2006年05月26日

グッドナイト&グッドラック

ジョージの叔母ローズマリーをリスペクトした選曲が抜群第464回

★★★☆(劇場)

(核心に触れる文面あるので、ご注意あそばせ)

 もうかなり前の出来事だが、これは事実である。

 僕は仕事で、ある議会の中継を撮影していた。

 実は当時、市民オンブズマンたちの間で「議員たちの居眠り」を糾弾するという動きがあった。

 市民オンブズマンたちとは、それまでに取材内容でひと悶着あったので、僕は毛嫌いしていたのだが、「議員たちの居眠り」糾弾に関しては納得できるフシがあった。

 議会中継では常に副調整室に議会事務局の人間や広報課の人間がチェックに立会い、様々な指示や駄目出しをするのだが、カメラが切り替わる瞬間に我々が「遊び」で居眠り議員のアップをチェックすると、すぐに注意を受けていたのだ。

 その年の議会は傍聴席に市民オンブズマンたちを立ち入れさせないなど、新聞沙汰になったくらい荒れていて、いつもに増してピリピリとした緊張感が漂っていた。

 にもかかわらず、ある大物議員は議会のたびに居眠りをし、ボートを漕ぐように頭は前後にゆらゆら、ある日彼は「いびき」をかき始めた。

 その「音」は中継マイクでも拾ってしまうほどで、議会を中断するわけにもいかず、さすがに副調整室も混乱している様子がインカムから聞こえてきた。

 そして指示が下った。

「(居眠りしている)○○○議員を絶対に映すな!」

 僕はその瞬間、急に頭にきた。「圧力」を感じたからだ。そしてカメラであえてその議員のアップを捕らえた。

 インカムからは「今すぐやめろ!」という怒りの声。しかし僕は無視した。様々な罵詈雑言が僕の耳をかすめ、僕はインカムのスイッチを切った。

 しばらくすると後輩社員がやってきてカメラを交代すると言ってきたが無視。やがて上司もやってきたがこれも無視。

 結局、議会が休憩に入るまで、その日はセンターの映像がないままの中継となった。

 これが、ただで済むわけがない。

 中継後、僕はこっぴどく怒られ、その日を境に中継には参加させてもらえなくなった。

 だが、話にはまだ続きがある。

 議会中継期間が終わり、中継機材を片付けていた時だ。

 ケーブルを8の字にまとめていると、男の影が僕を覆った。そう、あの議員である。付き添いの事務局員が「この子(?!)です」と僕を指差すと、その議員はしゃがみこんで僕の耳元でこう囁いた。

「あんまいらんことばっかりやっとると、どないなってもしらんど」

 脅しである。

 彼のバックグラウンドはいうよしもがな。

 僕はこの日から、味方のいない闘いを強いられることになったのである。

「グッドナイト&グッドラック」は「赤狩り」の時代を舞台に、マスコミでさえも恐くて反論できなかった「マッカーシズム」に反旗を翻し、マッカーシー上院議員の失墜に貢献したニュースキャスター、エド・マローの実話を描いた作品。

 真実に白黒つけられない不穏さをかもし出したモノクロの映像は、マッカーシー上院議員など実際のフィルムと調和して、見事に社会批判を訴求している。

 深読みすれば、当時のマスコミ体質と「世論」の多数決主義を基に「9.11テロ」以降のアメリカの体質を皮肉ったとも思えるのだが、純粋にマスコミのあり方について疑問を持った監督ジョージ・クルーニーの思いが作品に反映されたからだと考察できる。

 彼の父親はニュースキャスターであり、その「批判精神」は本作だけでなく、スターでありながら金儲けを軸としないこれまでの作品選びにおいて確認できる。

 また彼の叔母であるスタンダード歌手ローズマリー・クルーニーの影響を受けたジャズへの造詣は本作にも活かされており、ダイアン・リーヴスが劇中歌手として見事な歌声を披露し、映画内における場面繋ぎのアクセントとなっているのは出色。

