2007イタリア旅行覚書

2007年07月19日

両替情報

今回の旅行、現金調達は為替レートが適応されて一番有利と言われているクレジットカードのキャッシングで行った。これは借金である以上、毎日利息がついていくから、口座から引き落とされるのを待っていてはその分余分な利息がついてしまう。なので、旅行から帰国次第、クレカのATMなどを使って繰前入金する。そうすると利息がついてもどの調達方法より有利になる、のがミソなのだが、なにせセミ田舎のわが家、一番近いATMまでスクーターで20分かかり、さらに悪天候と疲れが重なって今回は即・返済というわけにはいかなかった。(本当は成田に着いたその足で返済に行きたかったのだが、ボロボロに疲れていたのでそれもかなわず〜 ^^ゞ)

これではヤバい!ということで、昨日新宿に出たついでに某百貨店内にあるATMで決済。ネット上のトランザクション一覧を見て、現金を用意していざ出陣(・・・ってそんな気負うほどのことでは ^^ゞ)

結果、現地での調達額690ユーロに対して返済額は元本117,090円+手数料812円=117,902円で、1ユーロ当たり約170.87円となった。空港や市中両替商が軒並み175円〜(ミラノ・マルペンサ空港では185円!!)+手数料という実態を考えると、やはり悪くないといえる。でももっと早く返済していたら、160円台で収まったかもしれないと思うと、チト悔しい(^^ゞ

しかし、ネットの明細を見ると6/26にローマでBNL(ラヴォロ銀行)のATMで引き出した際は167.44円だったレートが、10日後、7/7にヴェローナでCR Padova(クレディト・パドヴァ銀行)のATMで引き出した時は170.78円になっていた。恐るべしユーロ高!!

因みに、比較のため6/27にフィレンツェでBNLのATMよりキャッシングした後、直後に同じATMで新生銀行の普通口座から引き出し、すぐにネットでチェックしたら、前者のレートが168円だったのに対し、後者はすでに170円を越えていた。なのでこれ以降、新生から引き出すのはやめて、すべてキャッシングでまかなった。

今回試したのはこの2種類だけなのて、他の引出し方法、たとえばシティバンクや、他の国際キャッシュカードについてはわからないが、旅慣れた友人の間でも定説となっていた「即・返済すればクレカのキャッシングが一番有利」という説が今回実証されたので、状況が変わらない限り、今後もこの方法でいこうと思う。

7/22追記・・・同時期にイタリアを旅行したマイミクシィのアンジェイさんによると、アンジェイさんの使ったシティバンクは、173円〜174.5円だったそうだ。やはり、バンキングカードより、キャッシングの方が安いということがこれで証明された。
アンジェイさん、情報提供ありがとうございました(*^^)v

以上、ご報告でした。
それにしてもいつまで上がるんだ、ユーロ!!!



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2007年07月16日

時差ボケ、そして・・・-覚書 番外編その2

帰国後、休養と称してしばらくウダウダしていたが、体の疲れが取れたと思ったら降りてきましたよ・・・時差ボケの神さまが(^^ゞ

昼間なのにやたら眠くて頭がボ〜ッ・・・しかし「いかん、ここで昼寝なんかしたら夜眠れなくなってますますドツボにハマる!」と必死で用事をこなしながらなんとかしのぐものの、夜になればなるほど身体は疲れているのになぜか頭が冴えて、布団に入っても眠れない。「うーむ」とばかり軽い本など読みつつ、やっと眠りについたと思ったら、明け方には目が覚めてしまう。

・・・とまあ、こんな日がかかれこれ3日ほど続いております(^^ゞ
一番の解決方法はお日さまにあたって、ガシガシ仕事して体内時計を戻すことだけど、この天気だし、今、私は毎日家にいるから、なかなかリカバーしずらい状況にある。まぁ、睡眠導入剤などのお世話には極力なりたくないので、もうしばらくこの「お楽しみの代償」と格闘します。あと3日もすれば戻るだろう(^^ゞ

・・・で、今日のお昼過ぎ、どうしても耐えられなくてしばらくリビングのクッションにもたれて思ったことは「今回の旅行で、私の中の『イタリア』に一区切りがついたな」ということ。

