2018年03月09日

今日の勉強!

今朝は昨晩来られた「薬師寺」さんの住職「大谷徹奘」さんの「般若心経に学ぶ」・・・・玄奘三蔵と観自在菩薩・・・・薬師寺 副執事長 大谷徹奘さんのお話を聞きに行きました。


⑴薬師寺と玄奘三蔵

薬師寺は 法相宗大本山
玄奘三蔵は 法相宗の始祖
薬師寺は 玄奘の寺とも言える
昭和17年 南京で頂骨発見
昭和19年 埼玉県慈恩寺に分骨
昭和56年 薬師寺に分骨

同年 徹奘出家

⑵中国仏教は、翻訳仏教
般若心経の漢訳は現在7本


鳩摩羅什三蔵(350〜413年) 最古の漢訳 西暦412年頃→約240年

玄奘三蔵(602年〜664年) 1番流布した漢訳西暦649年


⑶観世音菩薩・・・・240年・・・観自在菩薩と・・・・変わったそうです。



⑷翻訳は思想なり・・・・玄奘の訳はたいへん名訳であり、原文をはなれて独立に存在理由があるほどすぐれたものである。・・・(中略) サンスクリットの原文にはそれほど深い意味がこめられていないのに、玄奘の漢訳には深い意味や余韻がこめられている部分もあったりして、漢字の持つ特殊な味わいに驚かれるであろう。

⑸玄奘の根底にある死の自覚・・・・・孫悟空の「夏目雅子」猿の「堺正章」の物語が「玄奘三蔵」です。

[梢討料畧(死)

国内の乱れ(死体の山)

砂漠での死との直面

ぅ劵泪筌蕷曚┐任涼膣屬了

ヅ霏韻僚瑛茲任涼膣屬了


お釈迦様の教えの根本は・・・・・死=人間の有限性


⑹ 主人公の名を書き換えた玄奘三蔵の真意

観世音菩薩(鳩摩羅什訳)

観自 在菩薩(玄奘訳)


⑺褐諦(ギャテイ)がくり返される理由

お釈迦様のエール・・・・三度は三回という意味ではない・・・心が何回折れても前へ前へ


悔・・・この字は「毎」はつねに・ことごと、左の字は、こころ


高田好胤和尚上の名訳・・ヽ 諦(ギャティ) 褐 諦(ギャティ)波羅(ハラ)3貭(ギャティ)


々圓海 行こう さあ9圓海


⑻玄奘三蔵訳 般若心経のポイント

最初の三文字 観自在

最後の八文字 褐諦 褐諦 波羅 褐諦

最初→自覚・・・・自ら目覚め

最後→覚行・・・目覚めながら行く


高田好胤和尚上の言葉

●永遠なるものを求めて永遠に努力する人を「菩薩」という

●玄奘三蔵は不東菩薩


⑼般若心経のこころ・・・・高田好胤和尚上作

かたよらない こころ

こだわらない こころ

とらわれない こころ

ひろく ひろく もっとひろく

これが 般若心経 空のこころなり




今日の勉強の私の捉え方ですので間違いかもですが「般若心経」の最初の「観自在菩薩」と最後の「褐諦褐諦 波羅褐諦」が大事ですと言うお話です。

最初に「鳩摩什三蔵」さんが翻訳して「観世音菩薩」としました。・・・・世の中を、外を観る教えだそうです。・・・・しかし後に、玄奘三蔵さんが「観世音菩薩」から「観自在菩薩」と変更したのです。・・・・・「玄奘三蔵」さんの考えは、人間は他人を評価することは得意ですが、自分を評価する事に劣ってるから「観自在菩薩」自分を観ることが大事ですよとの教えで「般若心経」の最初の三文字を「観自在」に変更したようです。・・・・もう一つの解釈もあったそうです。・・・「観世音在菩薩」これは流行らなかったそうです。

総合的な私なりの解釈ですが「般若心経」・・・自分の自覚・・・自ら目覚め・・・覚えながら人生を過ごし、覚行・・・・目覚めながら行くは・・・・・『「死」だと思います。』と思ってたら違うそうです。・・・・心折れても、前へ前へ進むことだそうです。😭

私の考えですが「死」は暗闇、天国も地獄も無いと理解してます。

高田好胤和尚上の言葉、永遠なるを求めて、永遠に努力する人を菩薩という。・・・・心が何回折れても前へ前へだそうです。


思うの字には、上の田は人それぞれの生きて来た価値観だそうで、下の「心」は個々の生きて来た過程の人それぞれの考えが宿るそうです。

今日の善導寺さんで受講料1500円でしたが得たものは大きかったです。















matukizusi at 14:56│Comments(0)clip!

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