 監督作として政治色の強い作品を選ぶことは「あざとい」との揶揄もあるが、「それならハリウッドの映画人がみなそうすればいい」と開き直るジョージ・クルーニーの心意気は清々しい(また資金調達に苦労した本作に日本の資本が参加しているのは誇らしい)。

 正しいと思う事も「力」によってねじ伏せられてしまうことは多々ある。しかし、そんな不埒な輩はいずれ淘汰される運命にあると僕は信じている。

 世間を欺き、自己のためだけに生きる輩は「張子の虎」でしかないからだ。

 人々がその「圧力」に涙し、その涙は無力であっても、徐々に張子の外郭を溶かしてゆくに違いないのだ。

 僕は「脅し」の後、社内で処分を受けた。

 そして「謝罪文」を書くことを命令された。

 自分は何も悪くないのになぜ謝罪をしなければならないのか。書くことを拒み続けると、さらに「給与」面での処分を受けた。

 何度も議員に呼び出され、何度も「恫喝」を食らった。

「グットナイト&グッドラック」が素晴らしいのは、そんな「その後」の出来事も単なる「美談」に終わらせず、包み隠さず描いている点にある。

 映画やドラマでは、主人公が「権力」に立ち向かってゆくものの、往々にして「処分」を受ける。「踊る大捜査線」の青島刑事だって何度も始末書を書かされていた。

 だが、実際の社会では、処分を受けて、始末書を書かされた後の「辛さ」が人間を弱くさせる。

 ドラマには最終回があるし、映画は2時間で物語を終えるが、人生には「最終回」などなく、問題を抱え続けねばならないのだ。

 僕は結局「謝罪文」を書いた。

 不本意だったが、心にもないことを文章にした。

 それは自分のためでもあったが、何よりも一緒に働く仲間に迷惑をかけることになったことが大きな理由だった。

 僕一人の「意地」で、同じ社内の人間は「迷惑」を被る。これだけは自分でも許せなかったのだ。「諸悪」を憎むつもりが、仲間にとって僕が「悪」になれば、本末転倒だからだ。

 だから、というと「事件」の規模があまりにも違うので恐縮ではあるが、本作のラストでエド・マローが不本意な待遇を迎えることは、社会の「常」のような気がして心が痛い。

 若く、そして不遇にして亡くなったエド・マローの心境は如何なものだったのか?

「グッドナイト&グッドラック」の全ては、映画の冒頭と終わりで語られるエド・マローが行った演説の言葉に集約されている。

 以下、抜粋しておりますのでご興味あれば一読下さい。また引用にあたって著作権の問題があればご指摘頂ければ幸いです。

【エド・マロー 報道番組制作者協会の演説より】

 ラジオとテレビの現状を率直に語りたいと思います。内容に問題があれば、全て私の責任です。

 歴史は自分の手で築くものです。もし50年後か100年後の歴史家が、今のテレビ番組を1週間分見たとする。彼らの目に映るのは、恐らく今の世の中にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも現れている。

 だが、我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かなければ、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる。

 歴史は人間が作るもの、と言いましたが、今のままでは歴史から手痛い報復を受ける。思想や情報はもっと重視されるべきです。

(中略)

 もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、もともと何の価値もない。テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めている。だが、それはあくまでも使い手の自覚次第。

 そうでなければ、テレビはメカの詰まった「ただの箱」だ。

(1958年10月 田草川弘・訳)


