31日、大晦日。
早めに布団を敷き、読書していたら、事務所のドアが小さく、「トントン」したので、誰かな?と思いドアを開けたら、お隣の堀さんが、手作りのおせちを差し入れにきてくれました。
フィエスブックにもアップしたところ。堀さん。ありがとうございます。おいしかったです。ありがたや。気分転換にテレビをつけました。わらってはいけない24時を見ながら、芝田弁護士より、お歳暮でいただいたモルツビ−ルのつまみにしていただきました。良い年越しを過ごさしていただいております。ありがとうございます。良いお年を…。
PS、明日、元旦は、去年と同じく、黒目川の「初日の出」を見に行きます。その後、りきまる号で首都高に乗って、赤坂日枝神社でお参り。おみくじを引きに行く。今晩は、除夜の鐘を聞いて寝ることにします。穏やかに、おやすみなさい。
2011年12月
30日、20時。今年も残るところ、明日で終わり。
人のイヤなところを見て、落ち込んでいると、佐藤さんが心配してくれて電話をくれた。やっぱり、佐藤さんが掛値なしに、支えてくれていると思うと、本当にうれしかった。
天国にいる、おじいちゃん、おばあちゃんも、多分、「孫をいつもすみせん。」と、きっと、佐藤さんに、感謝してくれてると思う。
洗濯は、パンツを連続装着してるから、ねばっている。明日、大晦日は洗濯しようと思う。
大丈夫。3日あれば、俺のモチベ−ションは回復できる。新年から心を入れ替える。仕切りなおす。だから、あと一日だけ、ぐずることにした。
今日、お昼2時くらいに、ひげ面の汚い格好で事務所を出たら、アパ−トの管理人の方がでてきて、「松岡さん、どうしたんだい。」というから、「いや、ラ−メン食ってきます。」といったら、「あっ、そうかい。」「来年も、よろしくお願いします!」と、ご挨拶しました。みんなも、明日は大晦日。
先日、飲み会のあと、代行頼んだとき、運転手さんに、大晦日は何食べますか?と聞いたら、「なんも、普段とおんなじだよ。特別、何を食いたいなんてないんだ。俺は、佃煮と豆腐があればあとはなんもいらない。いや、そうだなぁ、数の子くらいは食べたいなぁ。」私も、戴きものの、たらこが残ってる。31日、大晦日、明日の朝は、たらこと、ごはんにしよう。
今年はオバ−ワ−クの一年だった。いや、周りを見渡すと、みんなそんなような感じでした。東日本大震災が起きて、それぞれの人が、それぞれの立場で、自分のできることをしたのだと思う。そういう一年だったのではないでしょうか。
今年も田舎(函館)には帰らない。久しぶりに電話で親父と話しをしたから、それでいい。酒もタバコもやめて、毎日、運動するようにしているという。さすが、親父だと思った。
去年、迷惑をかけたくなかったので、選挙に出たことは話してなかった。ふるさと七飯町の神社に、父方の祖父、祖母が眠る慰霊堂がある。そこに、公認ビラをおいて、おじいちゃん、おばあちゃんに出馬報告をしていた。父親は、選挙後、墓参りの際、そのビラを見つけて私が選挙にでたことを知ったらしい。相当、びっくりしたようだ。
母方の祖父、祖母のお墓は、京都の綾部というところにある。ずいぶん遠くにある。母親の話では、死んだらここに入ると言っている。夫婦は離婚すると他人だから、同じ墓に入ることはない。家族は離散すると、バラバラになるものだ。
母親から同居を求められ、2度チャレンジしているが、すべて追い出されている。長くは続かない。
もう、選挙にチャレンジするのはあと一回にしたい。大変なエネルギ−を使うからだ。体もお金も続かない。昨日はそう思った。
PS、正月休みを利用して、京都の綾部に墓参りに行こうか迷っている。10年くらい前に、愛犬のビ−ノと二人で行ったきり、行っていない。でも、遠すぎる…。宿泊も絡むから、お金もかかる。あそこはさびしすぎるから…。一人で行くと、辛くなる。こんなとき、奥さんがいたら、旅行ついでに楽しみながら、京都のおじいちゃんとおばあちゃんのお墓に会いにいけるのになぁ。また一人で行ったら、「りきちゃん、あんた、まだ、結婚してないのかい。いい人、見つからないのかい。」と言われそうだ。やっぱりいくのやめとこう。元旦は、やはりこのブログで定番の、2012年「恋みくじ」を、東京赤坂の日枝神社にひきに行く。
