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2006年06月

トニー滝谷

トニー滝谷 プレミアム・エディション


小説を読むという行為の映像化


小説に限らないが、活字を読む時、大抵の人は頭に映像を思い浮かべるだろう。
その映像は、その文の言い回しや表現方法に大きく作用されて、つまり、それもまたその文を書いた人間、特に小説だと小説家の作家性になるのだろう、と、思う。

この作品は、村上春樹という作家の文体、作家性をそのまま映画化したもの、と言っていいと思う。
ナレーションの長さや口調は、そのまま村上春樹の世界だし、登場人物たちの台詞、例えば、トニー滝谷(イッセー尾形)が妻(宮沢りえ)の買い物を注意するシーンなどは、その(いい意味での)回りくどさが、まさに小説のまま、といった感じだった。

僕もいくつか村上春樹の小説は読んでいるが、その世界観を、色合いまでも、見事に表現してたのに驚かされた。
これほどまで作家に拘った作品は珍しいのではなかろうか。これもまた一つの「映画化の形」なのだろう、と思うと、なかなか興味深かった。


蛇足。
長髪のイッセー尾形。
大学紛争のコントでも始まるのかと・・・


matu_hmatu_h  at 10:58コメント(2)トラックバック(1) この記事をクリップ! 

ナイロビの蜂

The Constant Gardener
(原作本)


「家に帰るよ」


メイレレス監督は「アフリカの不遇」を訴えたかった、というのも大いにあっただろう。
アフリカの人々が、知らずのうちに製薬会社に実験体として扱われている、という衝撃の内容は、かなりのインパクトで、サスペンスとしての重要な意味を担っている。
これは事実なのか、と自然に思わせるドキュメントさながらの映像と、一つづつその闇が明るみに出てくるという演出が見事で、この作品の一つのテーマであろう「アフリカの現状への問題提起」は、完璧と言っていいほど観客に訴えかけられていたと思う。

ただ、僕がこの作品で一番感銘を受けたのは、もう一つのテーマ、「信じる」という事だ。
妻テッサ(レイチェル・ワイズ)の死の原因を追うジャスティン(レイフ・ファインズ)は、テッサの行動にいくつか疑問を持ち続けていた。不貞を疑ったり、彼女の活動自体にさえ、本当に正義があるのか疑ってる様子も伺えた。
彼女の行動の跡を追ううちに、その疑念がすべて思い違いだと知ったジャスティンは、彼女のやり残した「仕事」を引き継ぎ、全うしようとする。
これはテッサを疑った事への償いだろうか。それもあるだろうが、いつの間にか彼女と同じ言動をするようになったジャスティンに、僕は深い愛を感じた。
相手が居なくなった後に、その本当の愛情に気付き、また、自分も相手を本当に愛していた事に気付くのは、非常に辛い事だ。
その、取り返しようのないものを、ジャスティンは取り返したのだ。テッサの残した「仕事」をやり遂げ、自ら死を、「家に帰る」事を選んだことによって。

ラスト、製薬会社と政府の不正を暴くジャスティンの葬式のシーンと、彼が殺されるシーンは、時間を逆にして映し出される。この演出があまりにも見事で、唸らされた。
サスペンスとしての爽快感を後味に残したいならば、これは時間軸をいじらず、そのままやったほうがよかったに違いない。が、監督はあえて逆にしたのだ。

死を覚悟した彼の横には、妻の幻が寄り添っている。
「やっと本当の君がわかったよ。家へ帰るよ。」
すべてをやり遂げ、妻の元へ行こうとする彼の表情と、その後ろに映し出される美しい湖の風景に、涙が止まらなかった。この美しいラストシーンを劇場で観られた事を、本当に幸福に思った。


matu_hmatu_h  at 11:42コメント(8)トラックバック(2) この記事をクリップ! 

V フォー・ヴェンデッタ

V for Vendetta
(原作マンガ本)


キャラクターとストーリーの見事な調和


独裁政権による市民の完全なる監視と管理。
思想までもコントロールしようとする、モロにナチス政権をモチーフにした(なんせサトラーだし。(笑 )この世界観は、映画ではこれといって新鮮な題材ではない。

非常識に強い「人間」。
人体実験により、運動能力が異常に上がった人間が、復讐と自分の信じる正義の為に戦う。これまた、映画では珍しくもない「ヒーロー」だ。

しかし、この2つの設定が1本の映画の中で絶妙なバランスをとりながら存在している、というのはなかなかないのではなかろうか。
大体において、どちらかを主に置くともう片方の印象が薄くなってしまうものだと思うが、この作品はその辺りのバランスを実に上手く配分し、エンターテイメントとして見事に完結させていた。

そう思えた理由の一つとして、イヴィー(ナタリー・ポートマン)という曖昧な存在を視点にした事が大きいのではないだろうか。
それにより、ある種客観的に「V」を見る事ができたからだ。
「V」の非人間的な能力と、逆に非常に人間臭い人格は、客観的に見てこそおもしろいものであり、また、その死も、ストーリーとして納得できるものになりえたのだろう。
(監禁のシーン以降、そのイヴィーの曖昧さがなくなるのだが、それでも、フィンチ警視(スティーブン・レイ)の視点がその客観性を維持し続けてくれるのが、またよかった。)

ストーリー重視のヒーローモノとして、実によく出来た映画だったと思う。


余談。
「V」と「攻殻機動隊S.A.C」の「笑い男」に、やたら共通点が多いと感じ、またもや影響を受けてるのかな、と思ったのだけど、知人に聞いたところ、「V」のキャラは原作に忠実だそうで。
ということは、「笑い男」が「V」に影響受けて作られたキャラなのかな、とか思ったり。(きっと考えすぎ。


matu_hmatu_h  at 10:09コメント(4)トラックバック(3) この記事をクリップ!