以前は旅行にいっても、帰ってくるなりまたすぐ行きたくなったものだが、今回はそういう思いが全くない。まる12年、イタリアという国に関わってきて、こんなことは初めてだ。

久しぶりのイタリアは、病んでいた。
人々の顔から、かつてのあの陽気さがなくなり、みな疲れてどんよりした表情をしていた。もともとイタリア人の陽気さというのは、深い諦念と表裏一体をなした、世間で言われているような「底抜けに明るい」などというものでは決してなく、どちらかというと「生き抜くためのしたたかさ」という感じだが、今回はその光の部分である陽気さ、したたかさが薄れ、でも闇の部分である諦念は相変わらずしっかりとよどんでま〜ったりと横たわっているある・・・そんな印象を受けたのである。

ニュースや新聞の記事を見ても、年金問題、学校におけるいじめの深刻化、若者や外国人のの労働環境のますますの悪化、猟奇殺人・・・と、まるでどこかの国と全く同じような記事が並んでいる。旅行の最後の日々は、国中に名を知られたミラノの花形弁護士が、自殺とも他殺ともつかない死に方をして、さんざマスコミと大衆の好奇心をあおっていた。ここまで本邦とそっくりだと、亡くなった方には本当に気の毒だけど(すみません!!)笑ってしまう。

それに、今回食べ物が特に美味しく感じられなかったのは、どういうことだろう。そりゃ、他の欧米圏の料理に比べればまだまだはるかに美味しいだろうけど、もはや「ダントツ」というほどではなかった。美味しいと思ったのは、マイミクさんをはじめとする友人宅で、心づくしの手料理か、一緒に外でシンプルなプリモ・ピアットを味わったときだけだ。

私の舌が格段に肥えたとは思えない。確かにここ1年ほどマクロビアンの生活を送ってきて、肉や乳製品をあまり受付けなくなったのも影響しているかもしれないが、基本的に粗食だ。特に野菜が美味しくなかった。いつもその街に落ち着いたら、真っ先に市場に駆け込んでトマトを頬張るときのあの感動。今回それが全く感じられなかったのである。何だったんだろう、あのローマの八百屋のトマトの妙な水っぽさは?

もともとその気もないのに、たまたま過去の栄光と表面上の数字でそうなってしまったために、なんとかG8のお荷物にならず、EUの優等生たらんとして、さらにグローバル化の流れの中で、イタリアのいいところが失われつつあるとしたら、それはとても残念なことだ。でも、それは時代の流れとして仕方がないのかもしれない。今のイタリアは、とどまるところをしらないグローバルスタンダードの大海の中で、まさに舵とりをうしなってさまようかつての豪華帆船のように見える。

もちろん、ひところに比べるとおつりのごまかしや電車の遅延も少なくなったし、公共の場のゴミや乱雑さも減り、治安もサービスも格段によくなった。世界に誇る文化遺産や素晴らしい芸術も健在。日本人にはうらやましすぎる長いバカンスも既得権としてがっちり存在。でもそれらを維持するために人々が払っているとてつもない犠牲や、そこから生じる軋轢を考えると、手放しで礼賛したり、うらやましいと思う気持ちはいつの間にかなくなっていた。

過去の栄光と、現在おかれている状況のギャップの中で、依然もがき苦しみ、しかしなお確たる道を見出せないイタリアの姿を、どこかの国と照合しつつ、今回ことに目の当たりにして、悲しいけど「ああ、やっぱり。ついにくるところまで来たな」という思いを禁じえなかった。

旅行者というのは現金なもので、そういう雰囲気を微妙に察知して、昨日までの礼賛と憧れにも似た気持ちをあっさりと反故にする。イタリアの有名観光地から日本人観光客が激減したのも、あながちユーロ高だけが原因ではないだろう。国としての魅力がなくなれば、客は離れていくのは当然だ。よけいなお世話は百も承知だが、もしどんな形であれイタリアを飯のタネとしている人−私もその末席を汚してはいるのだが−は、今のうちに別のマーケットを開拓しておいたほうがいいんじゃないか?・・・そのくらいの落ち込みぶりを感じた。

