狂月日誌

旧「実録・躁うつ病」。躁うつ病のリアルを書いていたのだが・・・

2018年01月

月に一度の贅沢は

今日は「4度目の運子」という素晴らしいエントリーを書いたのに、コメントがつかなければ、アクセスも伸びない。

昼、ヘルパーが遅刻しますと言って電話してきた。私は事務所にキャンセルの電話をした。あの、ヤンキー・ヘルパーさんの顔を見ることはもうないだろう。正直、ホットした。風呂に入った。昼食はカレーパン1個。(180円)それから、K氏を誘って、月1回の贅沢、鳥貴族に行った。アルコールはやめた。この勢いでタバコもやめたい。18時8分のバスで帰宅。約束の「かわ塩」にも感動が乏しい。脳内物質の問題だろうな。

インヴェガにしてから、少し頭が軽くなった気がする。それが良いのか悪いのかは分からない。セロトニンにどう作用しているかだ。ちょっと調べてみるか。

うむ。これは詳しい。良いサイトだ。

http://cocoromi-cl.jp/about/major-tranquilizer

4度目の運子

朝、8時半に起きた。うんこ1本。追加でうんこ。喫茶店に行きまたうんこ。銀行とコンビニに行き帰ってまたうんこ。4度目だ。どうなっているんだ。体重は88まで減ったと思われる。

ミクシで私のエッセイにコメントがついた。「感情をコントロールすることが人間を磨くことだと思う」という趣旨だ。知性ではないんだな。そして俺は感情障害だ。これは治さないといけないね、と思った。

因みに、エッセイのタイトルは「活動から存在へ」だ。原題は「活動に対する存在の優位」

幸福の源泉は活動から生まれる喜びだと言われる。活動とは、製作、スポーツ、演奏、演技、ゲーム、料理、創作、などなど何でもよい。熱中し没頭できる好きなことをやる。真の幸福はこうした活動からしか得られないとまで言う人もいる。

もちろん活動自体が楽しいだけでなく、ある程度の成果が出ると評価されるし、仲間との交流も生まれるだろうし、称賛をあびることもあれば、報酬が生まれることもあるだろう。活動することの内在的な喜びと共に、外在的な喜びを得ることもあるし、それもまた一つの目標になる。

ただ、だれもが活動の対象を持てると言えるだろうか。楽しみを見つけられない人はたくさんいる。実は私もその一人だ。昔はいろいろな楽しみがあったが、ある障害を抱えることとなり活動すること自体が難しくなってしまった。まあ、それでもこうしてブログを書くという活動を楽しめているのだから重症ではないだろう。しかし、本当に何もできない人というのは少なくないのだ。そういう人に活動を奨励するというのは、時に残酷なのではないのか。ふと、そんなことを思った。

はたして喜びは活動からしか生まれないのだろうか。そこで考えられるのが、存在していること自体に喜びを感じるということだ。これは、自分自身の人間性に対する信頼から生まれるものだ。優しさや、寛容といった人間としての在り方に自信を持つこと。そして、失われた活動に対する挫折感や敗北感を捨てること。そうして存在自体に自信が持てるようになれば、生きているすべての時間から満足が得られるように思う。

また、この存在自体への自信は、活動できる人にとっても大切なことだと思う。活動する人自身が素晴らしい存在であるならば、その活動もまた輝きを増す。

活動と存在、どちらが重要かと言われれば私は迷うことなく存在だと答える。自分が出来ていなひとが活動で成功することは珍しくない。しかし、私は人を活動だけでは絶対に評価しない。たとえ功績や成果が無くとも、人間としてどうか、ということが一番大事なことだと考えるからだ。

まずは人間を磨こう。この言葉は私自身に対する励ましだ。誰に対しても開かれた態度をとること。優越感や劣等感と無縁であること。できるだけ優しく、寛容であること。どうやら課題は山のようにある。

動物たちを見よう、彼らは何も生産的な活動をしていなくても、生きている瞬間、瞬間において満たされているように思う。生きるとは本来、ただ生きているだけで満たされているという状態ではないだろうか。生きるということに、価値も、意味も、比較もいらない。まずは今、満たされていると感じること、自然な状態を感じることだ。これこそが活動に対する存在の優位であり、この基盤を持たない活動はすべて虚しい。まずは今を楽しもう。それが寝たきりであっても、介護を受けている状態であってもかまわない。自然でありさえすれば、狂った価値観に汚染されていなければ、それは常に可能だ。今という瞬間には再現性がない。今ここを生きる。今ここに喜びを感じる。それが活動に対する存在の優位。


