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まつんのブログ

1986年生まれの若者が、いつか産まれるこどもに対し、父親の生き様を伝えるためのブログです。

1 Jul

いたーい指摘を頂いて

本当の僕をだれよりもよーく知っているのでは?と思う人から、いたーいお言葉をいただきました。

「 まつしまが持っているポテンシャルを使い切っている気がまったくしない。もったいなさすぎる。」
「 課題意識を感じなかった。でも楽しいと。それはまつしまみたいなタイプにはやばい。40台になったら後悔するかもね。」
「 現状維持の先には答えがない気がする」

気づいていたけど、見ないふりしてたことを、真っ正面から指摘されてしまいました。
受けた提案が、一度日本を出ること。なぜか、北欧かボストンの空気に触れることを強くお勧めされました。とはいえ、ぼくには日本の地方には大好きなところ(亘理とか海士とか瀬戸とか夕張とか高柳とか)がいーっぱいあるし、仕事もあるしで短期的には難しいです。

でも、まずは動き出さなければ、ということで、近々旅行で上記地域の空気に触れてみたいと思います。お金ぜーんぜんないけど、いろいろ工夫してむっちゃ安く行ける方法、模索してみます。

30 Jun

矛盾する価値観を自分の中に同居させる

自分という一人の人間の中に、
矛盾する2つの価値観を同居させておくことはやはり大事だと感じました。

昨日、春日大社権宮司 さんの勉強会に参加し、神様は見ているということ、陰徳を積むことで運が上がること、ひのき舞台に上がれているということは先祖か誰かが徳を積んで下さったからだ、といったお話を伺いました。しかし
、そういったお話を伺いながら、頭でっかちなぼくは、神様って脳が作っているだけでしょ、科学的にどうなん、といった思考が頭を巡ってしまいました。

一方、いやいや、むしろそういう証明できないことにこそ価値が潜んでいるかもしれない、科学はは証明可能なことしか分からないものだし、と考え直して、まっさらな気持ちでお話を伺うようにしました。

積み上げ思考と、非連続な思考。

積み上げた先に、どこかのタイミングでジャンプ(飛躍)する思考。そのジャンプの仕方で、その人らしさが垣間見えるし、そのジャンプの仕方はできるだけ、突拍子もないものがいいよな、と。
分からないこと、理解できないこと、不安なこと、そういった人が触れようとしない領域にこそチャンスがあるのかもしれません。だから、直感的に否定してしまったり、まったく理解できない事柄に出会えた時、非連続な思考ができるチャンスがきたということなのかもしれませんね。

以上、ちゃん、ちゃん。

27 Jun

恐れについて海の上で考えた


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恐れについてもやもや考えています。次の3つとも、多くの人が恐れを感じて身体がこわばったり、動き出せなかったりします。

1つ目は、先週山梨で行ったおらんとうの森でのこと。かなり変わった場所で、アルプスの少女ハイジのオープニングに出てくるようなブランコがあり。これに乗ろうとする人しないヒト、また木登りしようとする人しないヒト。ちゃんと身体を使えばそんなに危ないことない。はしゃいだら馬鹿っぽく見られるとか、危なっかしいとかそんな恐れがあるかないか。

2つ目は、他人の似顔絵を30秒で書いて絵を見せ合うワークをやったとき。下手くそでごめんなさいと謝るヒト、完璧な絵でしょというヒト。書いてる絵のレベルはどっちも変わらない。自分が表現したものが否定される怖れがあるかないか。 

3つ目は、ブラインドサッカーでのこと。
目隠しして体を動かすワークをした後、みなの感想を聞いたら、怖かったというヒト、怖さなんてまったく感じなく自由にしているヒト。状況を妄想して見えない何かがいるのではと怖れを感じるか、実態として怖れがないことを感じるか。

身体的・精神的に、実態として怖いものを怖いと認識できるのと、実際は怖いことなんてないのに、「怖い」と人が認識してしまう部分にある差ってなんだろうなぁと。そんななか、今日風びゅんびゅん吹く、大荒れの海に入って感じたこと。