えんちゃん。文房具箱にまぎれてる。ちゃんと財布に入れてなかったから、効力がなかったのか。元旦は、このお守りを奉納して、あたらしい、「えんちゃん2012」をひいてこよう。
野田総理が消費税に突っ込んでいく中、年末に向け、民主党9名の離党が始まった。至極、当然の行動だと思う。政治家は最後は自分の判断で行動を決断するものだから、人から、何を言われようと、自分の信念で、自分の責任で行動することは当たり前だ。その結果、落選したとしても、自分に納得ができると思う。
やはり、来年は選挙の年になる。ネットや週刊誌、いろんなものを見ると、3月、6月、9月あたりが、解散総選挙の時期になるとの予測もある。
私も、茨城一新会の畑会長と毎日のように、電話でやりとりをしてきた。畑会長からいろんなアドバイスをもらっている。新党なり、分党なり、第三極なりが進むと、小選挙区があく可能性が広がる。私も含め、前向きに生きている新人には出馬のチャンスが広がるということだ。
各政党が公募を行っている。党籍にこだわっていないので、自由に応募できる。まずは出してみることだ。書類審査に合格できれば、面接まで行くことができる。あとは、野となれ、山となれ。
次の選挙は、「どの党か」というよりも、「候補者の人物」で、国民より評価されるのではないかと思っている。
ああああっ、もしかしたらもう一度立てるチャンスがあるかもしれない。血が騒ぐ。最後は自分の決断だ!!
最後は2級制度の議論。3級アンケ−トの結果、NPOリサイクルマスタ−検定制度は、「収集運搬ドライバ−2級」、「作業員2級」、「営業2級」、「事務2級」のような、業務ごと区分する案で、講師陣の意見も一致しました。
業務区分にしたがって、3級合格者に対し、2級で学びたいことについてアンケ−トをとりました。
(作業員2級)
各講師から様々な意見が出されました。まずは、作業員2級で学びたいことについて、受講者のニ−ズを捕まえることができた。今後、このニ−ズをもとに、作業員2級カリキュラム(素案)を私の方で作成し、講師の皆さんに揉んでもらうことになりました。2級(中級)では業務ごとの専門知識を身につける。1級のイメ-ジはそこからさらに深化させるわけですが、アンケ−ト結果を見ると、今のところ1級は作業員管理者、運搬ドライバ−管理者など、上級にしたがって各部門長業務に発展していくような気がします。
今後、講師陣で2級素案がまとまり次第、3級検定を実際に受けた企業の社長さんや、3級合格者した方をお招きし、意見交換会も開催する予定です。受験する側とさらに詳細を詰めていきながら、制度を構築していきたい。この検定は、現場の声をまとめながら、一緒に汗をかき、ボトムアップ式で制度を構築している。現場に入り込み、それをいかに整理し、検定システム化するかが最大の課題。来年度は、ドライバ−2級、作業員2級を優先しつつ素案をまとめていくことで講師陣の考えも一致しました。アンケ-ト結果については、PDFにしてのちほど、NPO法人廃棄物教育センタ−ホ−ムペ−ジに掲載する予定です。
PS、このあと、講師陣の皆様と近くの居酒屋さんで「あんこう鍋」を囲みながら忘年会を開催しました。講師のみなさんからも、来年の抱負を語っていただき、本年の幕を閉じました。協力していただいている皆様に改めて、この場を借りて御礼を申し上げます。来年も何卒、よろしくお願い申し上げます。(おわり)
質問4、試験問題ははいかがでしたか?の質問に対しては、78%の方が「ちょうどよいと思う」、20%の方が「やさしすぎる」、2%の方が「むずかしすぎる」という回答を頂きました。
受講者の意見。
(環境展現地検定)
(クマクラ)
(営業)
この結果を分析すると、約8割の方が「3級(初級、入門)としてはちょうどいい」ということがわかりました。3択一で、70点以上が合格。実際、初年度の平均は90点。来年度は問題をさらにブラッシュアップし、若干、難しくする方向で調整されました。また、「やさしすぎる」という回答ニ−ズは、その上の2級(中級)検定で、ニ−ズ対応していくことで一致。