マイミクシィで、現在大学を休学して世界一周の旅をしているやまじ君も日記に書いていたが、目下どの先進国は勢いを失い、それどころか停滞を通り越して袋小路に入り込んだ様相を呈している。そんな中で、多少の不便さ、そしてかなりのうさん臭さと危険はあっても、人々が勢いのあるアジア諸国を初めとする発展途上国に流れるのも無理はないと思う。現にヨーロッパの富裕層の間では、ころがりこんだユーロ益でもって、バカンスはアジアやオーストラリアに繰り出すのが今や「イン」「リュクス」とされている。人は、自分が持っていないものを持っているヒトやモノ、コトに惹かれるものだ。

かくいう私も、もうイタリアの見たいものはほとんど見てしまったし、物価もこんなに高いのなら当分い〜や(^^ゞというのが正直なところ。もちろん、少なからず元手のかかっているイタリア語の勉強は続けるし、大好きなオペラを見たり、尽きることのない文化遺産を訪ねに、時々訪れることはあるだろう。でも、かつてのように手放しで賞賛したり、わが心の国とか、憧れの国として見ることはもうないと思う。ただ単に「飽きた」という一言ではすまされない落胆と寂寥をもって・・・。

今後は、せっかく元警察官で剣道・柔道ともに初段、大型・特殊車両の運転もバッチリという頼もしいダンナがいるのだから、彼と一緒に、女一人ではなかなか訪ねづらい発展途上国、ちょいヤバの未知の国を探訪してみたいと思う。一人旅は自由だし、さびしくもないけど、やっぱりつまらない。感動をすぐに分かち合える人が欲しいと思ったのも、今回の旅で強く思ったことである。

こうして「私のイタリア物語」第3幕はあっさり終了。
次幕がいつ開かれるかは、誰も私もわからない・・・(^^ゞ



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2007年06月23日

あさって出発です

5、6月はなにかと忙しく、久しぶりの日記更新(^^ゞ
そうこうするうちに、4年ぶりの「イタリア帰省」もついにあさって出発となった。4ヶ月前にエアを予約した時は、まだまだ先の話&余裕しゃくしゃくのはずだったのに、例によって直前バタバタ。「覚書」もほとんどアップできなかったが(すみません ^^ゞ)、久しぶりの海外旅行、パッキングのカンが鈍っており荷造りも大いに手間取ったが、なんとか終わってホッと一息、あとは明日の夕方、JAL-abcに引き渡して成田まで運んでもらうだけである。

二転三転したスケジュールも、ようやく2週間前にほぼ確定。いちおう↓な感じだが、自由旅行の特権と本人の気まぐれで変わる可能性は大いにある。

ローマ⇒フィレンツェ⇒ペルージャ⇒ラヴェンナ⇒ボローニャ⇒ミラノ⇒ヴェローナ(ヴィツェンツァ)⇒ミラノ(パヴィア、ベルガモ)⇒ out

以上を15泊17日でまわる。前回はプーリアを中心とした南部紀行だったら、今回のローマ以北の旅程は実に6年ぶり。この間の変化はかなりのものがあるだろう。私もここ数年で姓が変わり、父が亡くなり、仕事をやめるなどといったエポックメイキングなことがたくさんあった。そんな変化に呼応するかどうかはわからないが、良くも悪くも変わりつつあるイタリアを五感、そしてリスクヘッジとしての第六感(イタリアでは特に大切!)を総動員して、しっかり体感してきたいと思う。

向こうでは少なくとも3人の友人と、4人のマイミクさんに会う予定。ゆえに、パッキングの半分はお土産ならびにリクエスト品になり、57リットルという中程度の私のスーツケースは行きにしてすでに満杯であるが、私も留学中はたくさんの人にいろんな物を持ってきてもらったから、これは恩返しのつもり。特に在住のマイミクさんには、オペラのチケットを購入してもらったり、宿を提供してもらったりと、大いにお世話になった。この場を借りて深く感謝するとともに、そちらに着いたら宜しくお願いいたしますm(__)m

