実録・躁うつ病

これが、躁うつ病のリアルです。

2013/01

引きこもりLOVE

週3回ヘルパーさんが来てくれることになった。食事や掃除、洗濯などを2時間ほどしてくれるそうだ。いよいよ外食生活から自炊生活に変わる。そして、本格的に障害者としての人生を歩み出す。

自炊生活になると、引きこもりになるだろうな、と漠然と想像する。今も、食事の時以外はほとんど外出しない。お金もないし、お金を使いたいとも思わない。いよいよ世界の景色が変わる。そう思う。

それにしても、どんなヘルパーさんが来るのだろうか。うまくやって行けるだろうか。私は外面とは逆に、気難しい人間だ。訪問看護ではない。居宅介護だ。病気の話を相談することは出来ない。この話を友達にしたら、サボリだと笑われた。いや、それは違う。私は障害者と認定されているのだ。鬱の時は着替えも出来ないのだ。人を見た目で判断してはいけない。

引きこもりが出来るというのは嬉しいことだ。着替えなくて良い。お金もかからない。楽だ。人生、楽なのが一番だ。ああ、一日もしないうちに思いが変わる。これも症状だ。ブログを書くというのも、きっと症状だ。

昔は「生かされてる」という言葉が嫌いだった。とても卑屈な言葉だと感じていた。しかし、今、生きる価値の無い私がここにいる。それでも生きている。「なぜ、生かされているんだろう?」と、不思議に思う。理由はわからないが、何か理由があるのではないかと思ってしまう。

今日は朝から何も食べていない。喫茶店でアイスコーヒーを飲んだだけ。食欲がない。ピンと来る食事を思いつかない。昨日は「活動性」などというカッコイイ言葉を口にしながら、その後すぐに気分がエアポケットに入って横になった。症状だ。生きていることのすべてが症状だ。

実家で療養している時は、1週間外に出ないこともあった。多分、着替えもしなかった。また、引きこもりが可能になるのかと思うと、少し嬉しい。俺にはそれがお似合いなのだろう。きっとそうだ。

毎日の楽しみ。行きつけのカフェで大好きな店員さんの顏を見ること。アイスコーヒーを飲むこと。メル友との毎日のやりとり。10年以上別居している妻との1日30秒未満の電話。ブログは楽しみというよりも暇潰しだろうか。

それにしても、どうして私は「ニート」とか「引きこもり」という言葉に惹かれるのだろう。一般世界で傷ついたという経験からだろうか。潜在意識のレベルで、一般世界を怖れているのだろうか。恐怖を克服できなかった憐れな人生。そして、障害者になった一人の男。作家になるというのもまた、病的な妄想だったのだろうか。

呪い。私は何かに呪われて生きてきたようにも思う。その呪いに抗って生きてきたように思う。私は、呪いが解ける日を待ち望む。意地悪な神ではなく。

父の回想

最近、父と接触する機会が増えている。食事をしたり、電話をしたり。父は母とは違い、今の私に関心を持っているようだ。今日は電話で面白い話を聞いた。

私は中学1年の頃、短期間だが不登校になった。いじめもあった。地方の公立中学。生徒も教師も私には合わなかった。父はこの時の私を精神病だと思っている。しかし、母が医者に診てもらうことに反対したのだと言う。真偽はわからない。ただ、この頃すでに、父は母と離婚したかったようだ。その後10年以上経て父は家を出、さらに数年かけて離婚に漕ぎつけた。そこには父の強い意思を感じる。

はて、中学1年の頃のことをほじくり返すメリットは感じない。むしろデメリットが大きいだろう。しかし、このブログの目的は一患者の克明な記録なのだ。逃げずに書いてみたい。

中学1年。成績は優秀。ただ、性格は異常だった。精神病領域の病気だったとは思わない。父は医者に診てもらっておけばというが、私はそうは思わない。当時の精神科医療など、今以上に信用できたものではないと思っている。さて、性格がどう異常だったのか。どこかで私は絶対者だという感覚があった。教師も、多くの同級生も心の底で見下していた。別世界の人々だと思っていた。仲間意識とか、協調性とか、共感というものが無かった。しかし、それは1年生の時だけだった。2年生では仲の良い友達もでき、それなりに楽しく過ごしていた。