現地取材を行ってきた循環経済新聞の冨見田所長は、「社長さんから見ると、3級はやさしすぎるというが、実際の従業員の方から見ると、ちょうどいいという意見が8割を占めた。社長さんの感覚と、従業員との感覚の違いなども、この検定試験やアンケ−トから浮き彫りになった。」と指摘。
私自身が、受験企業の社長さんと直接面談により意見交換をしたところ、「うちの社員はしっかり教育しているから、みんな100点とれると思った。だけど、このやさしい問題を間違うのか。全員100点が取れない結果を見て、正直がっくりした。でも、最後の記述問題で、それぞれの社員一人一人の気持ちが分かった。3級は原点に返ること。基本が大事というのが良く分かった。早く、2級を作ってほしい。」、「業務の一日の流れを振り返りながら、最後は試験で確認するというのは絶対にいい。今後、社内教育でも、社内問題を作って試験をやらせたい。」という意見を頂きました。
最後に、カワサキ商会本部長の川崎講師から、3級問題の難易度を若干上げるため、試験問題(案)が発表されました。高知県リサイクル協会会長の金平講師からは、「試験問題では、誤りを選ばせる問題が多い。リサイクルマスタ−として、最も適切な行動を選ばせる問題を増やしたほうが、試験を受けながら学べると思う。」という、貴重なご意見をいただきました。
質問3、検定講師の説明は分かりやすかったですか?
173人中、136人(78%)の方が「分かりやすかった」という回答を頂きました。
以下、受講者の自由意見です。
実体験の話は良かった。スム−ズに流れるように話してほしい。
(環境展現地検定)
(クマクラ)
この意見に鑑み、今年度、講師を担当した、私と、ジャパンクリ−ンサ−ビスの福本講師(埼玉県)、カワサキ商会の川崎講師、元京王電鉄 環境部担当の柴田講師(千葉県)、ANE環境経営研究所の石井講師(茨城県)から、講師実体験の感想や反省点が各自から発表されました。総論を言えば、「福本講師のように話ができない」「まだ自身の講師能力が足りない」との意見が大勢を占めました。
この講師課題を改善するための対策として、1)12月7日に行ったタカヤマさんの最新検定DVDを各講師に配布し、自宅のパソコンで勉強を重ねる。2)講師自身の人生経験を生かす。専門能力は2級、1級で醸成されていくわけですから、3級は、リサイクルマスタ−の資質養成、人間力を高めること。(たとえば、挨拶ができなくて失敗した事例、報告しなかったことによって、失敗した事例、それをどう反省し乗り越えたか。お客様との人間関係を作ることがどれほど大切か。その結果、感動したこと。認めてもらえたこと。一緒に働く仲間との思いやりなど、各講師の多種多様な社会人経験、人生経験は、むしろ廃棄物現場で働く人にとっては、貴重な話になる。受講者にニ−ズを分析すると、(限られた人間関係の中で、自分以外の他の会社の取り組みも知りたい。という意見が非常に多かった。)というのが私の感想です。ここにおられる各講師は、いろんな会社を見てきた人達です。それぞれの講師の持ち味があるし、人生経験談が豊富で、情熱をもって自分の言葉で放った言霊(ことだま)は、受験者の心に必ず残る。
講師の皆さんは、「3級の講師が一番難しいな。3級が一番、大事だな。」と、口をそろえていっていました。そうなんです。私自身、過去に幾度となく、講師活動をやってきましたが、この3級現場教育ほど、難しいものはありません。知識を並べるのはそれほど難しいことではない。大切なのは、「受講者の心に残るか。」です。正直、私自身、毎回、緊張して声が震えます。果たして、現場の人達に受け入れられるだろうか。3級は40分という限られた時間の中で、受講者にリサイクルマスタ−とはなんなのか?プロ意識ってなんなのか?このことを「受講者の心の中に、残してくる。種を植えてくる。」福本講師は最後にいいました。「僕たちは、会社が違っても、同じ仕事をしている仲間なんだ。車で行き違っても、リサイクルマスタ−のワッペンを見たら、「おう!」と手を上げて挨拶をする。そう話してますと…。
PS、アンケ−ト結果を見たら、8割の方が「良かった」と言ってくれました。これが一番、うれしかった。お客様から「良かったよ。」と、言ってもらえたらすごくうれしい。我々、講師陣も3級からスタ−トです!!