メインの目的であるオペラは、フィレンツェ5月音楽祭でワーグナーの「ニーベルングの指環」の最初の2夜と、ヴェローナ野外劇場でヴェルディの「ナブッコ」を鑑賞予定。特に「指環」はスペインの演劇工房、FURA DELS BAUS による新演出で、ドイツ語圏の劇場ではすっかり主流となった現代的演出とはまた違ったシュールでキッチュな舞台が今からで楽しみでしかたがない。公式HPにアップされた「ラインの黄金」の冒頭と「ヴァルキューレ」のラストはそれぞれ以下の感じ(勝手に拝借ご容赦!)。ここいう舞台づくりを好まない人も多いが、少なくとも私はワクワクだ(^^ゞ

ラインの黄金

 

 

 

 

 

 

 


ハイレグ姿のラインの乙女たち!?
アルベリヒは黄金をどうやって盗むのか?

ヴァルキューレ

 

 

 

 

 

 

 

これはまあ、「普通」ですかね(^^ゞ

あと、スカラ座で「椿姫」を見る予定だったが、メジャーな作品であるだけでなく、やはりイタリア人にとっては特別な作品らしく、これがまったくもってチケットが取れない。しかし、作品としては飽きが来ていることも確かなので、これはまあ現地で運よくチケットが買えたら、という感じである。

後はとくに格別の予定もなく、上のスケジュールでカッコでくくった小都市探訪も、体力と時間と相談で「行けたらいいや」くらいの感じ。なにせすでに連日気温30度超のイタリア、来週はさらに暑くなるとのこと。ヘパらない程度に歩き回りつつも、第2の故郷でオリーブ畑と夕日を眺めながらのんびりするのが最大の目的なので、無理は極力しないつもりである。

とりあえずモバイルPCと、レンタルした3G携帯を持っていくので、もし可能ならば現地の様子をそのつど日記にアップしていきたいと思うが、コメントへのお返事は帰国後になるかと思うので、お許しあれ。

それでは、これからPCのローミング設定をしなければならないが、とりあえず

「いってきま〜す」(*^^)v



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2007年05月05日

悲しい知らせ(T_T) - 覚書 番外編その1

わが家は夫がこの4月から現業をコントロールする部署に異動したので、GWも交替で出勤。というわけで、ちょいずれの6日からの旅行を楽しみにしつつ、渋滞のニュースを尻目にいつものように家事にいそしんでいた先日、時ならぬドアベルの音・・・「ピンポーン」

「あれ?今日着く予定の宅急便はないんだけどな、何だろ?」といぶかしつつドアホンを取ると「郵便局です。書留です。お認めお願いします」の声。

「ほ、書留?」と思いつつ、ドアを開けて白い封書を受け取り、受領印を押す。封筒には"Postaraccomandata"(ポスタラッコマンダータ)と"Posteitaliane"(ポステイタリアーネ)の文字。つまりイタリアからの書留便だ。一瞬、先日、といってももう2ヶ月前だが、ペルージャのホストマザーに「この夏にまた遊びに行きます」と手紙を出したので、てっきりその返事だと思った。しかし、宛名に書かれている文字は達筆のホストマザーとは似ても似つかぬ、イタリア人特有の強いクセのあるまるまっちい文字。それになんで書留?

寸部おかずウラに返して、私は言葉を失った。
Mitt.(Mittente:差出人)の文字の横に書かれているのは、確かにホストマザーのフルネームと下宿の住所。しかし、その横には同様の汚い字で

(DECEDUTA)

と書いてあるではないか!!

"DECEDUTA" (デチェドゥータ)これはイタリア語で「亡くなった、故人になった」という意味だ(女性形)。
「え、え?ど、どういうこと?」とあわてて封を切る。中から出てきたのは確かに私が送った手紙が、開封されたのかわからないが、封筒が破れた状況で入っている。そして、宛名をコピーした紙片と、そこにも(DECEDUTA)の文字。しかし、それ以外にホストマザーの安否を伝えるような文書や文言はどこにもない。

要するに、ホストマザーは私がしばらく連絡をとらないうちに亡くなっていたということだ。こんなことって、あるんだろうか?ホストマザーはまだ60になるかならないかのはず。それも、しばらく連絡をとらないうちに亡くなっているなんて・・・当然、たくさんいたであろう下宿人の1人にすぎない私のところには連絡はあろうはずはない。

