2008年08月11日

ジャージの二人

当作品ヘアメイク助手さんは仕事仲間です第608回

★★★(劇場)

(核心に触れる文面あるので、ご注意あそばせ)

「恋愛新党」党首、堺雅人。

 いつも笑顔でいてどこか不敵、しかし、人を惹き付ける何かがある。

 とある撮影でご一緒させて頂いた堺雅人氏、は気さくで常に穏やか。

 撮影の合間も向こうから話しかけてくれ、自己紹介した訳でもないのに名前をすぐに覚えてくれる。その印象はテレビで見るそのままで、演技云々だけでなく、その人柄が「この人とまた仕事がしたい」と思わせるのだと確信させた。

 そんな堺氏は現在深夜のバラエティ番組「恋愛新党」に出演。党首として毎回恋愛に関する演説を繰り広げ、日本の恋愛を救おうとしている。

 撮影がクランクアップした日、我々は堺氏に寄せ書きを渡した。

 そこに僕はこう書いたのだ。

「これを機会に恋愛新党に入党いたします」


「ジャージの二人」は長嶋有の同名小説を映画化した作品。

 グラビアイドルカメラマンの父(鮎川誠)と現在無職の息子(堺雅人)が都会の暑さを避けるべく軽井沢の山荘で過す様子を、ただ、なんかこう、淡々と描いている。

 何も起こらない、何も解決しない、もちろん何も生まれない。

 これが「ジャージの二人」の全てだ。

 否定的に観れば、本作は以前ならとても映画になりそうにもない企画だといえる。いわば粗製乱造で現在の邦画界を駄目にしている「邦画バブル」のおかげで企画が成立したといって過言ではない。

 何も起こらない事を描くくらい映画として無駄な事はない。観客の多くは映画の中で起こる「何か」を期待してスクリーンと対峙するからだ。何も起こらないことに魅力を見出す事は難しい。

 ナラティヴな映画の基本、それは主人公が成長し、問題が解決するという構成にある。

 しかし、「ジャージの二人」には物語らしい物語はなく、登場人物の事情等々は説明されず、会話の端々から想像するしかない。

 不親切といえば不親切だが、日常生活を振り返ったとき、人それぞれに事情があり、それを根掘り葉掘り聞いたりはしない。それは他人を詮索する事はよしとされないからで、相手との会話や発言の端々から諸事情を我々は想像している。

 つまり本作は、日常生活におけるそれを実践し、登場人物の背景をあぶり出して観客に訴求しようと試みているのだが、そういう意味でこの演出方法は成功しているといえる。それを裏付けるように、我々観客は映画が進行してゆく毎に様々な(登場人物たちの)情報を受信し、彼らの人となりを自然と理解してゆく。

 本作が様々な点において説明的でないことは、監督の中村義洋が俳優陣の演技、さらには「画」の力を信じているからにほかならない。

 そんな本作には、サブリミナル的な刷り込みもさりげなく挿入されている。

 例えばジャージの色。

 映画中盤で「三人のジャージ」と化した時、それぞれのジャージ色は「赤」=「RED」、「緑」=「GREEN」、「青」=「BLUE」である。

 つまりこの「RGB」という三原色がテレビモニターのそれと符合し、ビデオ鑑賞というエピソードに数珠繋ぎしている事が伺える。

 また「携帯電話」、「ファミコン麻雀」、「鈴」、など小さなノイズが挿入され、場面転換のカット繋ぎに効力を発揮している。

 特筆すべきは、いっけん無駄で意味の無さそうな小道具やエピソードの数々が映画終盤への伏線となっている点。

「何も起こらない」事を隠れ蓑にしながら、先述のサブリミナル的な刷り込みで観客を欺いている計算高い演出は非常に小憎い。

 大河ドラマ「篤姫」に続き、今年は「アフタースクール」(2008)や「クライマーズ・ハイ」(2008)と完成度の高い作品に名を連ねて波に乗っている堺雅人はもちろん、父親に扮したシーナ&ロケッツの鮎川誠がジョン・レノンの名前を口にする台詞に音楽ファンの心躍らせてくれる。

 何も起こらない本作は、何も起こらないことで何かが変わる瞬間を垣間見せ、こんな作品が出来るなら「邦画バブル」もまんざらではないと思わせてくれるに至る。


 さて、件の堺雅人氏であるが、後日別エピソードの撮影で再会することとなった。

 例によって撮影の合間に話しかけてくれる堺氏。

 カメラの傍でスタンバっている僕に近づき、こう言った。


「公式に入党を認めます」


 彼はそういう茶目っ気ある人物なのだ。


入場特典の謎は劇中明らかになる



 入場特典のジャイアントカプリコ。

 その秘密は劇中明かされるが、食べたくなること必至なので、気の利いた特典であった。


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