続いて、私からNPOリサイクルマスタ−3級検定(初級)を受験された廃棄物処理業従事者の方180名のアンケ−ト結果を発表しました。現場で働く方達のご意見をしっかり頂きながら、今後、3級のブラッシュアップ、現在構築中の2級、1級という検定制度を作っていきたいと思います。
受講者の業務別内訳。最も多かったのは廃棄物運搬ドライバ−67名(37%)、続いて作業員51名(28%)、営業職20名(11%)、事務職19名(11%)、兼務12名(7%)、経営者層8名(4%)、その他3名(2%)という結果となりました。
質問2は、40分間の検定時間はいかがでしたか?という問いに対しては、90%の方が「ちょうどよい」、5%の方が「長い」。残り5%の方が「短い」という結果となりました。
仕事が終わったあと、もしくは仕事の合間で行う現地検定なので、時間の制約、疲れ、集中力などを考えると、40分の検定時間は適切という結果が見て取れます。
PS、実は、実際検定をやってみると、廃棄物を運んだり、処理したりする仕事は連続的に行われています。ドライバ−や作業員の方などを、一定時間、拘束し研修を行うというのは、受ける側の社内調整業務が一番大変なことでした。
最近、ご相談を頂くのは、「年に数回、定期的に教育をしている。そのタイミングで、この検定を受けさせたい」というお話も頂いております。お話を聞くと、「社内教育も継続するとマンネリ化し、教育ネタに苦しんでいる。」という声が意外と多いです。第三者による「NPO資格検定試験」というのは、教育ネタ的にも良いとのことでした。(つづく)
東京八重洲ホ−ル貸し会議室。
NPOリサイクルマスタ−検定講師交流会。
私から、冒頭、ご挨拶。この年の瀬、忙しい時期にNPO講師有志の皆様にお集まりいただき、本当にありがとうございます。
本日の基調講演は、冨見田陽一氏、(日報アイビ−東京事業所長、週刊循環経済新聞編集部長)より、「3級検定の現場取材から見た感想や提言、最新情報として、東日本大震災におけるがれき処理現状など、取材現場記者の立場からお話いただきました。提供資料はイ−コンテクチャ−
その後、わたしから実績報告。東日本大震災以降、今年4月から初めてスタ−トした3級ですが、ボランティアスタッフの佐藤さんがデ−タ−を集積した結果、3級合格者は208名。うち男性190名(91%)、女性18名。(9%)。平均年齢は43才。受験企業数は30社。尚、リサイクルマスタ−3級ワッペンは42枚購入の申し込みがあり、合格者の作業服などに装着されています。
その後、各講師から3級普及活動報告、向かって左から、福本正氏、有限会社ジャパンクリ−ンサ−ビス専務取締役(埼玉県)、堀越正紀氏、有限会社プライムコ−ポレ−ション代表取締役(群馬県)、岩下石男氏、有限会社八鉱カイハツ取締役会長(岩手県)。
向かって左から、石井晴光氏、有限会社ANE環境経営研究所代表取締役(茨城県)、川崎秀樹氏、株式会社カワサキ商会本部長(千葉県)、伊澤敏彦氏、NPO法人環境資源開発研究所所長(東京都)。
手前から、今仁豪造氏、エコイマジン代表(埼玉県)、金平進氏、高知県リサイクル協会会長(高知県)、柴田良一氏、元京王電鉄株式会社 環境部担当(千葉県)、出澤征夫氏、NPO法人茨城県環境カウンセラ−協会理事。(茨城県)続く。
