ラオスという小さな国がある。今から20年ほど前、旅行好きの私は単身、この東南アジアの小国を訪ねて行ったことがある。タイ国境の町・ノンカイから小舟で
メコン川を渡って、まだ社会主義体制時代のラオスを見てみたかった。まだソ連崩壊以前の時代で、首都・ビエンチャン市内には旧ソ連の軍人などの姿も目立っていた。当然、ラオス語も分からず、車の運転手に行き先を告げたくても、会話にならず困っていると、その運転手は、村から「通訳」らしき人を連れて来て、何とかしようとしてくれた。ところが「英語」か隣国タイ語の分かる人かと思っていたところ、何と「フランス語」が口から出てきた。フランス語などちんぷんかんかんな自分としてはますます困ってしまったが、考えてみればラオスはフランスの旧植民地だったところ。それでも後は、手振り身振りで何とかビエンチャンの街を見ることができた。1日一緒に行動していると段々、そのラオス人2人の人柄も分かってきて、最後は自分の家に遊びに来てくれという話になった。まさか命を取られることもないだろうと、運転手の家に遊びに行くと、そこはアジアの大家族が待ち構えていて、家族だけでなく、親戚や近所の人まで30人ぐらいが遊びに来てくれる始末。言葉は通じなくても、なんとなく意思は通じるもので、何か日本の歌を歌ってくれと頼まれるなど楽しいひと時を過ごした。そのとき自分が持っていたカメラで撮影したのが、その運転手のご家族に写真だった。その後、タイ国内で仕事をこなした後、日本に帰国した。それから半年が経過し、ラオスのことを忘れかけた時、一枚の手紙が自宅に届いた。見慣れない文字で、どこの国の言葉か分からないので、国際交流協会の知人に見てもらったところ、どうもそれはラオス語で
書かれたもので、半年前に私が、ご家族の写真を撮影して、郵送する約束をしたはずだったが、まだ届かないので、どうしたかと催促するものだったという。
私はつい忘れてしまっていたようだ。早速当時のネガを探し、おわび状と併せて
その写真をラオスに送ることにした。きっとあの家族は1枚の写真をづっと心待ち
にしていたかと思うと、すまない気持ちで一杯になった、写真などあふれている時代になったが、外国の旅人が気まぐれで撮った1枚の写真がそんなにも大きな意味があるかと思うと、写真の存在感の大きさを改めて噛み締めた。