恐れの中には「いい恐れ」と「わるい恐れ」があるのではということ。まず、いい恐れ。高いところの崖の近くは怖いとか、スピード早すぎると怖いとか、死への恐怖みたいな、生存に直接的に関わる恐れ。一方で、わるい恐れ。自分が否定されるのが怖くて自己表現を拒むとか、実は簡単なことなのにできないと思いこんでいるとか、リスクじゃないのにリスクと思い込んで動き出せないとか、自分の見栄を守るためや、リスクを正しく認識できていないことが原因の恐れ。

ここで海(サーフィン)の話に戻ると、僕みたいはヘタな人間は、沖に出るまでに、何度も何度も波に打たれ、波に飲まれ何回転も海の中でするはめになったり。でもそれが当たり前になってきていて。実際、僕は上の3つの話でも、ほぼすべてにおいて、周りの人と比較して、かなり恐れを持たなかった。昔は決してそんなタイプじゃなかったんじゃないかなって思う。明らかにサーフィンをする中で自分の行動習慣が変わってきている気がする。

だから、もしかして、こういう恐れからの開放って、トレーニングによってどうにかなるんじゃないかなと思い始めています。僕は小さい頃から表現に対するコンプレックスがあります。美術のお絵かきの時間とか大嫌いだったし、書道の時間も嫌い。とにかく、自分で何かを表現することが嫌いだった。でも、そんな自分を変えたいととっても強く思っていて。カッコ悪いとか、馬鹿にされるとか、自分を否定されるとか、周りの評判等どうでもいい恐れを徹底的に手放せるようになりたい。表現していけば変わるかもしれない、そう思って、
どんどん小さくても、表現していく機会を増やしていきたいと思う。

そしたら、「自分はクリエイティブな人間である」 と自信もっていえるようになるかな。
31 Mar

近況報告。結婚とか仕事とか拠点とか。

2015年3月、この一ヶ月に大きな変化がありました。お世話になった皆さんおひとりおひとりにご報告したいのですが、なかなかそれもできず。こちらでちょっとした近況報告をさせて頂ければと思います。

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※ 大好きな藤城清治美術館にて。この美術館で挙式を上げた1組目カップルです。 


■ 近況報告

1.結婚しました。

岐阜県中津川市出身の宮川さおりさんと結婚しました。出会ったのは震災の翌日、2011年3月12日です。ぼくは震災の当日海士町を飛び出て、翌日に以前住んでいた田端にあるシェアハウスへ向かいました。彼女は、震災の一週間ほど前からこのシェアハウスに遊びに来ていて、出会ったのがきっかけです。それから1年弱が経過、偶然同じシェアハウスで再開したことがきっかけでお付き合いすることになりました。その後、3年以上の交際期間を経て結婚しました。

どんなにしんどい時も彼女となら一緒に乗り越えて行ける気がしています。一緒に未来を作っていけたらいいなぁと。 挙式を挙げたのも、籍を入れたのも、出会ってから4年目の2015年3月12日です。3月11日は僕の人生を大きく変えた日、そして3月12日は彼女と出会った日です。別れもたくさんありましたが、一方でたくさんの出会いも頂いた4年間でした。これから彼女と一緒に歩んでいきますので、応援して頂けたら嬉しいです。

2.一般社団ふらっとーほくの代表を退任。地域に根づく組織として理事を一新しました。

震災直後、2011年4月7日に「温泉宿に泊まってボランティア」として立ち上げた、ふらっとーほく。気づけば2012年1月末に法人化し、24歳で独立する羽目に。それから3年間、すべてが初めてのことの中、試行錯誤を繰り返してきました。本当にたくさんの方にご迷惑をお掛けし、お世話になり、助けていただきながら一歩ずつ前に進んできました。結果、今後担うべき役割と事業が明確になってきました。

法人設立から満3年のタイミングで、代表を山元町出身で、ずっとふらっとーほくのスタッフとして働いてくれていた阿部結悟にゆずり、理事もこれからの地域を担う若手と、外部の専門家で構成しました。ぼくは理事に入らず、阿部を中心とした理事メンバーに経営を任せます。なぜ彼なのか。これからの地域づくりには、ぼくよりも彼の方が適任であると判断したからです。アフリカに、「早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け」という有名な格言があります。私は前者型リーダー、彼は後者型リーダーです。これからの地域づくりには、人に寄り添い、自発的なチャレンジを応援する、後者型リーダーシップが求められています。