12月21日(水)午後から出席した広島県食品リサイクルル−プ検討会の様子をお伝えします。
広島合同庁舎2号館。広島地域センタ−第1会議室で行われました。
出席した委員は、座長に矢野泉氏(広島大学大学院生物圏科学研究科、食資源経済学講座 食料市場学研究室 准教授)、重松昌司氏(株式会社フジ 環境保全推進、品質管理室 室長)、林敦彦氏(株式会社丸久 総務部 マネジャ−)、松岡力雄(全国食品リサイクル登録再生利用事業者事務連絡会 事務局長)、高橋昌男氏(広島県農業法人協会 会長)、中川和義氏(広島市農業振興協議会 副会長)、中原律子氏(社団法人広島消費者協会 会長)、川本季子氏(社団法人広島消費者協会 副会長)
オブザ−バ−は、岡野憲滋氏(中国四国農政局 経営事業支援部事業戦略課)、福原和彦氏(広島農政事務所 農政推進課 資源循環推進係長)、事務局は、室山晃一氏(廃棄物工学研究所 主任研究員)。
検討会では、食品リサイクルコストの話がさらに詰められた。排出事業者(ス−パ−マ−ケット)である株式会社フジの重松室長は、「食品リサイクルコストを抑えて、食品リサイクルを行うためには、排出現場での廃棄物の分別と測量を行うこと」を提言。
仮に現状、生ごみを焼却に回している場合、収集運搬費を1キロあたり15円、市町村の焼却処理費1キロあたり10円だとする。それが仮に1ヶ月10トンの廃棄物がでるとすれば、運搬費は15万円、焼却費用が10万円。つまり、一ヶ月10トンの食品廃棄物を、一ヶ月合計25万円支払って、重油を莫大に消費しながら、市町村で燃やしていることになる。
これを燃やさないで民間の食品リサイクル業者にお願いすると、リサイクル料金が20円とすれば、運搬費が15万円、食品リサイクル料金が20万円、一ヶ月合計35万円になる。つまり、食品リサイクルをすると、一ヶ月あたり10万円の負担増、年間120万円のコストアップになってしまう。
運搬費は、各社との契約にもよるが、排出量の増減に関係なく毎月15万円という契約をする場合が多い。だから、排出事業者側で分別し、ダンボ−ルや廃プラスチックなどを分ければ、有価で引き取られる場合もある。したがって排出者側で計量器を購入し、重量測定さえ行えば、運搬費を削減することができる。この辺を処理業者側と話し合いしながら、取り組む店舗数を増やしつつ、食品リサイクルシステムを構築していくのが現実的。という提言がなされた。「これをやると、新たに排出者側で人を増やし、結果的に人件費が増えないか。」との指摘もあったが、重松室長は「現社員やパ−トへの教育をしっかりやれば、できる。」と言い切った。ようは、排出者の環境担当者のやる気次第ということだと思った。
この検討会は、現場の実態を追求しながら、非常にいい議論をやっていると思います。私もいろんなことが見えてきた。次は2月上旬にもう一回広島に行くことになる。(スケジュ−ル調整つくかなぁ。)そしてラストは3月9日に広島県でシンポジウム。最後のパネルディスカッションには、私もパネリストとして参加する予定。
クライアントと一杯やりながら打ち合わせを終えました。
大阪の人はなぜエスカレーターは右で待つのだろうか?
