99.7%無気力ざんす。

今日もヘルパーさんに来ていただき引き籠りの予定が、夕方ちょっとカフェに行って、証券会社の知人夫妻に会って会釈だけして、買い物をしてから帰宅した。

5月1日に内科医に「仕事をした方がいい」と言われてから、仕事とは何か、社会とは何か、精神障害者であるとはどういうことか、といった問いが漠然と漂ってしまい。脳の天候が悪化したのかもしれない。

4月には一般世界に明るさを見いだしたのだが、どうも興味が持てない。面白くない仕事などやるつもりはない。作家というのも客観的な自分の能力(まあ主に体力なのだが)が見えてしまい・・・と、ここまで書いてデジャブを感じた。そう言えば、パラレルワールドでこの文章を書いた記憶がある。まあ、どうでもいいが。

要するにヘロヘロで何も手につかず横になってる。やりたいと思うこと、やらなければいけないことは幾つかある。娘に手紙を書きたいし、パブーに作品をリリースしたいし、デジカメの修理にも行きたいし、生命保険の変更もしないといけない。部屋を完璧にきれいにしたいとも思う。しかし、どれも思うだけだ。着手する様子すらない。

マイ・カルテには「ヘロヘロのヘロ」とでも書いておこうか。
「レレレのレ」と言えるような楽しさはまったくない。

娘には単身赴任になってからの経緯、現代日本社会の仕組み、生き方についての私の思い、躁うつ病とは何か、そして現在の私の脳内物質の消えてしまっている状態、これまでの思い出などを伝えたい。最後の手紙になるかもしれないし、きちんと製本して、3万字くらいは書きたいのだ。ふむ、そうなると書き出すのに気合いが必要なのも当然かもしれない。

もしかしたら、何もしないという今の状態は、拙速に思いつきで行動してしまう状態よりマトモなのかもしれない。ふふふ、これがポジティブ・シンキングだ。(笑)

そう言えば昨日ネットで、頭を強く打ったことが原因で数学の才能が開花したイギリス人のニュースを見た。打ち所がいいと、そういうこともあるのだろうか。完全には信じられないニュースなのだが、私も誰かに頭を殴ってもらいたいなと思った。宝くじを買うよりは賢明な気がする。

そもそも「卓越」にしか興味のなかった私に、「普通」を目標に努力するなどということができるわけがない。そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだ。

いまの主治医も、いろいろな関係者も「生活を安定させましょう」と言うが、これも意味のない目標だと思う。躁うつ病が寛解する可能性は低いのだから、この目標には実現性がない。それに私は、安定した生活など望んでもいなければ、まるで興味がないのだ。いまさら週に5日も働くなど、とても考えられない。

多くの人は、現代の一般的な生活の雛型に近づけることが正しいことだという誤解をしているのだと思う。規則正しい生活、食事、テレビ、新聞、散歩、旅行、スポーツ、読書・・・。それが楽しい人はそれで良い。しかし、私はそういう種類の人間ではないのだ。

ヘロヘロのヘロの状態ながらも、こうして書いているうちに私の本質的なものに接近しているような気がしてきた。時代の文脈とその病理についての思索は別ブログに書いているが、現代を生きる以上は一定のルールに従わざるを得ない。人はそれぞれの世界を生きている。一般的な世界がすべてではないし、正しいわけでも、優れているわけでもない。私はエッジを生きるしかないのだ。この自覚があれば、なんとかなるような気がしてきた。もう、過去の世界に戻ることはない。

エッジ。辞書を見ると面白い用例が出てきた。

用例) over the edge  気がふれて

そうだな、私はこれから、正気と狂気の境目を生きるのだろうな。決して昔のように狂気の側に落ちることなく、正気と狂気のギリギリの境界を生きる。つまり、完全な正気に向かうというのは間違った作戦だったのだ。

現在の状況は明らかにエッジだ。安定などいらない。私はこのエッジで踊り続ければ良いだけだ。

この洗練された高度な思索を主治医に説明しても理解できないだろう。説明するだけ無駄だ。これからは、うまく操るしかないだろう。これは結論だ。基本方針については誰の意見もいらなくなった。さあ、エッジを楽しもう。もう、新しい世界を探す必要はない。