職業としての小説家/村上春樹饗宴/プラトン

2018年06月06日

島とクジラと女をめぐる断片/アントニオ・タブッキ

毎度さしたる手ごたえもなく読み終えてしまうのに、なぜだかまた別の本を手にとってしまう。というのが、わたしにとってのタブッキなのだが、めったにない文庫化ということもあって見過ごせなかった。さてあいかわらずのタブッキだなというか、つかみどころのなさという点ではこれまで読んだうちでもトップクラスなのだけど、それこそがタブッキの芸風であるのならば、もっとタブッキらしさの出た本ということになるかもしれない。

ポルトガルはリスボンからまっすぐ西に1450キロほどに位置する九つの島から成るアソーレス諸島、
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そこをおとなったことがこの本の成立のきっかけだろうが、「まえがき」でまっこう否定するように率直な「旅行記」ではもちろんなく、旅行記あり、短編小説あり、空想あり、随想あり、ご当地の詩人の人生のスケッチあり、先達たちの引用多数、アソーレス諸島をひとつの詩的トポスとしてよせ集まった、種々のスタイルの断片的な散文集、である。気ままに自由に書いたらそうなったという風でもあるが、やはり周到な文学的意図みたいのもあるのかもしれない。いっそまったくプロットのないぶん、タブッキの断片性の詩学がよく発揮されているということだと思う。

とりわけタブッキをひきつけたのは、彼の地で伝統的に行われてきた捕鯨文化であり(『白鯨』にもアソーレス出身の漁師が腕がいいとかいった記述があるようだ)、なんでそれに興味を持つのかと漁師に問われたタブッキが答えることには「たぶん、あなたがたは、あなたもクジラも、まもなく消えてしまう種族だからじゃないでしょうか」とくる。そもそもアソーレス諸島自体がどこか確固とした存在感のない場所で、というのは「たえまない地震活動の結果、アソーレス諸島はかなりな変遷をとげ、無数の島が浮上し、あるいは消滅した。これに関してもっとも興味深い事項が、イギリスの《サブリーナ》の艦上から一八一〇年に小さな島の誕生を観察した館長ティラードによって記録されている。彼はこの島に二人の水平にイギリス国旗を持たせて上陸させ、これをイギリス領におさめたというので、《サブリーナ》と命名した。だが、翌日、錨を上げる直前、残念なことに、ティラード船長は、サブリーナ島が消えてしまって、海はもとのように穏やかになっていることを確認しなければならなかった。」なんてこともあったようで、そういう存在感の希薄さをして、つまりその場所が喚起する象徴性をして、タブッキをこの地にひきつけたのには違いなさそうだ。

あいかわらずはっきりと確言できる手ごたえがあったわけではないのだけれど、わたしはたぶんこの本はけっこう好きだ。個別に言えば「アソーレス諸島のあたりを徘徊する小さな青いクジラ」と「捕鯨行」がとてもいいし、あとがきがクジラ目線なんてとこも気が利いているし。形式を定めないことからくる風通しのよさが好ましい。

島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)島とクジラと女をめぐる断片 (河出文庫)
アントニオ タブッキ Antonio Tabucchi

河出書房新社 2018-03-03




mdioibm at 20:51│Comments(0) 読書録 

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