おかしくなったのは、中学3年の2学期だろう。勉強が手につかなくなった。うつ傾向。喘息の発作。進学問題。学校に行くのが再び嫌になった。喘息と受験を理由に、中学3年の3学期は1日も学校に行かなかった。これが決定的な失敗だったと思う。引き籠りから、うつ状態になったように思うのだ。

そして高校への進学。この時はうつ状態だったように思う。再び不登校になった。正確には、不登校ではなくうつ状態で登校できなかったのではないのか。しかし、あることをきっかけに、うつは改善され、高校に行かずにアルバイトや遊びに夢中になる。高校を3年で卒業できないことが分かった時、大学入学資格検定試験を受けることにした。単位を取っていなかったので、ほぼ全教科を受けたが試験は簡単であり、1回で合格出来た。

家庭では父が不在だった。夜遅くまで帰って来ないので顏を合わせることも話をすることもなかった。母は家にいたが、会話は無かった。話をしたくもなかった。私は事実上、家族を体験していないのだろうか。

どこで私は精神病になったのか。より具体的に言うと、いつ「妄想による異常行動」が起きたのか。父は12歳の時だと言うが、私は18歳の時だと思っている。しかし、妄想も異常行動も一時的なものでしかない。いたって普通の大人しい青年。それがなぜ、突然狂うのか。そこには特異な性格が大きく関与しているように思うし、その特異な性格を形成したのが、特異な環境であることは間違いないだろう。

病気かどうかを決めるのは私でも父でもなく精神科医だ。それにしても、私はそれ以降、時々、社会人でありながら妄想を伴う異常行動をしている。にも関わらず38歳まで精神科を受診することはなかった。周囲は私の特異性を性格として処理してくれていた。

今、父は私のこのブログを読みたいと言う。母は絶対に読まないと言う。私は製本して親戚中に送りつけようかと思うことがある。無念というのではない。何度も書いているが、私はこの奇妙な人生に愛着を感じているのだ。そして、母への恨みを合法的に晴らしたいのだ。

いい歳をして馬鹿なブログを書いているな、とも思う。しかし精神科に通院して薬を飲むようになってから、実際にどんどんと馬鹿になっているのだから仕方がない。記憶があるうちに書いておかなければならない。私は愛を知らなかった。今はどうなのか。そして、これから愛を知ることはあるのか。今ふと、そんなことを思った。

活動性

鬱とは心身のエネルギーを失う病気だ。躁うつ病の私に対して、医者は若干うつ気味で維持して欲しいと言う。この、若干が曲者だ。主観的な見方と、客観的な見方の差。患者本人には納得の行かない日々。しかし、意思の力は、あまり役には立たない。問題はエネルギーの不足なのだから。

リスパダールを減薬し、今年になって何とか主体性を奪還した気分になっている。しかしまだエネルギーが足りない。次のキーワードは「活動性」だ。喜びとか楽しみというやつは、活動の中からしか生まれないからだ。

結局、昨日は寝つけず、夜半過ぎにデパケンとリスパダールを飲んだ。起きたのは10時過ぎ。不思議な夢を見ていた。眠りが浅いのかもしれない。

今日は歯医者とヘアサロンの予約をした。久しぶりに窓を開けた。それだけでも少しは活動的になったと言えるのだから、鬱の惨状は容易にご想像いただけると思う。

活動性。それは回転する独楽の力に似ているように思う。サラリーマン時代、活動の軸は仕事だった。今は軸がない。これからは生活が軸になるのだと思う。

おひとりさま、という言葉がある。いったい誰がそんな言葉を作ったのか。いや、そんな時代を築いたのか。虚しさで、やりきれなくなる。この半年以上、私の気分は社会の外側にあった。浮浪者のような格好でオシャレな街を歩いても平気だった。しかしそろそろ、世の中に戻ろうか、そんな気分になっている。

一般社会と障害者世界を分ける必要もない。一般社会と言っても、そこは混沌としていて、いろいろな考え方がある。障害者であることを隠す必要もないし、そこに引け目を感じる必要もない。私の場合も、こだわり過ぎなのかもしれない。

