2018年07月12日

慶応四年1868年!

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慶応四年1868年八月一日

富田村荒屋敷の者数人が馬を引き連れ、郷蔵の垣根を破り、蔵から米を取り出した。これを聞きつけた町内の者数百人が、郷蔵前へ押しかけ米を取り出そうとしていた。
自分と阿部茂兵介ら四、五人で、蔵の米は殿様の米で我々が手を付けてはならないものであること、不法を働いた者は必ず罪に問われるので早く引き取ること。

今苦しい者には、一戸一俵ずつ米を渡すので代官屋敷に来るように話し、この蔵には一切手を付けないよう説得する。

大勢いたので承伏する者もいたが、中には不法する者もいた。再三の説得暴徒はしだいに引き取りはじめた。

阿部・武田・川口等と相談して米七、八百俵を手配して、一軒一俵ずつ渡してその場は引き取った。
しかし、この夜五つ時頃(夜八時)、町内の者大勢で佐藤伝兵衞宅へ押し入って、家を打ち壊し、諸道具を取り出すなどその乱暴狼藉は言葉にならない。(暴徒の)強硬な談判で、(質屋に)「明日質品を残らず差し出します」との札を店に貼らせたりした。

これらの(暴徒)の人数は多くの者が加わってさらに増え、武田太左衛門、川口半右衛門、高橋徳治、小針直左衛門・今泉伊左衛門、横山彦兵衞宅を打ち壊し、前代未聞の大騒動になった。この際質屋はのこらず「質品渡します」との貼り紙をしたり、(暴徒へ)炊き出しをする者もいた。酒屋は酒を出す等、先の伊達の騒動彷彿させるものだった。町役人も打ち殺と言っていたというので、町役人は残らず逃げ隠れしたが、自分は断然在宅し、町の様子を注目していた。祖先の遺徳で暴徒乱入の災難に遭わずにすんだ。


午前四時を過ぎました。・・・・私は戊辰戦争の時の立派な先人「今泉久三郎」様の日記を写してるだけです。

次は八月二日の出来事を書き込みます。




matukizusi at 04:26│Comments(0)clip!

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