震災から5年目を迎える中、地域に根ざした組織を目指すため、この意思決定を行いました。これから、ふらっとーほくは宮城県南部の人材プラットフォームというビジョンに向かって、阿部を代表として走っていきます。皆様、これからも応援よろしくお願いいたします。

3.NPO法人わたりグリーンベルトプロジェクトを設立。副代表理事を拝命しました。

ふらっとーほくが事務局を担っていた、わたりグリーンベルトプロジェクト。ふらっとーほくから切り出し、地元の方を中心に据えて新しくNPO法人として設立。僕が副代表理事を拝命し、他にも研究者や環境コンサル代表を理事としての再スタートです。曖昧だったミッション・責任体制・実施体制を明確にしました。体制移行に伴い、自治体や宮城県との役割分担も明確になり(協定締結)、これから100年以上続く森作りの第一歩を歩み始めました。現場は地元の人が担い、僕は今後外部から関わる形となります。


■ これから

1.生活の拠点を東京に移します。

パートナーとの生活もあり、拠点を宮城から東京に移します。大好きな人がたくさんいる宮城には当然関わり続けますが、今までのように住み続けることはせず、月に何度か通う形式になります。自分の強みに立脚した関わり方を模索していきます。

2.NPO法人わたりグリーンベルトプロジェクト 副代表理事として活動します。

ぼくは残り続けるものに関心があります。そんななか、こんなおもしろい仕事に関われていること、とっても光栄です。これからも地元の皆さんと歩んでいければと思います。花火的に刹那的なものではなく、永く残り続ける事業にしていきたいです。

3.株式会社BOLBOP(Bring Ownership of Life Back to its Original Place)で平日は働きます。

CHOの茂木さんと、この会社ができる前にお会いしたのがきっかけです。僕がトライしていたことを、それぞれの専門性を持った多様なメンバーがチームとして、3歩位先のビジョンを持って動かそうとされていることに衝撃を受けて、昨年4月からジョインしています。

仕事としては、「受け継がれてきた技能や技術の伝承」「都会から地方の老舗優良企業へ人の流れの創出」「記憶(震災)を後世に受け継ぐための作品支援」等をしております。やりたいことそのままですね。素晴らしい仲間に囲まれ、楽しく刺激的な仕事をさせて頂いております。


■ 最後に
生活の拠点が変わっても、仕事が変わっても、僕自身は何も変わらず、これからはパートナーとともに丁寧に刺激的な日々を過ごしていきたいと思っています。で、目指すは「冒険家」。皆さん、これからもよろしくお願いしますです。

13 Mar

2015年3月11日14時46分

海から5mの砂浜の上で、ひとり海を眺めていました。周りには誰ひとりいません。寒いですね。海側へ、地面近くをはうように吹き抜けていくそんな風。この風が身体を芯から冷やします。次に目を閉じます。風の音がすごい。その後に聞こえてくるのは砂が飛ぶ音。少し意識を遠くに飛ばしてみます。すると聞こえるのは波の音。今度は目を開けます。風に運ばれて砂が白い線となって海側に運ばれている光景が見えます。そして奥に見える波。小さいけどロングボードで遊べそうな膝〜腰程度の波です。


なんてことはない。いつもサーフィンで入っている海と同じ海です。でも、この海が4年前人に対して牙を剥きました。人の立場からは、自然(以後、人を除いた概念として定義)には二つの側面が有るように見えます。食糧のように「人に恵みを与えてくれる優しい存在としての自然」と、災害のように「人に厳しい生活を強いる厳しい存在としての自然」です。三陸地方で言うと、魚介類といった海の恵みと、津波や台風といった海の厳しさ、の二側面が存在していました。災害が起こると、なんと海は、気まぐれで、予測不可能で、怖いものか、と感じます。一方で自然の側に経つと、人間に対して試練を与えたわけでも恵みを与えたわけでもなく、自然は自然のままで、単に自然法則に則っていただけなんだと思います。


