事業部制の生みの親で、GMの中興の祖でもあったアルフレッド・スローン社長が発案した、財務計画とマーケッテイングを基にした計画大量生産方式は、イノーベーションの重視と共にGM経営の永年の基盤でした。ところが、最近のGMはイノベーションを忘れ、本社が時代遅れの経営方針を押し付ける官僚経営に陥った事が落日の原因だと、多くの識者が指摘しています。

「私の履歴書」の中で、経営学の始祖ピーター・ドラッカー教授が、lGMのコンサルタントを辞任した理由として、「組織や事業の見直しを提案しても、『GMは世界一だから、外部の批判はとんでもない』という態度だったからだ」と述べている事が思い出されます。

自動車摩擦を中心にした日米経済紛争の収束を巡って、蒲島郁夫氏(現熊本県知事)と松原昇氏(現東大名誉教授)の両氏が、「二度に亘る石油危機とガソリン価格の上昇は小型車の需要の増加をもたらしたが、アメリカの自動車産業はより利益率の高い大型車に執着し、その需要の変化にこたえなかった。そのため小型車を主に生産してきた日本の自動車メーカーが漁夫の利を得、アメリカの自動車産業の不振をもたらした」と、今から30年近くも前に指摘されましたが、今回多くの議員が批判した「GMの間違ったビジネスモデル」は、まさにそのことを指していると言えます。

デトロイトへの批判は、経営姿勢だけでなく車の質にも及びます。消費者運動の先駆者として高名なラルフ・ネーダー氏が指摘した「安全性を欠いた車」や、ネーダーの高校の同級生で名著「覇者の驕り」を著したデビッド・ハルバースタムが、「自己満足にどっぷり浸り変革を忘れたアメリカの自動車産業は、品質向上と技術革新に懸命に取り組む日本やドイツの自動車産業に地位を逆転されるのは必至である」と警告しても、デトロイトは鼻先で笑うばかりでした。

デトロイト労働貴族

2007年7月のフォーブス誌に「大学教授より高給なデトロイトの労働貴族」という記事が載っています。自動車工の2006年度手当て込み税前給与を比較した同誌の資料では、

フォード             時給 $70.51 (年俸 $141,020)
GM               時給 $73.26  (年俸 $146,520)
クライスラー           時給 $75.86 (年俸 $151,720)
北米トヨタ、日産、ホンダ   時給 $48.00 (年俸 $96,000) 

となっています。

殆ど全員が博士号を持つ大学教授の平均年俸は、$92,973 (本俸 $73,207 + 27%の諸手当)に対し、高卒の全米自動車労連の労働者は大学教授の平均を57.6%も上回り、トヨタ、ホンダ、日産アメリカの労働者の平均給与を、52.6%上回っています。 それでも、薄給を不満としてストライキを起す労働貴族への支持は、もはや以前と比べて大幅に減っています。

陰謀と政治に頼ったビジネスモデル 

ブッシュ政権の退潮とガソリン価格の暴騰を機に、アメリカでも地球温暖化の深刻さが認識され、再生可能燃料の普及と公共輸送機関の整備がオバマ政権の目玉となりました。

皮肉な事に、一昔前のアメリカは日本など問題にならない公共輸送機関の世界的リーダーでした。その立派な鉄道網を破壊したのが、GM、デユポン、スタンダード石油(エクソンの前進)ファイア・ストンなどの自動車マフィアでした。
1930年代に入ると、近距離鉄道が自動車産業の敵だと考えた自動車マフィアは、政治力と財力を駆使して、サンフランシスコやロスアンジェルスの立派な近郊路線を軒並み廃線に追い込みました。

爾来、何事につけ政治力を使う事がデトロイトの体質となり、今年になってもGMが毎月平均100万ドルの現金をロビーストに使っている事が知れると、世論は激昂します。資金援助陳情に議会の公聴会に出席したデトロイト3社の首脳が、揃って専用自家用機でワシントンに飛んで来て、その不見識を咎めた議員から、「山高帽に燕尾服姿で、ブリキのコップを廻して物乞いする様なものだ」と皮肉られた事は、日本でも報道された通りです。

