2006年07月27日

バス174

ブラジルの貧困問題はもはや他人事ではない第526回

「バス174」
監督:ジョゼ・バジャーラ
共同監督:フェリッビ・ラセルダ
(2002年作品・ブラジル)

★★★★(TV)

(映画の感想になっていないので、ご注意あそばせ)

 これは近い将来、多分数年後の話だが、日本は一般庶民にとってとても住みにくい国になる。

 既に「負け組」とか「下流社会」とか「格差社会」というキーワードが浸透している中、今さらかと思うかもしれないが、今後金銭的な格差はさらに広がり、暗黙の了解の下で明確な社会的階層が生まれるに違いないからだ。

 現在、日本は「伊弉諾景気(いざなぎけいき)」を抜いて未曾有の経済的発展にあると言われているが、そんなものは「数字」上のまやかしで、実感のある人はごく僅かであるように思える。

 実際僕自身の生活が豊かになったようには思えないし、それどころか学生時代の方が様々な経済的成長を目にしていたような気さえする。

 例えば学生の方々ならバイト代がそんなに値上がりしない事に気付くだろう。時給700円〜800円という平均的なバイト代、実はこの20年ほど殆ど変動がない。

 かつて50円だったジュースが、ここ30年くらいで80円になり、100円になり、120円になった物価変動から考えると恐ろしく金銭的収入は停滞しているといえる(バイト代の停滞ぶりと同等の物価変動、はチロルチョコレートが今だ1個10円である事くらいしか思いつかない)。

 かつて収入は年々増えていくものだと当然の様に思っていたことは、もはや「夢話」となってしまった。

 また社会人、特にサラリーマンの方々は、今年から始まった「所得税の定率減税半減」、「住民税の定率減税半減」、さらに社会保険料のアップによって年収は増えたのに手取りが減ったという人がほとんどに違いない。

 ハローワークの状況などを見る限り、景気は確かに上向いてはいる。しかし庶民の生活が豊かにならないのは、小泉くんが訴えていた「痛みを伴う」痛みがボディーブローの如く徐々に庶民の生活にダメージを与えているからにほかならない。

 忘れた頃にやってくる「痛み」は、文句を言おうにも、その張本人が政治のトップから去ろうとしているのだから上手くできた話である。

 それでも税収が足りないと考えている政府は、消費税のアップだけでなく、労働時間規制を適用外として会社が残業代を払わないでよいとする「ホワイトカラーエグゼプション」と呼ばれる法制度を取り入れようと画策している。

 これは、いくら働いても時間内だけ分しか給料はもらえないだけでなく、逆に言うと労働組合のないような会社では極端な話、何時間でも残業を強要でき、労働者を「奴隷」並みにこき使えるという法律なのだ。

 これは単なる「夢話」ではない。厚生労働省は来年の国会で関連法案を提出する意向で、出来れば2008年には施行したいだけでなく、経団連が提言している事項でもあることからも、国だけでなく、会社も望んでいる事だと考えた方がよい(詳しくは割愛するので今後の新聞記事などを熟読頂きたい、一応コレ映画レビューなんで)。

 さらにゼロ金利の解除で突然のローン増に苦しむ方々が増えてきているなど、これらだけを考えても我々庶民の生活に対する未来は決して楽観視できない。

 凶悪犯罪の増加や家庭崩壊のあれこれをニュースで見るたびに、日本という国は悪い方向へと向かっていると感じている人は少なくないだろう。

「バス174」は、2000年にブラジルで起こったバスジャック事件の一部始終を撮影したドキュメント映画。

 本作は事件で人質になった人々へのインタビューや、現場にいた警察、マスコミ関係者へのインタビュー、さらに犯人の足跡を知る人物たちの話を織り交ぜる事によって、犯人サンドロが事件を起す経緯を克明に提示し、ブラジルの社会情勢を痛烈に批判している。