実は震災後はじめて、3月11日14時46分を海の前で迎えました。今までは事務所や山の上で黙祷をすることで一年に一度訪れるこの日を過ごしていました。なぜなら、どこまでいっても、「被災した方」「ご家族や故郷をなくした方」の気持ちがわからず、その時間、その場所に立っていてはいけないのではないか、と感じていたからです。地元の人に誘われても、曖昧な形でお断りしていました。地元の方が毎年3月11日が近づくとそわそわしたり、人によっては気持ち悪くなったり、いらいらしたりすると。そういったことが僕にはあまり訪れず。結局は「課題に対する当事者」になれても、「災害被害に対する当事者」にはなれないのだろうと思っていました。今もこれからも。

 

今日も直前までどう過ごすか決めていませんでした。決めていたのは、その時に海の近くにいることだけでした。はじめに書いたように、瞑想から黙祷をしたことで、多くのことを感じました。結局は被災した人へ寄り添いきれない、冷たい、エゴイスティックな自分変わらないこと。そんな自分が嫌だったけれども、自分が嫌なやつであると認めなければいけないということ。


昨年の3月11日までは考えていることの 1% 位しか実現できていない事実にただただ凹み、自分を無理くり鼓舞しようとしていました。 しかし、一昨年に身近な人が軒並み体調不良で倒れ、自分の実力不足を痛感し、何のために仕事をしているんだろうと自問自答しました。また、焦っても焦ってもうまくいかないことが、逆に手放してみたら、勝手に道が開けていくような感覚を味わいました。結果、焦ることをせず、できていることもあるのだから、できるペースで、長くじっくりやっていきたい、そういうスタンスにいつの間にかに変わっていました。。


実際、一緒に仕事をさせて頂いている亘理の皆様。自ら汗をかいて動いて、汗をかいて動いて。住宅再建をしながら地域のために動くなんてかっこよすぎますよね。ぼくだったらほんとできないと思います。本当にみなさんかっこいい。お役に立てているか分かりませんが、こういう方と仕事をさせて頂けているとは、とっても光栄で、有難いことです。


しんどかった2年位前から悩み、1年半位前に意思決定をし、それからじわじわと準備してきたことが大体終わりました。そのとき自分が置かれていた環境がすべて次のステップに向かいました。住む場所、共に生きていくパートナー、仕事、大きな変化です。


さて、これから毎年訪れる3月11日、どんなことを感じる日になるのでしょうか。自然と触れ、原点に戻り、初心に還ることができる、そんな日にしたいなと思います。


最後に。 この後、直接那須塩原に向かい、翌日の挙式に備えました。3月11日を控えて担当しているサービスのローンチ、引っ越し、挙式、入籍で大変な一週間になってしまいました。

7 Mar

亘理の夜。東京の夜。

亘理の夜。

常磐線亘理駅で電車を降りて家につく。誰もいない。ひとりきりだ。車の音も人の音もしない。するのは、「ツーン」という音だけだ。これは耳鳴りらしい。とっても静かな場所にいったときだけ聞こえる音。外部の音ではなくて、自分自身が生きている時に出している音を反響して聞いているのだろうか。

こんなとき、ついついいつもはしないような深い思考が始まる。東京にいると
圧倒的な情報の渦に飲み込まれて、思考が常に中断される。でもここでは邪魔するものはない。邪魔するのは携帯くらいだ。自分の中から言葉が湧き出てくる感じだ。集中できているし、今の自分と向き合っているので、連続した今という時間を生きている感じがする。

東京の夜。

パートナーと一緒に住んでいる。
とても幸せだ。仕事も素晴らしい仲間に囲まれて充実した日々を送っていると思う。ただ、ただだ。情報の渦の中に飲み込まれてしまっている怖さがある。深い思考に辿り着く前に、他の情報が入ってきてしまったり、別の仕事のことを考えてしまう。集中できず、空中戦の中での、細切れの時間を生きている感じがする。

どちらがいいのだろうか。こんな一般的な問は意味がない。人によって、状況によって、目的によって違うはずだから。問を変えてみる。僕が向かいたい方向から考えるとどちらがよいのか。答えはシンプルだ。そしてプロセスが重要となる。早くそこまでたどり着きたいものだ。

