マルテの手記/ライナー・マリア・リルケ音楽と文学の対位法/青柳いづみこ

2018年04月16日

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし/エステルハージ・ペーテル

なんとか読んだ。
前に読んだクラウディオ・マグリスの『ドナウ』の解説での紹介されていた反マグリスなドナウ本である。最初の数ページで、これは好きなタイプの作品だ、と確信することはしばしばあるが、先へ進むにつれてそれが間違っていたことが判明するということもたまーにある。大好きなおじが家を追い出されるのに伴っての突然の旅の始まり、種々の作家によるドナウ言説の引用、「混迷と、未知の複雑な秩序とは、どこがどうちがうっていうんです?」「何かになるということは、なんと悲惨なことでしょう!」といった気の利いた台詞回し、クンデラを期待したわけでもないが、なにか面白い小説にちがいないという最初の50ページまでのわたしの期待は、読み進めるにつれて溶解していった・・・
ドナウ川紀行(それもプロの旅行者として依頼されたとかいうメタ小説的な設定)に、突然に姿をくらましたおじの失踪の真相の探求(子供だった語り手には分からなかった政治的な理由)をからめるという、小説的な設定が準備されているのだけど、結局そういうものでもなかった。ドラマの面白さみたいなものも、ない。もう前衛すぎるというか、ハイコンテクストすぎるというか。エキセントリックな文章は、ときにウィットやポエジーもあるのだけど(マグリスと会うところとか楽しいのだけど)、しばしばそれを通り越して、(ブローティガンもキャロルも通り越して)、コンテクストを理解しないものにとっては(そういうものがあればの話だが)ほとんどナンセンスだし、(ヒトラーがフナ料理を食いたがる小劇とかなんか意味あるんか?)、おびただしい(主に)ハンガリー人の人名は、分からないし、注をいちいち参照する気にもなれない。まあ(中央ヨーロッパについてほとんど予備知識もないわたしのような読者には)不親切な作品というほかない。ドナウ本と謳いつつ、俯瞰的なマグリスとは違い、極端にハンガリーに集中しているし、カルヴィーノの『見えない都市』風にブダペストを語るという、そこを一番やりたかっただけちゃうんかと思えてしまう。著者は正真正銘の貴族であるが、がゆえのナチュラルなわがままさが発揮されているのだろうか、解説に引かれている著者の「引用したものはおれのもの」理論も笑える。とまれ、わたしにはよく分からない本だった。

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)
ペーテル エステルハージ 早稲田 みか

松籟社 2008-11-30




mdioibm at 10:49│Comments(0) 読書録 

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