2006年03月05日
ポケモン映画はハマるとリピートしてしまう。
全然タイムリーじゃないんですけれど、劇場版アニメ
『ポケットモンスター ミュウと波導の勇者ルカリオ』
をレンタルしてきて観ました。
子どものために借りてきたのですが、脇で見ていて結構ハマッてしまって。
この映画、今までの劇場版と違って特定の「敵」がいないんですね。
明確な倒すべき相手がいない。
けれど、周囲を取り巻く状況が自分たちにとって危険なものだから、それとは闘わなければならない。
描写のしかたによっては、ただ単に次々とアクシデントが襲ってくるだけの単調なロードムービーになりかねない内容なのに、2時間ちかく観てる人間を惹きつけてくれました。
いつの頃からか、ポケモンの劇場版ってCGが多用されるようになり、なんとなく魅力に欠けてきたような気がしていたんですが、内容的には首藤&湯山の(私にとって)夢のようなコンビで作られた第1作のころと変わっていないのかも、と思いました。
これなら、夏の新作も観てみたいかなぁ……
『ポケットモンスター ミュウと波導の勇者ルカリオ』
をレンタルしてきて観ました。
子どものために借りてきたのですが、脇で見ていて結構ハマッてしまって。
この映画、今までの劇場版と違って特定の「敵」がいないんですね。
明確な倒すべき相手がいない。
けれど、周囲を取り巻く状況が自分たちにとって危険なものだから、それとは闘わなければならない。
描写のしかたによっては、ただ単に次々とアクシデントが襲ってくるだけの単調なロードムービーになりかねない内容なのに、2時間ちかく観てる人間を惹きつけてくれました。
いつの頃からか、ポケモンの劇場版ってCGが多用されるようになり、なんとなく魅力に欠けてきたような気がしていたんですが、内容的には首藤&湯山の(私にとって)夢のようなコンビで作られた第1作のころと変わっていないのかも、と思いました。
これなら、夏の新作も観てみたいかなぁ……
2006年03月04日
ワンワンワールド
「はてラボ」に置かれている「ワンワンワールド」というサービスが面白い、と聞きました。
やってみようかなぁ、と思わなくもないんですが、長続きするかどうか自信がない(汗)
こういう形で会話するというサービス、今までに幾つか経験したものの、大概は途中で投げ出しちゃってるんですよね。
もちろん、そのサービスに参加し続けるのも抜けるのもユーザーの自由なんだから、身構えずに試してみれば良いのだろうとは思います。
でも何故か、どうしても腰が引けちゃうんです(苦笑)
わざわざコミュニケーションするということに興味がないのかもしれません。
もちろん、知り合いとはチャットもしますし、メッセンジャーソフトで会話したりもしますが、知らない人と…という好奇心がないんですね。
自分で自分の世界を狭めている観が無きにしもあらず、という感じです。
あと、自分の時間を縛られたくない、というのがあるのかもしれません。
よく知らない相手とチャット等してるとき、うまく切り上げられないんです(汗)
こっちが悩むほど、向こうは気にしないだろうから、切り上げたくなったら、ちゃっちゃと止めれば良いんだろうとも思うんですが、どうもそのへんがスマートに対処できない。
最近、あちこちで評判になっている『どうぶつの森』(DS)ですが、あれも私には、ちょっと苦手な部分があります。
同じ村に住んでいるともだちが「○時に遊びに行くから」とか、「○時からイベントがあるから」っていう感じで、けっこう時間に縛られている気がするんですよね。
同じソフトを持っている友だちと通信してアイテムを交換できたり、会話ができたり、というのは確かに楽しいと思うのですが、それ以外の部分で、すごく時間に縛られている気がする。
「スローライフ」というのが『どうぶつの森』の謳い文句だそうですが、「○時に何々しなきゃ!」って思わされるのは、なんか「スローライフ」とは違うような気がしてしまいます。
もちろん、そんなの気にせず、おおらかに遊んでいけば良いんだよ、ということなんでしょうけれど(それでこそ「スローライフ」なんでしょうから)、「○時に遊びに行くね」って言われたら断われないし、「○時からイベントするからね」って言われたら行かなきゃいけないような気になるし……
結果、そうした他者とのコミュニケーションを楽しむツール(ゲーム)は敬遠してしまう、ということになります。
でもね。ハマれたら楽しいかもなぁ、とは思うんですよ。
自分の知らない世界が広がるような気もするし。
けれど、どうしても臆してしまって、なかなか踏み切れないんですよね……(苦笑)