7 Mar

27歳のままの父の墓参りに28歳の息子がいってみた

先日、7年ぶりに栃木県にある父方の実家を訪問しました。母親と墓参り目的で訪問していた今までとは違い、今回は来週結婚するパートナーの紹介と挨拶が目的でした。


父が僕が1歳半のときに亡くなって以来、僕は母方の実家の近くで暮らすことになってしまい、父方の実家を訪問する機会が非常に少なかったです。小学生の頃は毎年、正月かゴールデンウィークにお墓参りに行っていたのですが、中学生の頃からはそもそも親との行動が減ったのもあり、訪問する機会が減ってしまいました。


でも、よく考えてみると、母方の祖父母はなくなっているけれども父方の祖父母は健在でして。確かに、ぼくを育ててくれたのは母方かもしれないけれど、僕の中には父方の血が流れているわけです。

実家のはずなのに、そわそわしながら、墓参りにいきました。かわいいおばあちゃんと渋いおじいちゃんの元気な顔を見てご飯を頂戴し、チビ達と会話をしてから、父の妹さん達と墓参りへ行きました。お墓の前に、お線香を置いた後、目をつぶり手を合わせいたら、お姉さん(父の妹さん)がお墓の前でふとこんな言葉を発しました。


「お兄ちゃん、これで安心だね。」


その言葉を聞いた時、ただただ涙が流れそうになってしまい。なぜかは自分でもよく分かりません。墓参りをきちんとできていなかった申し訳なさからなのか、父の存在を感じて寂しくなったからなのか、父が亡くなった時の年を超え父があまりにも早くなくなったことを実感したからなのか。


いずれにしろ、事実として一つ有るのは、僕は物心付く前に父をなくしているので、生まれてこの方本当の父の存在を感じたことがなかったんです(叔父を父だとは思っていましたが)。でも、お姉さんは父が生きているかのごとく話しかけます。


「お兄ちゃん、これで安心だね。」

と。 
生きていたら55歳かな。ちょうどダブルスコア。でも僕の中では、実家に飾ってある27歳当時の父のイメージのままです。不思議なものですね、本当に。自分に子供が生まれたら自分よりも長生きしてほしいなぁと思います。


ぼくは人間に種としての関心があるので、「人間とは何か」についていろんな本を読みました。その中で、人間が感じる血のつながりとか、なくなった父の存在って、人間が持つないものを見る力、言い換えると想像する力を使って、「脳が見ているんだろうな」と思っていました。実際そうでしょう。


でも改めて、自分自身が父から受け継いだものは何かなとか、父に対して恥ずかしくない生き方をしたいとか、そんなことを考える中で。関心対象としての「人間(ホム・サピエンス)」が、ぼくもその一員として、とても愛おしいものに見えてくるんですね。

いやはや、自分もいつか父親になるときがくるなら、子どもと奥さんと一緒に過ごす時間を大切に、大切にしたいなぁと感じた、そんなお墓参りでした。

26 Feb

若いのにしっかりしてますね、と言われて

「若いのにしっかりしてますね。」

大企業のCSR部の皆さんとの交流会で投げかけられた言葉。僕の素をあまり知らない方々からのコメントであるし、相手としては褒めてくださっていると思うのですが
、個人的にはとてもショックでした。

考えてみると、「しっかりしている」、というのは、相手の想像力の範囲に収まっている時しか出ない言葉です。

更に、「若いのにしっかりしている」というと、
自分の評価軸の中に収まっていて、
今の年齢にしては少しだけ秀でている、
という意味だと思います。

実際、いくら若かろうとイノベーターに対して「しっかりしている」と声をかける人はいませんよね。28歳のスティーブ・ジョブズに「あなたはしっかりしている」だなんて口が裂けても言えません。

ただただ驚いたり、感動したり、言葉にならなかったりするはずです。

だから、ぼくは「しっかりしている」、こういわれたことの悔しさをバネに相手の評価軸の外にある何かに挑戦し続けて、驚きを与えていきたいなと思いました。

 

14 Feb

近況と幸せの閾値と仕事へのスタンスとか(深夜の戯言)

綱渡りな状況が続く日々。いっぱいいっぱいになり始めていて、こぼれていくもの多数。というかすでにこぼれはじめています。色々な人に迷惑かけながら、助けてもらいながら、仲間とともに少しずつ前に進んでいます。
 