つい、東京のくせで左で待ってたら、後ろは渋滞。
右によけて会釈した。
なんか、一日で広島と大阪をまたいだので感覚がおかしい。
明日は東京で会議。
うーん、眠い。今寝たらまた3時に目が覚めそう−
もう寝ようーおやすみなさい。
PS、あ!佐藤さん!ジーンズは洗わなくていいですから!なんか、予感がさわぐ。
駅構内の待合室からブログを書いています。ここはデスクがあって書きやすいです。
うぷ。さきほど急いで食べたおにぎり2個が逆流しそう。
東京駅には予定よりも1時間30分も早く到着した。
「そうだ!」と思い、明日のNPOリサイクルマスター検定講師交流会の会場の場所を確認してきた。(八重洲中央口)徒歩2分、東京八重洲ホール。(いい運動になった。)
二次会の居酒屋の場所も確認。研修会場から徒歩1分だった。
うーん、あんこう鍋、おいしそう。
しかし、東京駅は大きいなぁ!丸の内線できたから、八重洲口は反対方向。なんだかんだで、50分は時間をつぶせた。
よし。そろそろホームに移動しよう。新聞雑誌を買わないと。
ふぅ、今朝3時に起きて作業を終了。あさっての資料が完成。これを宅急便で、東京八重洲ホ−ルに出します。今、佐藤さんが封筒に封入してくれてます。
3級合格した200名の方から、2級で学びたいことについてのアンケ−ト結果がまとまった。「作業員2級」、「ドライバ−2級」、「営業2級」、「事務2級」に区分し終わった。あさっては、このアンケ−トを基に、2級制度構築の議論を開始します。来年度は、受講した企業の「2級検定パイロット試験」まではこぎつけたい。
PS、う----ん、やはり正月は仕事になりそうだ。しかし、人が休んでいる間に仕事をすれば、スピ−ドは人の2倍になる。「ニ−ズ分析」+「作業スピ−ド」+「知識財産の有形化(商品化)」+「行動と展開」+「社会告知」。あとは、講師の皆さまと一緒になって、地道ですが作っていきます。ひたすら前進。
そのための「あんこう鍋」もセットしました。6000円会費。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
さぁ、今度は明日の広島出張準備!まだのぞみのチケットを取っていない。ピシッとした切符でいく!
明日21日(水)は広島県食品リサイクルル−プ検討会に参加するため、広島に出張。
朝霞台→東京駅→広島→広島合同庁舎(会議出席)→広島→新大阪(宿泊)。
22日(木)は、NPOリサイクルマスタ−講師交流会を開催します。新大阪→東京駅(東京八重洲ホ−ルで会議)→忘年会。
NPO講師忘年会は、5000円会費。八重洲の居酒屋個室で「あんこう鍋大会」をセットした!
相変わらず日程はハ−ドだけど、年内あと少し。ラストスパ−ト!
PS、先日、NPO法人食品リサイクル農園あさか 代表理事の野口さんから電話があった。「松岡さん!24日(土)、クリスマスイブは畑作業よ!」。。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
松岡りきお後援会、幹部の鳥山税理士(志木市)が誘っていただきました。
歌好きな皆さんとパチリ。政治の話は生臭いので、ひたすら、お酒と歌に酔いどれました。しかし、わたしが、参議院選で国会議員に出馬した話になると、「ごみじゃ、受からねぇぞ!」と言われ、最初は我慢して聞いていたのですが、耐え切れなくなり、「みんなだって、うんこも、おしっこもするでしょうが!汚い、臭いから、生ごみ集めて、土に還り、野菜を作ってるんだ!」と酔っ払った勢いで、言い合いになっちゃった!」でも、主張だから、1歩も引くわけにはいかない!
酔った勢いで、好きなことを言い合った。俺は、別に落選したっていい。「俺がいいたいこと言わないと、俺自身が納得いかないから。」じゃないと、俺自身、意味がない!と、言ったら、「お前は青臭いんだよ!」と言われた。
青臭いのは当たり前だ!「みんなの生ごみから、青臭い、野菜作ってるんだ!」と最後まで俺も譲らなかった!最後は、鳥山先生のギタ−で、SACHIKOを歌った!「サ〜チ〜コ!思い通りに〜、サ〜チ〜コ〜、生きてごらん!」
でも、最後に、「お前、馬鹿だな!」と言われた!すごく、うれしかった!(にっこり)。
荻島は闘病中に手記を最後に残し、志を霞ヶ関にあずけ、荻島國男は静かに消えていった。
1992年4月28日逝去、享年48歳。
番組は、荻島國男を追いながら、霞ヶ関を約半年、追いかけた。
