2009年07月28日

八咫鏡  【追悼 山田辰夫さん】

10364673.jpg第612回

★★★

(個人的追悼文にてご容赦あそばせ)


「俳優の山田辰夫氏死去」

今夜、ネットニュースのTOPページにそう記されていた。


死因を見て、涙があふれた。

それは、俳優・山田辰夫が「命がけ」であった事を知ったからだ。



「八咫鏡」(やたのかがみ)は、2008年1月に撮影された東京藝術大学大学院映像研究科3期生の学生による90分の長編映画。

残念ながら一般公開はされていないが、「もりおか映画祭2008」などで上映されていて、岩手で自主制作を続けていた十文字香菜子が脚本を書き、監督も手がけている作品である。

もともとは「有名な原作を映画化する」という1年次のカリキュラムによって制作された作品で、原作はトルストイの「イワンイリッチの死」。

これは監督領域教授である黒沢清監督からの課題で、コンペの末、十文字監督がメガホンを取ることになったのである。


原作と比較すれば、「主人公が死に向かっている」という設定以外は殆ど原作を踏襲していないオリジナルな作品になっているといって過言ではない本作。

映画は、法曹界に身をおく主人公が父親の葬儀に立ち会う場面で幕が開ける。

旧家の出自である主人公は父親の後を継ぐように裁判官となるが、体の異変を感じ、自身も父親と同じ病で死んでしまうのではないかと言う恐怖に怯えるという物語。

病に陥って初めて、人生や家族を見つめなおす寡黙な主人公を演じていたのが山田辰夫さんだった。


山田さんはこの作品に参加する際、「こちらはプロとして参加するのだから、学生だからと甘えてもらっては困る」と厳しい姿勢で現場に挑んでいた。


初めてプロの、しかもキャリアのある俳優さんを使う十文字監督は当然の如く現場を仕切り切れず、山田さんの厳しい洗礼を受けていた。

現場の滞り具合に痺れを切らし、山田さんから撮影拒否を受ける場面も度々。

山田辰夫といえば、「狂い咲きサンダーロード」(1980)でのデビュー以降、ただでさえ数々の武勇伝のある俳優さん。

一筋縄でいくわけがない。

そんな厳しさに学生の多くは反発していたが、多少なりとも社会経験を経た僕から見れば、山田さんの提言は当然のことばかりで、自分たちの手際の悪さや甘えを棚に上げているように感じていた。


そう、僕はこの作品に(現場で偉そうに椅子に座り延々とモニターをチェックする)某スタッフとして参加していたのである。


山田さんは、現場だけを見ればただの厳しい親父のように見えるが、実際はそうではない。


休憩中、笑顔で馬鹿話に付き合ってくださるし、腹を割って話せば、とても学生たちの事を思ってくれている事が痛いほど伝わってくる。

それは、こちらが自己紹介せずともスタッフの名前をいつの間にか覚えて、「名前」で呼んでくれていた事からも伺える。

「厳しさ」は、作品を良くしたいがための「厳しさ」であったのだと理解できる。


この映画は山田さんの他にも、烏丸せつこ、松田洋冶、織本順吉、浜田晃、と学生映画とは思えない渋いキャスティングがなされている。


中でも特筆すべきは、1980年に「狂い咲きサンダーロード」、「四季、奈津子」で共に主演デビューし、キネマ旬報で新人賞を獲得した山田辰夫と烏丸せつこという似たキャリアを持った、今やベテランの二人が初めて本格的に共演している点である。

シネアルタというハイビジョンカメラで撮影されたと思えないフィルム的な色調とライティングにこだわった撮影監督の青木穣(20代前半と思えない技術の持ち主也)の生み出した映像美に、二人の素晴らしい演技がアンサンブルを奏で、物語を伝える点で稚拙な部分はあるにせよ、音楽や音響効果の素晴らしさも相成って「八咫鏡」は20代の女性監督が作ったとは思えない重厚さを持ち合わせた作品に仕上がっている。


近年、50代の俳優が主役を張れる作品は少ない。

つまり、大人が主人公の映画自体が少ない、という事だ(その商業的理由については長くなるので、またの機会に)。


そういう意味でも、山田さんや烏丸さんの力の入れようは並大抵のものではなかった。


だから、今から思えば、と思う事がある。


僕や何人かのスタッフが、山田さんが役柄だけでなく、本当に病に蝕まれているのでは?と疑った事が何度かあった。


停滞する撮影に「こっちは本気なんだ!」と山田さんが怒った時である。


山田さんはポツリと「この作品は命がけなんだ」と漏らしていた。


実際、撮影中体調は悪そうであったが、タバコを吸う事が常であったので、どこまでが役柄なのか判り難くもあったのも事実。


山田さんにとって「八咫鏡」は、デビュー作「狂い咲きサンダーロード」以来の主演映画(短編ではWOWOWのJ−MOVIE WARSの1篇、石井聰互監督の「TOKYO BLOOD」(1993)に主演している)。


だから、全てにおいて「本気」だったし、「命がけ」だったのも「本気」だったのだと今になって理解できる。


この役を引き受けてくださった時、「脚本に共感した」と話していたのも、今となっては、である。


劇中、主人公の病は明言されていないが、死に行く恐怖と仕事への責任感、そして家族を想うこと、という物語が当時の山田さんの琴線に触れた事は疑いようもなく、「主演」である作品に対するの重みも、彼自身が一番感じていたに違いないのだ。


編集段階でカットになったが、(恥ずかしながら)僕は山田さん扮する裁判官に裁かれる被告を演じ、素人ながら共演を果たしている。

香盤の都合により共演カット以外は山田さん不在で僕の出演場面を撮影したので、山田さんがエラくカットの繋がりや僕の演技を気にしてくれたのがとても嬉しかった記憶がある。

これも、今となってはとてもいい思い出になってしまった。


山田さんは僕が将来偉くなったら、必ずもう一度仕事をして恩返ししたい、と思っていた方だけに、亡くなられたのがショックで仕方がない。

「あの時は・・・」と笑って話せる日が来ると思っていたのに、もう果たす事ができない・・・それが残念で仕方がない。


どういう縁か・・・手前味噌ですが、この「八咫鏡」は、現在開催されている「OPEN THEATER 2009」というイベントで7月30日に1回だけ上映されます。





OPEN THEATER 2009

「八咫鏡」上映

日時:2009年7月30日(木)13:00〜14:30

会場:東京藝術大学横浜校舎(みなとみらい線馬車道駅下車すぐ)

入場無料




俳優・山田辰夫が命がけで演じた主人公の姿をぜひ多くの方に観て頂きたい!


心からそう思います。



山田辰夫さん、本当にありがとうございました。





2009年7月27日(月)

まつさん 

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