両角 速(もろずみ はやし)さんの『前に進む力-Keep Going』を紹介します。

両角 速さんは、1966年長野県生まれ。
東海大学体育学部卒業。
日産自動車、ダイエーで競技を続け、
1995年 佐久長聖高校駅伝部監督就任。
1998年から2010年まで全国高校駅伝に13年連続出場し、12回入賞。
2008年に優勝。
2011年 東海大学体育学部競技スポーツ学科准教授、陸上競技部駅伝チーム監督。
2019年 東海大学初の箱根駅伝総合優勝。
教え子に、佐藤悠基、村澤明伸、大迫傑ほか。

本書では、
佐久長聖、東海大学の輝かしいサクセスストーリーの
裏側にある様々なエピソード、基礎知識などが盛り込まれています。

一部を紹介します。


■記録会

大学の陸上選手にとって、
人それぞれでしょうが、
世界選手権やユニバーシアード競技大会が一番の目標の人は多いでしょう。
これらの大会に出場するためには、
それなりの大会に出て結果を出す必要があります。
その元になるのが、記録会。
例年、全日本駅伝の後の11月、12月に記録会に出場します。
2018年度のシーズンは、
箱根駅伝総合優勝を目指す千載一遇のチャンスととらえ、
記録会に出ず、箱根駅伝向けの走り込みをしたそうです。


見事に結果を出した訳です。


■2012年度まさかの箱根駅伝予選会敗退

1973年の初出場以来積み重ねてきた 40回の東海大学箱根駅伝連続出場を
途切れさせてしまいます。

早川翼選手だけが関東学連選抜で走ります。
給水係は村澤明伸選手が志願します。
権太坂を上りきった15キロ過ぎの給水ポイントで、
早川選手は水を一口飲んだ後、
そのボトルを返しません。
ギリギリまで村澤選手と「一緒に走りたかったから」との逸話は有名ですね。

その他の選手達は補助員となります。
補助員の仕事は様々ですが、
コース誘導や走路員を任される場合が多いです。
走路員の担当になると、
選手に背を向け観客の方を向きます。
競合相手大学の選手達の走る姿すら見えないのです。
そうした悔しさや惨めな思いを忘れぬよう、
補助員に支給された黄色いジャンパーを寮の食堂に飾って過ごしたそうです。


■努力の天才 金子晃裕

一般入試で2012年に入学し、駅伝チームへの参加を希望するも、
5000mのベストが15分以内の基準タイムを25秒超過しているため、
特別扱いは出来ないと言って断られます。
すると、
陸上競技サークルに入り、
地道に練習を続けたそうです。
2年の7月、東海大学記録会で、
14分54秒05の自己ベストをマークし、
ついに入部基準のタイムを切ったのだす。
途中入部した金子選手は、
寮に入ることも可能でしたが、
大学から、1.5キロ離れたアパートで引き続き独り暮らしを続けました。
往復3キロ、1日2部練習の日なら6キロ、3部練習の日なら9キロ、
他の部員より多く走れると考えたといいます。

しかし、
入部しても練習についていくどころか、
脚ができていないから故障ばかりだったそうです。
故障者ばかりを集めた練習では、
どうしても選手達の顔は暗くなりがちですが、
金子選手だけは故障しているようには見えないそうで、
両角監督が充実した表情を見せている真意を問うと、
「今、自分にできていることを精一杯できたから満足です。
故障しているからといって、無駄に過ごしたという感覚は全くない」と胸を張って言い切ったそうです。

その後、箱根駅伝で10区を走り、区間4位の好走を見せます。

両角監督は言います。

天は二物を与えず、とはけだし名言である。
二物を与えられた選手がいるとしたら、
私の教え子の中ならそれは大迫傑だろうか。
箱根駅伝のようなレースであれば、
金子が常に10人居たら毎年勝てる。


■低気圧低酸素

陸上競技では高地トレーニングがされることが多いですが、
東海大学では、
標高400メートルまでの環境を再現できる低圧室を
いつでも使えるようにしているそうです。
その上、
低酸素テントも導入し、
酸素濃度を標高3000メートルに設定できるそうです。
選手は体調や試合日程に合わせて低酸素テントで寝るそうです。


■指導者に必要な 4つの資質

1.情熱
2.使命感
3.洞察力と迅速な判断力
4.謙虚


日本の学生駅伝の大いなる貢献者、両角速監督の思いや考えの詰まった本です。


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