しかし、なかなか霞ヶ関の実態は見えてこなかった。ただ、霞ヶ関の中だけで通用する常識と世間の常識とは大きくかけ離れていた。
彼らの作る法案。それは誰のための法律か。霞ヶ関の「霞」はいつか晴れるときがくるのだろうか。
出典、フジテレビ制作、幻のごみ法案を追う 〜ある厚生官僚の遺言〜より。(おわり)番組は平成8年に放映されたものです。
PS、平成8年は、私が航空自衛官を退職し、社団法人全国産業廃棄物連合会に入局したとき。(今から15年前。)国防という仕事から、突然、ごみ問題という仕事に取り組むことになったとき、このビデオを母親から贈られたのです。そのとき、法律の条文ひとつで、世の中がこんなに変わってしまうものなんだなと、官僚の仕事って、とても大変な仕事なんだと思いました。多分、荻島さんのような官僚は今の霞ヶ関にもいると思います。しかし、その中で純粋に突き進むとき、いろいろな壁にぶつかり、妥協や迂回を余儀なくされる。それが、政治や官僚の世界であり、現実なんだということが分かりました。いや、民間企業も含めて、社会には同じようなことが沢山ある。大人になるに連れ、少しずつ何かが削られていく。私は荻島さんを見て思うのは、あとは、それぞれの人生、自分が信じた道をどう生き抜くか。人生とは、「その人の生き様」そのものなんだと思いました。(おわり)
友人で前出の山崎教授は、荻島の生命が終わりに近づくことを知り、亡くなる6日前に荻島をたずねている。「5分間だけ病室に入れていただきました。そのときに私は荻島さんから遺言を聞こうと思ったのですが、答えてもらえませんでした。」と最後を語っている。
荻島がこの5年前、明文化できなかった企業責任。
あの原案がもし成立したのであれば、その後のごみ問題の展開は大きく変わっていたに違いない。
この条文を通さなかった経済大国日本。番組では、最後に当時の津島厚生大臣にコメントを求めている。
津島大臣は、最後に「大きな仕事というのは、誰かが犠牲になる覚悟をもって挑まなければ、仕事は進まないんだな」と語っている。(つづく)次回ラスト。
栃木県那須町。別荘地で有名なこの町にも、業者が産業廃棄物を埋めてしまった。
地主によると、「もともとここは桑畑で、業者から使いように良くしてやるからといわれ、もってきたのが産業廃棄物。地下からはガスが放出されているといいます。植物もこの6年間生えてこない不毛の地です。」
ガス検知器を差し込むと表示はスケールオーバー。つまり、測りきれないくらいガスが放出されている。那須町にはこのほか、70箇所の産業廃棄物が埋められている場所があるという。
福島県いわき市、ここには廃油や廃車がずらりと並んでいる。ここの業者は極めて安い料金で処理を請け負い、廃坑あとにドラム缶4万5000本分を不法投棄していた。
そのため台風など大雨のとき、廃油が流れ出し、近くの水田に被害を及ぼしている。業者は有罪判決を受けたが、捨てた廃油を回収する能力はない。県の税金で回収作業が続けられてる。
千葉県成田市、ここにもゴミの山が至るところにあり、かつては地方にごみを流出していたが、地方からの反発があり、再び首都圏に戻ってきた。
ここも火災あり、3ヶ月たっても火はくすぶり続けている。そして、当時の厚生省は、来年、平成9年にもまた、廃棄物処理法を改正するという。(つづく)
PS、廃棄物処理法は、その後、平成9年、平成12年、平成15年、平成17年、平成19年、平成22年と立て続けに改正し、ほぼ、毎年のように、継ぎ足しで改正を続けている。
その後、荻島がまとめ上げた、最終的な廃棄物処理法案は、継続審議となっていたが、
1991年10月2日、その年の秋の臨時国会でなんとか可決された。
荻島はその知らせをこのベットで聞いたと言う。
文字通り、自分の命を削った最終案の法律。この法案に何が欠けているのか。一番良く知っているのは荻島本人である。
法案改正から5年が立った1996年、廃棄物問題はさらに日本列島を揺るがせた。
廃棄物処分場がある東京都日出町、ここでも住民が第2廃棄物処分場計画に反対している。
第一処分場から有害物質ダイオキシンが漏れているにも係らず、行政によって第2工場の計画が強引に進められている。
栃木県宇都宮市上欠町、ここには東京から持ち込まれたパチンコ台が山のように積み上げられている。業者はこれまで、リサイクルをするという理由で、取締りから逃れてきた。
行政は、今の法律では取締まれないと黙認してきた。
