愛と義(兼続)

「天地人」効果絶大(新潟県)

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(画像上は、天地人の舞台となった南魚沼市・六日町。画像下中央は、南魚沼市役所、午前9時の積雪は、43センチ。正午ころ撮影)

091224-5091224-6091224-7NHK大河ドラマ「天地人」の放映で新潟の優れた歴史や文化が全国に発信され観光振興に貢献したと、12月28日「天地人」原作者の火坂雅志氏が知事表彰される。
「兼続」の生誕地である南魚沼市で開催中(1月11日〜12月27日)の「愛・天地人博南魚沼」(写真右)の入場者は、11月17日に40万人突破した(写真上左)。一番人気となったのが雲洞庵で、1〜11月の観光客は、約47万人。
同市では、経済効果を約29億円に達し「天地人」効果が絶大だったと喜んでいる。しかし、大河ドラマ「天地人」の終了や降雪期をむかえた頃から「ゆかり」の観光地では、入り込みは激減している。

「兼続&お船」お疲れさま(大河ドラマ・最終回)

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091122-3091122-4今年の大河ドラマも今夜が最終回となった。兼続とお船夫婦役の演技が光った。
人の命を第一に「愛と義」のドラマ。権力に屈せず戦国時代の反乱期、懸命に生きる「兼続」の信念は、雪国・越後で培った。
天下人となった、徳川家康も亡くなり、兼続も隠居の身分。生まれ育った越後路を、愛する妻「お船」と旅する。
上田庄を見下ろす八海山(新潟県)でクランクアップロケが行われた(写真下)。晩年の兼続夫婦、兼続の顔にしわが走り、美人女優の髪に、白いものが混じる。ススキが耀く峠で、手をたずさえ、無邪気な幼少期を振りかえった。
新潟県は、二度の震災で人々の心に大きな亀裂が走り、笑顔が消えた。そんな新潟に「大河ドラマ」が愛の手をさしのべた・・・
「愛と義」の、このドラマは、新潟県民など全国の視聴者に希望と感動をあたえた。ゆかりの観光地は、人の波が出来た。ふる里の「棚田風景」が毎週、映像で発信され話題となった。(写真上)
お疲れ様でした〜そして、ありがとう〜・・・
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幸村と別れの酒(大河ドラマ)

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(林泉寺は、もともと越後の春日山にあったが、移封により米沢に移された。この米沢林泉寺境内には、兼続とお船の墓がある、写真上)
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「愛と義」の大河ドラマも残り2回となり、今夜は終盤の見どころ「大阪冬の陣」。
慶長19年(1614)年11月、上杉軍は、大阪城の東、大和川を挟んで佐竹義宣と戦い勝利・・・兼続の活躍で上杉軍の武勲となった。
兼続と敵対関係となっていた真田幸村は、わずかな兵で徳川家康の陣に切り込む勇猛な武将に成長していた。
しかし、もはや豊臣家の勝利は、ないと確信した幸村、兼続と別れの杯をかわし死んでゆく。大阪城は炎上し、豊臣家は消滅し徳川家康の天下となる。
(画像左上は、真田家ゆかりの上田城と真田神社・長野県)

兼続の真価が問われる晩年

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(上の写真は、米沢市・春日神社)
091101-3091101-4人気の大河ドラマも残り4回となり、兼続も晩年を演じ、新潟から山形へと観光客が移動した。
ゆかりの米沢は、連日「兼続」ブームで賑わっているが、雪国「新潟」は、やがて北風に乗って雪が舞い降りる季節となった。熱い〜暑い〜夏の思い出となった。
関が原の戦い後、家康に降伏した上杉家。120万石から30万石に減封され、会津から米沢に入った。
上杉家は、家臣ら全員引き連れ米沢入りしたが、北国の厳しい自然環境や住む家もない、食糧の確保にも、ままならない、質素な暮らしが続いた。
開田・用水路の整備や栽培方法の研究にも力を注ぎ、愛と義の精神で米沢藩や家臣を守った。
米沢市は、「谷地河原堤防」を史跡文化財として昭和61年に指定。この川は、水の流れが急で川底が浅いため、たびたび氾濫し、市内でも大きな被害を出していた。
1601年ころから、上杉家が整備したとされる1.2キロほどの堤防が、現在も残り戦国時代を偲ばせている。

兼続の生誕地で最後のロケ(大河ドラマ)

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090927-6090927-7人気の大河ドラマ、兼続生誕の地(新潟・上田庄)で兼続役の妻夫木聡さん・お船役の常盤貴子さんらが参加し、ススキが光る高原で最後のロケが行われた。
最後の収録を終え、お疲れさまでしたと・・・スタッフから大きな拍手と花束が贈られ・紙吹雪がまった。今日収録のもようは、最終回の11月22日(日)放映予定。(撮影禁止のため画像なし)
八海山(写真上・1,720メートル)麓の上田庄(旧六日町)は、魚沼産コシヒカリの産地、稲刈り作業も終盤をむかえ、黄金色の「田んぼ」は、残り少なくなってきた。
8ッの岩峰が連なる、八海山の由来は、かって小さな池が八つあったとの説がある霊峰。
大河ドラマの影響で、この山を訪れる登山者が押し寄せ、登山道の狭い難所は渋滞した。スリル満点の鎖場が19箇所もあり、登りは約3時間半の道のり。
紅葉が見ごろをむかえた頂上付近の絶景に、疲れを忘れさせたと・・・下山者が話した。