今から思えば、ちょうど1年前、EMSでプレゼントをかねてちょっとした小包ったら、住所・電話ともに間違っていないのに「宛先人不在」で戻ってきたことがあった。でもイタリアの郵便事情が劣悪なのはつとに有名だから、「ったくも、相変わらずだよな〜」と特に気にも留めずに、「小包送ったけど、もどってきちゃったよ〜。不安だからこんど遊びに行ったときに持っていくね」などと脳天気な手紙を書いて出したのだ。しかし、いつもまめに返事をくれるホストマザーからは、その時に限ってなんの音沙汰もなかった。その時、変だと気がつくべきだったのだ。手紙を受け取ってから5分足らずの間に、いろんな思いがめぐりめぐって、私はうかつな自分を激しく責めた。

ホストマザーは独身で、1人暮らしのアパートの空き部屋を学生に提供していた。近くに兄夫婦が住んでいて、義妹、つまりお兄さんの奥さんが毎日のようにご機嫌うかがいの電話をかけてきて、私も何度も話したことがある。でも、残念ながら彼らの住所を私は知らない。つまり、親族に消息を尋ねることはできないのだ。

思い余って、留学仲間のEちゃんにメールしてみた。Eちゃんは私が下宿を出た後に入った日本人の女の子だ。私以上にあの下宿に長くいたから、もしかしたら彼女だったら消息を知っているかもしれない。

しかし、ほどなく戻ってきたEちゃんの返事によると、彼女も知らなかった、そしてものすごく驚いたとのこと。しかしやはり彼女も、ここのところ手紙を出しても返事がこないので、不思議に思っていたとのこと。

次いで、思い切って下宿に国際電話を掛けてみた。しかし、テレコム・イタリアの「プーー、プーー」という長めの呼び出し音をいくら鳴らしても誰も出ない。でも「現在使われていません」ではないということは、誰かが住んでいるということではないか?そこで、下宿をあっせんしてくれたペルージャの不動産屋にも消息を尋ねるメールしてみた。しかし、ここはフツーのイタリア人らしく目下のところ何の返事もない。

とにかく、現時点ではホストマザーがいつ、どのような原因で亡くなったのかは全くわからないのだ。これが私の心に大きな空洞を残している。

とにかく、ペルージャについたら坂をのぼりのぼり、モンテルーチェのあの下宿に真っ先に行ってみよう。アパートには10世帯は入っていたから、誰かに消息を聞くことくらいはできるかもしれない。もし何もわからなくても、私のイタリア生活の少ながらず重要な部分を占めるあのこぎれいで、日がさんさんと入って、窓からはウンブリア特有のすばらしい夕日の眺められたあの下宿の前で、手を合わせてきたいと思う。

一般のイタリア人のイメージとは大きく異なる、内向的で質素・倹約を絵に描いたような典型的なウンブラ(ウンブリア人)だったホストマザー。けっこう気難しくて、いろいろ注意されたこともあったけど、こちらが心を開けば限りない情愛を注いでくれた。私に典型的なイタリア中産階級の生活と、「足るを知る」ことを教えてくれたホストマザー。あのあたたかさと、おっとりとした姿にもう触れることができないと思うとたまらなくさびしい。今はただただ冥福を祈るばかりである。



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2007年03月17日

'07イタリア帰省覚書 - その3

●日程を変更する−ああヴェネツィア!

舞台裏では着々とスケジューリングが進んでおります。で、まず最初にしたのが日程の変更・・・というのも、マイミクシィのアトムズさんや、アンジェイさんのコメントを拝見したり、先日ドニゼッティ歌劇場の日本公演を聞きに行った影響で、やっぱどうしてもベルガモに行きたくなってしまったのだ。

ベルガモはミラノの北30Km、列車で1時間もあればいける街である。因みに、ベルガマスコ(ベルガモの人)は、語尾に「ネ〜」という接尾辞を付ける方言をしゃべるそうで、留学中、同胞の友人と「・・・だよね〜」などと話すたびに回りのイタリア人に「あんたたちベルガマスコみたいね〜」などとよく言われたので、それを確かめたいというしょ〜もない理由もある。