 監督は事件の一部始終を検証する一方で、犯人の生い立ちと犯罪者たちの処遇の現状を取材する。

 そこから明らかになるのは、社会が犯罪者を作り出すという構図だ。

 本作がやりきれないのは、犯人であるサンドロが本当は悪い人間ではなかったという事実が提示される事にある。

 彼もまた両親を目の前で殺された犯罪被害者であり、路上生活を経て犯罪に手を染めたという過去が、様々な人々の証言によって明らかにされる。

 更生しようにも更生しようがない社会の現状。持たざるものが決して這い上がれないほどの社会的な格差は、近い将来のわが国のようで末恐ろしくなる。

 驚くべきはその取材力で、若きサンドロの映像を発掘し、過去に起した事件の系譜、刑務所の悲惨な状況などが次々と映し出される。

 もちろん犯罪事自体は間違いだ。それはそれで断罪すべきだし、許されるはずもない。

 一方で社会が犯罪を生む構造を持っていることもまた断罪されねばならない。

 その責任は社会に暮ら人々にあるのか、行政を行う政府にあるのか、犯罪者を野放しにする警察にあるのか、犯罪を行う組織的なグループにあるのか。

 責任の重い軽いはあったとしても、実は全てにおいて間違いが存在している事に、本作の「やりきれなさ」が感じられる。

 犯罪者を退治すればそれでOKという、本来勧善懲悪なハリウッド映画なら万々歳であるこの事件における「結果」が、何とも後味が悪いのはそのためだ。

 よって「バス174」で許されざるものが「犯人」でないと感じてしまう点に、「犯罪被害者」が生み出す「犯罪被害者」という輪廻のような恐ろしさを感じずにはいられない。

 話は日本の事情に戻る。

 政治家たちは「日本には金がない」、「国債がこれだけ増えた」、「財政難だ」と増税を訴え続け、そのたびに我々国民は「将来のため仕方がない」と受け入れてきた。

 しかしいつまでたっても状況はよくなるどころか悪くなる一方。

 テレビに出演する議員は、社会保障を整備しようにもお金が足りないのだから税金から徴収するしかない、とのたまう。しかし一回ならず、これまで何度となく同じ言葉を聞いてきて、何年たっても国の赤字が減らないといわれてもこちらは納得など出来るはずもない。

 例えば家計が赤字になれば食費を切り詰めるなどして一般家庭は苦労をする。行政の無駄使いによって建築された様々な「箱物」の建設時期を見れば、消費税導入の結果が何であったかが一目瞭然といえる。

 よって今後増税したところで、我々の思惑通り使われる可能性は殆どないと言い切れる。

 例えばここまで財政問題があるなら、司法・行政・立法の他に「会計」という機関を設けて、独立した権限のある会計監査を国家予算においても設けるべき時期にきているような気がする。

 2006年の負担増は、本来援助されるべき65歳以上の方々にも重くのしかかっている。

 以下は全て65歳以上の方々が今年一年でうける負担増例だ。

「介護保険料の改定」=「平均900円のアップ」、「住民税の老年者控除の廃止」=「48万円が0円に」、「住民税の公的年金等控除の見直し」=「最低保障額が140万円から120万円に」、「住民税の非課税措置縮小」=「2008年までに段階的全廃」、「70歳以上の医療費自己負担額増」=「2割から3割へ」。

 ここまでくると老人イジメともいえないか。

 ある老人は桁ひとつ違う住民税の増加に仕事を探していると話していた。生活費ではなく、税金を払うために働かなければならないという老年者たちの実情。

 小泉くんはこれに対して「高齢の方は若い方よりも通院する頻度が高いので、負担割合が高くなるのは仕方がない」と発言している。

 ん?待てよ。

 高齢の方は通院頻度が高いからこそ負担額を減らすのが「社会保障」のあるべき姿ではないか?

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」

 昭和天皇は、日本人の美徳をよくわかってらっしゃった、と今さらにして思うばかりだ。




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この記事へのコメント
またきちゃいました☆コメント残しておきますっ♪
Posted by ヵぉ at 2006年07月28日 08:43