わたりグリーンベルトプロジェクトもNPO法人化し予想を超えるペースで色々なことがぐぐっと動き始め、東京の仕事であるBOLBOPもわーっと案件が動き始め。目が回りそうです。というか、既に目が回っています。更に仕事だけならよいのですが、そこに来月の挙式の準備も入ってきまして。
 

ただ、精神的に疲れているかとか、肉体的に疲れているかというと、そんなことはなく充実している日々。きちんと小さくとも変化を生み出せている実感を持ちながら、仕事をできるというのは幸せなことだと思います。
 

あるとき、自分の口から、「ぼくは幸せのしきい値が低いんです」という言葉が出たことがありました。ぼくは、いわゆる起業も大学時代に失敗しているし、リーマン・ショックの影響で内々定取り消しにもあったし、大学時代のインターンで首をきられたこともあるし、新卒無職も経験しています。もっというと自分の経営する法人でキャッシュアウトの怖さも経験しています。割りと色々なことを体験させて頂いているなと思います。
 

なので、20代前半のタイミングで、「仕事がない辛さ」とか、「所属するコミュニティーがない辛さ」とか、「周りからひとがいなくなる辛さ」とか、体感していて。だからこそ、仕事が好きだと公言しているし、本当に好きです。ほんとに尊敬できる自分にはないものをもっている世代も育った環境も異なる仲間たちに囲まれ、一緒に何事かにとらいしていく。仕事が辛くないという意味ではなくて、もちろん辛いときもあるけれども好きです。価値を出す、そこに対して対価を頂くという行為はおもしろい。
 

そんな仕事に出会えていることに感謝しつつ、きちんと変化を作り出せるように、目の前のことひとつひとつに丁寧に向き合っていきたいな、そんなことを思った深夜でした。

深夜の投稿で何言ってるか分かりませんが、ま、いいや。おやすみなさい。

(上記、Facebook からの転載。たくさん「いいね」頂いたのでブログに掲載) 

25 Jan

自分に嘘をつく人生

大学時代の友人と久々に飲みました。ひとりは5年ぶり、ひとりは2年ぶりに。ぼくが普段接する人とは違う生き方をしていて、僕がいま接する人たちがいかに特殊で、いかに閉じられたコミュニティーにいるかを痛感し。その友人たちは、非常に大きな組織(公共機関)に務めていて、これからの仕事の仕方についての話題になりました。ここで二人共が言うのは、今の仕事はおもしろくなくて、早く転職したいし、転職先のイメージも有るけれども、家族もできて、次の職場に移る勇気がないということ。

ぼくもこれから結婚する身で、もし子供を戴くことができたときに、きっと同じような問題にぶち当たるのだと思います。そして、実際に子供が産まれたら、人生における優先順位が大きく変わのだろうと思います。仕事でばりばり成果を出したいと思っていたが子供を優先する生活になる、とかそういうことです。ぼくは有りだと思うし、ぼくもどういう変化になっていくのかは皆目検討も付きません。

ただ言えることは、どちらかを優先したらどちらかが駄目になる、という思考停止ではなく、本当にそれぞれが相乗効果で高まる方法がないのかについては知恵を絞ることを諦めたくないということ。いまできないからといって、「今後もできない」と結論を出すのは早過ぎるのではないかということ。

更にもう一つ感じたことがあります。自分に嘘をつく人生にだけはしたくない、ということです。本当は新しいチャレンジをしたくてその勇気がないだけなのに「自分の家族が最優先だから新しいチャレンジは犠牲にするんだ、価値観の違いだよね」と言ってしまったり。また、自分の家族を大切にしたいと思っているのに「いまは仕事が忙しすぎて夫は稼ぐことが仕事だから役割として仕事をして家事をあまりしていないんだ」とかね。はじめは自分の本当の気持ちに嘘をついていることが分かっていたのに、同じことを言い続ける中でそれが嘘なのか本当なのかわからなくなっていくだろうなぁと。だから、できるだけ率直に、素直に、自分の人生にウソを付くようなことをしないようにしたいと思っています。

ちょっとした思考能力があれば、ある種の思考を正当化する理由なんて簡単に見つかります。あとは、それを自分自身が本気で言えているかにかかっている気がしていまして。ぼくは、自分の胸に心を当てた時に、自分に素直でいれるような自分でいたいです。そういう姿を子供に見せたいなと思います。
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