で、ベルガモに行くとなると、当然どこかを削らなくてはならない。となると、考えられるのはラヴェンナとヴェネツィア。どちらもすでに足を運んだことのある街。うーん、迷いどころである。なにせ私は大のモザイク好き。ラヴェンナの「宿題」となっている町外れのモザイクはなんとしても見たい。

だから、これは削れないとして次は「なぜヴェネツィアなのか?」を考えてみる。すると、これは理由がない。ヴェネツィアはヴェネツィア、ただそれだけなのである。それだけでマスト、それだけで行きたい。「ガラス博物館」という宿題もあるけど、それよりとにかくあの迷路のような道を、一介のエトランジェとなってただただあてどなく歩き回りたい。一度でいいから運河に飛び込みたい(これはウソ ^^ゞ)。ヴェネツィアとはかくも稀有にして人をひきつける魔性の街なのである。

でも、考えてもみろよ?ヴェネツィア、何回行った?3回、4回?いやもしかしたら5回くらい行っているだろう。期待はずれでどっちらけだったけど、カーニバルだって行ったぞ。それでもまだ行きたいか?うん、行きたい(^^ゞ「行きたい」というよりそこに「在りたい」。ヴェネツィアとはそんな街だ。ああ困った!!

てなもんで3日ほどハゲしく迷ったあげく、イタリアのことなどな〜んも知らないダンナに「ピュアな意見」を聞くべく尋ねてみたところ「どうせなら行ったことのあるところより、行ったことないところにいった方がいいんじゃないんですか?」としごく真っ当なお答え。そりゃそ〜だ!・・・と、ここでようやくヴェネツィアの魔術からはたと覚めて、今回はここを削ることにする。
それにしても、やはりああヴェネツィア!である・・・しつこいけど(^^ゞ

というわけで、日程を以下のように変更しましたとさ

ローマ(2泊)→フィレンツェ(3泊)→ペルージャ(3泊)→ラヴェンナ(1泊)→ミラノ(3泊、2日目にパヴィア、3日目にベルガモに日帰り旅行)→ヴェローナ(2泊、2日目にヴィチェンツァに日帰り旅行)→ミラノ(1泊)−以上15泊17日

ペルージャ〜ラヴェンナの移動はフィレンツェ&ポローニャ経由で5時間半もかかるのだが、オペラに日程を合わせるとどうしてもこうなってしまう。まぁ、列車の旅は大好き(いわゆる「鉄」な人。動詞は「鉄する」)なので、せいぜい車窓を楽しむとしよう。

・・・次はホテルの予約なり。これが、メンド臭くも楽しかった(^^ゞ



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2007年02月27日

'07イタリア帰省覚書 - その2

タイトルの「帰省」は「リベンジ」と読んで下さい(笑)

●航空券をオンライン予約する・・・が(−−;

先週の土曜日(2/24)にアリタリアのホームページを見たら、4月以降のアズーラ35(アリタリアのPEX料金)が出ていた。気になる出発日の料金は、航空諸税、燃料サーチャージ込で153,250円。「まぁこんなモンだろ」とさっそくオンライン予約開始。

クレジットカード番号、メールアドレスなど必要事項も間違いがないことを確認して送信。ほどなく出た確認画面には

「ありがとうございました!ご予約は確定されました。
ご旅行日程はすぐにE-MAILにて送信されます。
お支払い方法と航空券送付についてご確認ください」

の文字が・・・これは他の通常利用するeコマースの確認画面となんら変わるところはない。いつものように確認メールがすぐに送られてくるだろう・・・

と思いきや!
来ないんである。この「すぐに」送信されるはずのメールが。

まあ、確かにお店や取引によっては「すぐに」来ない場合もあるから、もう少し待ってみよう。

がしかし、数時間たっても、半日たっても、なんとまる1日たっても届かないじゃあ〜りませんか!
メールアドレスは日本語入力できるスペースだったので、単語登録してあるワードで入れた。だから間違えるはずがない。
クレカ番号も何度も確認したし、そもそも与信その他に問題があるなら「予約は確定しました」とはならないはずだ。
もしかしてスパムメールにフィルタリングされてしまったのかと思い、該当ファイルを見てみたが、ここにも入っていない。

うーん、こりゃきっとシステム障害だな、コールセンターに問い合わすか・・・と思ってHPで番号確認したら、なんと土日はお休みだって!普通航空会社って、24時間とまでは行かないまでも、せめて年中無休で窓口は開けとくモンじゃないだろうか?ウィークエンドに急な予定変更があった場合はどうしたらいいんだろ?