根強い「デトロイト出直し論」

「複雑な部品産業との関係や、トヨタの10倍もある販売代理店に、売れない車種ばかり作って売らせ、市場の求める車種を作らないビジネスモデルで生き残れる筈がない。訴訟を受けずに、複雑な契約を反故にして抜本改革を実行出来る唯一の手段は、民事再生法申請しかない」という意見に、デトロイトは、結局真っ向からは反論出来ませんでした。
最後になって、やっと過去の失敗を認めて遺憾の意を表し、「同じ徹は踏まない」と誓わされた労使の姿は、まさに「情けない」としか言いようがありません。
デトロイトの労使は、「民事再生法を適用された企業の車を買う人はいない」 「裾野の広い自動車産業の倒産の連鎖反応は、失業者だけで2-300万人を超える」 「失業と倒産の連鎖による国の損害は、救済資金の何十倍にもなる」等と、現実論で抵抗しましたが、これが精一杯だったのです。

国民の抵抗の背景には日米の国民性の違いも無視できません。政府がやたらと民間に干渉し、国民もそれを望んでいる日本と異なり、「政府は必要悪」と考えるアメリカ国民は、政府の干渉を極度に嫌います。
「子供の喧嘩に親が口出す」今様の日本と、アメリカの事情は正反対です。デトロイト救済を巡って本質論を徹底的に論議するアメリカの風土から、賛否は別として、私は貴重なものを学んだ気がします。

しかし、何はともあれ、いろいろな条件をつけて、最終的に「緊急融資」は決定されました。「現実論」にはそれなりの説得力があったということです。
デトロイトが崩壊した場合、日本人として気になるのは、アメリカの国粋主義者が「デトロイトは日本の不公正競争にやられた」と言いがかりを付けることですから、30年前の自動車摩擦の傷が未だに癒えていない私としては、今回の決定で実はホットしている一面もあることを告白しなければなりません。

革新(イノベーション)こそ万能薬 ――日本の生き方

ヘンリー・フォードがT型車を世に送り出したのが1908年10月でした。皮肉にも、デトロイトが崩壊しようとしている今から丁度100年前の事です。
左ハンドル、密閉式シリンダー、懸架装置など、今でも基本は変らないイノベーションを装備したT型フォードは、時代を超えた傑作でした。イノベーションで他社を寄せ付けないフォード社は、労働者に時給5ドルと言う、当時の相場の2倍以上の破格の待遇をして世界を驚かせます。フォード創立後11年の1914年に起したイノベーション旋風の成果です。この高級に惹かれた腕っこきの労働者達で固めたフォードは、人的資本でも競争相手を圧倒しました。

世界有数の富豪であるウオレン・バフェット氏は、進歩の法則として三つの "I" を挙げています。イノベーション(革新、創造)の "I" 、イミテーション(模倣物)の "I" 、そして最後は、イディオット(馬鹿者)の "I" です。「革新の "I" で世界を席巻したデトロイトは、成功に酔い痴れて、いつの間にかイデオット(馬鹿者)になっていた自分自身を見過ごしていた」というのが、今日の現実であるように思えます。

それはそうと、1956年の経済白書が「日本も近代化(トランスフォーメーション)を進めないと転落を迎える」と強く警告したにもかかわらず、一向に耳を傾けなかった日本政府や金融業界が引きこしたバブル崩壊と、今回のデトロイトの悲劇が重なって見えるのは私だけでしょうか。

その気になると異常なまでの力を発揮するのが米国の伝統です。オバマ政権は、真剣に、「アメリカのインフラ再興」、「再生可能エネルギー産業の振興」、「陳腐化した諸制度の改革」に取り組むと宣言し、一兆ドル以上を投ずると公約しています。
日本も油断してれば、自らのデトロイト化を防ぎ得なくなるかもしれません。
日本の自動車産業も、通常機種の大量生産の拠点は今からすべて海外に分散し、日本では革新的機種や高級機種に集中するビジネス・モデルに、早い目に切り替えたらどうでしょうか。これが実現すれば、日本のメーカーは1914年のフォード同様、現行給与の倍を出しても世界の競争に勝てることになりうるかもしれません。アイデアとスピードこそが鍵だと思います。
「デトロイトに陽が又昇り、その頃には、日本の自動車産業はそれ以上の輝きを持っている」という日が訪れることを期待しています。 


ニューヨークにて、北村隆司

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