やってみようかなぁ、と思わなくもないんですが、長続きするかどうか自信がない(汗)
こういう形で会話するというサービス、今までに幾つか経験したものの、大概は途中で投げ出しちゃってるんですよね。
もちろん、そのサービスに参加し続けるのも抜けるのもユーザーの自由なんだから、身構えずに試してみれば良いのだろうとは思います。
でも何故か、どうしても腰が引けちゃうんです(苦笑)
わざわざコミュニケーションするということに興味がないのかもしれません。
もちろん、知り合いとはチャットもしますし、メッセンジャーソフトで会話したりもしますが、知らない人と…という好奇心がないんですね。
自分で自分の世界を狭めている観が無きにしもあらず、という感じです。
あと、自分の時間を縛られたくない、というのがあるのかもしれません。
よく知らない相手とチャット等してるとき、うまく切り上げられないんです(汗)
こっちが悩むほど、向こうは気にしないだろうから、切り上げたくなったら、ちゃっちゃと止めれば良いんだろうとも思うんですが、どうもそのへんがスマートに対処できない。
最近、あちこちで評判になっている『どうぶつの森』(DS)ですが、あれも私には、ちょっと苦手な部分があります。
同じ村に住んでいるともだちが「○時に遊びに行くから」とか、「○時からイベントがあるから」っていう感じで、けっこう時間に縛られている気がするんですよね。
同じソフトを持っている友だちと通信してアイテムを交換できたり、会話ができたり、というのは確かに楽しいと思うのですが、それ以外の部分で、すごく時間に縛られている気がする。
「スローライフ」というのが『どうぶつの森』の謳い文句だそうですが、「○時に何々しなきゃ!」って思わされるのは、なんか「スローライフ」とは違うような気がしてしまいます。
もちろん、そんなの気にせず、おおらかに遊んでいけば良いんだよ、ということなんでしょうけれど(それでこそ「スローライフ」なんでしょうから)、「○時に遊びに行くね」って言われたら断われないし、「○時からイベントするからね」って言われたら行かなきゃいけないような気になるし……
結果、そうした他者とのコミュニケーションを楽しむツール(ゲーム)は敬遠してしまう、ということになります。
でもね。ハマれたら楽しいかもなぁ、とは思うんですよ。
自分の知らない世界が広がるような気もするし。
けれど、どうしても臆してしまって、なかなか踏み切れないんですよね……(苦笑)
2006年03月01日
『甲虫王者ムシキング』
ひさびさに、すごくスケールの大きな物語だと思います。
TV東京系のアニメ『甲虫王者ムシキング』のことです。
今日の放映が、おそらく最終回の一歩手前ぐらいだと思うんですが、このラストに向けて今までのストーリーが展開されてきたんだなぁ、ということを、こんなにしみじみと思わされるアニメって久しぶりのような気がします。
最近、あまり真面目に視てたアニメってないんで、ひょっとしたら他にも佳作があるのかもしれませんが、私が意識して視てたアニメのうちでは、大作という感じを受けました。
人気ゲームのアニメ化と云うことで、最初はそんなに期待していなかったんですが、何の何の。
本格的なファンタジー、というか、異世界物語として、しっかりと作られていると思います。
レンタルショップに、どんどんDVDが入ってきているので、借りてきては最初から鑑賞しているんですが、こればっかりは自前で持っていたい感じ。
春のゲームラッシュが終わったら、予算を組んで考えようかなぁ。
こういう物語を、いつでも好きなときに視ることができるっていうのは、結構しあわせなことじゃないかと思うので……。
TV東京系のアニメ『甲虫王者ムシキング』のことです。
今日の放映が、おそらく最終回の一歩手前ぐらいだと思うんですが、このラストに向けて今までのストーリーが展開されてきたんだなぁ、ということを、こんなにしみじみと思わされるアニメって久しぶりのような気がします。
最近、あまり真面目に視てたアニメってないんで、ひょっとしたら他にも佳作があるのかもしれませんが、私が意識して視てたアニメのうちでは、大作という感じを受けました。
人気ゲームのアニメ化と云うことで、最初はそんなに期待していなかったんですが、何の何の。
本格的なファンタジー、というか、異世界物語として、しっかりと作られていると思います。
レンタルショップに、どんどんDVDが入ってきているので、借りてきては最初から鑑賞しているんですが、こればっかりは自前で持っていたい感じ。
