3月10日の土曜日に

1月4日にお亡くなりになられました

星野仙一氏の追悼試合を見に

甲子園へ行って来ました。

球場の外には献花台が設置されていました。

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物心がついた時から

阪神タイガースの大ファンであり

星野仙一氏の大ファンでありました

松谷ですので

沢山ある星野監督の写真をじっと見つめ

ひとこと

「星野監督、夢を実現して頂き

有難うございました」と心でお伝えし

花を添えさせて頂きました。

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阪神タイガースの選手は全員が

星野監督の「77」番の背番号を

中日ドラゴンズの選手は

以前、星野仙一氏が選手時代に

「20」番を付けておられたので

全員が背番号「20」をつけての試合でした。

結果は

2対2の同点で追悼試合を終えました。

バックネットのスクリーンには

2003年に優勝した時の映像がずっとながれてました。

星野監督の助言の後

赤星選手がヒットを打ち

優勝を決めるきっかけとなり

星野監督が赤星選手を抱きかかえるシーンも

ずっとながれてました。

星野監督が阪神タイガースの監督就任時の言葉

「野球人として阪神タイガースの選手が

本来の仕事をしなかったその時は

私は鬼となります」この言葉

優しさの中に厳しさがあり

厳しさの中に優しさがあった

星野仙一氏を

松谷は一生忘れません。

一緒にしたら叱られるかもしれませんが

私も「監督」と名の付く仕事をさせて頂いてます。

私は現場監督生活30年の中で

24歳の時、狂うように鬼となったことを

思い出します。

職方さんが危険作業した時。

地上11階まで荷物の昇降にだけ使用する

エレベーターに職方が乗っていたのです。

私はその職方さんを引きづり降ろし

「ひとつ間違えればお前!!死ぬぞ!!

お前にも家族がいるんやろうが!!」と

狂うように叫びました。

24歳の若僧監督が

当時60歳前くらいの職方さんでした。

「この人を死なせたくない」という本気の心が

「鬼」となり言葉を発し

この「鬼」となったことが職方さんにも伝わりました。

今回

星野監督の言葉を聴いて

「監督」として

「本来の仕事」をしてないと感じた

その時には

「鬼」とならないといけない。

そう感じました。

それは職方さんにも

もちろん「自分自身」にも・・・・


改めまして

「闘将」

星野仙一監督

ありがとうございました。

人に自分自身に嘘をつくことなく

「本気」で日々精進して参ります。

やすらかにお眠りください。