まあ、それはともかく・・・
空けて月曜日、さっそくコールセンターに電話したものの、週明けとあって全くつながらない。仕事したり家事したりしながら断続的にかけ続けて、数時間後ようやくつながった。そしたら、オンライン予約に関することはそっちのヘルプにかけ直してくれだと。電話を回してくれと言っても断られたので、仕方ないからかけ直す。今回は一回でつながった。だったら最初からそう言ってくれって。忙しいんだからさ。

「あの〜、すみません。ネットで予約して『確定されました』って出たのに、確認メールが来ないんですぅ」
「わかりました。お調べしますので、予約日とお名前をおっしゃって下さい」

答えて待つこと数十秒・・・
「お待たせしました。予約できてますよ。メールも出たことになっていますが・・・。確認のためメールアドレス教えていただけますか?」

自分からメルアドを言うのは避けたかったので、入力してあるアドレスを読み上げてもらう。間違いない。

「変ですね〜。それでどうして届かないんでしょうね?今までこういう問い合わせはなかったんですか?」と聞いても、さっくし「ありませんね」のお答え。おいおい、ホンマかいな?私だけ届かないって、そんなのアリ?それにしてもここまでで謝罪の言葉が全くないのはどういうこったい?日本支社も「イタリア化」してるんかい?

結局、先方が「出したはず」といった確認メールをもう一度送ってもらうことにする。数十秒後、確かにそれは届いて、予約も取れていることも確認できた。まずは一安心。が・・・

やはりしょっぱなからやらかしてくれました、イタリアの翼
\(-o-)/

一番肝心な航空券の予約からしてコレだもの。こんなことでは、ホテルやオペラのチケットなど、先々の予約が思いやられるなぁ。だいたい、ホテルにしたって3件予約入れて1件確定するかしないか・・・それがイタリアの現実なんだから。

なんにせよ、久しぶりに「イタリアの洗礼」を味わったのでありました。
ちゃんちゃん(^^ゞ



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2007年02月22日

'07イタリア帰省覚書 - その1

序に続きさっそく第1弾。目下イメージしている旅のアウトライン・・・。

●期間
6月の終わりから15泊17日(正味14日間)の予定

●訪問都市(予定)
ローマ、フィレンツェ、ペルージャ、ボローニャ、ラヴェンナ、ヴェローナ、ヴィチェンツァ、ヴェネツィア、パヴィア、ミラノ。住んでいたフィレンツェとペルージャに3泊ずつするという普通の人にはないスケジュールなので、どうしても他の街にしわ寄せが行くのがつらいところ(^^ゞ

●エア
ローマin ミラノout 、さらにスカイメイトのマイレージの関係もあり、必然的に「イタリアの翼」になる予定(すごくやだけど ^^ゞ)。6月の料金がまだ出ていないので、未予約(HPには「2月中旬発表」って書いてあるんですけどぉ)。因みにJALのコードシェア便のPEX料金(JAL悟空)が12.5万+サーチャージですでに出ているが、こちらが70%のマイル追加なのに対し、アズーラ35(アリタリアのPEX券)は100%追加なので、これより若干高くなると思われる。因みに某代理店に問い合わせたところ、去年同時期は14.7万だったとのこと。それにしても燃料サーチャージは痛~い。

●宿泊
最近イタリアでも普及しつつあるB&Bを中心に、4大都市では1泊MAX100ユーロ(ひ〜!)、中小都市では60ユーロを目安に現在物色中。B&Bに泊まるのは、経済的な理由もさることながら、私はイタリアに住んでいたので、あまりホテル然としたところより、フツーの家庭に近い雰囲気の方がくつろげるからである。しかし、4大都市ではB&Bを名乗りつつも、4ツ星ホテル並みの設備と料金を持ってするところも多く、それはそれで興味深いところがある。最近は「ヴェーネレ」をはじめとするホテル予約サイトも格段に増えたが、ざっと見たところ直接申込んだ方が安いところが多いようなので、たぶん直接メールかFAXすることになると思う。しかし、便利な時代になったものだ。