春のゲームラッシュが終わったら、予算を組んで考えようかなぁ。
こういう物語を、いつでも好きなときに視ることができるっていうのは、結構しあわせなことじゃないかと思うので……。
2006年02月26日
すごく解りやすい表現だと思ったこと。
昨日の記事に「コメントに書ききれなかったから」とトラックバックを打ってくださった方があり、そちらを拝見してきました。
「はてな」について、こんなふうに感じられるということが書かれてまして。
「そのどんな機能があるのか」を知るための目次が本文と同列に埋もれてて、目次を探すために本文全部めくらなきゃわからないような感じになっています。
なるほどなぁ、と思いました。
そうなんですよね。
まず目次に辿り着かないことには、自分が「何を使えるのか」ということすら判らない。
それは「使い方」以前の問題だと思うわけです。
この記事を書かれた方もおっしゃってることですが、何も知らない人間を「はてな」の目的の場所まで導くのって、すごく難しいと思うんです(苦笑)
私も、まだ「はてな」に登録する前、家人から「ぼくのブックマーク見てみたら良いよ」って言われて、探しにかかったんですが、自分ではよく判らなくて。
「○○ってとこを押したら、××って画面が開くから」とか言われても、そのとおりに出ないし(汗)
という感じで、ずいぶんと苦労したことを憶えています。
考えてみたら、そのときかなぁ。
「こいつ(=家人)は楽々と使ってるみたいなのに、なんで私はこんな苦労しなきゃいけないんだろう。
楽に使えて便利そうに見えるのに、なんで私にはできないんだろう?」
と思ったのは(笑)
そのときから私は「負けない」って感じで「はてな」に相対してたのかもしれないです。
……動機としては不純だと自分でも思います……(汗)
「はてなダイアリー」で使われている「はてな記法」については、他の「ダイアリー」を見ることで、こんなこともできるらしい、あんなこともできるのでは、という推測もできるのですが、ブックマークやアンテナなどの機能を使いこなそうとすると、自分で見つけなければいけないことのほうが多いと思います。
そういう場合、「どこ」を見たら「何」が判るのか、その段階から蹴躓くのは、あまり愉快な話ではありません。
せめて、そこの段差だけでも低くしてもらえたら、と思う次第です。
私の場合、「はてな記法」については、便利な部分と、そうではない部分があるだろうな、という感触を持っています。
「はてな記法」に慣れたとしても、どの機能(記法)を「使う・使わない」を決めるのは、ユーザーだ、とも思いますし。
「はてな記法」を使わないなら「はてなダイアリー」を使う必要はない、というのは暴論でしょう。
ちょっとした機能(文字修飾等)が使いやすいから「はてなダイアリーを使う」という選択肢があっても構わないと思うんです。
それらが、html.形式で表現できる事柄ばかりであったとしても、です。
そういうユーザーが、次の一歩を踏み出してみたいな、と思ったとき、最初の足を掛ける段があると良いのになぁ、というのが、私の思うところです。
自分でも「何が解らない」のか判っていないなぁ、という自覚は常にあります。
「はてな」に対して、もっと○○だったら良いのに、とは思うんですけれど、肝腎の「○○」に、どんな言葉を当てはめたら自分の要求を表現できるのかが判っていないというか(苦笑)
「こんなこともできるんだ」って自分で気づいたとき、そこに到るまでのルートを「こうやって舗装したら良いのでは」と言えるかもしれません。
「はてな」には、ユーザーの声を聞くためのシステムというか、制度もきっちりとあるみたいですし、自分で自分の不明点がちゃんと解ったとき、そういうことを言ってみようかなぁ、とも思います。
「はてな」について、こんなふうに感じられるということが書かれてまして。
「そのどんな機能があるのか」を知るための目次が本文と同列に埋もれてて、目次を探すために本文全部めくらなきゃわからないような感じになっています。
なるほどなぁ、と思いました。
そうなんですよね。
まず目次に辿り着かないことには、自分が「何を使えるのか」ということすら判らない。
それは「使い方」以前の問題だと思うわけです。
この記事を書かれた方もおっしゃってることですが、何も知らない人間を「はてな」の目的の場所まで導くのって、すごく難しいと思うんです(苦笑)
私も、まだ「はてな」に登録する前、家人から「ぼくのブックマーク見てみたら良いよ」って言われて、探しにかかったんですが、自分ではよく判らなくて。