「その年の2月には火事がおきて、大騒ぎになりました。火事以降もパチンコ台はますます増え続けています。10万台は入っているのではないかと言われ、これに火がついたらこの一体は大火事になります。プラスチックが太陽に照らされれば自然発火も起きる可能性があります。燃えたらダイオキシンまででるといいます。」(つづく)
荻島が譲歩を余儀なくされた二次法案。それでも、各省庁と意見調整ができたとは言えなかった。これでも国会には出せない。折衝は続く。荻島の疲労は限界にきていた。
一方通産省は1991年2月22日、満を持してリサイクル法案を提出。国会ですんなり可決された。
しかし厚生省の廃棄物処理法は調整が遅れ、国会への提出は3月にずれこみ、結局「継続審議」となる。明暗を分けた瞬間であった。
その後、荻島は仕事に区切りをつけ、ガンセンターに診察を受けたのは5月。すでに手術できないほど、癌は広がっていた。
余命6ヶ月。治療を受けても1年。奥さんは、そんな医者の言葉を呆然と聞いた。
彼は霞ヶ関を離れ、闘病生活に入る。進行性の胃がんは彼の体をむしばみ、抗がん剤を打ちながらの延命治療しか残されていなかった。
前出の市民団体の藤原氏は次のように語っています。「二次案が完成したころには、すっかり骨抜きになって、見る影もなかった。これはあきらかに、産業界、そしておそらく通産省の圧力によるもではないか。」
企業責任を問うという原案、荻島が守りきれなかったのはなぜだったのか。その手がかりを求めて、当時の厚生省幹部を、味谷ディレクタ−は尋ねる。
当時の改正作業の現場最高責任者であった厚生省生活衛生局局長、目黒克己氏。
「短期間で、これだけの前面改定ができてよかったと思う。荻島君も99%満足していたと思う。」 本当に荻島は満足していたのだろうか。
味谷ディレクタ−は、当時の直属の上司を訪ねる。
当時の部長、小林安彦氏。
「企業責任は明文化できなかった。方向性は示せたと思う。120%の出来だ。幹部は口をそろえて、満足のいく法律改正だったと言っている。
味谷ディレクタ−は、当時の部下を訪ねる。
「厚生省自体のこれまでのごみ行政がしかっりしていれば、ごみ問題はここまでにはなっていなかったと、荻島さんはいっていた。他省庁からの攻勢だけではなく、上司の意見の食い違いなど、厚生省内部のことでも怒っていました。
荻島が心を許していた親友、前出の上智大学山崎教授は振り返る。「最後はあるべき姿からどんどん後退していく。国会に法案を出すときはこれが結局ベストだと。最後は屁理屈になってしまう。俺たち役人は一所懸命働いているんだけど、結果的には、まともな仕事はしていないんだ。学者はいいなと、いつも私に言っていました。」(つづく)
原案ができてから22日後の、1991年2月12日、第2次改正案が完成を見る。あの注目すべき3点はどうなったのか。
国民の責務は残されている。
しかし、事業者の責務では、企業の回収責任は完全に消えていた。
事業者は国及び地方公共団体の施策に協力しなければならない。という表現。「協力」という言い回しにとどまっていた。
さらに「事業者の処理」の項目にあった、処理業者へ「適正処理料金の委託」については、序文からはすっぽりと抜け落ちている。
原案と二次案を比較すると、国民の責務は変わっていないが、事業者の責務については、「企業の回収義務」が「協力」という表現に。「事業者の処理」においては、「適正価格の委託」という文字が、完全に削除された。(続く)
厚生省の切り札、荻島と通産省との折衝は連日連夜続き、合わせて荻島のオーバーワークは続く。その当時、奥さんは荻島の体を心配していた。本人がやりがいがあるということで、心労を重ねながら見守ってきた。
荻島を中心とした改正メンバーを引っ張ってきた、厚生省水道環境部長の坂本弘道氏は当時を振り返える。「よく若いのが、法律を改正するために、青春をかけているという人もいましたが、荻島さんは命をかけている」と言っていました。
国会提出期間は次々と迫っていく。荻島はピンチに立たされていた。福祉行政時代から一緒に本も書き、荻島のごく限られた友人である、上智大学の山崎泰彦教授は、彼の胸のうちを次のように語っている。
「悩み苦しむ荻島君を私は見ました。ちょうどごみをやっているとき、絶えられない状態の苦しんだ表情で、彼は本当に怒るんですね。これでいいのかと。」(つづく)
りきまる
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