いま、何をすることが一番大切なのか。理性はそれを判断する。しかし、感情がついて来ない。行動がついて来ない。新しい世界に慣れるには時間がかかるのだ。明日が見えないのは普通のことなのだ。だから今日を精一杯生きてみる。

最終手段はアルコール

鬱だ。医者が何と言うかは知ったことではない。まあ、100人中100人の医者がアルコールは駄目ですと言うことくらいは分かっている。特に薬と一緒に飲むのは危険だ。だから薬はやめた。楽しくも嬉しくもない時間が続き、心身のエネルギーが湧き出ない状態。寝ているだけでも苦痛なのだ。そう思って今日は勝負に出た。

釜飯にした。牛タンのやわらか煮も美味かった。そして「黒竜」という清酒を二合いただいた。良い感じだ。もう、こうなったら脳に物理的な刺激を与えるしかない。ニューロンの発火パターンを変えるのだ。特にホロ酔いというところまでは行かないが、この軽やかな文章。昨日とはだいぶ違うと思う。流石に酒は百薬の長だ。もっとも、これからどうなるのかという不安はある。明日の朝、激しい鬱になっている可能性もある。しかし、未来なんて関係ない。今がすべてだ。どうだ、参ったか・・・。

身体が火照ってきたので、今、シャツを脱いだ。実は、お姉さんのいる店に行くことも考えたのだが、性欲が死んでいる現状ではお金がもったいないと思ったのだ。おいおい、本当に鬱だったのか、という疑問を持つ方がいるかもしれない。まあ、他人には言って分かる話でもない。好きに想像して欲しい。

アルコールは気まぐれだ。去年は寿司屋で二合飲んだ途端に疲れが出て倒れ込んだ。この疲れは、2、3日尾を引いた。アルコールが脳を刺激することは間違いない。ただ、プラスに出るかマイナスに出るかが分からない。これは運なのだろうか。

デザートにわらび餅まで食べた。カウンター席の隣に座った老夫婦が妙に紳士淑女に見えた。時間が動き出した感じがする。そうなのだ、鬱の時は時間が止まっている。例えば8時間、呼吸以外何もしないことも珍しくない。
今はどうだ。酒を飲んだ今はどうだ。楽しくブログを書いている。酔っぱらってはいないが、俺は生きている。

それにしても、このブログに、こんなにふざけた文章を書くのは初めてだと思う。アルコールは安上がりだ、博打や女(男)より絶対に良い。いやー、止まっている時間はいらないんだよ。起きている限り活動していないと意味がない。昼から横になっているのが鬱状態。それは生きている時間にカウントされないと思う。

主体性を取り戻したことの意味。それが今日の飲酒だろうか。すべては自己責任。それで良い。

脳内空模様

今日は朝から快調だったのに、午後3時頃、急に気分がどんよりとして立ち直れなくなった。何とか帰宅し、ソラナックスを飲んだが効果がない。すぐに横になった。

気分がどんよりすると身体も動かなくなる。何も出来なくなる。誰でも気分の変動はあるのだろうが、それが常識の範囲を超えると、気分障害という病名がつく。

今日の突然のどんよりにも、きっかけとか、理由は何もない。ただ、頭の中の天候の変化。これが曲者なのだ。

いつも笑顔の人を見ていると素敵だな、とは思う。きっといつも頭の中が晴れているのだろう。それが努力の賜物だとはまったく思わない。たまたま、そういうDNAを持っていて、環境にも恵まれた運の良い人。人生は不公平だとぼやいてみようか。

脳内空模様は意思や努力では変えられない。自然を前に無力な人間と同じだ。空模様は医者にも見えないし、予測もできない。薬で空模様を変えられるのか。それも分からない。

この一年、純粋に楽しいとか嬉しいという感情が生まれていないように思う。リスパダールが減って少しだけ射精が可能になったが、何と快楽を伴わない。笑顔がない。寂しそうだと言われる。疲れているようだと言われる。

どうやら、私の脳内は異常気象が続いているようだ。原因は10年を超えて服薬している精神病薬の影響ではないのか。もう、正常には戻れない気がする。暗いブログで申し訳ない。もう、眠るしかない。
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きょうげつ

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