「○○ってとこを押したら、××って画面が開くから」とか言われても、そのとおりに出ないし(汗)
という感じで、ずいぶんと苦労したことを憶えています。
考えてみたら、そのときかなぁ。
「こいつ(=家人)は楽々と使ってるみたいなのに、なんで私はこんな苦労しなきゃいけないんだろう。
楽に使えて便利そうに見えるのに、なんで私にはできないんだろう?」
と思ったのは(笑)
そのときから私は「負けない」って感じで「はてな」に相対してたのかもしれないです。
……動機としては不純だと自分でも思います……(汗)
「はてなダイアリー」で使われている「はてな記法」については、他の「ダイアリー」を見ることで、こんなこともできるらしい、あんなこともできるのでは、という推測もできるのですが、ブックマークやアンテナなどの機能を使いこなそうとすると、自分で見つけなければいけないことのほうが多いと思います。
そういう場合、「どこ」を見たら「何」が判るのか、その段階から蹴躓くのは、あまり愉快な話ではありません。
せめて、そこの段差だけでも低くしてもらえたら、と思う次第です。
私の場合、「はてな記法」については、便利な部分と、そうではない部分があるだろうな、という感触を持っています。
「はてな記法」に慣れたとしても、どの機能(記法)を「使う・使わない」を決めるのは、ユーザーだ、とも思いますし。
「はてな記法」を使わないなら「はてなダイアリー」を使う必要はない、というのは暴論でしょう。
ちょっとした機能(文字修飾等)が使いやすいから「はてなダイアリーを使う」という選択肢があっても構わないと思うんです。
それらが、html.形式で表現できる事柄ばかりであったとしても、です。
そういうユーザーが、次の一歩を踏み出してみたいな、と思ったとき、最初の足を掛ける段があると良いのになぁ、というのが、私の思うところです。
自分でも「何が解らない」のか判っていないなぁ、という自覚は常にあります。
「はてな」に対して、もっと○○だったら良いのに、とは思うんですけれど、肝腎の「○○」に、どんな言葉を当てはめたら自分の要求を表現できるのかが判っていないというか(苦笑)
「こんなこともできるんだ」って自分で気づいたとき、そこに到るまでのルートを「こうやって舗装したら良いのでは」と言えるかもしれません。
「はてな」には、ユーザーの声を聞くためのシステムというか、制度もきっちりとあるみたいですし、自分で自分の不明点がちゃんと解ったとき、そういうことを言ってみようかなぁ、とも思います。
2006年02月25日
ばよえ〜ん!
まさに心洗われる一文でした。(こちらの記事にて発見)
ユーザーインターフェイスを考えるときに、ユーザーの「順応性が良い」ことを期待してはいけない。
私が感じていたのは、言葉にすると、こういうことだったのかもしれない、という気がします。
多少なりとも興味を持ったり、面白いと思ったりしたことでなければ、それについて「識りたい」とか「学ぼう」とか思えないんじゃないでしょうか。
私は「はてな」に対して、「こんなに時間使ってんだから、ちっとは使えるようにならなきゃ損だ」という損得勘定で挑んでる訳なんで、あんまり純粋な「学習意欲」とは云えませんが、もうすこし敷居が低かったら「いろいろやってみよう」と思うまでにかかる時間を節約できたんじゃないかな、と思います。
だから、この一文を書かれた方が紹介してくださってる本を読んでみようと思います。
そうしたら、「自分自身が、何が解らなくて困っているのか」、「どのように教えてもらえば理解できそうなのか」ということを、相手に伝えられるような気がしますから。
ユーザーインターフェイスを考えるときに、ユーザーの「順応性が良い」ことを期待してはいけない。
私が感じていたのは、言葉にすると、こういうことだったのかもしれない、という気がします。
多少なりとも興味を持ったり、面白いと思ったりしたことでなければ、それについて「識りたい」とか「学ぼう」とか思えないんじゃないでしょうか。
私は「はてな」に対して、「こんなに時間使ってんだから、ちっとは使えるようにならなきゃ損だ」という損得勘定で挑んでる訳なんで、あんまり純粋な「学習意欲」とは云えませんが、もうすこし敷居が低かったら「いろいろやってみよう」と思うまでにかかる時間を節約できたんじゃないかな、と思います。
だから、この一文を書かれた方が紹介してくださってる本を読んでみようと思います。
そうしたら、「自分自身が、何が解らなくて困っているのか」、「どのように教えてもらえば理解できそうなのか」ということを、相手に伝えられるような気がしますから。