2006年07月24日

デビルズ・バックボーン

「ホワット・ライズ・ビニース」みたいな映画第523回

 早川雪舟以降、ハリウッドで活躍する日本人俳優(神戸生まれ)の先駆けとして活躍してきたマコ岩松が21日に亡くなりました。「砲艦サンパブロ」(1966)でスティーブ・マックイーンを慕う若者を演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされ、日系人俳優の地位向上や育成にも力を注いだ偉大な人物でありながら日本での評価はいまひとつだったのが惜しまれます。昨年WOWOWで放送された「祖国」での姿は何となく彼自身の人生を感じさせました。ご冥福をお祈りします。


「デビルズ・バックボーン」
出演:エドゥアルド・ノリエガ マリサ・パレデス
監督:ギレルモ・デル・トロ
(2001年作品・スペイン)

★★★(TV)

(核心に触れる文面あるので、ご注意あそばせ)

「誰ために鐘は鳴る」(1943)で描かれていたように、人民戦線政府が軍部による右翼勢力によって倒された「スペイン内乱」で、スペインという国はフランコ政権の専制政治が36年余りも続いた。

 このフランコ政権によって多くの自由が奪われた事は「蝶の舌」(1999)などでも描かれていたが、国内で表現の自由が奪われた事でスペイン映画界は大きな打撃を受けた。

「ミツバチのささやき」(1973)や「エル・スール 南」(1983)など10年に1本という寡作で知られるヴィクトル・エリセ監督の作品には、「子供」を題材にするという裏技で政権批判への監視の目を掻い潜り、傑作を生み出していた。

 弾圧を避けるため、子供を主人公にしたり、子供目線で政情を描く事により、政権批判という暗喩を「子供の戯言」という解釈も出来るような構成にしている苦労は、スペインという国の歴史的背景を知ればなお深く味わう事ができる。

 映画を娯楽作品として楽しむために、その国の歴史や背景は関係ない事なのだが、より深く理解するためには有効であると断言できる。

 スペインは1975年にフランコが死に、それによって王制が復活して1978年にやっと立憲君主制が確立した。バルセロナオリンピックを開催したような大国が、ほんの30年前まで自由が無かったことは、日本に住む我々にとって信じ難い事だ。

「デビルズ・バックボーン」は、孤児院にやってきた少年カルロス(フェルナンドティエルブ)が行方不明になったサンティという少年の幽霊に遭遇するという物語。

 いっけんすると本作はホラー映画のように思えるのだが、実体は「幽霊」を「スペイン内乱の犠牲者」というメタファーにした反戦映画であることが判る。

 孤児院という隔絶された「世界」を、世界から隔絶されたフランコ政権下の「スペイン」に置き変え、若者の暴力に無力な大人という姿をスペインの政情に例え、無垢な子供たちを民衆に例えていることも伺える。

 つまり「スペイン内乱」期のスペインを描きながら、孤児院という舞台に置き換えてその内実を解体して見せているのだ。

 それは根幹にある「恐怖」の正体を「幽霊」ではなく「人間のなす業」に言及している点においても裏付けられている。

 また本作は、異なる「二つの世界」を重層的に描いている。

 例えば「大人と子供」、「男と女」、「現在と過去」、そして「この世とあの世」。

 この異なる二つの世界が同時に存在し、それぞれの理屈と理由によって、人間の「悪意」と「裏切り」を引き出し、不条理と困難が混在する世の中を形成していることを提示して見せているのが素晴らしい。

 この「大人」と「子供」の視点の違いによって生まれる異なる物語が、孤児院という同じ舞台で同居しながら、「大人の事情」の「真相」と「学習」を練りこんできるのも見事。

 孤児院における子供の同士の葛藤という物語は、「怪奇談」→「その解明」→「悪党との闘い」という流れによって、「悪」の何であるかを提示し、子供視点による「戦争映画」に仕上がっている。

 本作の監督は、メキシコ出身ながら「ミミック」(1997)や「ブレイド2」(2002)、「ヘルボーイ」(2004)などハリウッドで活躍しているギレルモ・デル・トロ。

 本作はそんなギレルモ・デル・トロがスペインに招かれて2001年に撮影した作品。にもかかわらず、地味な内容が祟って日本では2004年になってやっと公開された経緯がある。

「デビルズ・バックボーン」の「悪魔的」なものは、「繰り返される悲劇」を匂わす展開にある。

 悪行を働く青年ハチント(エドゥアルド・ノリエガ)は年上である女院長への「恋」を語るのだが、その叶わぬ「恋」が狂気の原動力となっていることがわかる。

 この年上の女性への「恋」は、孤児院に暮らす少年の一人に運命的に引き継がれている。

 それは再び同じような事が起きる「予見」を感じさせずにいられない。

 この「繰り返される悲劇」が転じて「戦争」というメタファーになっていることはいうまでもない。

 よって結果的に本作で主人公の遭遇する「幽霊」の正体が、「戦争に巻き込まれた人々」が具現化されたものであると言えるのである。



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