 この演説が50年も昔のものでありながら、現在でも決して古い考え方でないことが、皆様の中で様々な思いへと変換されることでしょう。

 僕が本作について語るべきことは殆どないので、今回は主に他人にとって退屈な体験談を書かせて頂いた次第です。



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全編モノクロ映画です。白黒映像に漂うタバコの煙の白さが美しい。しかし吸いすぎにはご注意を。エド・マローは呼吸器系のガンになりました。それに狭いスタジオで吸ってると副流煙で周囲に迷惑が掛かります・・・あ、登場人物全員吸いまくりだから別にいいのか。
グッドナイト&グッドラック【映画をささえに生きる】at 2006年05月26日 19:49
デヴィッド・ストラザーン、ジョージ・クルーニー主演 1950年代アメリカ 共産主義者による破壊活動が行われていると 共和党上院議員ジョセフ・レイモンド・マッカーシーが論じます そして国務省職員の中にも205人共産主義者がいると告発したのです これを発端にマッカ...
グッドナイト&グッドラック GOOD NIGHT, AND GOOD LUCK【travelyuu とらべるゆう MOVIE】at 2006年05月28日 00:19
この映画の冒頭と最後のエド・マローのスピーチこそがこの映画の主張であると思う。1950年代の物語であるが、現代にも通用するどころかまさに現代の我々が直面している問題について述べた作品である。エド・マローのスピーチの一部である。(正確ではないかも知れない...
「グッドナイト&グッドラック」■現代日本にエド・マローはいる...【映画と出会う・世界が変わる】at 2006年06月04日 00:06
監督:ジョージ・クルーニー出演:ジョージ・クルーニー、デヴィッド・ストラザーン、ロバート・ダウニー・jr、パトリシア・クラークソン、ジェフ・ダニエルズ50年代、一度吹き始めた「反共主義」「赤狩り」という名前の恐怖は、アメリカ社会を「萎縮社会」に変えよう...
マッカーシズムとは「グッドナイト&グッドラック」【再出発日記】at 2006年06月06日 11:32
 モノクローム作品というだけでなく、全体の様式が実にレトロで、あたかもこの作品の舞台である50年代前半にいるような錯覚を受けます。ドキュメン
グッドナイト&グッドラック【シネクリシェ】at 2006年06月26日 07:03
この記事へのコメント
まつ様
ご無沙汰しております。毎回レビューを感慨深く読まさせていただいております。
今回のレビューには読んでいて悲しいとは違う涙が出てしまいました。
田舎のこちらでは少し遅れての公開ですが、『シリアナ』に続いてジョージ・クルーニーの心意気を楽しみにしているところです。
ご相談なんですが、この映画と、こちらでもやっと公開の『ホテルルワンダ』を多くの方に観ていただきたくて、特設ページを作りました。
そこで、まつ様のレビューをご紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?よろしくお願いいたします。
VMチーフ
Posted by 『凝理道』奮闘記 at 2006年05月26日 17:19
映画と同じぐらいの衝撃をもって今回のレビューを読みました。
こういうのって、腹も立つし、あきれもするけど、悲しいという気持ちが先に出ます。人間はこういう行動(逆ギレ、恫喝)に出てしまう、周囲もそれを受け入れてしまう。情けない気持ちになります。
まつさんの自分に対して、そして仲間に対して責任を取ろうとする勇気に感動しました。
Posted by キャスト at 2006年05月26日 19:58
まつ様
ご紹介の件ご快諾いただきまして、ありがとうございました。
このような形でご紹介させていただきました。
URL記載が問題あるようでしたら、削除願います。

http://www.corridor-shop.com/tiiki/eiga.html

ありがとうございました。
Posted by 『凝理道』奮闘記 at 2006年05月29日 16:51
凝理道のVMチーフさま

上記ホームページ確認しました。ご紹介していただき、こちらこそ感謝いたします。
Posted by まつさん at 2006年05月31日 08:37
いつもなら「遊び」で済ますような居眠り映像も、そのような背景があれば、たいへんだったでしょうね。
とっさの勇気でしょうが、素晴らしい勇気でした。
こんなときこそ、労働組合は守って欲しいと思うのは私だけだろうか。
Posted by KUMA0504 at 2006年06月06日 11:30