●各都市での希望予定
ローマ(2泊)
→18:05フィウミチーノ着。カラヴァッジョの絵を見る。聖女テレサに再会する。いまやソフィスティケーテッドされてしまったトラステーヴェレに代わるという下町・テスタッチョに行ってみる。
フィレンツェ(3泊)→ぎりぎり間に合う「5月音楽祭」でオペラを見る。マイミクシィのCarmineさんのサロンを訪ねる。通っていた語学学校にあいさつ。ビステッカを食べる。
ペルージャ(3泊)→ホストマザーとルームメイト姉妹、在住の友人に会う。通っていた外国人大学の授業にテンプラ&教授陣にあいさつ。あとはオリーブ畑を眺めながらひたすらボ〜っとして、ハードスケジュールな後半に備える。
ボローニャ(2泊)→ラヴェンナへ小旅行。10年前のお初イタリアの際、寝坊して半分しか見れなかったモザイクの残りを見る。夜はボローニャでラグー、プロシュートなど美味しいものを食べる。
ヴェローナ(2泊)→マイミクシィのあまろーねさんに会う。夜はアレーナで野外オペラ鑑賞。ヴィチェンツァ小旅行。
ヴェネツィア(2泊)→前回タイムアップだったムラーノのガラス博物館に行く。小さな教会めぐりをしながらひたすらラグーナをさまよい歩く。
ミラノ(1泊)→チェルトーザ・ディ・パヴィアに小旅行。券が取れたらスカラ座でオペラ鑑賞。マルペンサ13:55発、成田着翌9:25

こうやって書くと結構あわただしい。「余裕のリピーター」を目指しつつも、結局詰め込んでしまうのは日本人の性(さが)か?! でも今回の旅行でフリウリとヴァッレ・ダオスタをのぞく北イタリアの「すっごく行きたい街」はほとんどまわったことになるのでがんばりたいんだけどぉ。でもやっぱどっか削るかも(^^ゞ



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2007年02月21日

'07イタリア帰省覚書 - 序

イタリア留学から帰国して早まる6年・・・。
毎年「帰省」するはずだった予定が実際のところ、手元不如意だったり、親の介護があったり、いきなり結婚したりでまだ2回しか帰れていない。でも、今年になって状況がようやく落ち着いたので、この夏にダンナの許しを得て、2週間ほど帰省しようと思っている。3年ぶりのイタリア、前回はマイミクシィにしてベスト旅仲間のアトムズさんとプーリアを中心とした南部を回ったので、今年は4大都市を拠点にしながら久しぶりにペルージャのホストマザーとルームメイト、いまだ在住の友人を訪ねつつ、興味がありつつもまだ未踏、あるいは「宿題アリ」の北イタリアの小都市にも立ち寄りたいと思う。

ミクシィのイタリア関連コミュをのぞくにつけても、ここ3年の間にもイタリア旅行を取り巻く環境はすごく変わった。物価はリラ時代の倍になり、昨今のすさまじいユーロ高もあって、かつての「お得感」は確実に減っている。因みに、私はいまだにリラの感覚しかないので「ユーロ→リラ→円」と2段構えの換算でないとピンとこない。ただし、99年末に帰国してしばらくは「1ユーロ=2000リラ」で換算していたけど、今はせいぜい1000リラにしかならないのがつらいところ。それにしてもいまやローマなど主要都市のホテル料金は、かつての相場とレートに慣れた身にとっては目玉が飛び出さんほどだ!!

今後、準備のため、不定期につれづれ、思いつくままに備忘録もかねて「覚書(おぼえがき)」をアップしていきますので、ご意見、情報提供、ツッこみ、茶々入れ等、どんどんお待ちしておりますm(__)m

また、一人旅の哀しさ、どうしてもメシ友に不自由してしまうので、ランデブーならびに一部でかまいません(つ〜か、このスゲュールにつき合わせるのは酷 ^^ゞ)ので旅トモも募集中です。通訳とスコント(値引き)係はお任せください♪

では、どうぞしばし妄想におつき合いくださいませm(__)m



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