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越後のヒメサユリ(愛の花戦)

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秀吉の命令で上洛した重心の妻たち。美女が京にそろった。秀吉の正室・北政所をむかえ、花見の会を催すことになる。
090802-8越後からヒメサユリが届けられ部屋いっぱいに飾った・・・北政所と大名の妻たちも、その美しさに絶賛する。
そんな折、秀吉の嫡男(鶴松)が3歳の若さで急死する。世継ぎの母で無くなった「淀」を越後の「菊姫」が励ます。戦国時代、正室と側室の戦いなど武将の妻も「陰の力」となり戦っていた。
(画像は、越後のササユリと春日山・林泉寺の山門)

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「与六」役の加藤くんが「みんなのうた」♪〜に

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(上杉謙信と武田信玄が川中島で5回戦った「川中島古戦場跡」に両雄が戦う像が)

090719-6大河ドラマで「与六」役を演じた、加藤清史郎くんが8月〜9月の「みんなのうた」に登場する。曲目は「かつおぶしだよ人生は」。うなぎ上りの人気・加藤くんの美声♪〜が「お茶の間」の話題となりそうだ。
さて、ドラマは、1590年、秀吉が天下統一を目指し、抵抗を続ける小田原の北条を攻める。秀吉の最高幹部の家康が、ひそかに北条と通じていたのだ・・・
上洛を拒否していた伊達政宗は、家康の陰謀を覚り、白装束の姿で秀吉に、北条攻めの遅れをわびる・・・
戦いに敗れた、北条氏政は自害し、北条家は滅亡する。秀吉は天下統一を果し、上杉軍は春日山城へ戻る。1598年、豊臣秀吉は、伏見城で死去・・・関が原の戦い後、徳川家康が江戸に開府する。

(画像下、川中島古戦場の「八幡社」、武田軍の最前線となった)

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伊達政宗が登場・・・

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090712-3秀吉・家康のライバル・天下とりを目指す北国の「伊達政宗」が登場する。
伊達政宗は、1567年に米沢城(写真上)で生まれた、幼児期に病気で右目を失明するが、頭もよく、文芸など教養がたかい武勇、別名「独眼竜・政宗」として活躍。
秀吉の使者として、兼続が米沢城に出向き、戦を回避させたいと政宗と直談判・・・
その後、上杉の内乱が収まらない佐渡ガ島へと乗り込んだ。
政宗の妻・愛姫を演ずる女優は、美人モデルのトップクラス。父の役は「伊達政宗」大型二世の競演も見どころ。
兼続の妻「お船」は、〜ふる里〜与板城(写真下)で女の子を出産、父子の初対面に兼続の笑顔に涙が・・・
春日山城〜京〜大阪城〜与板城と多忙の兼続にとって、つかの間の休養だった。

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秀吉の画策(兼続を家臣にしたい)

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(真田家を祀る、真田神社。長野・上田)

090621-5上杉軍の景勝・兼続の絆は強い。金への執着・どんな手を使っても、欲しいものは必ず手に入れてきた秀吉。
兼続を家臣にしたいと悪だくみ。上杉を脅威に追い込む、景勝が煙たい・・・景勝も京の暮らし・秀吉の性格は、肌に合わない。
越後が欲しい秀吉、景勝の身に危険がせまる・・・兼続は、秀吉の「家臣にならないか」の誘惑(罠を見抜き)にのらず、景勝と越後を守ることに。
越後・上杉の人質となった真田幸村。北条と徳川の脅威に耐え切れず秀吉を頼った。
幸村の姉「初音」、最初は、信長に仕え、その後人質として北条入りするが、逃げ出し、恋を打ち明けた「兼続」に救いを求めて駆け込んできた。(写真左、真田家が城主をつとめた上田城)
秀吉は、真田家を利用して更なる画策を・・・罠とわかっていても「初音」に惚れられた「兼続」、初音の命を助けたい・・・兼続の妻「お船」も辛い。
(1862年、参勤交代の時代に建てられた真田邸の外壁。長野・松代)

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お船のふる里「与板城」

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(与板城跡「お船の清水」)

上杉謙信の重臣・直江影綱が城主をつとめた「与板城」(新潟県・長岡市)。娘の「お船」は、兼続を婿養子にむかえた。
与板城跡(山頂の本丸跡)に、幹回り7メートルほどの「城の一本杉」がある。この大木は、1598年、「景勝」が会津に移封となったとき、兼続も与板を離れることにり、この杉を植えたと伝えられている。(写真下)
090614-4090614-5さて、ドラマは、上杉景勝が兼続ら家臣4千人を従い京に向かう。越後の真面目武将・景勝、京の暮らしがなじまない。その上、各大名などの挨拶回りで心身とも疲労していた。
上洛後、秀吉との対面。その献上品で太刀袋でなく「金襴」を希望した秀吉。刀より金を選んだ秀吉に景勝は失望する。
景勝の上洛を批判した、東国を支配する「徳川家康」どんな行動に出るのか楽しみだ。
景勝は「義」(右写真)の旗を掲げ、兼続は「愛」(左写真)の兜で戦国の世に飛び込んで行く。関が原の戦いに兼続は、三成と組んで家康と天下分け目の戦に・・・

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棚田の里(新潟県)
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新潟県十日町市(松代・松之山地区)は、豪雪、温泉、美しいブナ林と棚田で知られる自然豊かな里山です。
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