(2013年7月)


こんな素晴らしい文章が書けたなんて、信じられない。

思い出させてくれてありがとう。コメント氏。

素振りで精神病を治そう

今日も地活に行った。まったり。五目並べは快勝。81DOJO(将棋)は2連敗。みんなは卓球。残ったのは自称売れ残りの別品さん。お話ししましたよ。

夜はKH氏とゲーム。ブログやワードプレスのことを少々。その後、グーグルアナルティクスの設定。で、いろいろあって、今一人。

今、進行しているのは「素振りブログ」。書いているのはKH氏。惑星スイングで検索すれば出て来るよ。で、これから考えているのが、私がバットの素振りを趣味にして、素振りで精神病が治ったというコンテンツを作ること。うまいコンテンツが出来てプロモーションがうまく行けば大金が手に入るはずだよね。あれ、躁転か。

ああ、寝言だな。行動しないと。それとも療養に専念して自重か。それにしても、お金が無いと動けないね。今日はシャケ弁当。おやすみなさい。

昨夜は喚かなかった

昨夜は点滴をして帰り、夕食はまたコンビニおにぎり。ベルソムラとユーロジンを飲んだのが午後9時。10時には寝ていたようだ。

昨夜は喚かなかった。喚くのはリスパダールの副作用なのかもしれない。バカになる。自我が消える。喚く。それでもリスパダールが好きなのは、もう壊れてしまいたいと思っているからかもしれない。永久入院願望が、どこかにある。

やりたいこと。気持ちと身体がついて行かない。好奇心もない。やることがない。回復はあるのか。無いのか。分からない。

今日は、いつになく落ち着いている。それでも地活に行くのだろうな。夜はKH氏が来るので、少しは部屋を片付けないといけない。帰ってからかな。いや、片付けてから出掛けようよ。どうしよう。

何かやることを見つけないとな。と言いながら、好奇心がないで逃げる。障害者だからで逃げる。俺は現実から逃げている。逃げるのは悪いことではない。ただ、逃げるのも限界がある。限界を超えると喚く。

研究所と心中かな。

精神科・お誕生日会・内科

午前、精神科通院。いま、リスパダールをやめてインヴェガに切り替えている途中だ。今日はリスパダールが1日2mlの処方になった。頓服でもらえないかとお願いしたが却下された。診断は鬱。入院は必要なし。脱・高プロラクチンが狙いなのだが、薬学的には逆行しているように思う。インヴェガはリスパダールの代謝物なのだから、余計、容易にD2と結合するだろう。まあ、いいか。

その足で、地活へ。着いたのは12時前。今日は私の誕生日会だ。いや、正確には、1月生まれの人の誕生日会かな。えらい違いか。お祝いされるということで、食事もケーキもタダ、これが日本型資本主義の福祉の素晴らしさだ。エイヤー。

いったん帰宅して内科へ。主治医に深夜の動悸の話をした。私の不整脈のパターンは死に至る危険性は少ないらしい。それでも、明確な頻脈発作なら救急車で病院へ行けと言われた。頓服に、あの可愛いベラパミルちゃんをもらった。1日3回+頓服。ついでにステロイドの点滴。プレドニン1週間分をもらった。

今日は地活で話をしていて、警察に飛び込めば精神病院に連れて行ってくれるということが明らかになった。ただ、決断にはまだ遠いね。

内科の主治医診察では、失礼ですが、お風呂入ってますか、服を洗濯していますかと聞かれた。よっぽど臭かったのだろう、申し訳ないことをした。これから毎月26日は風呂の日にしようと思った。あ、風呂の日は冗談だからね。

順当に行けば、2月中にもリスパダールとおさらばか。俄かに、信じ難い。また、躁転。ないない。

躁転はダメとしても、次の課題は脱臭だな。知能の回復より優先度が高いだろう。精神障害者だって社会人です。浮浪者を気取る必要はありません。なんだ、気取ってたのか。おい、今日は饒舌だぞ。ステロイドの影響か?
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きょうげつ

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