2018年07月12日

郡山の歴史八月二日!

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画像は本日入荷の本鮪「塩釜」で取れました。

慶応四年1868年八月二日の「今泉久三郎」氏の日記❗️

(前日に引き続き質屋は大混乱である。質物を争って持ち出し、他人の物まで取る者もいて、喧嘩も起こっている。郡山町の者が蓄えてきたものを、周りの村々の者に持ち逃げされたりしたら、宿内の者が困ってしまうので)町兵で今日から質屋一軒に十名で張り番をして、質品取り戻し人たちが不法なことをしないように厳重に取り締まり、それ以外の町兵は、町中を警邏してよそからの悪者侵入を防ぎ、強盗、火災などが発生しないよう、集まった町兵によくよく話す。このための費用として百五十両を彼らに遣わす。

その後、町は静かな状況に戻った。町兵一同は昼夜を問わず町を警邏し町々にはには駕火をたき厳重にに取り締まりを行った。


八月四日・・・・・守山藩の者が官軍と言って百人ほど来町する。自分が呼び出しを受けたが、町の取り締まりの骨折りを認められ、酒代として一両二分をいただく。(次に)町兵一同を呼び出され、宿内の護衛が行き届いてるとほめられ、金十両を酒代としていただいたので、この金十一両二分を町兵一同へ分配して渡す。

八月五日 会津兵百人ほどが郡山に押しかけてくるとの噂がある。夜町兵繰り出して大砲や小銃をうちならしたためか、その夜は無難に過ぎた。


八月六日・・・・・三春より大村藩兵と太政官会計局の太田衞太郎都合百人ほど来町する。昼頃会津兵押しかけてくるとの報告がある。

直ちに官軍が繰り出し如宝寺南の土手下から発砲する。賊は楢の木林から撃ち出し、銃撃戦なるが、賊はたちまち敗走。大槻村方へ逃げる。

matukizusi at 18:54│Comments(0)clip!

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